hello,hello


太陽が、柔らかな午後を照らしていた。
ほんのり赤みがかった陽に照らされて、廊下の白薔薇が、橙に染まっている。
私は掃除を終え、夕食用の食器を磨きにキッチンへ向かっていた。
階段を降りきったところで、上から名前を呼ばれた。

「アリス!」

「シエル様?」

直接呼びに来るなんて珍しい。
頬が少し紅潮していて、何やら興奮した様子だった。

「来い!」

「はい。」

急いで階段を登り切ると、シエル様の手が私の左手を掴む。
私は、そのまま書斎まで引っ張られて行った。

「アリスさん、いらっしゃいましたね。」

書斎にはセバスチャンさんが居て、その手には羊皮紙と撃ち落とされたキジが在った。

「ようやく解読が終わったんだ。」

シエル様は、振り返ってそう言った。
机の上のグリモワールは、開いたまま置かれている。
そして、その隣には紙の束が重ねられていた。

「本当にこれで間違いないんだな?」

シエル様はセバスチャンさんを見て、そう言った。

「ええ、完璧です。」

セバスチャンさんは嘘を吐かない。
本当に、本当に解読が終わったんだ。

「アリス、僕はお前と契約する。」

「はい、シエル様。」

シエル様はペンとインク、チョークとグリモワール、そして紙の束を抱えた。

「魔方円を描くのに丁度いい部屋は、ワイン蔵くらいですね。」

セバスチャンさんの言葉に従って、シエル様と私は地下のワイン蔵へ向かった。
地下の暗さを、セバスチャンさんの持ったランタンが照らす。
確かにワイン蔵の床は広かった。
そこに、シエル様がチョークで大きな円を描き始めた。
私を喚び出すための記号が、文字が、描き並べられていく。

セバスチャンさんによって、魔法円の中心にキジの死体が横たえられた。
今度の渡り賃はキジらしい。
――けち。
とは、口が裂けても言えなかった。
300年ぶりの食事だ。
食べられるだけでもありがたいと思うようにした。

シエル様が手を差し出すと、セバスチャンさんは、胸ポケットから折りたたみナイフを差し出した。
そのナイフで、シエル様は右親指を切りつけた。
そして、魔法円の中のある記号を、血の滴る指先でなぞった。

儀式は完璧だった。
魔方円から光が溢れる。
私の体は、その喚び出しに応えるように分解され、一度ワイン蔵から消える。

新たに体が構築され、悪魔であった頃の装いで、私は魔法円の中心に立った。
白い立て襟のブラウスに、黒い姫袖のドレス。
スカートの裾は前開きになっていて、後方はクリノリンで膨らませてある。
白いペチコートは何重にも重なって、膝までを覆っている。
黒いエナメルのブーツが、膝の上までを覆う。

「アリス……。」

シエル様が、そう呟いた。
私は床に膝を立てて、私を喚び出した新たな主を見上げた。

「私の事は、そうお呼びになるのですね。」

「ああ。」

「あなたの願いは何ですか?」

私の問いに、シエル様の口角が吊り上がる。

「分かっているだろう、アリス。僕の願いは――。」

シエル様の口から、その願いが託される。
その願いの、欲に、業に、全身の細胞が震えるのを感じた。

「坊ちゃん。」

セバスチャンさんの手から、シエル様の手に羊皮紙が渡される。
サンジェルマン伯爵の書き足した一文の下に、シエル様がサインと血判を押した。

「シエル様。これで私は、正式にあなたの駒となりました。何なりとお申し付け下さい。」

頭を下げると、子供らしい小さな掌で、わしゃわしゃと髪の毛をかき乱された。

「アリス、お前の働きには期待しているぞ。」

「――はい、頑張ります!」

髪の毛は、まだかき乱されていた。

「では、早速メイドのお仕事でもして頂きましょうか。」

セバスチャンさんがそう言った。

「はい、頑張ります!」

私がさっきまで立っていた場所には、メイド服がくしゃくしゃになって落ちている。

「さあ、そろそろ夕食の準備をしなくては。」

セバスチャンさんのその言葉で、私は立ち上がった。
落ちていたメイド服を拾い上げる。
シエル様は契約書をグリモワールに挟み込んでいた。
私を喚び出した魔法円はすっかり消えて、血液で記号をなぞった跡だけが床に染みていた。

「夕食の準備、手伝いますので、準備を終えたらすぐ向かいますね。」

ワイン蔵を去るシエル様とセバスチャンさんの背中を見送った。
私は、その場でメイド服へと着替える。
全身に満ちる悦びで、指先は微かに震えていた。
新しい渡り賃で空腹も満たされ、希望のようなもので胸がいっぱいだった。

ワイン蔵から地上へ上がる。
廊下に射す陽が赤さを増していた。
魔法円の、契約書の血判を思い出す。
新しい主への忠誠を、改めて誓うのだった。


FRAGILE



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -