ガーベラ


サンジェルマン伯爵がやってきた後、布団の中で目を閉じたものの、一睡もできなかった。
窓から射す陽が、今日も私の部屋を照らす。
燃える朝焼けを見に、窓へと向かった。
赤い赤い空が、夜を食い尽くそうとしていた。

昨晩、サンジェルマン伯爵が来た事は黙っておこう。
そう思った。
言ってどうにかなる話じゃない。

黙っておくためには、まず忘れる事だ。
早めに仕事を始めようと、服を着替えた。
髪をまとめて、カチューシャを乗せる。
洗顔を済ませて、屋敷の掃除を始めた。

「今日は、お早いんですね。」

「おはようございます。」

背後から声を掛けられて、振り向けばそこに燕尾服が立っていた。

「セバスチャンさんこそ、お早いんですね。」

「ええ、仕事は沢山ありますから。」

そう言うと、セバスチャンさんはにっこりと笑ってみせた。
その笑みの意図は分からないけれど、私も笑顔を返した。

「朝食の支度の手伝いをお願いできますか?」

「はい。」

掃除道具を仕舞ってしまうと、セバスチャンさんの待つキッチンへと向かう。

「お待たせしました。」

「そちらのフルーツの皮剥きをお願いします。」

こちらを振り向くことなく、セバスチャンさんはフライパンを振るう。
私はナイフを取ると、果物に向き合った。

「今日は忙しくなりそうですよ。」

セバスチャンさんが言う。

「何故ですか?」

「何故でしょうね?」

意地悪そうにくつくつと笑う声が聞こえた。
まあ、今分からなくてもいい、いずれ分かるのだから。

「意地悪ですね。」

「親愛の情を表してるだけですよ。」

これが、親愛の情か。
意地悪なのは、悪魔らしいというか。

「皮剥き、終わりました。」

「では、また後ほど、朝食の給仕をお願いします。」

「はい。」

キッチンを出て、掃除の続きをする。
玄関前を綺麗に掃き終えて、屋敷内に戻った。

「アリス!」

正面の階段を降りきったところに、シエル様がいた。

「おはようございます。今日は、お早いのですね。」

さっき聞いた台詞を口にした。

「来い。」

私の右腕をとると、シエル様は歩き始めた。
引っ張られるように屋敷内を進む。
書斎に通されると、そこにはセバスチャンさんもいた。

「……朝食はよろしいのですか?」

「そんなもの、後でいい。」

その体には大きすぎる椅子に深く座ると、シエル様は腕を組んだ。
そして、セバスチャンさんに視線を送った。
セバスチャンさんは頷くと、口を開いた。

「昨晩、サンジェルマン邸で、アリスさんのグリモワールを見付けました。」

セバスチャンさんを見れば、その左腕に分厚い本を抱えていた。
それは、とても見覚えのある物だった。

「本当に、私の……。」

「契約書は、こちらですね?」

セバスチャンさんはグリモワールを開くと、挟まれていた一枚の羊皮紙をつまみ上げた。
そこには、契約の内容と、そしてサンジェルマン伯爵のサイン、血判が押されていた。

「間違いありません。」

しかし、サインの下に見たことのない走り書きがあった。

「待ってください、私の知らない一文が。」

近寄って羊皮紙をよく見ると、まだインクが新しい。

「『契約を以下の者に譲る』?」

「そのようですね。」

セバスチャンさんはそう言うと、シエル様を見た。

「こちらにサインと血判を押せば、アリスさんの契約は坊ちゃんに移るようですよ。」

昨夜のサンジェルマン伯爵を思い出す。
あの後、屋敷に戻って書き足したのだ。
そして、見付けやすい場所にでも置いたのだ。
容易に想像する事ができた。
少しだけ、胸が痛んだ。

「しかし、早速サインという訳にはいきません。」

ペンを執ったシエル様を、セバスチャンさんが止めた。

「グリモワールをしっかりと読めるようになって下さい。」

羊皮紙だけを引き抜いて、グリモワールだけをシエル様に手渡した。
グリモワールを理解できなければ、いくらセバスチャンさんと契約しているといえど、喚び出した途端に命を落としてしまう。

「これはアリスさんの説明書です。理解できなければ、契約した途端に喰われてお終いです。」

シエル様の舌打ちがよく響いた。

「さあ、では朝食にしましょうか。」

契約書を胸ポケットに仕舞って、セバスチャンさんは言った。
シエル様が席を立ち、書斎から出て行った。
その後ろ姿を追う。
いずれ、本当にこの少年が私の主になるのだ。
嬉しさが胸に満ちていくのを感じた。


FRAGILE



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