BLACK OUT


今日は来客があるのだという。
朝から私たち使用人は、客人を出迎えるために屋敷内をかけずり回っていた。
メイリンさんのうっかりを補完して、バルドロイさんの開けた壁の穴を埋め、フィニアンさんの枯らした花を処分した。
屋敷内を掃除して回っていると、書庫の扉が少し開いていた。
そっと覗き込むと、暗い書庫を照らすランタンが見えた。

「読書ですか?」

私と一緒にかけずり回っていたセバスチャンさんがいた。

「ああ、アリスさん。」

振り返ったセバスチャンさんの手には、大きな本が抱えられていた。
どこかで見た覚えのある、厚くて暗い色をした表紙。

「グリモワール!」

「ええ、この屋敷にもあったようですね。」

セバスチャンさんが持っているのだから、セバスチャンさんのものではない。
表紙の文字を読んでみても、私の知っている悪魔ではなかった。

「喚び出すつもりですか?」

「まさか。ただ、興味があったのでページを捲っていただけです。」

セバスチャンさんはそう言って、グリモワールを棚に戻した。

「坊ちゃんに、サンジェルマン伯爵を捜すようにと命じられました。」

ランタンを持って、セバスチャンさんはこちらに向き直った。

「それは、とても骨が折れることでしょうね。」

「ええ。全く、生きる都市伝説とはよく言ったものです。」

静かに、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
床に敷かれた毛足の長い絨毯が、その足音を消している。
暗闇と、ランタンの明かりとで、セバスチャンさんの幽玄さを顕しているようだった。

「坊ちゃんは、どうしてもアリスさんが欲しいようですね。」

「ありがたいお話です。」

それは素直な感想だった。
尊敬する主に使役する悦び。
尊敬する主を看取る幸せ。

「私は、アリスさんに坊ちゃんの魂を掠め取られてしまうのではないかと心配で心配で……。」

「嘘吐かないで下さい。微塵もそんな事思っていないでしょう。」

「ええ、アリスさんの事は信用していますから。」

気付けばもう、セバスチャンさんは目の前に立っていた。
下から照らすランタンが、妙な影を作り出す。

「ただ。」

セバスチャンさんが顔を寄せた。

「坊ちゃんが随分アリスさんにご執心なのが気になりまして。」

「そんな事――。」

「あるんですよ。」

セバスチャンさんの左手が、私の頬をなぞる。

「悪魔に魅せられた主人というのは、少々情けないものです。」

紅茶色の瞳が、私の瞳を覗き込む。
瞳孔の奥、暗いところで澱が蠢いているのがよく見えた。

「私だって、欲しいものくらいあるんですよ。」

そのまま、唇が重なった。
お互い目は開けたまま、目線を合わせたままで。

「素直に譲ってしまうのが、とても惜しい。」

ランタンの火が揺らめく。
セバスチャンさんの表情が読めない。

「毒味は、執事の仕事ですから。」

そのまま、今度は深く口吻られる。
舌が侵入して、私の舌を絡め取る。
吸われた舌先を甘く噛まれて、慌てて舌を引き戻した。

「サンジェルマン伯爵が、アリスさんのグリモワールが見付からなければいい。」

セバスチャンさんが笑う。

「焦れた坊ちゃんが見てみたいと、思ってしまったんですよ。」

「……執事の癖に。」

「ええ、私はあくまで執事ですから。」

口角を綺麗に吊り上げて、セバスチャンさんは完璧に微笑んでみせた。
同じ悪魔のはずなのに、背筋にぞくりとしたものが走る。

「業の深い――。」

「坊ちゃん譲りですよ。」

そう言って、セバスチャンさんはランタンの火を消した。

「さあ、来客の準備をしましょう。」

セバスチャンさんの影が動いた。
開いたままの扉から射す日に照らされた黒い燕尾服が、影の塊のように見えた。
動く影が消えてから、私は日の光を頼りに書庫を出た。

悪魔の癖に、悪魔に翻弄される自分に情けなくなる。
折角望まれる存在にまで上り詰めたのに。
主人の命には忠実な執事だけれど、その他は“ただの”悪魔だ。
私は、己の力で守らなくちゃいけない。
シエル様が喰われる様を看取るという夢が、手折られぬように。
そのための信頼を、必死で庇わなくては。


FRAGILE



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