bloom


朝食の給仕を手伝いながら、先日のセバスチャンさんの発言について考えていた。
シエル様が食事する様を見つめながら、その感情を読み取ろうとしてみる。
そんな事をしたところで、この主の感情は、不機嫌か、それ故激昂するか、または諦めるか。
絶望の中で一つの葦を掴んだその感情。
その他はあまり見られない。
朝食を食べている、その機嫌も、普段通りの低い位置で留まっていた。

「さっきから何なんだ、アリス。僕の顔に何かついてるか?」

「いえ、そんなことは……すみません。」

こちらには視線も寄越さずに、シエル様はそう言って、サーモンの切れ端を口に運んだ。
特別、うまい、という顔もせずに、ただ淡々と口に運ぶ。
甘い物の時には、もっと表情豊かだけれど。

シエル様が食事を終え、その片付けをし、屋敷の掃除をする。
普段の通りに仕事を進める。

その中でも、やはり私は迷いの森の中にいた。
もう当たり前になってしまっている、セバスチャンさんやシエル様とのキスも、本来ならあり得ない事なのだから。
何故、そんな行動を取るのか。
寵愛されてる訳でもない。
シエル様との主従関係は成り立っている。
愛玩されている訳でもない。
一戦力として、私はその数に数えられている。
セバスチャンさんにとって、かわいい後輩という訳でもない。
なぜ、どうして、が付きまとう。

それらの考えが堂々巡りをする。
階段の手すりを磨きながら、何十回目かの逡巡をしたところで、思わず階段を踏み外した。

「え。」

咄嗟のことで、頭が状況について来られず、受け身を取り損なう。
全ての段差を転げて、玄関フロアの床で漸く回転を止めた。
全身の痛みが、緩やかに強くなってくる。
頭を思い切りぶつけなかったのは、幸運だったかもしれない。
ゆっくりと体を起こすと、階段の最上段でシエル様とセバスチャンさんがそれを見ていた。

「大丈夫ですか?」

上から掛けられた声に、返事の代わりに起き上がった。

「お見苦しいところを……申し訳ございませんでした。」

頭を下げる。
革の爪先が、少し汚れていた。

「アリス、そこの掃除が終わったら、僕の部屋へ来い。」

シエル様の声がして、顔を上げた。

「はい。かしこまりました。」

シエル様の隣で、セバスチャンさんが小さく目を見張ったのを見逃さなかった。
今の命令が、彼の言った、その機微なのだろうか。
シエル様とセバスチャンさんが部屋へ向かうのを見届けて、私は掃除に戻った。

階段の手すりを磨ききって、私は先程言われた通りに、シエル様の部屋へ向かった。
ドアをノックして、返事を待ってから扉を開ける。
シエル様は本を読んでいたようで、分厚い本に栞を挟み込んで、机の上に置いた。

「お待たせ致しました。」

机の前へ進み出る。

「アリス、どうしたんだ?朝から様子がおかしいが、何かあったのか?」

「いえ、何かあった訳では――。」

心配そうにこちらを覗き込む瞳は、澄んだ青をしている。

「ご心配をおかけして、申し訳ございません。」

「……そうか。」

何故かシエル様は目を伏して、指先を見詰めている。

「僕に隠し事か?」

「隠し事なんて、何も。嘘だって吐いていません。」

「当たり前だ。」

シエル様が立ち上がる。
私の側まで来ると、いつもの通りに手を引いた。
目線を合わせて、互いの瞳を覗き込む。
澄んだ青の奥に、一体どんな感情が揺れているというのだろうか。
主は変わらず少し不機嫌で、不遜で、傲慢だ。
機微などという言葉の似合う、そんな感情は私には見て取れない。
あまりにも澄んだ青。
そこに揺れる陽炎もない。

また、だ。
また唇が触れる。
ずっと甘受し続けてきた、本来ならあり得ない行為。
瞼を閉じて、その感傷に耽る。
唇が離れて、再び目線を合わせた。

「どう、して――。」

口から、疑問が零れた。
零れてしまったものは、その勢いを止めない。

「どうして、シエル様は……私なんかに、口吻を。」

シエル様は目を丸くして、そして頬を紅潮させた。
何故、そんな反応を。
これが、機微と表現されるものなのだろうか。

「き、聞くな、そんな事。」

シエル様はそう言って俯く。
私を掴む手が、じっとりと汗ばんできていた。

「……嫌だったのか?」

「いいえ、嫌ではありません。」

嫌な訳がなかった。
私のことを気に入っていてくれるのだと、そう思えて、嬉しかったからだ。

「そうか、良かった。」

シエル様はそう呟いた。

シエル様のその感情の機微は。
今までの一連を思うと、それは人間の恋に近いものなのだろうか。
しかし、まさか、なぜ、私が。

「どうして……。」

「聞くな!」

今度は強い言葉だった。
頬を赤くして、私を掴んだ手には力が込められた。

「す、すみません。」

私は屈んだまま、頭を下げる。
その頭を、私を掴んでいない方の手でかき乱された。

「アリスは、僕の気に入りの駒の一つだ。」

それは、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

そう、私はシエル様の駒の一つ。

「僕の、気に入りの、駒の――。」

頭上から手は離れ、再び唇が重なった。
シエル様から否定された感情の、その衝撃に、私の心は揺れていた。
一瞬でも過ぎった、恋という感情が。
否定はされたけれども、それは生々しく私の心を侵すのだった。
もし、これが彼の言う機微の正体だとしたら。
それはとても恐ろしくて、そして悲しくて、嬉しいものだった。

「そう、私は、シエル様の使役する悪魔ですから。」

唇が離れて、私はそう応えた。
私の応えに、シエル様は微かに口角を上げた。
その弱々しい微笑みに、私は思いきり微笑んで返した。


FRAGILE



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