MIND CIRCUS
「今日も、ですか。」
セバスチャンさんに、今日もシエル様の絵を教えるように頼まれた。
絵を教える事は苦ではなかったし、シエル様は飲み込みが早いから教えていて楽しいのだけれど。
シエル様の待つ部屋へと急ぐ。
扉をノックして、返事を聞いてから私は入室した。
「今日も静物画ですね。」
「……ああ。」
集中して、カンバスに向かっている小さな背中。
その背中が背負っている物の大きさを知ってしまった今、私は彼を強く守りたいと思うようになった。
こんな人間を私は知らない。
以前の主人も珍しい人間だったけれど。
それとは違う、ここまで様々な物を背負っても、その重さに屈せず、倒れず、前へ進もうとする人間を知らない。
セバスチャンさんが、この魂が熟れるのを待つ事も納得出来る。
彼は、素晴らしい人間だ。
食欲ではない、尊敬と強い関心で、思わず舌なめずりをした。
カンバスを見遣ると、花瓶と花が描かれている。
「シエル様。」
背後から、同じ目線まで腰を屈めて声を掛けた。
「花瓶の影ですけれど、ここは思い切り力を込めて、黒く濃くして下さい。」
鉛筆を持ったシエル様の手を取ると、花瓶と机の接地面、一番影の強くなる部分に力を込めて線を足す。
「影が濃ければ濃いほど、白い面が引き立ちます。」
「そうか。」
シエル様の手を離す。
カンバス越しに花瓶を見た。
活けられているのは、アイビーとユリ。
花瓶から大きく垂れたアイビーの濃緑が、ユリの白さを際立たせている。
シエル様は私の言った通りに、影を濃く、ユリが際立つように描く。
いつもの強気と、素直さと。
私がまだ見ていない彼の素顔はどんなものだろうかと空想する。
「……できた!」
シエル様の声で、私の意識は帰ってくる。
「じゃあ、最後に、後ろまで下がって見てみましょうか。」
扉まで下がって、モデルと絵を見比べる。
以前よりバランスの取り方が上手くなっている。
そうだ、この幼い主は成長しているのだ。
「バランスの取り方が上手くなりましたね。」
「そうか?」
「ええ、以前よりとても。」
窓から射す日と、活けられた花と、カンバス。
それらの構成するこの部屋の静寂が、心地良かった。
「アリス。」
シエル様は私の左手をそっと下へ引く。
それに合わせて、少し屈む。
「先日は、あの変態死神に絡まれて大変だったな。」
「私1人で露払いができず、申し訳ございません。」
「そんなこと、別にいい。」
シエル様は、私の左肩に、そっと唇を落とした。
「早く治るといいな。」
「はい。ありがとうございます。すぐに治りますよ。」
私が微笑んでみせると、シエル様は視線をカンバスに戻した。
こちらを向いている耳が、ほんのりと赤い。
この部屋に満ちた静寂が、ざわざわと動き始めた気がした。
「では、セバスチャンさんを呼んで参りますね。」
「ああ。」
掴まれたままだった私の手が、緩やかに解放される。
手に残った温もりが失われるのが、少し惜しかった。
廊下に出て、セバスチャンさんがいるだろうキッチンへ向かう。
肩の傷口が、鼓動と一緒にズキリと痛む。
唇を落とされた部分だけが、別の熱を持っているように感じた。
FRAGILE
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