ムリアリズム


深夜、私はある物音で目を覚ました。
それは、屋敷の屋根に何かが落ちる音。

「今日は、何……?」

いつもの侵入者たちなら、庭から入ってくるのに。
屋根に落ちる音はひとつ、雹が降ってきている訳でもない。
私は大好きな布団を剥ぐと、寝間着のまま窓から外に出た。

「何、あれ?」

屋根には人影がひとつ。
月に照らされるその人影は、真っ赤だった。
慌てて屋根まで飛び上がる。

それは、よく見慣れた目の色をした、メガネをかけた真っ赤な男だった。

「死神!この屋敷に何の用?」

「誰よ、アンタ。」

真っ赤な髪を靡かせて、その死神は酷く不機嫌そうにそう言った。

「なんでここにメスの悪魔がいる訳!?アンタもしかして、アタシのセバスちゃんをたぶらかしに来たんじゃないでしょうね?」

「何を言ってるのか理解しかねるのですが、何しに来たのよ。」

死神は得意げに胸を張った。

「近所での仕事が早く終わったから、愛しの、アタシのセバスちゃんに会いに来たのよ。」

セバスちゃん、はセバスチャンさんの事なのだろう。
この死神、一人称がアタシだけど、どう見ても男性だ。

「お帰り願えますか?」

「何でアンタにそんな事言われなくちゃいけないワケ?アンタ、セバスちゃんの何なのよ!」

「部下です。」

「部下ごときが何よ、アタシとセバスちゃんが愛し合う邪魔なんてさせないわよ!」

そう言うと、死神が右手に持っていたデスサイズであろう武器のスイッチを入れた。
鉄板に巻き付いていた、棘のような刃が高速で回転を始める。
それを構えて、死神が飛びかかってきた。
後ろに跳んでそれをかわす。
地面に着いたその刃先は、屋根の石を小さく弾いた。

「セバスちゃんに群がるメスの蝿のクセに、生意気!」

「群がっていませんし、蝿でもありませんし!」

振り下ろされたデスサイズを、手で挟んで止める。
刃の回る音が、それによって起こる風が、とにかく気持ち悪い。
必然的に近付いた顔をよく見ると、化粧をしているようだ。
……ハートは乙女のそれかしら?

「アンタ、イイ匂いするわね。……アプリコットの香りかしら?香水なんてつけて、やっぱりセバスちゃんを誘惑してるんじゃない!」

「そんな事してません!」

手に挟んだままのデスサイズを左手に振り払う。
それにつられた死神の体の脇腹に、右足をめり込ませた。

「痛いじゃないのよ!」

そのまま横にスイングするデスサイズを、跳躍で避ける。
その勢いで死神の顎を蹴り上げた。
後方によろめく死神の背後に着地すると、そのまま足払いをかけた。
しかし、足払いにはびくともしない。

「調子乗ってんじゃないわよ、薄汚いメス悪魔!」

死神は振り返ると、その刃の回る鉄板をこちらに振り下ろす。
思っていたよりもその動きが速くて、ガードを構えていた左腕を切りつけた。
久々に自分の血を見た。

「趣味じゃないけど、アンタのその寝間着、真っ赤に染めてあげるワ。」

死神が舌なめずりをする。
振り回されるデスサイズは、確実に左腕を獲るために動かされ始めた。
めちゃくちゃに振り回されているようで、そうじゃない。
左腕には何本も赤い線が引かれていく。

「逃げ足だけは早いのね、アンタ。」

思わず下唇を噛んだ。
左肩に向けて振り下ろされたデスサイズを、再び両手で挟んで止めた。
が、少し遅かった。
刃先は確実に左肩に埋まっている。

「なかなか無様でイイじゃない。」

死神が、更に刃先に力を入れる。

「――っ、く。」

左腕を持って行かれないように、必死で抵抗する。
目線を刃先に向けた。
その片隅に、黒い物が動いた気がした。

月に照らされたシルバーが、死神目がけて真っ直ぐに飛んでくる。
慌てて刃を抜いた死神が後方に跳躍したけれど、フォークが一本、彼の右太腿に突き立った。
真っ黒い影が、私と死神の間に降り立つ。

「セバスちゃん!」

「アリスさん、遅くなってしまって申し訳ございません。」

「ありがとうございます。」

左肩を庇いながら、軽く頭を下げた。

「ああ、左肩が……。」

「大丈夫です、このくらい。」

「何でアタシの事無視するのよ!酷いじゃないセバスちゃん!そんな薄汚いメスのどこがいいのよ!」

私の方を向いているセバスチャンさんに向かって、死神がデスサイズを振り下ろす。
セバスチャンさんは私を抱き上げると、その刃をかわす。

「立てます!私、立てますから!」

「キーッ!アタシだってされたことないのに、お姫様抱っこ!」

「グレルさん、あなたにする事は今後一切ないと思いますが……。」

呆れたようにセバスチャンさんは肩を落とす。

「セバスちゃんたら酷い!そんなメスがいいなんて!アタシというものがありながら!」

死神は再びデスサイズを構えて突進してくる。
それを阻むように、上方から金属の棒が伸びて、その刃先が屋根を弾いた。

「仕事は終わっているはずですよ、グレル・サトクリフ。」

「ウィル!丁度良いトコロだったのに!」

同じ目の色をした、こちらはカッチリとした風貌の死神が降りてきた。

「こんなところで油を売っている暇はないと思いますが。……しかも、またこの害獣相手に。」

こちらの死神は、思い切り顔をしかめた。

「さ、帰りますよ。」

「嫌ぁよ、アタシまだ……!」

グレルと呼ばれる方の死神の大きく開いた口に、ウィルと呼ばれた死神の右親指がねじ込まれる。
そのまま頬を強く引っ張って、ウィルという死神が歩き始める。

「いふぁい!いふぁい!」

グレルが叫ぶけれど、それを無視してウィルは夜の闇に吸い込まれるように消えていった。
私はその光景を、呆けたように見つめていた。

「さて、アリスさん。」

名前を呼ばれて、意識を引き戻される。
すぐ近くにある顔に、自分がまだ抱き上げられたままだという事を思い出した。

「手当をしなければ。」

「あっ、あの、そんな大怪我でもないので、大丈夫です……というか、降ろして下さい!」

「駄目です。デスサイズに切りつけられたんですから。」

「手当!手当はしますから!降ろして下さい、立てますから。」

セバスチャンさんはにっこりと微笑む。

「では、部屋へ戻って手当をしましょう。」

そう言うと、私を抱き上げたまま屋根から飛び降りた。
窓の開いたままの私の部屋へ入って、ようやく降ろされる。
ベッドに座らされ、寝間着の左腕部分を千切られた。

「救急箱を持ってきますから、待っていてくださいね。」

そう言って、セバスチャンさんは部屋を出て行った。
露わになった傷口は、回転する刃のせいか思っていたよりズタズタだった。
血はまだ流れ続けている。
こんな程度じゃ死にはしないけれど。

扉をノックされて、返事をする。
救急箱を持ったセバスチャンさんが入ってくる。
傷口にガーゼを当てられて、強く包帯を巻かれる。
左腕にばかり傷があるので、左腕は包帯まみれになっていった。

「こんなに怪我をされて……。本当に遅くなってしまって申し訳ありませんでした。」

「いえ、そんな。助けて頂いて、本当にありがとうございます。」

私が微笑んでみせると、セバスチャンさんは困ったように微笑んだ。
そして、左肩に巻かれた包帯に唇を落とす。

「早く治りますように。」

セバスチャンさんはそういうと、救急箱を持って立ち上がった。

「おやすみなさい、アリスさん。」

「あ、はい、おやすみなさい、セバスチャンさん。」

扉から出て行く背中を見送って、私は肩に巻かれた包帯に目を遣った。
唇を落とされた部分が、少し熱を持っているように感じる。
布団に潜り込む。
痛みと熱とが混ざり合って、全身を駆け巡る。
引き寄せた抱き枕に顔を埋めた。
思い切り吸い込んだ香りで、ようやく緊張が解けたようだった。


FRAGILE



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