LEMPICKA


「アリス、アリス。」

温室にて、廊下に飾るための花を摘んでいた時、不意に背後から声を掛けられた。
声の主は、珍しくシエル様。

「どうなさったんですか?シエル様。」

「ちょっと聞きたい事があるんだが。」

「はい、何でしょう?」

いつも通りに微笑んでみせる。

「ちょっと、こっちへ来い。」

花を持っていない右手を掴むと、シエル様は少し早足で歩き始める。
先日の鬼ごっこ以来、シエル様が私に用がある時は、いつもこうであった。
手を掴まれて、引っ張られる。
少し強引だけれど、何だか子供らしい気がして、私は気に入っていた。
そんなことを言ったら、酷く怒られそうだけれど。

通されたシエル様の書斎は、ほんのりいい香りが漂っていた。
書斎机に目を遣ると、質素な瓶が数本並んでいる。

「自社の香水のバリエーションを増やそうと思うんだが、どれが女性好みなのかさっぱり分からん。」

瓶の口にはコルクがはめられていて、リボンでカードが括りつけられていた。

「アリスはどれがいいと思う?」

「私が選ぶんですか?」

それは責任重大だ。
できれば避けたいくらいに。

「悪魔とはいえアリスは女だろ?この中で好きな香りを教えてくれるだけでいい。」

「はい……。」

あまり気乗りしないとは言えない。
並んだ瓶を持ち上げ、括りつけられたカードに鼻を寄せる。

ローズの強いもの、ムスクの強いもの、ジャスミンの強いもの。
ピオニーやベルガモット、バニラ。
どれもいい香りがした。
その中でも私が好きなのは、レモンが潜んだアプリコットの香りのものだった。
全ての瓶の中で、一番癖の強い甘い香り。
本当に私の判断でいいのだろうか。
でも、嘘を吐いて無難な物を選ぶことはできない。

「私は、これが一番好きです。」

アプリコットの香りのする瓶をシエル様に差し出した。
シエル様は驚いたように、少し目を見開く。
私に聞いたことを後悔したんじゃないだろうか。
そんなネガティブな考えが頭を過ぎった。

「面白いのを選んだな。」

私から瓶を受け取ると、シエル様もカードに鼻を寄せた。

「……まあ、珍しくていいのかもしれないな。」

「お役に立てたのなら、良いのですけど……。」

「仕事中悪かったな。戻っていいぞ。」

シエル様はそう言うと、机の上に積まれた書類に目を向けた。
本当に、この幼さで大きな会社を動かしているのだから、純粋に尊敬する。

「それでは、失礼致します。」

一礼をして、書斎から出た。
左手に握ったままの花を、廊下の花瓶に生けていく。
私の選択が正しかったのか、まだ胸にはざわざわと不安が蠢いていた。



それから数日後、私はまたシエル様に引っ張られていた。
今日はただ一言、「来い」とだけ言われて。

そのまま書斎に通される。
デジャブだろうか?
否、違う。
机の上には、愛らしい瓶が載せられていた。

「この間、アリスが好きだと言った香りを商品化した。最初の1つはアリスにやろう。」

シエル様は、その愛らしい瓶を私に差し出す。

「そんな、私なんかに……。」

「アリスの好きな香りなんだろう?今回の一番の功労者はアリスだ。大人しく貰っておけ。」

受け取ったその瓶には、淡い紫色が揺れていた。

「ありがとうございます。」

その瓶を胸に押しつけると、シエル様が微笑んだような気がした。

「まあ、メイドだからつける機会はなかなかないと思うが、部屋のリネンにでも振って使え。」

「はい、そうさせて頂きます。」

とても嬉しくて、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
部屋に戻ったら、早速、あの抱き枕に振ろう。

「ありがとうございます、シエル様。」

「そう何度も礼を言わなくていい。」

「だって、とても嬉しいんです。」

本当に、嬉しくて、ありがたくて、夢のようだった。
そのままシエル様に抱きついてしまいそうになるのを、必死で堪えた。

「大切に使わせて頂きます。」

そう言って、私は書斎を後にした。
急いで自室に戻ると、抱き枕に巻いたリボンにそれを吹きかけた。
立ち上るアプリコットが柔らかく、甘く香る。
すごく、素敵な香り。
私は、その愛らしい瓶を備え付けのチェストに置くと、仕事のために部屋を出た。
それでもしばらくの間、私はアプリコットの香りを感じながら働いていた。
またひとつ増えた宝物。
あの瓶を思い返す度に、胸の奥がぽっと温かくなるのを感じた。


***

ロリータレンピカ、の話。


FRAGILE



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