VOID


シエル様の話した内容は、ひたすらに痛々しい過去だった。
人間は、時に悪魔より残虐で無慈悲だ。
聞かされた過去が、今のシエル様の言動全てを肯定する。

「お話して下さって、ありがとうございます。」

私は頭を下げる。
シエル様の心中を思うと、つい下唇を噛んでしまう。

「私の今の主はシエル・ファントムハイヴ伯爵、あなたです。何があっても、私は主の力になりましょう。」

全ての力を持って。
全ての力を持って、主を守り、その願いを叶えよう。
そのための私の力だ。

「全てはシエル様の仰せのままに。」

私は膝を床に着けると、両手を組んだ。

「えらく従順だな。僕が勝利を手にしたとして、アリスは何も得る事はないぞ。」

「構いません。私がシエル様に望むのは、その勝利だけです。」

おこぼれも食べ残しも要らない。
この主と共に過ごす短い時が終われば、私は、またあの伯爵に呼び戻されるだけなのだ。
あの伯爵の元で過ごす澱のような日々に比べれば、その勝利を渇望する生活は、素晴らしい褒美なのだ。
まさか、こんな日々が待っていようとは。
全身が震えた。

そう、私は悪魔なのだ。

主のために、向かってくる全てをなぎ倒そう。
主のために、栄冠を掻っ攫おう。

「シエル様が下さる日々が、私の最大の褒美です。」

そう、笑ってみせると、シエル様は顔をしかめた。

「本当に、アホみたいに笑う悪魔だな。」

「はい。」

私は再び頭を下げる。

「そういえば、アリスさんは何のご用で?」

「あっ、あの、新聞をですね。」

セバスチャンさんの声で、私はこの部屋にやってきた理由を思い出す。
アイロンをかけた真っ直ぐな新聞をシエル様に手渡す。

「こんな物をあんなに急いで持ってきたのか……。」

シエル様は呆れたように私を見た。

「す、すみません。」

思わず項垂れる。
その頭を、またぐしゃぐしゃとかき乱された。

「まあいい。」

シエル様はそう言うと、私の頭から手を離した。
頭を上げると、シエル様は新聞に目を落としていた。
セバスチャンさんを見ると、驚いたように目を見開いていた。

「2人共下がれ。少ししたら朝食を摂りに行く。」

「ではお待ちしております、坊ちゃん。」

「失礼します。」

セバスチャンさんと共に廊下に出た。
ワゴンを押すセバスチャンさんの少し後ろを歩く。

「……坊ちゃんは。」

セバスチャンさんが呟く。

「アリスさんをとても気に入っているようですね。」

「そうなんでしょうか?」

「ええ、そうですとも。」

ワゴンの上の茶器が、振動で小さく踊る。

「それは、とても……。」

セバスチャンさんの足が止まる。
私も思わず、その歩みを止める。

「悔しいくらいです。」

セバスチャンさんの手が、私の顎を捕らえた。
至近距離で目線が合う。

「――私だって。」

セバスチャンさんが何か言い淀んで、顎が解放された。

「さあ、仕事をしますよ。」

「はい。」

再び歩き始めたセバスチャンさんを追った。
彼が何を言いたかったのか気になったけれど、聞いてしまってはいけない気がした。
私は望まれたままに、笑いながら仕事をすればいいのだ。


FRAGILE



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