regret
雨のせいだろうか。
今朝は新聞が来るのが遅かった。
セバスチャンさんが朝のお茶を準備して、シエル様の部屋へ向かった頃に新聞が届いた。
私は急いで新聞にアイロンをかけると、急いでシエル様の部屋へ向かう。
早く届けなければ、その一心で、軽くノックをしてから部屋の扉を開けた。
「あっ、すみません!」
シエル様はお召し替えの途中だった。
こちらに背を向けて、セバスチャンさんが広げたシャツを羽織るところだった。
「いけませんね、アリスさん。返事は待たなければ。」
慌てて背を向けた私に、セバスチャンさんが言い放つ。
「……見たのか?」
シエル様の声は、酷く低い。
見た、というのは、きっと背中にあったあれの事だ。
白い肌に不釣り合いな焼き印。
「申し訳ございません、見てしまいました。」
「……そうか。」
あのマークには覚えがある。
サンジェルマン伯爵に仕えていた頃、錬金術について学びたいとやってきた集団が、どこかしらのアクセサリーにあの印をつけていた。
結局、彼らは錬金術のうわべだけを学んだ後、すぐにどこかへ消えてしまった。
あの“卑しい人達”の印が、どうしてシエル様の背中に?
「誰にも言うなよ。」
「はい、シエル様。」
背を向けたまま返事をした。
情けなくて、申し訳なくて、シエル様の方を向き直す勇気もなかった。
卑しい人達の事を懸命に思い出す。
彼らは錬金術について、そしてグリモワールの存在について、しきりにサンジェルマン伯爵に聞いていた。
「悪魔が欲しいとうるさいんだ」と、サンジェルマン伯は言っていた。
彼らは悪魔崇拝者の集団だったのだろうか。
では、シエル様も?
否、違う。
シエル様は悪魔崇拝者ではなく、悪魔と契約しただけだ。
崇拝していたのならば、今のような関係性を築くはずがない。
あの焼き印に悪魔を呼び出す意味もない。
アクセサリーに付けるように、その背に付けられたのだとすると、それは所有物としての証だ。
嫌な推測が頭を巡る。
まさか、いや、そんな。
確証だってない。
知らぬうちに、脚が、腕が震えていた。
「どうなさいました?」
セバスチャンさんの声でハッと我に返る。
「私は、その印を知っています。」
喉はカラカラに渇いていた。
「どこで知った!」
シエル様の声が荒くなる。
私は声を振り絞るようにして答えた。
「サンジェルマン伯爵の元で働いていた際、悪魔が欲しいと言ってきた人達が持っていました。」
「そいつらの素性は分かるのか?」
「分かりません。私はただのメイドでしたから。彼らがサンジェルマン伯の元で何を学んでいたのかも分かりません。」
「そうか。……まあいい、そう易々とたどり着いても面白くない。」
シエル様は彼らを捜している。
力になれない事が歯がゆくて仕方がない。
「アリスには話しておくか。」
「いいのですか?」
「構わない。いい機会だ。悪魔は知っていてもいいだろう。」
悪魔、アリスではなく、悪魔。
「こちらを向け、悪魔。昔話をしてやろう。」
私が振り返ると、すっかり着替えたシエル様が、ベッドに足を組んで座っていた。
シエル様は眼帯の紐を引き、隠されていた右目を晒した。
その紫色が妖しく揺らいだのを、私は見逃さなかった。
喉の渇きはより酷くなっていた。
「3年前の話だ。」
シエル様が口を開いた。
私は一言も聞き逃さないように、じっと耳を傾けた。
FRAGILE
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