空白の日


雨が降っていた。
私は温室で飾るための花を選びながら、温室の表面を滑る水音を聞いていた。
いつもなら、柔らかい雨が降るのに。
今日は、珍しく強い雨が降っていた。
温室の温かさと雨による湿気で、服の着心地が悪い。
足に絡みつく裾が鬱陶しくて、裾を抓んで大きく払った。

何だか、妙な日だった。

朝から、セバスチャンさんに今夜は来客があるのだと聞いた。
その食卓を飾るために、私は温室に来たのだ。
みずみずしく咲き誇る白い薔薇も、曇天の影を映してくすんでいる。
園芸用の剪定鋏を動かしながら、くすんだ薔薇の命を奪っていく。
人を縊り殺すのと同じ。簡単に、その命は散る。

温室を出て、裏口までを駆け抜けた。
ある程度の速度で走ったものの、やはりずぶ濡れになってしまう。
足元に小さな水たまりができていく。
花にも雨露が滴る。

「大丈夫ですか?」

暫く水たまりに意識を取られていた。
セバスチャンさんに声をかけられて、自分が俯いていた事を知った。

「そんなに濡れて……今すぐタオルを持って来ますから。」

そう言って、セバスチャンさんは廊下の奥へ消えた。

手に持った薔薇を振って、露を落とす。
水たまりが、またほんの少し広がった。

「お待たせしました。」

セバスチャンさんが戻って来て、私にタオルを差し出す。

「……お花がありましたね。」

持っていた花をセバスチャンさんに差し出そうとした。
しかし、それよりも早く、セバスチャンさんは広げたタオルを私に被せた。
タオルの上から、優しく髪の毛をかき乱される。
肩を、腕を、そのタオルで拭われる。

「ありがとうございます。」

「何だか今日はぼんやりしてますね、アリスさん。」

顔を覗き込まれて、ハッとする。

「すみません。」

頭を下げる。
手に持ったままの白い薔薇は、廊下の灯りを受けて、薄橙を反射している。

「よく眠れなかったのですか?」

「いいえ、そういう訳では……。」

眠れなくたって支障はないのだ。
私は悪魔。
悪魔は睡眠なんて必要としないのだから。

「そんなにぼんやりしていると……。」

再び頭にタオルが掛けられた。
思わず目を瞑ったその拍子に、唇を掠める、何か柔らかいものがあった。

「共食いされてしまいますよ。」

目を開けると、セバスチャンさんが微笑んでいた。

「……それは困りますね。」

そう言うのが精一杯だった。
あの感触は、まさか、否、でも。

「そうでしょう?」

そして、顔が近付く。
タオルの中で内緒話をするような、そんな甘ったるいキスをされた。
どうして、と聞こうとして、口を噤んだ。
聞いてしまうのが、急に怖くなったのだ。
同じ悪魔なのに、この悪魔が怖い。

「……もう大丈夫です。心配をおかけしてしまって、申し訳ありません。」

「そうですか。それは良かった。」

セバスチャンさんは微笑んだままだった。
そうしてそのまま、私に被せたタオルを取ってしまうと、洗濯室の方向へと歩き始めた。
食卓へ飾る花を活けに、私も歩き出す。

歩いているうちに、次第に思考が明瞭になってきた。
ぼんやりしていたのは、重たい天気のせいだろうか。
何だか人のようで恥ずかしい。
そして。
思わず唇に指を当てた。
疑問符が頭の中を占めていく。
悪魔が、悪魔を絡め取ろうなんて思うものだろうか?
悪魔を絡め取って何になるのだろうか?
それとも、隙だらけの私を戒めるためだったのか?
ならば、と、隙だらけだった己を恥じた。

食卓に飾る花瓶に、白い薔薇を活ける。
取り損ねていた棘が、左手の人差し指をちくりと刺した。
その小さな痛みが、私を戒めているように感じた。
先ほどのキスのように。


FRAGILE



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -