無口なライオン
久々に良い天気だった。
メイリンさんと一緒に洗濯を終えると、私は昼食の支度を手伝いにキッチンへと向かっていた。
ガタン、と玄関の方から馬車の止まる音がした。
来客の予定はなかったはずだけれど、目的地をキッチンから玄関ホールへと変えた。
玄関は既に開いていて、先に客に会ったのであろうフィニアンさんとバルドロイさんがリボンまみれにされていた。
「来るな!お前は逃げろ、アリス!」
可愛らしくデコレーションされたバルドロイさんが私に気付くと、そう叫ぶ。
バルドロイさんの影から、綺麗に巻かれた金髪が揺れた。
「あら、新しいメイドさん?かわいいわね!」
「アリスと申します。」
朗らかさと愛らしさを塊にしたような少女が、私に笑みかける。
「アリス、あなたには、これが似合うと思うの!」
そう言うと、私の頭のカチューシャをもぎ取って、ボリュームのあるヘッドドレスを載せられる。
首もとで結ばれた深紅のリボンが揺れている。
「これは……エリザベス様、ようこそいらっしゃいました。」
階段から降りてきたセバスチャンさんはにこやかに彼女を出迎えた。
この少女はエリザベスと言うのか。
「あっ!シエルー!今日もかわいいー!」
セバスチャンさんの後ろから階段を降りてきたシエル様を見て、少女はひときわ大きな声を出した。
「リジー!」
「どうしてもシエルに会いたくって、お屋敷を飛び出してきちゃった!」
階段を降りきったシエル様に、ものすごい勢いで抱きつく。
「エリザベス様は、坊ちゃんの婚約者です。」
いつの間にか私の側にいたセバスチャンさんが、そっと耳打ちをする。
なるほど、この太陽みたいな少女がシエル様の婚約者なのか。
シエル様とは全く逆で、似合わないようで似合うような。
「セバスチャンには、これね!」
シエル様を抱き締めるのに満足したのか、エリザベス様はセバスチャンさんの頭に、お菓子のモチーフが沢山ついたミニハットを載せた。
「ありがとうございます。私のような者にまで。」
「いいのよ。やっぱり、みんなかわいくなくっちゃ!シエルにはね、お洋服を持ってきたの!」
着替えてね、とシエル様に箱を差し出す。
「……どうしてもか?」
「どうしても!前みたいに、一緒にダンスがしたいの。」
ダメ?というように、小首を傾げてみせる。
シエル様は溜息を吐くと、セバスチャンさんを連れて自室へ戻っていった。
「ダンスパーティーをするんだから、かわいく装飾しなくちゃ。」
エリザベス様の一言で、私たちは屋敷の装飾にとりかかる。
彼女の指示通りに、かわいく、かわいく、とにかくかわいく。
屋敷がリボンまみれになったところで、召し変えたシエル様が降りてきた。
「やっぱり素敵!思った通り、シエルによく似合ってるわ!」
エリザベス様は手を胸の前で組んで、とても嬉しそうに微笑んだ。
「シエル、最高にかわいい!」
再びシエル様に思い切り抱きつくエリザベス様。
傍から見れば、とても愛らしい光景だ。
「では、エリザベス様。本日は“坊ちゃんお得意のワルツ”でよろしいですか?」
「……セバスチャン。」
「シエルと踊れるのなら何でもいいわ!」
シエル様がセバスチャンさんを強く睨み付けている間に、セバスチャンさんはバイオリンを弾き始める。
始まった曲に慌ててシエル様がステップを踏み始めた。
そのステップは、とてもぎこちないものだった。
見ているこちらがハラハラしてしまうような、覚束ない、よろめくようなステップ。
それでも踊れているのだから、器用なものだ。
暫く踊っていると、窓から射す日はもうすっかり傾いていた。
橙が部屋を照らしている。
セバスチャンさんがバイオリンを顎から降ろし、愛らしいカップルに拍手が贈られた。
「今日はとっても楽しかったわ!シエルもとってもかわいかったし!」
再びシエル様を思いきり抱き締めるエリザベス様。
「ありがとう、シエル。また一緒に踊りましょう。」
「……あ、ああ。」
妙にやつれたシエル様が弱々しく微笑んだ。
それを見たエリザベス様は一層微笑むと、屋敷を後にした。
エリザベス様のいなくなった屋敷では、使用人総出で装飾品を片付けていた。
大量のリボンを箱に押し込んでいく。
それぞれに装飾されたリボンやボンネット、ミニハットも箱へ詰められていった。
私も、結びつけられたヘッドドレスを外す。
深紅のリボンが基礎の、レースたっぷりのヘッドドレス。
こんなものを着けたのは初めてだった。
それをそっと箱へ収めた。
夕食も済んだ頃、シエル様に言いつけられて、書庫へ本を取りに行った。
目的の本を見つけ出して、シエル様の待つ書斎へ向かった。
書斎の扉をノックして、返事を待ってから扉を開ける。
「お待たせ致しました。」
「……ああ。」
シエル様は疲れ切った様子で、椅子に深く座り腕を組んでいた。
「随分お疲れのご様子ですね。」
「……踊ったからな。」
シエル様は溜息をひとつ。
遠い目をしていた。
「こちらの本を読む前に寝てしまいそうですね。」
シエル様の返事はなかった。
「初めてエリザベス様にお会いしましたけど、とても元気で可愛らしい方ですね。」
「元気すぎるくらいだ。」
更に深く椅子に凭れると、シエル様はそっと目を閉じた。
今日の様子を見ていれば、エリザベス様がシエル様にとって大切な存在だというのがよく分かる。
だから突然の訪問も邪険にせず、彼女の願いを叶えたのだろう。
「エリザベス様は、シエル様のことをかわいいと仰ってましたけど……私は、かっこいいと思いますよ。」
シエル様は、閉じていた瞳を大きく見開いた。
「いつもお仕事をされている姿、エリザベス様のお願いを叶えて差し上げる姿も、立派な男性として、かっこいいと思います。」
私はシエル様に微笑んでみせる。
本を差し出しても、シエル様は暫くそれを受け取らなかった。
「すみません、差し出がましいことを言ってしまって。」
「いや……いい、別に、いい。」
シエル様は、ようやく差し出した本を受け取ると、本を抱き締めて俯いた。
その耳は、ほんのり赤く染まっている。
「それでは、私はこれで失礼致します。」
「――アリス。」
「はい、何でしょう?」
「いや、何でも無い。」
シエル様は俯いたままだった。
「失礼致します。おやすみなさいませ、シエル様。」
「――ああ。」
私は深く礼をして、部屋を出た。
歩きながら、エリザベス様の事を思う。
可愛く着飾って、朗らかに、天真爛漫に笑う少女。
私は何故か、それを羨ましいと思った。
メイド服の裾を抓む。
愛らしい服を着たとして、私の本性も何も隠せる訳ではないけれど。
――悪魔なのに。太陽を羨むなんて。
らしくない。
そうだ、ただひたすら眩しい光にあてられただけなのだ。
FRAGILE
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