いばらの冠


「私が要らなくなったら、私を殺して、悪魔。」

私が敷地内の森で拾った少女は、寂しそうに笑いながらそう言った。

アリスを拾ったのは数週間前のこと。

屋敷の敷地内の外れにある小さな森で、行き倒れた少女を拾った。
ボロを纏った訳でもなく、綺麗にあつらえた洋服を着ている少女。
声を掛けても目覚めなかったため、屋敷に連れ帰った。
主は「また厄介ごとを増やして」などと言っていたけれど、眠り続ける彼女のために部屋を用意した。

彼女が目覚めたのは、それから2日後のことだった。

「どちらからいらしたんですか?」

「分からない。」

「お名前は?」

「分かるまではアリスって呼んで。」

少女は質問に淡々と答えた。
そのどれもが「分からない」ばかりだったけれど。
主の命は、彼女の素性を調べ、元の住処に戻すようにという事だったけれど、珍しく彼女に関する情報は掴めないままだった。

この屋敷に、まともに人の世話をできる人間は私の他はいない。
タナカさんに任せてしまうのも気が引けた。
私は、主と共に彼女の世話も請け負うことになった。

「あなたは人間じゃないのね。」

彼女が目覚めて3日目の晩、唐突にそう言われた。

「どうしてそう思われるんですか?」

「分からないけれど、あなた、真っ黒なんだもの。」

「服装がですか?」

「違うわ。瞳の奥がよ。瞳の奥が真っ黒で、更に黒い何かが澱んでる。人間の目って、そうじゃないでしょう?」

彼女はあっさりとそう言い放つ。

「正体は何?」

私は面白くなって答えた。

「悪魔ですよ。」

「本当に人じゃなかったのね。悪魔、素敵ね。」

彼女はにっこりと微笑んだ。
何が嬉しいのか、私にはさっぱり分からない。
分からないけれど、私にはその笑顔がとても魅力的に見えた。

「悪魔ですから、人の魂を喰らう生き物ですよ。」

脅すように、私は彼女に顔を近付けた。
それでも彼女はまっすぐな瞳で、私の瞳の奥を覗き込む。

「悪魔、とっても素敵。」

「私には今、セバスチャンという名前があるのですが……。」

「ナンセンスだわ。」

彼女はそのまま、私に唇を寄せた。
そのまま、触れるだけのキスをする。

――ああ、彼女を私だけのものにしてしまいたい。

その瞬間、そんな考えが私の頭を過ぎる。
衝動的に彼女を抱き締めると、より深いキスをした。

「ねえ、悪魔は私のこと、好き?」

私の腕の中で、彼女はそんな事を聞いてきた。

「もちろん、とても好きですよ。」

彼女の髪の毛を優しく撫でる。

「悪魔は、私のこと、愛してるの?」

「もちろん、愛してますとも。」

腕の中から響く、甘い声が愛しい。
まさか、人間をこんなに愛しく思うなんて。
ただ拾っただけだったのに、何故、何故。

「悪魔は嘘を吐くの?」

「いいえ。私は嘘を吐きません。」

「じゃあ、全て本当なのね。うれしい。」

彼女の腕が伸びて、私の首に絡みついた。
そのまま再び唇を重ねる。
甘い、甘い痛みが胸を支配していく。

このまま、彼女の正体が掴めなければいい。

そんなことを願う程に、彼女に溺れていく自分がいた。


主の命令は絶対だ。
彼女の正体を掴まなければならない。
ただ、掴めない日々に私は安堵を覚えていた。

彼女は一向に、何も思い出さない。
私はそれが嬉しかった。

「愛しています、アリス。」

「私も愛しているわ、悪魔。」

確認をするように、日々繰り返す。
互いの気持ちを確かめながら、それでも私は、彼女を手放すための仕事を進める。
彼女は、思い出すことを放棄したようにもみえた。

「愛してるわ。悪魔。」

彼女の言葉を頭で反芻しながら、彼女の手がかりを探して彷徨う。
見付かるな、見付かるなと念じながら。

「ねえ、悪魔。私のことは何か分かったの?」

それは、彼女の本当の名前が分かった日のことだった。
唐突にそう問われて、胸に何かが刺さるような感覚を覚えた。

「ええ、お名前が分かりました。あなたは――。」

「やめて、私はアリスなの。あなたに愛されてる私は、アリスなの。」

私の言葉を遮って、彼女はそう言った。
彼女の目には涙が溜まっている。
いつ零れてもおかしくない程に。

「愛していますよ、アリス。」

「私も愛してるの。あなたは嘘を吐かないんでしょう?」

「ええ。」

彼女が私の燕尾服に縋り付いて、顔を近付ける。
私は目を閉じた彼女の唇にキスを落とす。

「だから、ねえ、私が要らなくなったら、私を殺して、悪魔。」

寂しそうな笑顔で、彼女はそう言った。
彼女の本当の名前も、きっとこれから分かる住処だった場所も、関係していた人間も、全て泡と消えればいいのに。
私は彼女を強く抱き締めた。
アリスを抱き締めるのが、まるで、これが最後のように。


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