snow blossom
雪の気配がした。
暗く垂れ込めた雲に、湿気の混じった酸素が肺を満たしていく。
芯まで痺れてしまうような寒さに、ああ、降るなと息を吐く。
ケープの中にしまい込んだ指も、革の手袋をしているのに、ぴりりと痛んだ。
僕は今、独り、馬車の中だった。
「お買い物に付き合って欲しいの。」
アリスの我が侭は今に始まった事じゃない。
仕事が立て込んでいて面倒とはいえ、彼女にはそれなりに愛着もある訳で、無下に断るつもりもない。
しかし、よりにもよって、こんな天候の日でなくても良いんじゃないだろうか。
「シエルは馬車で待ってて!すぐ戻るから!」
と言い残して、アリスは駆けだしていった。
女性の買い物は長いと言うけれど、アリスの「すぐ」とは、どの程度までの時間を指すのだろう。
仄明るい曇り空が、暗く重たくなるまでの時間を「すぐ」とは言わないだろう。
まさか何かあったのだろうか、と心配もしたけれど、セバスチャンも同行している。
彼女に何かある前に事は片付く筈だ。
馬車の外が俄に騒がしくなって、窓を覗いた。
雪だ。
白い雪が、静かに降り注ぎ始めていた。
「――全く、いつまで待たせる気なんだ。」
頭の中で、まだ山積みの書類が僕の帰りを催促していた。
「待たせちゃってごめんなさい!」
バタン、と大きな音がして、息を切らしたアリスが飛び込んできた。
頭に、肩に、白くて淡い欠片が鏤められている。
まるで、クリスマスの装飾みたいに。
「謝るのはいいから、まずはドアを閉めろ。」
ドアを開けてニコニコしているアリスの腕を掴んで馬車に引き込むと、ドアを閉めた。
肩と髪に散っている雪を払ってやる。
「シエル優しい。ありがとう。」
ふふ、と笑うアリスに、心の中の何かが溶けた。
何か言ってやろうと思っていた言葉も、溜息一つに変わってしまった。
「何を買ってきたんだ?」
「あのね、まずは、これ。」
差し出された小さな包みを開けると、上品な銀時計が入っていた。
「これは?」
「シエル、今日、お誕生日だから。……その、お誕生日、おめでとう。」
少し言い辛そうに、アリスは言った。
僕の誕生日。
アリスは、その日を知っているから。
「それと、この紙袋は、シエルのお父様と、お母様の分。」
そっと、優しく、アリスの指が紙袋を撫でた。
「シエル、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。」
アリスの大きな瞳に、感情のない僕の顔が映っていた。
時計を握りしめたままの僕の手を、アリスは躊躇なく包み込んで、引き寄せた。
「生まれてきてくれてありがとう、一緒に過ごしてくれてありがとう。」
「大好きよ。」
慈しむような視線が、僕を見詰めていた。
ああ、だから僕は彼女に振り回されるんだ。
僕の何もかもを見透かしたような、彼女の言葉に、行動に。
「……ありがとう。」
今、僕が言える精一杯の言葉だった。
アリスは満足そうに微笑んで、そっと僕の唇にキスをした。
外気のせいで冷え切ったその唇が離れるその刹那、確かに僕は熱を感じた。
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