Janglira


「アリスさん、ちょっと。」

屋敷を掃除という名の探検中、突如背後から声を掛けられた。

「セバスチャンさん、何でしょう?」

「坊ちゃんがお呼びです。」

「……はあ。」

まさか呼び出されるとは思わなかった。
彼の側にはいつもセバスチャンさんがいて、彼の身の回りの世話から何から、全部をこの執事が済ませていると思っていたからだ。
もしかして、その推測は間違っていたのだろうか?
私はセバスチャンさんの背を追う。
通されたのは、フェンシングの練習場だった。

「アリス、突然呼び立てて済まなかったな。」

「いえ。ところで、ご用事は?」

壁沿いに置かれた椅子に深く座った主は、つまらなそうな顔をしたままレモネードに口を付けた。

「今、この屋敷には悪魔が2匹もいる。どちらが強いのかと思ったんだ。」

嫌な汗が流れた。
これはつまり、セバスチャンさんと力比べをしろ、ということだろう。

「アリス様、申し訳ございませんが、お相手願えますか?」

とどめの一言だった。
主の頼みである以上、ノーとは言えない。
しかしとても気が進まない。
昨夜のような害虫駆除なら何ら問題はないのだけれど、相手が悪魔とあっては確実に怪我をする。
痛いのは嫌いだ。

「怖じ気づいたのか?アリス。」

「まさか、そんな訳ありません。」

主に微笑んでみせてから、セバスチャンさんの方に体を向けた。
軽くファイティングポーズをとってみるけれど、ここからどう動けばいいのか分からない。
しばらく睨み合っていると、セバスチャンさんが口を開いた。

「そういえば、昨夜の――。」

「うわああああ!!」

その口を塞ぐために飛びかかった。
が、すぐに避けられてしまう。
思い切り睨んでやると、彼は挑発的に指を曲げてみせる。
その指に向けて、思い切り手刀を仕掛ける。
手応えはほとんどなかったが、手袋に切れ目を入れる事はできた。

「アリス様は素早くていらっしゃるんですね。」

セバスチャンさんは私の右腕を掴むと背に回り、そのままねじり上げようとする。
私は地面を強く蹴ると、ねじる動きに合わせて宙返りをした。
着地と同時に足払いを仕掛けるが、避けられてしまう。

「意外と容赦ないですね、セバスチャンさん。」

「本当なら女性に手を上げる趣味はないのですが……。」

ちら、と主に目を遣ってみせる。
彼が満足するまで、だ。
それまでこの遊戯は続くのだ。
こういうのは私もあまり好きじゃない。
早く終わらせるべく、私はセバスチャンさんの懐に飛び込むと、掌底で顎を突き上げた。
しかし、それもかわされてしまう。
逆に、空いた腹に拳を入れられてしまった。

「う、」

痛い、が、耐えられない程ではない。
手加減をされているのかと思うと腹が立つ。
腹を庇うために腰を曲げたその姿勢のまま、セバスチャンさんの腰に腕を巻き付ける。
そのまま彼を持ち上げると、ブリッジの姿勢をとる。
つまり、ジャーマンスープレックスだ。
彼は受け身を少し失敗したようだった。

「まさか女性でそんな技を使うとは思っていませんでした。」

「私も、とても不本意です。」

もっと可愛らしい、女性らしい、そんな戦い方がしたかった。
が、手加減された腹立たしさの方が先に立ったのだ。

今度はセバスチャンさんから向かってくる。
その腕が掴みかかる寸前で真上へ跳躍すると、頭を踏みつける。
が、その足を掴まれてしまい、地面に叩き付けられた。
急いで上体を起こすと、その肩に思い切り噛みついた。

「まるで猿だな。」

主が呟いた。
猿でもいい、むかつくから一撃喰らわせたかった。

「もういい、飽きた。」

主がやる気無く拍手をするのを合図に、セバスチャンさんは私の足を解放し、私は彼の肩から口を離した。

「ご満足頂けましたか?ご主人様。」

「ああ、もう十分だ。なかなか卑しい戦い方をするんだな。」

何だ、このクソガキ。と思ったけれど、口には出さずに微笑んでおいた。
前の主人とは違う意味で厄介だ。

「アリス、昨夜はよく働いてくれた。」

まさかそんな事を言われるとは思っていなくて、思わず目を見開いた。

「あ、ありがとうございます、ご主人様……。」

慌てて頭を下げた。
主人は椅子から立ち上がると、部屋の出口へ向かう。
そのすぐ後ろをセバスチャンさんが静かに追う。
部屋のドアノブに手をかけた時、主人がこちらを振り返った。

「元の仕事に戻ってくれ。……あと、ご主人様はやめろ。妙に居心地が悪い。」

「あの、では……。」

「シエルでいい。お前みたいな猿に坊ちゃんと言われるのも癪だしな。」

にやり、と口の端を歪めると、主人は部屋を出て行った。
あまりの言い草に呆然としていると、セバスチャンさんがこちらに微笑んでみせる。

「アリスさんのことは認めているみたいですよ。」

そう言い残して、部屋を出て行った。

嵐のような時間だった。
この短時間に、いろんな感情がめまぐるしく入れ替わったせいで、少し気持ちが悪い。
ここ数百年は、日々穏やかに、何も特別な事もなく過ごしてきた。
そのせいか、このギャップに心がついてきていないようだ。
とにかく、あのクソガキ……シエル様の性格の悪さにはしばらく振り回されそうだ。
この先を思うと、微かに頭が痛むのだった。


FRAGILE




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