37℃


 差した陽光の橙が眩しくて、わたしは目を細めた。放課後のレッスン室は、西日が強く入る。他の生徒は皆カーテンを閉めたがるのだけれど、この人だけは違った。

「どうだ、燃えるような夕日が綺麗だろう!」

 目が傷むのに、そんなことなんて一切気にしない様子で、守沢先輩は額の汗をタオルで拭った。わたしは思わず息を呑む。まっすぐ夕日に向かった横顔は、本当に、燃えているようで綺麗だ。



 ここ数週間の守沢先輩は意欲的で、ほぼ毎日のようにわたしの教室にやってきては、レッスンの依頼をする。メアドも電話番号も教えてあるのに、必ず教室にやって来るのだ。そんな生活が当たり前になってきていて、ぼんやりと来年の事を思ったら少し寂しくなった。その前に見限られてしまうかもしれないというのに。

「今日も元気か?」

 屈託のない満面の笑みでわたしに声をかける守沢先輩が、わたしは最初、苦手だった。裏表のなさが怖くて、とても厚い仮面で本心を隠しているのではないかと不安だったのだ。でも、話していくうちにそんな不安なんて消え去ってしまって、ただひたすらに真っ直ぐな人柄の良さに、わたしは感服していた。まるで聖人のようだ、と。だからわたしも、努めて清い心で守沢先輩と接するように心がけていた。それはもちろん、守沢先輩に限った話ではないのだけれど。



「呉、ここのダンス、ターンの部分なんだが……」

 守沢先輩はレッスン中、少し不安な部分があると声を潜める癖がある。最近知った事だ。潜められた声を聞き漏らさないように、そっと守沢先輩に顔を寄せる。近くで見る守沢先輩の顔はやっぱり整っていて、アイドルなんだと思い知らされる。精かんな顔つき、というのだろうか。芯の強さが顕れたような燃える目が、じっとわたしを見ていた。

「え、どうしました?」

「いや、何でもない!」

 慌てて視線を逸らす守沢先輩に、妙な違和感を覚えた。清廉潔白を人の形にしたような先輩が、こんな、何かを誤魔化すような態度をとるだなんて。気になって、更に先輩の顔を覗きこめば、顔を逸らされてしまった。少し、傷つく。

「わたし、何かしました?」

「そういう訳じゃないんだ!」

 逸らしていた顔を勢い良くこちらに向けて、両の手はわたしの肩を掴んでいた。少し痛いくらいの力と、熱すぎるくらいの体温。西日はまだ強くて、先輩の顔を半分だけ照らしている。もう半分、暗く隠れた方の瞳だけが、やはり燃える色でこちらを見ていた。

「あの、どうしました?」

「呉、あのな……抱きしめても、いいか?」

 きっとわたしは間抜けな顔をしていたと思う。だって、あの守沢先輩が。いつも躊躇なく抱きついてくる先輩が、だ。まさかそんな事を言うだなんて。

「構いません、けど」

「そうか」

 守沢先輩は安心したように微笑んで、少しぎこちない動きでわたしを抱きしめた。そういえば、とふと思う。ほぼ毎日レッスンをするようになった頃から、守沢先輩からのボディータッチは極端に減っている。そもそもが極端に多い方の人だから、むしろ普通程度になった、と言えるのだけれど。それでも、よくよく考えればおかしいことだらけだった。ボディータッチは減り、わたしのクラスに頻繁に出入りをし、そして最近、何故かわたしを褒めるのだった。どんな些細なことであろうと、気付いて褒める。羽風先輩なら警戒しているようなことでも、守沢先輩だからか全く気にしていなかった。

「先輩、本当に、」

 どうかしましたか、と言いかけてやめた。少し強くなった腕の力で、わたしの耳は先輩の胸に当たっている。そこから聞こえる心拍数が異様に早かったのだ。具合が悪いんじゃない、さすがにわたしでも分かった。分かったからこそ言葉を飲み込んだのだし、分かったからこそ、これまでのことが急に愛しくてたまらなくなったのだ。
 わたしはだらりと下げていた腕を、そっと先輩の背中に回した。そしてゆっくりと力を込める。

「呉……」

 わたしからは何も言わないでおこう。いつだってヒーローはかっこいいところを持っていかなくちゃいけないのだから。

「はい」

 温かい腕の中から顔を上げた。もう西日は弱まっていて、薄紫の混じった空の色が、レッスン室を満たしている。それでも先輩の顔は燃えるように真っ赤なままで、その瞳も燃えたままだった。

「俺はな、呉の事が大好きなんだ!」

 大きく息を吸って、大きな声で、真っ直ぐな告白を受けた。それは本当に守沢先輩らしくて、少し笑ってしまいそうになるくらい。それでも、やはりヒーローはかっこいいのだ。強くて、逞しくて、芯が通っていて、いつだって真っ直ぐ。だからこそ、きっと、これ以上の言葉なんて、表現なんて、ありはしないのだと思う。

「わたしも大好きです、守沢先輩」

 そう言って、思い切りその胸に顔を埋めた。抱きしめる力はさっきより強くて痛いくらいだったけれど、何よりその腕の熱で、守沢先輩の熱で、燃やし溶かして欲しいと思ったのだ。
 きっともう教室は暗いはず。完全下校時刻も近いはず。でも、お互いに、その腕を解く気なんて起こらなかった。

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