sweeToxic


 世の中はとても簡単に出来ていて、強者が弱者を食らい、総る、そういう図式で成り立っている。ヒエラルキーと呼ばれる三角形が存在していて、私たち人間は私たち自身の物差しによって、その三角形の頂点に自らを置いている。
 でも、もし、もっと強い存在がいたとしたら? 例えば……そう、人を食らう化物だとか。

「嬢ちゃんは今日もかわいいのう」

 学院内のヒエラルキーに含まれない、プロデューサーという立場の私も、個の人間関係に於いてはヒエラルキーの中に存在している。同じように、学院内ヒエラルキーから逸脱している、この自称吸血鬼に、私は勝てない。
 彼は自称吸血鬼であるけれど、血は飲めないタイプの吸血鬼だけれど、でも、もしかしたら何か別の、魔術のようなものは使えるのかもしれない。だって、私は彼の言葉に抗えない、彼の言葉に操られているのだから。

「本当に、お人形さんのようじゃ」

 そう言われてしまえば、私は動く事を許されない。動く事ができない。そうあろうとしている訳じゃなく、本当に、体が、指先が、動かなくなってしまうのだ。
 私の髪を撫でる大きな手が、ギターを弾いて固くなった指先が、その魔術の効力を確かめるように動いている気がしてならない。
 恐怖とは違うのだ。彼の存在に恐怖はしていない。だって、私に対してはとびきり甘いのだから。

「モヨ子や」

 合わせられた目線、同じ高さの赤い色。その赤が私を総べる次の魔法を探している。
 辛うじてできる瞬きで、精一杯、返事をしてみせた。「はい」と。

「本当に愛らしい、我が輩のお人形さんじゃのう」

 吊り上がった口角から、白い歯が覗いた。やっぱり鋭く尖った八重歯なんてないけれど、それでも、その整った顔立ちと妖しい雰囲気は、化物のそれのようだった。人を魅せるために作られた、人工物のような。全てのパーツが吟味されたような。
 彼がアイドルとして正式にデビューしてしまったら、どうなるのだろう。ファンの女の子はみんな同じ状態になるのだろうか。それとも、煌びやかな芸能界から誰か美しい人が、私のように魅せられて捕食されてしまうのだろうか。
 想像すると、口惜しさで胸の奥がずくりと疼いた。

「眉間に皺が寄っておるぞ……? 何か考え事かのう?」

 見透かされた、と思った瞬間、背中に冷たいものが走った。
 私は彼に絶対的に勝てないのだ。彼は私に優しいけれど、それでも、何かが起きてしまうことが怖かった。

「そう怯えんでもよい。我が輩は少し寂しいと思っただけじゃ」

 綺麗なパーツが美しく歪んだ。これが、完璧な微笑みというものなのだと思う。あまりに美しくて、あまりに優しくて、あまりに蠱惑的な笑み。

「だって、そうじゃろう? モヨ子は我が輩のものなのに、こうして一緒に居るのに、我が輩以外の事を考えられるというのは、寂しいものじゃろう」

 「ごめんなさい」すら紡げないこの能無しの口は、ずっと薄く開いたまま、乾いていくばかりだった。

「我が輩はモヨ子が大好きなんじゃよ、年甲斐もなくのう」

 そう言って、美しい顔が近付いて、唇を重ねてきた。うっとりとするような柔らかな感触と、唇を這うぬめりとした感触が、私の脳髄を痺れさせていく。

「ほら、もう動けるじゃろう」

 湿らされた唇に吐息がかかって、指先が震えた。

「……あ」

 瞬きは軽く、指先は柔らかく動いた。先ほどまでの魔術が嘘のように、私の体は私の意志で動いていた。

「折角なら、我が輩、モヨ子にとってはずっと王子様でいたいからのう」

 そう笑って、再び手のひらが私の頭上で弾む。

「ずっと、ですか」

「そう。モヨ子が飽きぬ限りは、ずっとじゃ」

「私が飽きると思いますか」

「ヒトの心は移ろうものじゃろう?」

 まさか、そんな。こんな化物に魅せられて、私に人の心なんてあったもんじゃない。最初からずっと、ただの思慕だったんだ。全ての言い訳を朔間先輩に押し付けて、私はただ甘えていただけなのに。

「王子様と結ばれる女の子は、みんなずっと幸せに暮らすんですよ」

「おお、そうじゃのう」

 朔間先輩は私の髪を一掬いすると、そこに口づけした。私と彼との間に力関係などはなくて、でも、絶対的に勝てない何かがあるのだ。まだまだ、私は彼に抗えない。私は彼に抗う事を放棄したのだから。

「大好きですよ、王子様」

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