赤い糸
誰かに執着するだなんて、なんだか自分らしくなくて笑った。
指先に絡んだ糸がもつれて見失う。そんなことを考えては、恐ろしくなって頭を振る。
「何してるの」
「え? いや、別に」
隣に座ったモヨ子が、不思議そうにこちらをのぞき込んでいた。
しばらく会えていなかった、友人のひとり。きっと、彼女の中ではそうだろう。
平気な顔をして、にこにこと、会えなかった時間を埋めるように話を続ける彼女の横顔は、あの頃より少しだけ成長していて、少しだけ悔しかった。
同じ時間を共有する道を選ばなかったのは、俺なのだけれど。それでも、モヨ子との距離を悔やまずにはいられなかった。
「いやぁ、でも、本当にびっくりした。友達にアイドルがいるんだよって、自慢できちゃうもん」
そう、悪戯っぽく笑う彼女に、心の中で何かが疼く。
俺はあまり何かに執着しない方だと思っていた。基本的には、何事も器用にそつなく、ある程度の心地良い距離を保つ。そうして、何とでも上手くやっていけているつもりだった。
モヨ子は、少し人との距離の取り方が不器用だ。偶に踏み込みすぎて、反省しては離れすぎる。とても不器用だけれど、それがたまらなく可愛らしいと思ってしまった。
「アイドルったって、まだ、駆け出しだし」
「みんな、真緒くんたちのユニットの話、してるよ! とっくに超人気有名アイドルだよ!」
興奮気味にそう話す彼女の頬は、冷たい風のせいか、興奮のせいか、うっすら赤く染まっていた。
冬の公園のベンチ。ばったりと会ったその場所で、俺たちは話し込んでいた。思い出を吐き出して、すっかり冷めてしまったコーヒーを啜る。
「不思議だよね。同じ人間で、同じ時間を過ごしてるのに、なんだか全然別世界の人みたいになってる。今、こうして隣に座って話してても、あの頃とは少し、感覚が違うみたい」
冷たい風が吹いて、彼女の髪が大きく煽られた。表情が見えなくなって、俺は、期待でそれを補完する。
「俺は、全くそんなことないけど」
「それは、真緒くんが、ステージに立ってるからだよ」
彼女の手に握られたミルクティーは、知っているものより苦そうだ。
「ステージは、みんなから見えるように、高く作られてるでしょ。真緒くんからはみんなを見渡せるけど、わたしは、真緒くんを見上げて目で追うことしかできないんだもん」
だから、あの頃とは違うんだって、実感させられる。
モヨ子の言葉が、冷たく突き刺さる。彼女はそんなつもりで発してはいないのだろうけれど、今の俺には、ひどく冷たい。ステージライトを浴びているのと、客席では、気温も違うもんな。
「あ、なんか、嫉妬じみてるね! ごめん、そんなつもりじゃなくって」
「いや、確かにそうだよなぁって、目を覚ましたっていうか」
妙にねっとりと甘いコーヒーを飲み干した。
「でも、客席から、今のステージに上がるまで、ずっと目は離さないできた自信はあるんだぜ?」
「ずっとずっと、見続けてきたんだ。ペンライトなんて振ってなくても、俺の名前を呼んでなくても、俺はずっと見続けてきたんだ」
なんだか情けないような気分になって、空っぽの缶を握り締めた。
彼女の言う通り、ステージの上に立つ俺は、会場をぐるりと見渡せる。そこから伸びてくる、思いの糸が絡まって縺れて、受け取り切れないくらいの塊になって、俺の胸に飛び込んでくる。
それでも、どれだけ絡まってしまっていても、俺は、モヨ子からの糸だけは、無理やりにでも小指に結び付けたいと思った。
「なんだか、告白みたい」
「そうだよ。変な表現になったけど、俺からモヨ子への告白」
「は」
彼女の手の中で、缶が大きく傾いた。
「ずっと、あの頃から好きだったんだ。この指の先に繋がった糸が、モヨ子のだったらいいなって思ってる」
「……なんか、かわいい言い方するんだね」
「ライトがたくさんあったら、光に埋もれちゃうだろ? こういうアナログな方が、逆にしっかりしてて安心するんだ」
彼女は声を出して笑う。久々に聞く、この突き抜けるくらい明るい笑い声が、また、心の中の何かを疼かせる。
「すごいね、わたし、今、アイドルから告白されたんだ」
「分かってると思うけど、他言無用だからな」
「うん、もちろん。だって、きっと、真緒くんファンに殺されちゃうもん」
すごく柔らかく微笑むその表情に、期待してしまう。
「ねえ、どんなに隅っこの席でも、わたしのこと、見つけてくれる?」
「自信はないけど、視力の及ぶ限りは、絶対」
また彼女は笑って、空き缶を握る俺の手に、そっと手を重ねた。
「同じくらいの体温で、同じ言語を話すのに、気持ちを伝えるのって、すごく難しいんだね」
「ねえ、真緒くん。わたしね、ずっと真緒くんのことが好きだったんだよ」
「俺も、ずっとモヨ子のこと、好きだった」
「小指の先に赤い糸があったとして、その先が真緒くんだったら嬉しい」
「俺も、この糸の先がモヨ子だったら嬉しい」
「好きだよ」
せーのの掛け声もなく、最後の、一番重要な一言を、揃えて言うことができた。
照れくささと嬉しさで、どちらからともなく笑ってしまう。
普段、執着なんて殆どしないから、なんだか特別な感じがして嬉しかった。
誰かが特別になることも、誰かを特別に思うことも、今まで誰も踏み込まなかった領域に招き入れるのも、こんなに楽しいことなんだって知らなかった。
ステージの幕が開く。一瞬、視界が白で埋め尽くされるけれど、数えきれない人の気配に目を凝らす。
どこにいるかなんて、すぐ分かるから。3曲目、花道を使う曲。そこで、絶対にモヨ子を指さして、そして笑おう。このアナログな「赤い糸」っていうものは、それくらい精密に作られているんだ。
赤い糸が脈打って、互いの鼓動を伝えてくる。同じくらいの体温。同じくらい興奮してる。すぐに、そこまで迎えに行くから、少しだけ待ってて。
「じゃあ、次の曲も盛り上がっていくよ!」
スバルの声で、俺たちは花道へと飛び出した。しっかり繋がれているから、縺れずに、絡まずに、その先まで。一直線に走っていけるんだ。
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