8月の秘密


 図書室に立ち並ぶ本棚の陰、生い茂る葉のようにみっしりと詰まった背表紙の手触りに、目を細めた。

「こんなところにいたのか!探したんだぞ〜」

 男性にしては高い声が、いたずらっ子みたいにはしゃいでいる。

「なずなくん」

 小さな公立図書館の二階、奥の専門書コーナーに座り込んで、わたしは宙を見上げていた。建物自体は最近改築されたもので、採光のための窓が幾つも並んでいる。本が焼けないように、本棚と窓の位置関係が計算されているのだろう。どの本棚の傍にいても、ひっそりとした日陰に入ることができた。
 見上げた窓の向こうの空は、低く、重く、鮮やかな青と白を重ねていた。これが夏の空。湿気を孕んだ空の色。

 わたしを見つけた彼は、地元の聖歌隊時代からの幼馴染だった。わたしと彼は同じ学校に通っているけれど、顔を合わせることはない。科が違うせいもあり、また、彼の通う科が特殊なこともあり、全く接点をもつことができないのだ。

「課題か?」

「ううん、違う。これは、ただの趣味」

 わたしは手にしていた本を、元あった場所へ戻した。
 聖歌隊を辞めてからも、彼とは交流があった。特別仲が良かった訳ではないけれど、喋らなくても落ち着く相手、それが彼だったのだ。元々わたしはおしゃべりな方ではなかったし、彼は少し内に籠りがちなところがあったから、丁度よかったのだ。彼に関しては、今では全く、そんな時代があったとは思えない程に明るいのだけれど。
 今日は、昔通っていた教会のバザーへ顔を出す予定だった。あまり長居する予定ではないし、少しくらいなら彼がいても騒ぎにはならないだろう。

 なずなくんは、アイドルになっていた。
 同じ学校のアイドル科で、彼は大人気アイドルになっていた。綺麗な高い声で歌う姿を、学内イベントで何度か見かけたことがある。どうしてもあの頃の面影を探そうとしてしまうから、わたしはなるべく見ないようにしていたけれど。
 今は新しいユニットに所属しているらしいことは聞いている。けれど、わたしは今の彼を知らない。

「なんだか難しそうな本だな」

 屈託なく笑うその笑顔が久々で、少し驚いた。去年、同じように集まった時には、こんな風に笑わなかったのに。何があったのか聞きたかったけれど、そこまで突っ込んでいいのかも分からないまま、聞くタイミングを逃してしまう。

「そろそろ行くか?」

「……もうちょっと」

 もう少し、冷房の効いた室内で涼んでいきたい。朝の天気予報では、今日の最高気温は体温と同じくらいだった。人が少なくなる頃合いに行こうと話し合ったわたしたちの集合時間は、十四時だった。これからピークが訪れる。その前に、少しでも体を冷やしたかった。

「ん、そっか」

 彼は、ゆっくりとわたしの隣に腰を下ろした。可愛らしい顔立ちはあの頃のままだけれど、それでも、やっぱり、あの頃よりも男の人になっている。半袖から伸びる腕や、ハーフパンツを履いたその脚の形が、あの頃のそれとは違っている。

「モヨ子はさ、どうするんだ?」

「何を?」

「進路」

「ああ」

 すごく当たり前の会話を緩慢と続けている。お互いにぼんやりと天窓を見つめたまま。注ぐ光のそのままに。

「続ける」

「そっか」

「なずなくんは」

「うん」

 彼はそれ以上答えなかった。肯定なのか相槌なのか分からない。ただ、それ以上聞いてはいけないような気もした。

「そういえば」

 小さな教会の小さな聖歌隊で、一緒に歌っていた頃を思い出していた。ステージに降り注ぐスポットライトよりも淡い光だったけれど、今の日差しのように温度のある光に包まれて歌っていた。あの頃。

「わたし、小さな頃、なずなくんのこと、好きだった」

「は!? にゃんらよ、いきなり!」

「噛む癖、相変わらずなんだね」

「しょうりゃにゃくて」

「うん」

 そこでようやく、わたしは彼の顔を見た。いろんな感情が綯交ぜになって、不思議な表情になっている。でも、相変わらず、かわいくてかっこいい顔立ちのままだ。

「やっぱり好きだよ、なずなくん」

 だから、いろんな人から愛情を向けられる姿を見るのが怖かった。だから、ずっと目を背けてきた。
 でも、またわたしたちは大人に近づいてしまうから。だから、一度、縋ってしまう過去にさよならをしなければいけないと思ったのだ。

 相変わらず不思議な表情を浮かべて戸惑うなずなくんの、床に置かれた手にそれを重ねた。大きく跳ねる肩に、まるで女の子みたいだなと思った。これは絶対、彼には言えないのだけれど。

「わがままなお願いだけど、これは、秘密にしておいて」

 硬直してしまった彼に、小さくキスをした。わたしがずっと愛しんで、大切に取り出しては光にかざした宝物に落とすみたいに。

「秘密だよ」

 わたしは立ち上がって、彼に手を差し伸べた。

「ほら、行かないと」

 朝早くからバザーは開かれている。そろそろ行かなければ、終わってしまう。

「……そうだな」

 彼はようやく自分を取り戻したのか、しっかりと発音していた。

「これは、秘密だぞ」

 取った手を強く引かれて、わたしはバランスを崩してしまう。ああ、やっぱり男の人になっていく。そんなことを思ったのは、彼の腕の中に居ると気付いた時だった。
 小さく身じろぎをしても、彼の腕の中からは抜け出せそうになかった。

 階下で、子供のはしゃぐ声が聞こえた。そういえば、わたしも子供の頃、夏休みには図書館へ涼みに来ていた。今日みたいに。残り少ない夏休みの数を数えようとして、やめた。

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