気づかぬ振りも一種の手



「ふざけるな!」

閑静な住宅街で、こんな大声を上げるなんて言語道断だ。でもそんなことに構っている暇はない。
さっきまで見向きもしなかったわたしの顔を見て怪訝そうな顔をする女性と、慌てて母親を止めだすその息子。

「な、何なんですの。大体、あなたには関係ないでしょう?」
「…関係あるわよ…!」
「あら、女のあなたにサッカーの何がわかるんです?そういう関係者面だけは立派ですのね」

高笑いをして、その後わたしだけにむかってまるで嘲るように鼻で笑った。ちょっと神童さん、どうにかしてくださいません?拓人の方を向き助けを求めるような台詞を吐くその口を、平然と賄賂を渡しては弧を描くその口を、わたしの怒鳴り声で再び停止させる。ああ、もう、頭の中がごちゃごちゃだ。この剣幕で怒るのは最近天馬くんにした以来。

「大人のくせに…していい事と悪い事もわからないのか!!」

その声量に気圧されて一歩後ろに下がる親子と、肩で息をするわたしの間に、少しの静寂。それを破ったのはまぎれもなくわたしの弟で。

「……姉さん、もう、いい。」

もう、いいんだ。小さく、小さく呟いた拓人の声は、それでもその静寂の空気を震わせるには十分だった。親子、その母親の方は「姉」という単語にはっとして手を口に当てて、じゃあ、頼みましたわよなんて言ってそそくさと帰っていってしまった。必然的にその場にはわたしたち姉弟しか残らないわけで。

「…帰ろう」

そういってわたしの腕をひく拓人の手は震えていて、伏せられた顔、いつものとおり波打つ髪の隙間からは悔しそうに歪む口元が見え隠れする。それでも泣いていないのは、ここが外だからなのだろうか。それとも、ただ我慢をしているだけなのだろうか。どちらにせよ、もう片方の手のひらに握られたその汚い塊を、わたしがひったくってちぎり捨てた事以外、はっきりとはわからないのだ。そして、立ち止まった所で拓人が気づいた、わたしの与り知らない所で自身の涙腺が働いていた事も。おかしいな、わたしってこんなに涙腺弱かったっけ。

「姉さん!?」
「……ごめ、なんか…ごめんね…!でも、どうしても」

許せなくて。
やけになって、周りが見えなくなる状態が一番怖い。過干渉は良くないなって、この間自分で思ったばかりなのにああ、ああ、もう。わたしの馬鹿。すぐにこう首を突っ込む癖、
なんとかしないと、なあ。

「わたしが拓人のボールを止めちゃって…」
「…入部テストの時?」

自分でも頷けたのかわからないくらいの小さな頭の動き。もう、ここまで言っちゃったら、全部言ってもいいのかな、拓人と同じ原因だけど、ちょっと違うこの悩みの種を。剣城に喧嘩をふっかけられたままでいるということも。
言ってしまえ、というわたしと言うな、というわたしが頭の中でもみくちゃになって、どうしたらいいのか自分にも解らない。
でも、いまここで なんてね、って言ったら、もしかしたらごまかせるかもしれない。拓人を悩ませる事は言わないまま、今まで通り過ごせるかもしれない。葛藤に勝利したのは後者で。

「違う」

しかしわたしが口を開くよりも早く、弟が発言権を手にした。拓人は奥歯を噛み締めて再びうつむく。でもそれは泣くときの動作じゃなくて、握りしめる手から怒ってるのかな、と推測は出来た。当然だよね、だってわたしが勝手に偽善者ぶって、拓人を縛ってたんだもの。でも少しだけすっきりしたわたしが、どこかにいたりして。
そういうと拓人は 違う!と、もう一度ちょっと声を荒らげて言い返した。

「違うよ、姉さんは、悪くない」
「でもわたしが勝手に…」
「それは違う。俺が頼りないから…」

だめだ、また拓人お得意のネガティブ思考が始まってしまう。このネガティブ思考も責任感の強さの現れだってことくらいわかっている。だからってわたしの事まで責任を負う事はないのに。

「俺が」

そう沈む自分の弟を見て、やっと気づいた。
15年間生きてきたわたしは、拓人よりも年上なんだ。だから、わたしは我慢して弟を見守るのが、"お姉ちゃん"の仕事。

「…わたしは、拓人のお姉ちゃんなんだよ。」

そう続けたわたしはさぞかし涙で酷い顔でいるだろう。でもたぶん、ちゃんと笑えている。こんなに清々しいのはさっきあんなに沈んで怒ってスッキリしたからだろうか。弟に手を伸ばして、帰ろうか。と続けた。

秘密もなしだよ
秘密なんて…
あれ?キャプテンになったこと秘密にしてたのって誰だっけ?
どもる拓人に笑うわたし。あ、こういう会話はすごく懐かしい感じ。

たぶん、一蓮托生なんだろう。拓人とも、それと、雷門サッカー部とも。わたしはサッカー部のメンバーがだいすきなんだから一緒にいられるのならどの道をいっても本望。もう、こうなったら一生ついていってやろうじゃない。

そう思い込んで、いちばん奥の奥にある、いちばん深く刺さった大きい針に
わたしは気づかない振りをした。









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