八重桜の咲く頃に

しゃん、しゃん、しゃん。


ゆったり、ゆったりと足を引きずりながら歩く。
ポカンと大口を開けて、眺める男。
小さく、「いらして」と声に出さずに口を動かしつぅっと視線を滑らせる。

(勝った―…)








ここは、色街、華の遊郭。
女は笑って、男は騙され…痴情のもつれも、喧嘩も余興。


歓楽街に、おはす最高の華は―…。


「ルーク!!」
「アァッ!?んだよ」
「いつまで座ってんだ、早く支度しな」
「ちっ…」
「返事」
「ハーイ」

ズルズルと着物の引きずり部屋と向かう。

「ルーク、紅粉出してくんね」
「う、ん…」
「それから、髪結いて」
「うん…」
「そんな顔すんなよ」
「だって」
「いいんだよ、俺の"ルーク"は綺麗なままで」

ぐいっとルークの右腕を引くと、無理矢理口付ける。

「んふっ、ぁふ」
「はっ…まだいいよな」
「ぁっ、るかぁ」

いいんだよ、本当に。
例え、世間で存在が逆転してようが、俺の"ルーク"が綺麗なままなら。








「店、でなきゃな」
「ん、く、ルカちゃ」
「いいから、寝てろよ」

額に口付けると、ちゃっちゃと支度をしてしまう。
霞む意識の中で、ルークは艶やかになるルカに綺麗だなぁと呟いた。








「ルーク!お得意がお待ちだよ!!」
「るせぇな、アニスが…どうせ、髭だろぉが!」

すっと座敷につくまでに、表情と姿勢を整える。

「待っていたぞ、ルーク」
「旦那、今日は随分早いお越しで」
「日に日に高くなるな、お前は」

大きなゴツゴツした手がいやらしく、腰を撫でる。

「っ、…」
「愛らしいな」
(この変態髭面が…)
「もぉ、奥座敷かい?…」
「用意は」
「済んでありんす」
「では」
「ぁ、旦那…もっとぉ、たかぁくあちきを買ってぇ…旦那にだけ特別しちゃうから、ね」

一差し指で唇を撫で、淡い吐息がかかるくらいに誘う。

「一晩分、上乗せしよう」

ルカが、部屋を出るさい馬鹿にするように目を細めたのは誰も知らない。

(使えるものはなんでも使う)

この顔、この体、全てを利用して俺はルークとここから出るんだ。




必ず、こんなところから。





兄、ルカと売られて、新造とはいうものの、それらしいことをルークはしたことがない。
確かに身の周りの世話はするが、お座敷にでたことはない。
なんせ、常連客が被らないように時間さえずらして、操るのがルカである。

(俺…駄目だな)

助けられてばかりで、いつだってルカは自分の身代わりで。
ぎゅっと拳を握りしめる。

「ルカっ」
「はい」
「ルークに新規のお客様でね…あのこは今ヴァンデスデルカ様のお相手中なんだ、お相手に入りな…いいお武家の跡目だよ、逃がすんじゃないよ」
「っ…はい」

新造だからといって手は抜かない。
嫌だといえば、自分のために頑張ってる兄の顔に泥を塗ることになる、それだけは駄目だ。


短い髪を無理矢理結い上げられ整えられてルークは歩く。
桃色のカンザシと着物を揺らす。

(ここを毎日、兄は歩くのか…長い長い廊下)

赤い光、オレンジの光、ピンクの光。
ここにはそんな灯りしかない。

「失礼、致します…」
「顔を上げろ」
「今暫し、ルークをお待ちください、それまで私が」
「構わない」

顔を上げると、心臓がぎゅううぅっと縮まった。
兄にそっくりだ。
切長の目に、長く赤い髪。
絵に描いたような美貌。
それでも、兄の方が艶やかさは数倍も上だろう。

「お酒を…」
「お前、何か芸は?」
「三味線なら」
「そうか、なら都々逸を」

そう言うと、杯を傾け酒を煽った。

「今宵こそはと 床に眠れど 逢えぬお前に 涙する
顔が見たいと 嘆きはしても お前は知らず 雲隠れ
ただただ逢えぬ お前に逢えぬ 夢逢瀬でも 逢えやせぬ」

三味線をならし、ルークは詠った。

「今夜はいい月夜だ」
「へい、旦那…」
「売れてるんだな」
「この花街一の、花魁ですから」
「男が、か」
「…えぇ、陰間と遊郭が一帯になっているここでは、珍しいことではありませんよ」

男娼は別に兄だけではない。
ただ、花魁という地位にいる男娼はルカだけだ。

「ここには、花魁だけに興味があって来たが…良いものに出会った」

そういうと、ルークの頬を撫で、親指で唇に触れた。

(同じ、手で止めて)

錯覚を起こしそうになる。
それはまったく、自分の好きな兄と同じ手で。
クラクラと眩暈がして、滅多に感じることのない香の匂いに脳が麻痺する。

(止めて、止めて、止めて…ルカちゃんッッ!)
「若旦那…その子は新造…遊郭は遊郭の決まりを守っていただかないと」

パシンっと小気味のいい音がして、客である男の甲を煙管で叩く。

「ッ!」
「ルカ、もう部屋へお帰り」
「…失礼、いたします」

ルークが去るとルカの目はさらにつりあがった。

「久しぶりだな、アッシュ」
「やはり、お前だったか」

客…アッシュと呼ばれた男は、くすりと笑って酒を煽った。

「注げよ」
「なら、金寄越しな」
「いいだろう」

少しも動揺しないこいつはルカは大嫌いだった。

「今更何しにきた」
「遊びにたまたま、だ」
「へー、遊べるほど金が出来たのかい…あの潰れかかってた武家屋敷がねぇ」
「まぁな…」
「ふん、早く帰れ、実の弟抱く趣味は、高貴な武家の若旦那にはないだろう?とっとと帰って母君とお寝んねしてな」
「母上は先月亡くなった」
「…あーら、そうかい」

興味などない。
金の為に実の子を、二人も遊郭に高値で売りつけた女だ、母親だなんて思ってない。

「おい、どこへ行く」
「次のお客さん、テメェのせいで大分狂った」
「今の客は俺だ…床の相手もして貰うぞ…なぁ、遊郭一の花魁」

挑発的な目。
売られた喧嘩は買う主義のルカは、悪辣に笑う。

「お代金は倍の倍…それでいいなら好きにしな、別座敷にどーぞ、わかだんなぁ」



誰なの。
ルークは思う。

同じ手、同じ顔。

なんだかルークは悔しくなる。

振り切れなかった手。
これから、あの手と声とでルカ…兄を乱すだろう。
普段なら我慢できるのに、澄んだ水に墨汁を垂らしていくように、黒い波紋が広がっていく。

我慢できない。

焦燥感だけが、ルークを蝕んでいった。
甘い香が鼻にまとわりつく。



池の向こうにある離れ。
開いた窓から見える、揺れる赤い髪。




遊郭という狭い世界で生きているルークにとって、ルカは何においても特別だった。
例え、無理矢理髪を切られても、部屋に軟禁状態でも、それが兄の愛ゆえであることをルークは理解していたから。

「今、誰かが、俺たちに似た誰かが…俺から、ルカをとってっちゃう」
「ルーク」
「ノワール姐さん」
「どうかしたのかい?お前らしくない顔だね」

ツツっとノワールの長いすらりとした指がルークの頬を撫でた。

「姐さん…俺に、いえ私に芸を教えてください」
「どういう意味だい」
「…私は床上手な男娼にはなれません」
「で、一枚看板にでもなろうってかい?」
「―はい」

真っ直ぐな瞳にノワールは笑う。

「アンタなら兄さんよりいい男娼になれるだろうね―…まぁ、いい、教えてあげるよ、アタシ直々に、ね」
「はい」

ノワールに連れられ、ルークは自分の部屋ではなく、舞台小屋の方。

「私が最高の芸者にしてあげよう」

にこりと赤い唇が弧を描いた。



「んっ!は、ァン」
「ああ、窓から見えるな」
「っ、」
「お前の弟が見えるぞ」
「アンだとっ、てめぇ」
「っ、そんなに弟が好き、か」
「ばっかじゃねぇのっ、ふ、"愛"してんだよ」

ぐっと、アッシュはルークの腰を掴む。

「っぁぁ!」
「出してやろうか、ここから」
「はんっ、誰が」
「言うと思った…だが覚えておいてもらおう…必ず買ってやる」

その後は意識が混濁していてルカは覚えていない。
ただ、そう言ったアッシュの声だけが耳に残っていた。




「ルーク」
「湯あみの用意できてるよ」
「ルーク」
「…」
「ルーク!」
「聞かない、聞いても何も変わらない…話す気もなよね」
「…」
「それでいいんだよ、ルカ兄―…これから、俺は一枚看板になる」
「俺は、赦さない」
「こればっかりは譲らない…余計なことは詮索しないその代わり、だよ…ここから一緒に出るって約束したのに、ルカちゃんだけ大変だなんて、そんなの不公平だから」

ルーク自身が自分にとって最大の弱点だとルカは思う。
意志の篭る目。
最高に綺麗だと、背筋がゾクゾクする。

「湯あみ、行くぞ…ルーク」

そのままそこで抱いてやろう。


「ん、ふぅ、ぁっ」
「…はぁ、」

噛むような口付けが続けられ浴槽に、ルカの髪はたゆたう。

「ん、ぁ…忘れまい 君と誓いし 月の夜…君の腕こそ 我の居場所と」
「夜生きど 君に勝りし 者はなし 朧月さえ 我を射止めず」

甘い、声…溺れる感覚にルークは目を瞑る。
中をうがつ熱に、声が、息が乱れる。

「アァッ、ひっ!」
「っルーク」
「ひあぁぁぅっ!!」

ぐったりと腕の中で疲れ果てている、ルーク。
もし、武家の出だと言ったらルークはなんと言うだろうか。
アッシュは血の繋がった兄弟で、金のないお家の為に、俺とお前は売られたと話たら…。








「ルーク、姿勢をきちんと正しなさい」
「はい」
「そう、右手はそのままゆっくりと回る」
「…」
「今のいいよ…忘れないようにもう一度」

体が覚えるまで染み込ませる。
舞扇は兄がくれたものだ。

「よし、この舞はここまでだよ」
「ありがとうございました」
「ルーク、あんたはホントに芸に関しては筋がいい…頑張るんだよ」
「はい!」

忙しい時間をさいてまでノワールに稽古をしてもらっているのだ、出来の悪い生徒では居たくない。
店が開き、舞台も開演する時間になるとルークはこっそりと遊郭から抜け出し、川原の一本桜の下へと向かう。
どこまでも芸を極めるためだ。
詠い、舞、三味線を奏で、納得いくまで木の下で鍛練する。

「…っ」

その頃になるとフラフラでルークは根本に座り込んでしまうのが毎日だ。

「、上手いな」

パチパチと拍手と共に聞き覚えのある声。

「…っ!」
「逃げるのか?」

紅の髪。

「アッシュ…もう一人のお兄ちゃん」
「花魁からでも聞いたか?」
「調べた ここは人の出入りも多いし、噂は絶えないからね」

特に、権力者、金持ち、有名なやつのゴシップは、嫌でも耳に入る。

「ルカより賢いな」
「勝手に人の兄を呼び捨てするな」
「俺の弟だが?」
「俺たちは、二人兄弟だ…他の家族は誰もいない」

凛とした声。
初めて見た時と違う顔。

「そうか、」
「何かご用ですか?若旦那」
「…そうだな、決めた…お前に選ばせてやる」

両手を木の幹についてルークの退路を封鎖する。

「俺が、お前たちの身受け金を払う…但し、条件だ」
「何?」
「俺に抱かれろ」

淡々と言い切った男にルークは、頭に血が昇ってくるのを感じる。
わなわなと唇が震える。
ふざけるなよ、ふざけるなよと心の臓が脈を打つ。

「人でなしっ!!」
「俺は別に構わないがな…お前の大事な兄は、ますます誰かの手垢まみれになっていくぞ?」
「ぐ、」
「ここで、簡単に返事をしても今度はお前が兄を裏切ることになる」

さぁ、どうすると耳を楽しそうな声で擽られる。

「水面の下であがいても、結果は同じ」

どれだけ頑張っても、身受け話が無い限りここからはでられない。
理解出来ない頭ではないはず。

「返事を数日待ってやる…いい舞を見せてもらったからな…―母上にも見せてやりたかった」

そう、言うとアッシュは身を翻して帰っていった。

(…悪役でいるなら、悪役でいろよ)

最後にどうしてあんなことを言うんだ。

見ぬ、母上。

気にならないと言ったら嘘になるが、でも、俺にはルカだけだから。

「でも、どうしよう…」

ぎゅっと自らの体を抱きしめルークは桜の木に寄りかかる。
兄と一緒にここをでる。
それは同時に兄を裏切ることになる。
ただ、断れば死ぬまで、遊郭。
大事なルカを他人にいいようにされてしまう。
唇を噛むと、ルークは帰ろうと歩きだした。



続く


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