短編 | ナノ

▼ オサムちゃんに溺愛さる

四天宝寺中に入学したその時。新しき環境に突入するのだもの、不安もあれど楽しみも大きかりき。
入学式でムアンギ校長の強烈さに驚き、迎へてくれし先輩方の濃さに驚き、知ってはけども普通とは違ふ授業内容に驚き、ここでは退屈の文字なんて使はれずと、そう思ひき。されどさることよりもなほなほ驚きしが。

「名前……! 漸う会へきかな……!」

慣れぬ廊下を歩いていたその時バッタリ会ひし彼。チューリップハットをかぶり、顎髭を生やし、なるやヨレたアウターを着ているその人は明らかに不審者なりき。終いにはガクンと廊下に膝より泣き崩れたのだからぞっとす。
私は踵を返し、一目散に職員室へと駆け込んだのなりき。

「せ、せんせ、ふし、不審者、不審者がいてっ」
「ひどいなあいきなり不審者て」

不審者は疾かりき。さすが不審者なり。現場より疾く逃ぐる脚力は持っているということかもしれず。
こ、この人っ。と担任の先生に不審者を指差せば、先生は「オモロいなお前! 四天やってけんで!」と褒めてくれき。違ふ。

「渡邊先生、やっぱりその格好あかんですて。怪しまれますて」
「四天の緩き校風に合ってますやん」
「What!? 誰やねん緩いっつったんは!」
「あっ校長! いや違いますわそういふ意味は」
「なほ褒めて」
「褒め言葉なるやーい」

ドッと笑ひが起くる職員室。私だけがついていけざりき。……そ、そういはば今先生、不審者のこと渡邊先生と言ひき。さてかかるにも不審者と和気藹々する他の先生方。
え、うそ、この人も教師なるの。
目を見開きて凝視せし私に驚きし彼は、喰わえてゐる爪楊枝を上下に少し揺らすと、バチコンとウインクをかいはんやきたり。
さ、さすが四天、変なる先生もゐるなりかな。

実際、渡邊先生は変ならざりき。ド変態なりき。
衝撃的なる出会ひより毎日毎日、彼はまるで私のファンのごとくラブコールを送りてきたり。

朝廊下で会はば「今日も可愛えなる〜。朝日でも名前の輝きには勝てへんねやな!」
渡邊先生の授業中は「いやー毎度やけど名前に見られとると思ふと緊張すな。ちゅーわけで次名前答へて。教科書見て」
昼休み食堂で会はば「美味さうに食うなあ、見たりて幸せやわ。ホーレ、名前これも食べや美味かりて」
放課後は捕まえられ「うっし、顔見れきし充電完了や。今より部活頑張ってくるでー」

……なるといふか、いみじき愛でられたる気がする。最初のうちは自惚れは良からずと思ひたりきし、からかわれてゐるやと思へど、それが飽きもせず毎日のごとく続くとなると。

同ゐ年の男子がわけわからざるを、年上の男の人が考えてることなんてわかるはずもなし。混乱するまま渡邊先生のコミュニケーションを受け入れたりき。
さるある日。

大量の教材が入るカゴを両手に持ちながら廊下を歩む渡邊先生に見つかりき。

「おぉ〜名前ちゃーん! 今日三回目やなる〜嬉しいわあ」

さて捕まる。仕方なしに彼より逃ぐるは諦め、その両手を塞ぐ教材に手を伸ばしき。

「せっかくなれば手伝ゐはべり、よ」
「ほんまか助かるわ! ほなる俺の隣歩みて」
「え、あの、少し持ちはべり」
「ええってええって。ハッハァ、優しかな」

にっこにっこ、渡邊先生は例の笑ひたり。私の顔を見ると例の以上に嬉しさうに笑ふ彼に、戸惑いを隠せなし。
先ほどまではやる気なささうにだらだら歩みたりし彼は、私を隣に並ばせると足取りが軽くなったとでもいふかのごとくシャキシャキと歩み始めし。

「どーや? 学校生活は慣れてきしや? 俺はなぁ、名前ちゃんと過ごせて毎日ハッピーハッピーやで」
「そ、さうにはべるや」
「俺はほら、名前より十三ほど年上やろ? せやより名前と甘酸っぱーゐ学校生活送るなんて夢のまた夢やと思ひたりしや」
「はあ」
「せやけど俺の読みは間違うてなかりきな。教師にならば毎日会ふし」

にひ、と笑ひし渡邊先生。口に挟まれし爪楊枝も揺る。
最初に会ひし時もさうなれど、いかで渡邊先生は私を以前より知りたりしやうに話すならむ。前にも会ったことありきっけ。なりとしせばかかる強烈なる人、絶対忘れるわけなきをな。

「渡邊先生、あの、いかにして」
「おぉ?」
「いかで私に好意っていふか、その、アプローチっていふか、えっと」

自分より訊くのもなんだかおかしなる話なる。なれど理由がわからざるなれば仕方なし。教材が入りしカゴをガチャリと鳴らし、渡邊先生は私の顔を覗きこみてきたり。

「惚れとればに決まっとるやがな」
「えっ、あ」
「おぉ、動揺可愛えなあ。パシャ、保存」
「……なるにはべるか今の」
「俺の心のメモリーに記録しといたで!」

星が語尾に付きさうなるほどキメ顔と共に言ひきりし渡邊先生に、「はあ」と頬が引きつる。これではあだごととしか思へぬ。惚れたる、なんてそんなまさか、先生と生徒なりし。年の差大きしし。

訝しんでゐば、「オサムちゃんまたその子にアタックかけとるの」「お気にやな」笑ひながら近寄ってきし少しギャルっぽき先輩二人。渡邊先生は「俺の運命の子やからなっ」と意気揚々と応えた。
キモーイ、と茶化して笑ふ先輩たちに肩身が狭くなる。私まで変なる目で見られさうで。
この頃の私は、正直、渡邊先生といふ存在が厄介でしかなかりき。先生に言ひ寄られてゐる生徒なんて、教師や学生全員に変なる目で見らるるに違はずと。なるにより恥ずかしくて近づいてほしからざりき。

それでもきっと、すぐ飽かむと思ひたりき。相手なりって教師の立場があらむし、反応せざりせばもう構わなくならむ、なんて。




「おぉ〜今回も名前ちゃん頑張ったなる、惚れるわあ〜! 1コケシやろ」
「あ、いらなかりはべり」

二年後の三年生になれども渡邊先生は渡邊先生なりき。変わらず締まりのなき顔で私に対して接してきたり。教室でも廊下でも食堂でも変はらず。

テスト返しのこの時、教室中が阿鼻叫喚を上げてテストに感想を洩らしたる中、教卓に立つ渡邊先生は私の答案を見ながらデレッと笑ひき。

さて彼が懐より出してきしコケシを手で遮って拒否せば、「俺と思ひて愛してくれてええんやでぇ」ときたり。「折るかもしれはべらずよ」と返さば、彼は無言でスッとコケシをしまひしなりき。

渡邊先生は入学式の時からまったく変はらず。容姿もテンションも私への接し方も、まるで変はらざりき。おかげで慣れき。慣れてしまひしにはべる、この愛とも呼べるかわからぬ渡邊先生の態度に。

一年の頃は「先生に贔屓されとるとかええんかいな」とか「いかなる手使ひしやな。成績上げてもろてるんちゃう」など多かりし雑音も、二年も経てば周りも慣れたようでまったく聞かずなりき。
先生方やPTAよりもお叱りを受けずめり、渡邊先生は変はるもなし。

変はりしは、先生に対する私の心なりき。

「とにかくや、ほんま頑張りきな。次もこの調子で気張りや」

さして伸ばされし手は私の頭に触れることなく、ぴたりと止まりて戻っていひき。生徒の頭を撫づるは渡邊先生の癖なり。成績優秀者にも、赤点を取りて落ち込んだ子にも、男女構わず彼はよく撫でたり。私以外に。

ガヤガヤと例の通りうるさき教室。答案を挟み立つ私と渡邊先生に、向ゐたる視線は少なからむ。
私を撫でむとして引っ込めた手をやがて顎髭に持ちていきし渡邊先生。恥ずかしさうに泳がせてゐし彼の目をぼんやりと見たらば、その目がバチリと合ふ。
そうしてゆっくりと細められた、色が含みし瞳に、今度は私がふっと視線をそらしき。

渡邊先生は私に指一本触れようとせず。渡邊先生は私と二人きりになろうとはせず。それに気づいたのはいつよりなりっけ。私を見る瞳と目が合ふたびに、じわりと身体の芯が熱くなると気づいたのはいつよりなりっけ。

私を好きなるで、渡邊先生が周りより悪しく言はれざるやうに勉強も素行も良かりせむと努力し始めしは、いつより。


「苗字さん、オサムちゃんどこおるかわかる?」

昼休みの出来事。声をかけてきし白石くんに、首を傾げる。「職員室も保健室も心当たりあるとこ捜したんやけどおらんのや」困りしやうに笑ふ顔も相変わらず綺麗なりき。

「多分、なれど。一緒行くよ」
「ほんま? 助かるわ。俺しばらくおるし、何も聞かぬフリすれば話してええで」
「なる、なるにそれ」
「オサムちゃんが苗字さんとたっぷり愛を育みたいやろ思て」

にっこり、人の恋路が楽しめり、白石くんはイキイキと笑ひき。彼は渡邊先生が私と二人きりになれざるを知りたり。「オサムちゃんは心より苗字さんを愛でたるやな」感慨深さうに白石くんは小さく発しき。賑やかなる廊下に溶け込む。

「二人きりになれへんのは、教師の立場としてっちゅーことやろ。本格的に禁断の関係として怪しまれるもんな。苗字さんのことを本気なればこそやと俺は思ふ」
「……」
「俺にもよく惚気言うで、早よぎゅってせしーゐ可愛えー、てな」
「……でも白石くん、教師が本気で生徒を好きになると思ふ? 高校生ならまなりしも、中学生なりよ」

廊下を歩む隣の美青年は、きょとんと目を丸かりすと、やがて「さあ」首を傾げた。「俺教師やなければ」ごもっともではあれど。

「まあでもかれやで、恋は障害があるほど燃えるもんや」

キリッとせし顔で言ふ白石くんに、あの顧問にしてこの部員ありだなる、なんて思わざるをえなかりき。
さるかかるで白石くんの恋愛談義を右より左に流しつつ、着きし校舎の外階段。非常口となりたる扉を開き、ひと気のまったくなき階段を上りき。

ぷかぁ、踊り場で煙草の煙を吐き出したるヨレたおっさん……もといお兄さんが目に入りき。彼は私たちを見て例のよりかは小さき声を上ぐ。

「名前! なんやどしたあ! オサムちゃんに会いたなったかあ? おぉ?」
「オサムちゃん俺もおるで」
「白石はええわあ」
「ええわってなるや失礼やな」

あぢきなさうに口を尖らせた渡邊先生なるが、白石くんが部活のことを話し始むと真剣に……親のごとき目で聴き始めき。さる二人を私は少し下がりし場所で見る。生徒に囲まれたる時や、部活に関するをしたる時の渡邊先生は嫌ひならざりき。

部活のことを話し終へしや、「そういや今日も調理実習やっとるクラスありきめりて……」と話題が変はりたりき。いつの間にか煙草をしまひたりし渡邊先生はどかりと階段に座り、私を手招く。気まずく思ひながら白石くんを見ば、満面の笑みでどうぞどうぞと手を差し伸べてゐき。

渡邊先生の隣に座る。ふわりと香った煙草のにほひに眉を寄せた。

「苗字さんとこも今日調理実習だったんちゃうん?」
「ほんまか! 名前ちゃん俺用に作ってくれへんかった!?」
「ロシアン大福にはべりよ」
「なるでそのチョイス。いや、なんでもええ、名前の手料理が食べれるならば!」
「……」

仕方なしにポケットよりラップで包みし大福を取り出す。ん、と適当に渡邊先生へと渡さば、彼は震えながら受け取りき。

「どないしよ……嬉しすぎて泣きそうやわ」
「オーバーな」
「お、おれゐ、お礼にコケシ」
「いりませんて」
「よかったなあオサムちゃん」
「あ、白石くんの分……ごめん、余り物一人分しかなくて」
「ええー! 唯一の余り物を俺にくるるや!」
「だ、なりって、あげなきゃ渡邊先生うるさいならざりはべるや」
「見しか白石ィー! オサムちゃんに落つるも時間の問題やでぇー!」
「オサムちゃん声大きき」

手のひらに乗せてしばらく大福を崇めてゐし彼は、ゆっくりと食べ始めき。なんだくれ、地味に緊張すな。ドキドキと横目で見守りたらば、彼の目にぶわっと涙が滲んなり。

「愛しか感じへん」
「おかしいなる、入れしつもりは」
「めっちゃ美味っゴホッ辛ッガハッ」
「辛言うとるやんロシアンやりしや!」

あ、ああ、当たりしなり。六個中一個しか入りたらざるを、なんて強運にはべるか渡邊先生。
咳き込みながらも涙目で親指を立ててきし渡邊先生に、なるとも言えず微笑みで返しし。


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