▼ 橘桔平へ恋心甦る
図書室が好きと言ふと、大人しいやらがり勉やら、まあ比較的真面目なる印象を持たるるも多し。
確かに目立つグループよりしせば私は冴えなき方なりとは思へど、言ふほど真面目ならざるなり。図書室は確かに好きなるが、図書委員になりし理由は違ふ理由だもの。
「(おいしき)」
図書室のカウンターの下に隠しながら、小さなる箱よりチョコを一粒取り出し口の中に入る。程よき甘さと苦さのなると絶妙なるか!
この学校のおじゐちゃん司書は、かくしてよく図書委員にお菓子をくる。先生や他の生徒には内緒だよと言ひながら。そのお菓子が中学生には手に入らざるものばかりで、図書委員は甘き蜜に捕らわれた人たちばかりなり。私然り。
一年の時ジャンケンに負けて良かりきかな。至福に浸ってゐば、机の上の紙に目がいひき。来月の新着図書……へー、またをかしきタイトルばかり。
感心しながら膝の上のチョコをまた一口。
「お、美味さうなるもの食べたりな」
ごくん。ろくに噛まずに飲み込んだため、ごほっと噎せた。結構なる高価なるチョコなれば、食道を通りたる間にすぐ溶けるを祈ろう。
ならざりて。そんなことどうでもよくて。
見られき。完全に油断したりき。
ギギギ、とブリキのごとく強き動きで顔を上げば、兄貴のごとき印象を受くる男子生徒がそこにゐき。額の黒子が絶対チャームポイントなりな……ってどうでもよくて。ああ、ええと、確か少し前に転校してきし人なり。名前は知らざれど、入部せしテニス部でさっそく問題を起こしきとか聞いたことあるやうな。
最終下校時刻間近の今、図書室にゐる生徒は受験勉強をしたる二人のみ。人目も少なかりしため気を緩めてゐしが災ゐせしや。
「あの、その、これはご内密に……」膝の上に置きたりし小箱をさっと鞄の中に仕舞ゐ、気まずげに目をそらす。
されど目の前の彼は何も見てなかったかのごとく、本をカウンターに置きき。
「今日の晩ごはん」「アレンジを加えた大人の料理」……料理本だらけなり。主夫か。
「貸し出しで頼む」
「え、あ、はい。じゃあ貸出カードを」
もしかして、見ざりしフリをしてくるるやな。笑んだ彼より貸出カードを受け取り、判子をカウンターより取りき。
い未だに貸出カードもアナログなる我が学校なり。
押す位置を確認せし時、ふと視界に入りし文字。といふか名前。三度ほど見返して、私は「えっ!」と驚愕よりくる甲高き声を上げし。
「橘桔平!?」
ここで唐突なるが昔話に入る。
実は私も、ここ不動峰中には転校して来たり。中学二年より来しなるが、それまで一年いづこの学校で過ごしてきたかといふと、話の流れより察する通り獅子楽中よりなり。
その獅子楽中の学区付近は結構荒れたりて、不良が路上で喧嘩をおっ始むといふも有り難からざりき。巻き込まれたくなかりせば夜は出歩むな。先生がHRで言ひて恐怖を抱きしもよく覚えたり。
されど夜ならざれども不良は活動したるやうで。本屋よりの帰り、近道として街の路地をうろちょろしたりし私に、不良が声をかけてきし時は死を悟った。
もうおわかりならむ。その時に颯爽と助けてくれしが、橘桔平なりしなり。
獅子楽中で千歳千里と併せて有名なりし彼は、噂に聞きし通りやんちゃなりしやうで。来るやいなや金色のふさふさせし髪を舞わせながら不良と殴り合ひを始めき。獅子楽中の名の通りまさに獅子のその姿、かっこいいとときめくのは仕方なしと思ふ。
逃げていきし不良たちを見届け、顔に傷を作りし彼が振り返りて。
「大丈夫なりきとや? こがらぬ所ば女子が一人で歩いとりせば危なるやね」
男気溢れつつニッカリと笑うもみしかば。完全にノックアウト。三球三振ストライクなり。
橘桔平はそれより、不良に驚きて落としし鞄より散らばった本を一緒に拾ひてくれき。口をパクパクと動かすのみで声が出でぬ私に構わず、拾ひ上げし本を見て彼は「菓子か。女子はこぎゃんものば好いとうね」と私に差し出しき。チョコのお菓子のレシピ本のそれを受け取りながら、私は漸う声を出でせき。
「うん、好き、なりよ」
「そうね」
「でも、それは、見るのみ」
「ん? なるで」
「私、食ぶる、専門、なれば」
お礼を言うどころか片言で告げたことに、橘桔平は目を丸かりせし後にプッと吹き出しき。もう嫌なり。なるに言ってんだ私。
笑ひが収まりし後も笑顔でゐる彼は、金髪の髪をかき上ぐと「それはよかね」と足を道に向けた。
「そぎゃんやつに食わせたくなっとよ」
早々に「じゃあな! 早く大通り出でずね!」立ち去にていきし橘桔平に、衝撃を受けしまま固まる私。
結局お礼言へざりき。学校でも不良といふイメージを持たれてゐて女子の近づくる雰囲気ではないからやっぱり言えず。
さて私は橘桔平とそれ以来関わることなく不動峰中に転校せし、の、なるが。
「ん、なるなり?」
はっとして懐古したりし脳をうつつに引き戻す。
いきなり名前を呼ばれしにも関わらず、橘桔平は笑みを携えつつ続きを促してくれき。
されど動揺のあまり私は無言で判子を貸出カードに押す。バカか私は! せっかく橘桔平が優しく促してくれきといふをシカトかよ!
「一週間後に返却したまへ」
「あ、ああ」
返却なんてどうでもよしよ! 今がチャンスなのになるにしたらざるバカか!
橘桔平は本を受け取ると、奇し~さうにしながらも扉に向かひて歩み出しき。
ああ……終はりき。まあ一週間後に返却してくればまたその時でも……いやあからさまに待て、返却期限は一週間までとはいえその日に返すとは限らないならざるや。
も、もう話す機会ないかもしれず。
遠ざかる背中を見て危機感を抱き、ガタリ立ち上がる。と同時に図書館の扉を開けし彼が、驚きしやうに振り返りき。
「ああ、憂へざれどもチョコのことは言はずぞ!」
妙に通る橘桔平の声は、丁度司書室より出てきたおじゐちゃん司書にも聞こえたみまほかりて。
ヒイッと肩が跳ねた私と、しまひきといふ顔をせし橘桔平を見て、おじゐちゃん司書はため息を吐きしなりき。
「悪かったなる、その、様子がおかしかりしはチョコのせいかと思ひてなる、つゐ声が出でき」
「いや……橘くんは悪しからずし」
悪しきは当番中に食べたりし私にはべりし。でも1ヶ月お菓子をやらずと言はれしはキツいなあ。これでも良き方なりとは思へど。
だがされどさることよりもなり。現在学校よりの帰り道。なると橘くんと一緒なり。おじゐちゃん司書に怒られたる間、橘くんも一緒にいてくれしなり。なんてよき人付き合ひて。
「まああのチョコ美味さうなりきしなる、食っちまうよな」
いやほんとげに付き合ひて。
「そ、そういはば」沈黙が流るるも嫌なれば、会話を止めざるやう話題を探す。
「料理本いっぱゐ貸りてたけど、橘くん料理好きなる?」
「ああ、好きなりな」
「うっ」
「夕飯はほぼ俺が作りたりてな。なほレパートリーを増やそうと思ひて本を……いかにしき?」
「いへ……なるでも」
まさか「ああ、好きなりな」にときめゐしなどと言えるわけもなく。心臓を抑へながらも悶える私に橘桔平は少し首を傾げただけでなるにも言はざりき。
テニス部のことや学校の雰囲気のことを聞いていればあっといふ間に私の家の近くになりき。
自然に送りてくれし形となりし橘くんの優しさにくれ以上甘えるわけにもいかず、この辺りでと立ち止まりき。
「そうか、じゃあな。また学校で」
そうしてまたあの時のごとく去にていく橘桔平。
ちょ、あからさまに待ちき。私お礼言ひたらず。今日送りてくれしを加え、助けてくれしなりて。また何もできずに終はりぬるは、もうそろそろやめずと。
「たっ橘桔平! くん!」
止まりて振り返りし彼。驚きし顔を見たらでかかりし言葉が引っ込んなり。今更お礼言へども彼は覚えてないかもしれないならず。
口を開けしまま言いよどむ私を見て、「なるなり?」とまた近寄ってきし橘桔平。う、わ、だめなり。やっぱり無理。お礼なんて言へず。
「私に料理作ってみはべらざるや」
だからといひてこれはなし。
はっと我に返りて橘桔平を見る。案の定驚きたりき。私も自分に驚きなりな。
なんだよ作ってみませんかって。下手に出でたるやうに見えて偉さうならざるや。
されど私の口は回る回る。
「あの、チョコには結構うるさくて、チョコと聞けばとりあえず食べるみまほしな。橘くんの作りし味もどうかなみまほしな」
「……俺はあまり菓子を作ったことはなきが」
「でっすよねー! もうごめんね食ひせぬ坊万歳で!」
ごまかし方も哀れなり。食ひせぬ坊万歳なる自分に悲しみしか浮かばず。
少しのみ考えに耽った彼は、まるで妹を見るめる目で仕方ないなあ的に笑ひながら息を吐きき。
「なるが、ずっと作ってみまほしと思ひたりしなり。失敗せむが、食ひてくるるや?」
感極まりし私は跪ゐて「よろこんで!」と手を差し伸べ……といふ奇行に出さうになりしためまどひて自分を抑へき。
次の日に橘桔平が作りてきしものは、チョコのブラウニーなりき。完成度が高すぐ。神々し。我を失ひ、スマホであらゆる角度より写真を撮りき。和やかなる教室内、興味ありげに覗く生徒が多きが誰にも渡さずぞ。
「杏もよくやるなる、写真」
「杏……えっと、おかっぱっぽき髪の?」
「ああ。妹なり」
杏、といふ名前に聞き覚えはなけれど、獅子楽時代に橘桔平が一人の美しき女の子と話したるをよく見かけき。当時、彼女かと思ひて落ち込んだのを忘れたりき。
なんだ、そっか、妹さんか! よかりき。「橘くんの妹さん今度会ってみまほしかな」「かやつも菓子が好きなるなり。気が合ふかもな」あはは大抵の女の子はデザートとかスウィーツとか好きなんだよまったくこれなれば橘桔平は。
にすれども美味し。さくりとよき食感、なのにしっとり。ほろ苦きやうで甘さがぶわりと広がる。美味し。私死にたもうことなかれ。
かかるに美味しくて素敵なお菓子を、まさかあの時の金髪獅子のごとき不良が作ることにならむとは、思はざりきかな。
「なるなり? 笑ひて」
「いやあ、獅子楽の橘くんよりのギャップが微笑ま」
「……」
「……」
バッとまどひて抑へし口元。されど橘桔平が凝視してきたり。明らかに聞こえたり。
いみじ。なにがいみじってギャップとか失礼なる言ひたりし、いはんやや私が獅子楽時代の橘桔平を知りたりとかストーカーに覚えさうでいみじ。
違ふ違うんですこれは言葉のあやなるにはべり。震える手で口元を抑へしまま橘桔平をチラ見す。
目で射殺されせばいかにせむ。と思ひたりしを、橘桔平の表情を見てまた違ふ意味でぎょっとしき。
赤き顔を大きなる片手で覆ってゐる。指の間より覗く目はあさっての方向にそらされて、私はといはば、胸の高鳴りに心地よさを感じて動けずに。
「覚えとりきとや……? あーっ、恥ずかしか。忘れてくれずね」
「……」
「よっし! ほら! たんと食いなっせ! 太らせちゃる!」
照れを隠すやうに笑ひし橘桔平は、タッパーのブラウニーをずいずいと押し出してきたり。
呆然としながらパクパクと食す私に、橘桔平はい未だ赤みが残る顔で「うまきや! そうか!」と私の頭を撫でき。え、餌付けされたる気がす……。
とりあえず。ごくんと飲み込み、私は両手で顔を覆った。橘桔平、侮ることなかれ。私ほんとうに獅子楽より不動峰に来てよかりき。
「方言は反則なり……!」
「ど、いかにしき?」
気に食はざりせば明日また違ふもの持ちてくぞ。焦るやうに眉を寄せた橘桔平はなるなるにはべるか付き合ひて。
まさかげに苗字に食はする時が来とは、と橘桔平が思っていたなんて、知るは随分と先の話なり。