▼ 肆
「それでねそれで、加州くんたら唐揚げいらずとてピシャリと断ちきけるぞ。さる余計なことすんなりて。余計なるとて! 唐揚げは血湧き肉躍る元になるに」
「あ、へえ」
「その前なんかヘラヘラしてんじゃぞーよまぬけ、だとか、我と一緒に酒なんて飲めずなんて言ひやがれ」
「さる言ひ方しては! ……くなし? いくら塩対応なれどもなほ優しく言へべければ」
「我にはさきこえけり。絶対零度なるぞ、もうぞ、主ならねば会話もしてくれないかもしれぬ」
「……」
絶句なりよ。主にかかることおぼえたりきなんて。泣きそうを通り越して吐かむ。たえてこころざしが伝わりたらず。
甘味所で団子を頬張り、お茶を飲みつつまくし立つるように我の愚痴を吐き出す主。そのお茶には酒でも入れりやは? まさに立て板に水。こんなにおしゃべりな主、初めて見き。
若干怯みながらも、新しき側面の見られしことに喜びを抱く。かく我のことを話す主、そりゃあ、普段よりは見られぬぞは。
「でも恋しきぞ」寄せたりし眉根はいつの間にか開かれ、「誰かに話せて、楽になりきは」と目尻を下げし主。
「引きき?」
「引きたらず」
「即答なり……。うん、清光くんいひけちてくれねば、さかなと思ひき。ありがたく」
「それぞ、あ、好きとていふぞ。伝へぬ? さすれば加州清光もうつろふまじ?」
「伝へず」
「即答じゃん……」
「けうとがられてなほ冷たくさるればさすがに引きこもる水準なればぞ」
「……塩対応の恋しき裏返しとは思はぬよし?」
「そは考へたことなかりしかも……。だとすれば、うつくしかし」
本気に恋しき裏返しなるとは思ひたらじけれど、やうやう主笑ひき。こころざしがたえて伝わりたらぬはわぶれど、我もつられて頬緩む。主の口よりうつくしけれど聞かるるは、たとえ本気になけれども心躍るものなり。
お茶を飲み終へ、おいしければと団子を土産として注文せる主。いやに本数が多けれど、短刀たちの分ならむや。これ、持ち帰るを考へたらぬぞかし。本丸まで荷物持ち道筋かは。
団子作成の待ちころ、主は店の厠へと向かひていひき。店のさはりならぬよう外に出でて、たより台の横に突っ立つ。爪を見、後ろ髪を指先で弄り、襟巻を緩め。手持ち無沙汰なころをふれると、出で入り口よりひょっこりと主が顔を出しき。
「おまたせ」彼女のつぶやきは、店内からの騒音で消されき。
「ちょっおまらうどさん! お勘定!」
「どけ素人!」
店よりあながちに出でこし髭面の小汚き男が主を押し、反動で転けし彼女に構はず走り去なむとせり。
一挙一動が緩慢に見え、腰に携えたりし刀の鯉口に手伸ぶ。男が人混みに紛るるよりもとく、一瞬で前を塞ぎ、柄を握りて刀を振るひき。
奴の体に届く前に腕を止むると、刃が寸前に及びしを認識せる男が尻もちをつきき。ひあり、ひっくり返りしあえかなる声を漏らし、顔を青くさせつつ我を見上げくる。
「お勘定未だならむ、戻りな」
「は……え……」
「とくしなよ。斬るも、厭はぬぞ」
視界の端に主が倒れこみつつ我を見たる、気がす。あながちに上げし口角が引きつらむ。
男はもう一度ひっくり返りし声を出すと、惑ひしように店の中へと戻りていひき。刀を鞘に収め、すなはち主へと駆け寄り、未だに膝をつけたる彼女に倣ひて我も膝をつく。
「主、大丈夫? いづら怪我せり? 膝とか……」
「あ、ううん、大丈夫なり。ごめん、腰が抜けにて」
「びっくりせるぞかし」
「清光くん、かの、未だ顔かしこきぞ」
小鏡を取り出す余裕のなく、口角を上げて「さ?」と訊き返す。頬のこはさを自覚すれど、主の顔を見れども今は緩まず。
腸が煮えくり返らむ。血を見るもやぶさかならねど、彼女には見すまじ。とはひえ、主を地に伏せられて、あれだけしか済ませられぬことにこはき概嘆を抱く。かしこきと言はれて萎縮するも忘れ、眉根の寄らぬよう、手をこはく握りこむで必死に抑へき。
何してんなり、加州清光。かくも傍なりて護れざりしを猛省せよ。逢ひ引きで浮かれたるは、言ひ訳にもならず。
「かっこよき刀捌きなりきは。かく近くで初めて見き。刀剣男士とてこはしは」
興奮せるように刀を持つまねび事をせる主は、ニコニコと声を弾ませてさ言ふ。転びし拍子にならむ、顔に砂を付けつつ笑ふ主に毒気抜かれき。元おどろかするは我の役目だってのにぞ、ほんと。
彼女の両腕をやんわり掴み引き上ぐ。ふらふらとせれどしっかり立てたるため安堵せり。
「でも、町中で刀振るっちゃなりめなるぞ」
「多分なんぢの加州清光も同じことせるぞ」
「加州くんにも同じこと言ふ」
「ま……だろーかし。ほら、顔拭けばこっち向きて」
「あ、いや、おのれで拭けば……」
衣の袖で拭はむとせる彼女の腕を止め、懐より小ぶりの手ぬぐひを取り出し、やはら頬を拭く。パラパラと落つる砂を手のひらで受け止めて、地面に落としき。一連の動作に主は目を丸くしており、疑問に首を捻りしさるほどに、彼女はやをらと口を開く。
「……加州くん」
「はいは……え」
「この、手ぬぐひは、加州く……」
ドッ。全身より汗が噴き出すめる感覚。頭が一瞬で冷めき。我が今主の顔を拭ひしものは、確かに、主より誉百個のご褒美で貰ひし手ぬぐひなりき。
すごし。いとすごきすごし! かかるさるほどにバレるよしにはいかず。よりをもちて今日に! もうすぐに賃貸彼士が終はるとていふに!
「へ、へえ、同じもの持ちてんなり。やっぱ刀種同じなると好みもおぼゆかし」惑ひて引っ張りこし言の葉に、主はなんとも言へぬけしきでかぶりを振りき。
「これ、木瓜が刺繍せり。我の、へったくそな刺繍」
「……!」
「世界で一つのみなると思ふ。加州くん、だけなり」
バレたーーーーーーーーーー。
木瓜が刺繍されたりしは知れる、けど、よも主が編めりなんて。さる手ぬぐひなると思っ……喜びてよしや焦りてよしや、いかがすべしとていふぞ!
主は手ぬぐひの刺繍より目を離さず。ぎゅっと握るその手がいやに小さく見えて、もう、我は冷や汗だくだく。
今まで素性を隠しこしを怒る?
別人のごときと引く?
普段は冷たきくせにカレシの振りしてけうとがらる?
謀れりやと泣く?
どれもむげなる話なり。されど、どれも起こり得る。彼女に明らかになりしで、やうやう実感せり。我は、主に好かれるためのことをやりきたるまじき、この年月さながら、主に嫌われぬるを──……。
をこ、我の泣くところならざらむ。膜の張りし目を力強くさし、乾きしを確認して開く。目の前の主はいまだ手ぬぐひに視線を落とせり。
「主、さるぞ。我、なんぢの加州清光。ずっと黙っててごめん」
「そっ……いや、ごめん未だ状況が把握せられては……うん、さるぞかし、我、おのれの男士も他所の男士も、見極められぬもんかし」
「……」
「わかぬなひよ〜、加州くん演技うますぎ。ごめんぞ、気づいてあげら……な」
などか主の謝るなり。愕然とせる我の前で、彼女の目よりポロッと涙が一粒落ちき。惑ひて指で抑へしを見る前に、さて立ち膝をつき頭を下ぐ。仰天せる彼女の声が降りきたり。
あな、泣かせき。彼女自身に彼女を傷つけさせてけり。謝るべきは、我なれど。
「演技ならず。清光な我も、我の本心で接せり。仮初めでも主のカレシをするが嬉しかりき」
主の草履にこはく眼光をやりつつ、彼女の発する息や動きを一瞬でも逃すまいと耳をそばだつ。さりとて涙はゆかしからぬといふは、逃ぐらむかし。
しばらくの間、片膝に乗せし手を握り、息を小さく吐く。ずっと我のひとりよがりに彼女を傷つけきたり。罰を受くべけれど、我はいづこまでも欲が深くなりけむ。
「刀解のみやめなむ。主は、もう顔も刀姿もゆかしからぬかもされど、……折るれども、使へずたって、……めでれずたって、我はなんぢの最期を傍で見たらばや」
もう置きていかるるはこりごりなり。
「ちょ、あからさまに待ちて、刀解りて突飛なりは、なにがいかでさなる」
草履動きき。次には主の顔で視界埋まる。衣の汚るるを構はで膝をつけ、彼女は我の両肩をガッシリと握りき。
泣きたらず。主は例のようにあからさまに間抜けなる顔で、我の顔を覗き込みき。
「するわけぬぞかし、あからさまにそこは聞き捨てならぬぞ。我が刀解する主なるとおぼえたるは遺憾なり」
「……ごめん」
「よきぞ」
「ときぞ……」
「うん、ふふ、加州くんに嫌われたらずとてわかりて、嬉しかりて」
くすぐったそうに笑ひし主を見し瞬間、我の考ふる機能は停止せると思ひけれど、無意識に身体を動かしけむ。人の体とてゆゆしよ、心地で動くもんなり。驚けば主を両腕にさし込めたりき。
主が仰天し肩を跳ねさせき。団子屋にすだきしまらうどの黄色き声を上げき。我は、伝わりますようにと力を込む。
「恋しきぞ、主。冷たくしてごめん。恋しきなり、頑張りて我に近づきてくるる主も、へそ曲ぐれば聞く耳持たぬ主も、間抜けに笑ふなんぢも、さながら恋し」
「かっ、かしゅ……」
「なれば、嫌われたりとておぼゆるは遺憾なり」
「……! ですね」
あれだけ賃貸彼士としてよろづのアルジのカレシを演じくれども、ただ一人の好きし人の前ではいたづらなりや。心うきことに、かっこよき言の葉なんて浮かばず。
されど、力を緩めて見ると、顔を赤くせる主が嬉しそうに笑へり。あな、よかりし、どうやら伝わりきめり。
ずっと、この顔がゆかしかりき。
周りの通行人からの指笛の響く中、やうやう大量の団子の出来上がりしと呼ばれて、我と主は思ひ出せるように惑ひて店の中へと戻りき。
「うたてし……かたはらいたし。ずっと加州くんに筒抜けなりしかたはらいたし。本人めがけて相談や愚痴言へる、穴があったら入らばや」
「我なりとてぞ、嫌われたるかもちて謀られし時は吐くやと思へばぞ、良かれと思ひやれる塩対応が……ていふか主、"くーる"の恋しまじかりし?」
団子屋からの帰り道。帰るところは同じかた。今日は主と別れてころを置きてから本丸に帰らねども済む。
背中より浴ぶる夕日の影をまもりつつ、やをらやをらと帰路を進む。手に持ちし団子を包みし風呂敷軽がりき。
主は我の言の葉に眉根を寄せて、首を傾げき。あ、おほかた覚えたらずかし。
「冷静が恋し? 言いましたっけ」
「言へば。本丸に来て一週間くらい……だっけ? てれび見つつ、こーいふ冷たかりて冷静なる人かっこよしとて」
「劇かは。まあ言ふぞかし、何の気なしにぞ」
「はっ……はあー!? 何の気なし!?」
「清光くんが我に言へるうつくしきと同じなるぞ」
「我は本気なれど!?」
「ふ……へへ……」
「……言はせてんならぬぞ」
などことなり、心を鬼にせる我の努力が主の笑顔で一瞬で無となりき。何の気なしとてなに、怒るどころかなかなか脱力なるぞ。我はさるどうでもよしめる一言を信じて……。
終はり良くばさながら良しとはよく言ひしものなり、彼女へ想ひの届きしで心の余裕のせられし我よりすれば、今までの苦難の日々は確かに良しとなる。──でも、ちょっとくらい、仕返しすれどもよきぞかし。
とばかり逡巡して、心を決めて、ぶらぶらせる彼女の手を取る。『清光くん』としてではなき、今度こそ『我』としてなり。カッと耳を赤くせる主。「暑しかし」顔をそむけつつ、パタパタと手で扇ぎし彼女に、日が沈みきて冷え込みてきたといふ指摘はせであげむ。
「そ、さいはば加州くん、いかで賃貸彼士なんて手やれる」
「えー……教ふるわけざらむ」
「塩対応なり。でもそれわかれるぞ、恋しき裏返しなりとて!? 清光くん言へり!」
「あからさまにこちたけれど……」
ぎゅっぎゅと握る手のひらよりも、はしたなき言の葉を吐く声色よりも、主への好きが伝わらばや。
さるほどに、懐で日の目を浴ぶるを今かと待てる髪飾り、今度こそ受け取りてくれめーかし、主。