短編 | ナノ

▼ ディーノ先生の口説くばかり

バサバサ、と紙の束の落ちし音に伏せたりし視線を前方へ向けき。そこには廊下に帳面をぶちまけたるディーノ先生がおり、彼がこの並盛中学校に赴任しきてから幾度となく起こりこし光景がそこなりき。無視せむやと思へど、行き先は彼の向こう際。ここで手伝はぬも鬼のごとく。

「大丈夫なりや」
「ん、苗字先生、あっスミマセン!」

しゃがみこみて帳面を集む。かたはらいたそうに惑ひしディーノ先生の指先が帳面に当たり、スコーンと帳面が廊下を滑りていひき。

ディーノ先生は赴任して1ヶ月経つ。一時、赴任して早々辞むるといふ噂が立てど、臨時教師としてわざを続けたり。
さ、ディーノ先生の教ふる英語はおぼえがいと良きなり。英語の苦手なるといふ生徒の成績の上がりしと、先生方が職員室で驚けるを覚えたり。
なにぶん見目も麗しければ女生徒からの人気はむべなれど、男生徒よりも乗りのよきと好感を得てあり。授業のみならずけはひも支持されたる彼は、けしきも内面も負点は見つからねど。

滑りていひし帳面を取らむと彼の駆けしところ、足が滑りてドシャリと転けたりき。
こうしてたまに出づるドジがなんとも口惜しき美男子を表せり。さりとてそこのくまなき男性といふよしならず、逆に近寄りやすし。

「ありっ……つつ、っかしーは、蝋でもかけきや、この廊下……」
「ディーノ先生はいつまで経れども廊下に慣れぬぞ」
「教師には慣れきけれどな、はは……」

汚れた裃を払ひてよろよろになひしディーノ先生が戻りくる。かき集めし帳面を彼に渡すと、ありがとうと微笑まれき。などいたづらなる色気ならむや……中学校にいらないぞその色気は。
気まずくなり帳面の表紙に目を落とさば、一人の生徒の名前に「あ」と声漏れにけり。頭の上でディーノ先生があやしそうに首をかしぐる気配せり。

「この子……帳面出しけりかし」
「え?」
「いえ、最終的には出せど提出日には間に合はぬがほとんどの子で……」

確か帳面をまとむるが苦手なりし子なり。それなれどじっくりまとめ直して提出するものなれば、例遅れぬ。けれどディーノ先生の教えのよからむ、英語はしかと出せるらむ。
さすやなりかし、とディーノ先生の手に帳面の束を渡しきりしさるほどに、彼があんぐりとせる顔でこなたを見たることに驚きき。目を合わせられず下に向く。

「ゆゆしかし、苗字先生。違ふ級の生徒の名前のみならず内面もしっかり覚えたりや」
「違ふ級なれど、一応授業は教へたれば……」
「さりとて何十人とある中の一人なるぞ。しかと生徒のこと見たりは」
「……違ふぞ、我小さき頃先生に名前覚えてもらへざりて、我はさるおとなしくならぬようにせむと思へばで、なれば我自身のためなりて生徒のためといふよしでは」
「うんうん、名前覚えてもらふと嬉しきもんは。苗字先生は生徒を傷つけぬようにしてんなり、偉しは」

いきなりなにをおのれ語りせるなり、と止まりし口は、ディーノ先生に返されし言の葉によりなほ開かずなりにけり。
にっこりと笑ひて、じゃあと帳面の束を抱えしまま職員室へと向かひゆく彼。少し皺になりし裃が遠くなりゆく。
ゆゆしきはディーノ先生なり。教師1年目にして皆に好かれて、授業もわかりやすきとおぼえで、さても常に笑顔を絶やさず。我のひがひがかりし陰気なる言の葉もさながら前向きなかたへ返しくる。なれば、さ、根暗先生で学校中通れる我よりせば、なんと眩しき存在か。

「あり、いけず……直射日光を10秒以上眺めにけり……」

彼が赴任してからかけたる眼鏡をかけ直し、くらくらせる目を瞬きで調整しつつ次の授業級へと向かひき。




ディーノ先生が赴任して、彼の指導係になりにけるは我が彼よりも一年のみとく入りし教員なればなり。
一年も前は新しき先生として生徒より声をかけらるるもあれど、今は「あ、ありし」扱いをさる。購買の飯購入戦争なりとて売店のおばちゃんより認識さるるもなければ、やはらお金を置きて飯をもらふもしばしば。
授業なりとて静かに聞きてくれたると思ひきや、寝たる生徒や漫画を読める生徒で過半数を占めたり。今は塾もあれば、さだめて我の授業は聞かねども勉強はせらるらむ。

さる陰日向を歩みこし我が教員生活にも慣れこし頃、うちいでしがディーノ先生なり。
伊太利亜よりやりこし彼はそはもう甘き仮面と紳士な対応でバッサバッサと学校中を切り、すべてを味方に引き入れき。我とは天と地きはの差。ゆゆしすぐ。初日に校内を案内せる時、女子生徒からの視線がすさまじく痛かりしものなり。
我は彼を教員として指導すれど、すなはち教ふるもなくなりき。なんせ我よりも生徒に打ち解け、授業はせられ、学校に慣れければ。

「これで今日の授業を終はる」

鈴が鳴り、生徒が動き出す。本当はもう少し教へまほしきがありけれど、鈴が鳴れば終了だろうとのみの賑やかさで溢れ、我はそそくさと教室を後にせり。
一つの教室の前を通りし時、「先生ー! わからないとこありけれどー!」「我もー!」と明く活発なる声響く。教室の中に目を向くると案の定、生徒に囲まれしディーノ先生見えき。う、この違ひといへば。
切り切りする胃を抑へつつ見たれば、教壇に立つディーノ先生と扉の窓越しに目合ひき。

「あっわり、我 苗字先生と行事のことで打ち合わせあひてな……またな聞きそ!」

ブーイングの嵐の中、扉を開けて出でこしディーノ先生に追いつかるる前に、我は早足で廊下を進みき。されど長きスラッとせる足が数歩駆けば、我の豚のごとき足など敵わないもので。

「先生、などか逃ぐるや」
「契りに身に覚えのなきもので……」
「じゃあ嘘を真にせむや。今度清潔日があらむ、それの打ち合わせ」
「ディーノ先生出でざらむ」
「他のわざが合はば行くぞ。苗字先生に会へるしな」

ギクリとして動かせる足のとさ緩まる。彼が隣に並び、ん? と顔を覗き込みきたり。惑ひて眼鏡のブリッヂを上ぐ。
かかるさらりとせる口説き文句のせらるるは、なほ伊太利亜男なればならむや。純日本人の我よりせば耐性がなさすぎていかが返答すべきかわからぬ。校内を案内せる初日なりとて、最後の最後に「主とこれよりふる日々楽しみなり」とかキザな台詞をさらりと言はれてハハハと空笑ひしか洩れざりし。冗談ならば笑ひて正解ならめど。

「我があらねども来たまへ」数秒迷ひてクソまめやかなる返答をせば、ぷっと吹き出されき。

「苗字先生、飯一緒に食はずや。先生同士仲を深めよーぜ」
「いやよし……」
「じゃあ我のなづみ聞きてくれよ、指導係ならむ?」
「……」

ニコリと笑ひたれど逆らへぬように言ひ回しくるきはこはすぎて引きき。されど言へるはごむべなり。彼よりおくれたるとはいえ、あくまで我は指導係。ディーノ先生に悩みがあらば、それを聞きて支ゆべき身。

無言を了承と捉えられ、ニコニコ顔のディーノ先生が3回ほどずっこけつつ我を英語いそぎ室にぐしゆきき。
英語いそぎ室は昼休みには人がほとんどあらず。かかる隠れ家が、と驚きながらも持ちこし弁当箱を開く。ディーノ先生の手元を見ると万屋の飯握られたりき。

「で、悩みとてなどかすか」
「はは、さっそく本題か……なほ世話でもせむぞ。苗字先生の好みの型とか」
「世話といふは個人的なる話ならず世の話なるぞ。たとえば清潔日の話とか」
「ぷっぷはは、こはしは。うん、じゃあ本題聞きてくれ。ある人に全っ然見てもらへざりてぞ。落ち込みてんなり」

あまり落ち込めどもなきように頬杖をつきしディーノ先生。箸を置きて、居れる膝を彼に向けき。
そうか、この人を偲ばぬ生徒もありや。少し驚けど、その悩みは多くの教師の通る道。我もその一人なり。さる我が偉そうに言ふ立場ならねど。

「好みは人それぞれなれば、そらばディーノ先生を好きならぬ生徒もいるかもしれぬ」
「……うん?」
「さりとてディーノ先生がねんごろにせらば、さだめて認めてくるるぞ」

認むると慕うは違ふ。けれどおのれをわかりてくるる人は増ゆべし。
ディーノ先生は入りし時より臨時教師にねんごろなり。たまにドジることもあれど。それが人間らしかりて、我は。

「我はそのままのディーノ先生が恋し」
「……」
「すまぬ、あまり解決になりたらずかし」

それか、もう偲ばるるは諦めむ。
その方がおのれの心には得策なり。時には諦むるも大事なり、そうでもせぬととこしへに引きずりぬ。そは体にわろし。

謀られて、その答えを返す立場は、いかがすれども上より目線になりぬ。我の方がディーノ先生より生徒に全然見てもらへたらぬに。うちいでにけりは、と考へつつ相手の次の動きを待ちたらば、彼は呆気にとられたりしけしきを喜色に変へき。

「先生! ハグしてよしや!?」
「はっ?」
「我は今ムショーに感じたりて……! この興奮を消化させばや!」
「それがハグとなんの関係やある」
「知らずや? 外国では喜びをハグで表現するぞ」
「ここは日本なり。あ、あからさまにな近づきそ」
「ここはジャッポーネでも我はイタリアーノなり。ハグすれども許さるるぞ」
「厚顔無恥とはなんぢのことを言ふかし、もはや尊敬す」
「Grazie.」

ゆゆしき、なにを言はるれどもキズ一つ付かず。我もこれきはのふつつかさがあらば学校生活を有意義にふれるかもしれぬ。
なればといとてハグはあながちなり。立ち上がりて迫りこしディーノ先生より逃ぐるように我も椅子よりかる。一定の距離を保ち、相手の動向を探りき。

「……さすがにそこまで逃げらるるとな傷つきそ。ハグなんて挨拶ならむ?」
「日本の挨拶は言葉とお辞儀なり」
「我を日本で縛る気か? そのままの我でよきと言ひしは主なれど」
「……」

これ以上言へども同じやりとりの続くばかりならむ。むつかしくなり息を吐く。「ため息は肯定なりとて聞きしぞ」とここぞとのみにディーノ先生は我の背中へと腕を回し、ぎゅっとハグしきたり。
男と密着するは久方ぶりなり。熱の昇らむ頭を目をさすで冷まさむとしたが、視界の暗くなる分、鼻腔で彼の香水を意識しててやめき。

「……あな、諦むるは、せられずは」

目の前いっぱいの裃が少し動く。さおどろきしと同時、うなじを下より上に彼の指がふっと撫でき。なでふ技なり。かかる挨拶を彼は伊太利亜で繰り広げたるといふや。んなをこなる。

「えっ、ディーノ先生!?」

ガラリ、扉の開かるる音と甲高き声に、反射で裃を押してかる。そこに立てるは二人の女子生徒で、信ぜられぬものを見るめる顔でこなたを見たりき。こは、いけず。誤解せり。

「なにしてんの、ていふかへっ、ディーノ先生と根暗先生て付き合ひてんの!?」
「うっせむ、かかるとこで密会? ヤラシー」
「いや、かの違へば、ディーノ先生の教師なる悩みを聞けるばかりで」
「は? 抱き合ひたりせずや、なに言ひてんの」
「つかそれ根暗先生が聞きてやるフリしてディーノ先生を誘ひせむ、根暗のくせに最低」

散々なる言はれようなりよ。頭を抱えて重き息を吐く。彼の近くなると例かかり。女子生徒たちの妬みの視線がいとかしこし。

「お前らは……彼女が誘へるまじかりて」
「挨拶なるぞ。外国の方々がハグしあへるよく見む。彼は悩みを聞きてくれてありがとうと我に示しけり」

おそらく。ぞ、とディーノ先生に同意を求めて振り向かば、彼はなんとも言へぬ顔で口を開けばさせり。
「え、じゃあウチらとも挨拶しよ先生」「アンタどさくさ〜」「……わーかひしぞ、ほら」挨拶と認識せる女子生徒がディーノ先生に抱きつく。ぽんぽんと彼女らの背中を軽く叩くディーノ先生に、げに人気者なりはとしみじみ思ひき。女子生徒たちは彼よりかれし後我に来やと思ひ両手を軽く広ぐれど、彼にもう一回と求めて我へは一切向かざりき。




「ハグ禁止条例やせられし」

顔の半分に大いなる青痣を作りしディーノ先生により、職員室に大いなるため息響きき。美男子も台無しなきはの痛からむ痣なり。

ディーノ先生が女子生徒たちにハグをせるかの日より、並盛中学校に挨拶としてハグをするといふわざ広まりき。同性同士があしたに「おはよー」とふざけてハグするものが大半なれど、中には嫌がる女の子に男の子が無理やり挨拶と称して抱きついたりとか、ディーノ先生に所構はず抱きつく女生徒が増えたりとか。
そはもう、並も並な並盛には似合はぬ、乱れし風紀となりしものなれば、案の定風紀委員長なる雲雀くんがてづから、事の発端なるディーノ先生をぶん殴りけり。
さてもせられし、ハグ禁止条例。雲雀くんが決めて、逆らふ者はあらず。学校でハグする生徒はあらずなりき。

「雲雀くみしけで済みて良かりけるぞ。下手すれば未成年を誑かししとして訴えらるるところなりければ」
「んなつもりはなかりけれどな……我は苗字先生を抱かまほしかりしばかりなれど」

飲める珈琲を噴き出すやと思ひき。惑ひて周りを見渡せど、どの教員たちもおのれのわざや他の先生たちとの話に夢中で聞きたらず。
「なにを言へりや!?」小声で隣の席のディーノ先生に詰め寄りき。

「? ハグは抱かむ」
「…………我、ディーノ先生と話せるとこうず」
「はは、我は楽しけれどは。構はまほしかりてたまらず」

距離をなほ詰めこしディーノ先生に、あしがれど遅かりき。眼前に迫りこし眩しききはの美形に、目玉が潰れそうにぎゅっとまぶたを瞑る。
コツリ、小さく鳴りし乾きし音に、なにかと思ひて目を開けてけり。ディーノ先生の眼鏡と我の眼鏡ぶつかれり。近すぎて焦点の合はずなりしさるほどに、彼はにんまりと目を三日月に歪めき。

「これを外して我をしかと見てくるるはいつになるなり? 邪魔されて口づけの一つもせられず」
「ハグがせられねばって、挨拶代わりに口説くべからぬぞ」

少し離れてそしてぷっと笑ひしディーノ先生。レンズが2枚あれども彼の視線の威力や損なはれぬ。顔を隠すようにブリッヂを上げき。

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