短編 | ナノ

▼ 弐

思はば名前ちゃんは中学の時より視界の端にゐき。とは言ひしものの、結構俺はついつゐ人となりを知るためによく人を見ぬる方なりし(それがバレーとはまったく関係なきでも)(けして弱みを握りたいとかそういふわけならず)、彼女が特別なればとかさる理由ならざりき。その証拠に、名前ちゃんに焦点が合ひしはなし。
おぼろげなる記憶の中の彼女は、後ろといふイメージなり。中学で同じクラスになりし時、真後ろなりたり斜め後ろなりたり、三つあけた後方なりたり、とにかく彼女の席が俺の前の席になるはなかりき。なればならむか、視界に入れることはまずなかりしし、プリントを回す時にちらりと見ゆる程度なりき。

高校の入学式。教室移動。体育祭に文化祭。三年で同じクラスになりし時は朝、教室に入りし時。練習試合に一回のみ見学に来し時。……ぜんぶ、全部、名前ちゃんは違和感なく視界の端に溶け込んでゐき。俺が彼女を目で追ひたりし、いかにすれども視界の中に入れておかまほかりし、なんてまさか思ふわけもなく、ただ出現頻度の高き子だなあとぼんやり思ってゐしなれど。

『人を惹きつくる天才だなあ、なんて。思ふわけにはべる』

カチリと。名前ちゃんに焦点を合ててしまひき。

おかげでどうすんのさ、不用意に名前ちゃんを視界に入れることはできなくなったといふわけなり。だってあの子チカチカするんだもん。眩しいんだもん! 人って発光するんだ、ってびっくりしきね。でも俺だけなんでしょ? 岩ちゃんがあの子見れども、別に彼女はチカチカしてないんでしょ? なるや奇しね。名前ちゃん以外は別に変わらなきなれどなるー。まあともかく、でもさ、やっぱり人と話すには目を見なきゃ失礼ならず。なれば名前ちゃんと話すにはサングラスが必要なりと思ったわけよ!

曰わく、及川の戯れ言なり。岩泉は息を大きく吐きながら聞き流すに徹しき。

先日、岩泉が及川の教室の前を通りすがった際に見えし光景は、このへらへらせし優男がサングラスをかけて名前に話しかけてゐるところなりき。
岩泉は思ひき。とうとう脳細胞が死滅せしかと。そう思ふほどに学校でサングラスをかけたりし及川は異様なりし。

ただいま体育の合同授業中。広々とせしグラウンドでは岩泉と及川のクラスがそれぞれ男女分かれ、男子はサッカー、女子はハンドボールで体育が進みたり。目の前でサッカーをしたるグループを見ながら、及川は山になりし膝に肘を置きながら「あ、名前ちゃんなり」声を洩らしき。どうやら男子ならず女子の体育を見てゐきめり。

及川の声につられて岩泉も遠目に見ゆる女子の体育へと視線を向けた。彼の言ふとおり、ハンドボールのコートでは名前がプレーしたり。
俺には目を凝らすれども苗字が光りたるやうには見えねえ。
岩泉は眉間に皺を寄せ、次にちらりと横の及川に視線を移しき。他校のバレーを見たる時のごとき、試合中に相手の癖を見極めたる時のごとき、さる顔をしながら彼女を見たり。「あーあ」次には拗ねるやうに息を洩らしき。

「名前ちゃんが怪我しせばよきを」

さすがにこの台詞には岩泉もドン引きしき。

「最低なりな」
「さすがに大怪我しろなんて思ってないよ〜。擦り傷ぐらい!」
「女に怪我してもらはまほき願望持ってんじゃねえよボゲ」
「だってそしせば俺が保健室に連れて行ひて手厚く看護できるならず。一気に距離が近づくチャンス」

にっこり笑ひながら指で丸を作る及川に岩泉はなほ引きき。今度は表情で嫌悪を露わにしき。目的のためには手段を選ばなき様子にぞっとす。将来が心配でしかなし。

そこで根本的なる疑問が岩泉に浮かぶ。ある日を境に名前 名前と言ひたる及川なるが(もちろん聞き流したる)、げに名前を恋愛感情として好きなるやと。
この優男は整った顔立ちに加え、接しやすき雰囲気を作りたればか女子にいとモテる。古くよりの付き合ひがある岩泉は及川が数多の女子と交際したるも知りたりき。

なるが、どうもおかし。何がってここ最近の及川の挙動なり。詳しく言うならば名前に対しての及川の言動なり。
正直岩泉よりしせば「チカチカ? は? サングラス? バカ?」といふ心境なり。これまでの付き合ひで及川がさるにも電波なるを言ふはなかりき。
頭が異常になりしや(元よりが否めなき)、それとも名前への反応より察するに本気で輝きて見ゆるや、それは恋なるならざるや、……もしや及川はそれに驚きたらざるや。

悪寒がしてきしかば岩泉は考ふるを放棄しき。男と恋だの愛だの話すなどせまほからずし、それこそ及川とするなど舌を噛みさうなる程強ちなる話なりしか。

なるが、と岩泉は思案す。名前は中学からのよしみなり。そしてまともに、良きヤツなるも知りたり。及川の毒牙なりかくるは可哀想なる人柄なり。
名前が及川を好きなのだろうこともわかるが、だからとはいえこの状態の及川に巻き込むわけにはいかず。
なんせこやつは、現在、彼女がゐる。

「あー……そういやお前、その、最近彼女とはどうなるなりよ」

どうでもよかりき。舌を噛み千切りてでもゆかしからざりき。されど「及川は人を惹きつく」と言ひし名前のはにかんだけしきを思ひ出しし岩泉は、その顔が崩れるのはなるとなくゆかしからぬ気がしき。
対して及川はぱちくりと目を瞬く。まさかあの岩ちゃんが俺の恋愛を訊くなんて、と。心境の変化がありしならむが、さすがに今の一言のみでは読みきれざりし及川は呼吸をするやうに軽口を叩く。

「まさか岩ちゃんっ。岩ちゃんも俺の彼女を好きにっ。まさかの三角関係っ」
「なんねーよボゲ! よければ答へよ!」
「怖いな! 恋バナする態度じゃないよそれ!」
「お前と恋バナなんかしたくねーよ!」
「言ひたる無茶苦茶!」

急に憤りだせし岩泉に内心首を傾げながらも、及川は「どうって言はるれどもなるー」と口を尖らす。

「うつくしよ。よく甘えてくるし」
「……」
「ナンデスカその顔」
「じゃあ苗字とは」
「エッなるでそこで名前ちゃん出でゆくの!?」
「話したらざるや」

苛立ちをやがてに訊ねた岩泉の問ひを受け止め、及川はちらりと体育で動きたる名前を視界に入る。眩しさうに目を細めた彼は、手で口元を覆うとモゴモゴとつぶやきだしき。

「用事もなきを話せるわけないならず。ただでだに性格悪しって言われてんのにくれ以上話してヘマしせば嫌われちゃうでしょ」

ふっと。岩泉は苛立ちを通り越して力が抜けき。既に嫌われてるかもしれないなんて微塵も考えてゐざるくせに、変なる所で尻込みするが呆れる。と同時に、及川の中の彼女に対しての意識の違ひに岩泉は深く息を吐きき。

「お前、今の彼女とはさっさと別れてやれよ。このままじゃクズなりぞ」
「なるに急に!」
「クズは元よりか」
「いつにも増して辛辣なりな!」

岩泉は及川とは惚れし腫れたなどの会話をしたことがなけれど、それは単に自分がそのやうなる話をする相手に向かなひよりならむと思ってゐしなるが、もしかしせばそれ以前の問題なのかもしれず。
ここで仮説が浮かびき。及川は今までいはゆる本気の恋をしたことがないのならざるかと。全ての関係は相手の女子よりの好意により成り立っていたものならざるかと。
それならば現在、ただ一人名前に対してのみ今までになく気持ち悪しきも頷ける。及川は初めて恋をして、それに本人は気づいてゐざるなり。

――まあ、なればといひて俺は絶対ぇ教えねえ。

岩泉自身、目が眩む程の恋などせしがなし。気持ちがさほど理解しかぬし、わざわざ教ふる気はさらさらなかりき。といふか正直、惚気を聞くことにならむが予測されしかば斜めに煩かりし。





体育を終へ、岩泉はクラスの友人ら二人と講堂へ昼食を摂りに行ひき。丼を注文しトレーに乗せて、友人らと空きたる席を探す。昼時の講堂は学生で混み合ひたりき。
長テーブルの間を縫うやうに進み、漸う空きたりし席を見つくと、その隣には女子生徒三人が座りたりき。向かひ合ひて座りたる二人の女子は知らざるが、その隣の三人目の女子に目をやりて岩泉は少しばかり驚愕す。
既に向かひ側で並んで座る友人らに目をやり、岩泉はトレーをテーブルに置きき。

「わりぃ苗字、隣よきや」
「どうぞどうぞ」

待ってましきとばかりに応えた名前に岩泉は口角を上げ、礼を言ひながら座る。
岩泉の登場に驚きし名前の友人らなるが、岩泉がなるにも言わずに丼を食べ始むと話に戻っていひき。

「岩泉くん山盛りなりね。よく食ぶね」
「あ? ……苗字は少ねえな」
「斜めにはべり」

笑ふ名前に、岩泉は少しのみ米をやらむかと思案したらば「あ」と隣より驚きしめる声が聞こえき。見ると名前が前方に視線を向けてゐる。
「及川くみき」ふっと緩みし名前の表情、続くやうに岩泉も視線を動かしき。

及川は受け取り口の前で女子生徒に掴まってゐき。にこにこといかにも優しさうに笑ふ及川に、共に食べむと女子生徒が声をかけたり。戯れし面しやがって、と岩泉は顔を歪めた。

「お、及川くんと同じもの頼んづ……!」

歪めた顔はぽかんと気の抜けたそれに変はりき。隣の名前は自分の定食と、遠目ながらにも見ゆる及川の定食を見比べ、しみじみとしながら噛みしむるやうに食事を続行しき。岩泉は毒気を抜かれ、さて心配げに見つめる。

「さるに好きか?」
「うん、いと美味しいんだよこれ」

それじゃなく。

「岩泉くん」呼ばれし声に岩泉が名前の隣側にゐる彼女の友人らに目を移す。彼女らはニヤニヤと楽しさうに人差し指を口元に当てたりき。コイツら、友人の恋路を楽しんでやがる。
いかにも純粋なる名前は、どうやら及川と同じくこやつも自分の気持ちに気づいてゐずめり。おそらく、憧れの形として留まらせてゐるならむ。それはよき、未だ可愛げがあり。されど、と岩泉は思ひ出ししやうに前方へ向き、さて「げ」と苦虫を噛み潰しき。
衝撃を受けしけしきで及川がこちらを見たり。

女子生徒を軽くかわせし及川は、長テーブルを縫って岩泉らの元へとやりてきたり。さて岩泉の前の席にガチャリとトレーを置くと、取り繕うやうに笑ふ。

「楽しそうだね〜俺も混ぜてもらひてよし?」
「他にも楽しさうなる所はありぞ」
「俺にはここが一番楽しそう」

そう有無を言はせぬ物言ひの及川に、岩泉と名前の両者の友人らは驚愕。名前に至りては驚きすぎて漬け物に醤油をかけたりき。

「あ、名前ちゃんなり。こうやりて一緒にご飯食ぶる初めてなりね」
「う? うん、お、及川くんがゐると、なほ、楽しくなるね」

なるにが名前ちゃんだ、白々しき、驚きて来たんだろが。岩泉は眉間の皺が消ゆる程呆れた。されどへらへら笑ひたりし及川が目を丸かりし、さて困りしやうにその目を細めたものなれば驚く。
やがて岩泉の方へ向ゐし及川は、切羽詰まりし顔で驚愕を露わにしき。

「よくかかる子と隣で岩ちゃんはふっつーにご飯が食べらるね! つっかへたりせざるの?」
「えっ」

ガーンと名前より衝撃を表す効果音が聞こえしやうな。
「俺には無理、なるやもうお腹いっぱい」惚けたやうに続けた及川に、名前はショックを受けてうなだれた。

――ああ、こいつら面倒。

痛くなったこめかみを抑へつつ、岩泉は深き深き息を吐く。このボゲ共に誰か恋ってのを教へてやりてくれよ。俺は強ちなり。つーか知らねえしそもそも巻き込まれたくねえ。
この先の苦労を振り払ふやうに、岩泉は丼を口腔内にかきこみき。


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