▼ 爪を隠し終へき財前
ぼろぼろと落ちる雫を必死に拭ひ取る。されど雨は止まで、擦りすぎし目は痛くなりきたり。鼻よりも水が出でさなればセーターで必死に抑へつく。
かかる醜き姿、同性にも見らるまじきになどか目の前の財前くんは我と同様にしゃがみて覗き込むように見てくるみせむ。しゅ、趣味悪しすぎなるぞ。
「……フられましき」
「見てたからわかるぞ」
鼻声でつぶやありし台詞にかぶするように言はれ、ガクリと頭下がりき。
十分前に決死の覚悟なりし告白は、白石くんには響かざりけむ。いみじく申し訳なさそうにいなびれ、でもありがとうと言はれ、傷つくべしや安堵せばいひのかわよりなかりき。
恋しかりけり。ずっと、白石くんを初めて見し時よりその麗しさに惚れて、そして優しさとをかしさに惚れて。恋しければこそ彼が一人の女の子を見たることに驚きけれど。
告白なんてする気はなかりき。見たるばかりで充分なりき。
さる我の弱き心をひっぱたきて、背中を押してくれしが同じ委員会で後輩の財前くみき。
「よぉ頑張りきかし」
「えっ……」
「なるかその鳩がバズーカ食らひしめる顔」
「バズーカ食らへば死ぬれば……。いや、財前くんが慰めてくるる貴重すぎて」
「元気ですやん」
その意気にすわ、と目を細めて微笑みし財前くんに、見ひがごとかと目をこする。元の無表情に戻れり。安心せり。
委員会に財前くんが入りてしばらくも経たぬほどに、彼が我の恋しき人をズバリ当てし時は冷や汗をかきき。なにか脅しのからくりにさるるやと思はば、彼は協力しそめてくれしなれば驚愕もす。
白石くんの恋しきものなりとか、今日一日なにをやりてただとか、しくじり話とか。挙げ句の果てには白石くんと文化祭を回るように計らひてくれしなりから財前くん様々なりき。かの日は最高の思ひ出なり。白石くんと回りし２０分くらいなれど。さりとて見たりしばかりの我よりすれば、凄まじき進化なりき。
今日なりとて、いつまでもぐだぐなりうじうじする我に、心地のしたたむるためにも告白するは大事なるぞと言ひてくれしは財前くみき。
フられたのは、なほわりなけれど、ゆゆしくスッキリせり。フられるのがわかれりし、なにより告白まででこしおのれに誇らしがれして。
かかること思へたのも、財前くんのおかげなり。
「ありがたく、財前くん。ゆゆしく楽しき恋なりき」
「さりや」
「もう、なんだか胸が所狭く。しばらくは恋愛とかできなさそう」
「そんなん言うてればいつまで経れども彼氏あらぬ歴＝年齢なるぞ」
「なっなんてことを。我が財前くんと会ふ前に誰かと付き合ひたればいかがする」
「かかる恋愛初心者のごときけしきしてたんに彼氏ありし言はば妄想ですかと言ふぞ」
んんん……目の前で先輩が振らるれども財前くんは絶好調なりきめり。ごむべなり。
「妄想せらず……」ぐずぐずと鼻を鳴らす我に、鼻で笑ふ財前くん。そして飴色のカーディガンの袖で我の顔を拭ひき。
「切り替へむ。次の恋なるぞ」
「さ易く割り切れぬぞ。財前くめども私がフられたからとて高次ーとてやがて恋しき人作りたれば呆れむ」
「……」
「なれば、うん……さり、財前くんの協力するぞ！」
我なりに精一杯恋をせるなり。その気力の萎みし今、次の芽をかしづくには未だとし。
なればこさむ、今度は今の今まで応援してくれし財前くんに協力せばや。我も財前くんの恋バナゆかし。可愛げのなき彼が恋になづみ悶えたる姿を見てウンウンわかるよりて先輩面せばや！ 実際先輩なれど。
財前くんは眉根を寄せて我を正面よりまもるといふ大変酷なことをしくれど、とばかりしてハァとため息を吐きき。人に至近距離で見せつくるように呆れられし初めてなり……。
「ほならば協力したまへ」
「えっげに恋しき人ありし？ やなり、言ひてくるればなほとく協力せるに」
「おのれのことで切羽詰まれる人がなにをほざけりや」
「え、え、我にも協力せらるるある？ なんでもするぞ！」
白石くんの失恋の傷の癒ゆるは案外ときかもしれぬ。我のエゴなれど、財前くんの応援に夢中になれば、さだめてうき心地なんて吹っ飛ばむと、さ思ひき。
「じゃあ明日の休み我と待ち合わせしたまへ。待ち合わせは１０時に駅前で。我がとめに待っとれば、名前先輩は我を見かくれば駆け寄り来たまへね。第一声は"ごめんぞ、待った？"で願ひたてまつる。即興入るれどもええですけど、さるけはひで頼む。ほんで手を繋がせたまへ。腕組みてもらふはもう少し後でですね。最初は映画行くよ。名前先輩が白石さんとゆかしとてぼやける券取りたれば安心したまへ。その後は喫茶店で休憩兼昼飯、ほんで……あな、この間でこし買ひ物中央でも行かむや。大いなる本屋も入れりとて、名前先輩好きなるぞかし。こうじればおすすめの甘味所知りたればそこ行かむ。さて我に餌付けさるれどもたまへ。名前先輩ん家、門限とかりけるぞかし。帰りはやれば、最後に"楽しかりし、なんだか帰るまじくなりにける"のごとき言ひたまへ」
「………………」
「協力、してくるるぞかし」
混乱しすぎて金魚のごとく口を盗作盗作と開閉するしかできざりき。財前くんの流るるようにあまたうちいでたるを見るが初めてで、間に挟むも、なにを言ひきや心得るべからざりき。
とりあえず、人は、驚きすぐると言の葉も発せずなるかなとまねびけり。もちろん涙なんてピタリと止まれり。
次の日、９時半の駅前。改札より出でこし財前くんは、待ち合わせかたで立てる我を見て「は？」と顔を歪めき。
「なるか名前先輩、１０時に来ゆきて言うたやなしや。はー、いきなり計算狂はせてくるとかほんまに協力する気ありや？」
「とすぎなるぞ！！！」
地団駄を踏まば通りすがる人たちがこなたを振り返れど、今はさることに気にかけたるついでならず。
一晩考ふれど考ふるほどよしのわからざりしぞ！ 協力とてなに！？ 財前くんの恋しき人と結ばるるように協力すとて意味なりしに何がいかが間違ひて我と財前くんが待ち合わせするになりし！？ 計算てなに！？ ていふか来るの早いよーーーなんかうたてき予感がしたより３０分前に来てみば、などかこの人３０分前に来たる！？ それで３０分待ちて、後より来し我に「待った？」なんて聞かせむとせる！？ とんだ茶番なるぞ！ 待ったに決まってるじゃんそんなの！ などか待ち合わせころ通りに行ひしに３０分も相手を待たすべき！
などといふ突っ込みを簡素に行はば、財前くんは不満そうに我を見下ろしきたり。さるけしきさるるよしたえてなしよ我。
「せやから恋愛初心者は理解が足りひずよ。待てる間、我はずっと名前先輩のこと考へてわくわくせられけるぞ。そのころを我より奪ひけり。いかでくる」
「こっ怖……ちょ、あからさまに待ちて、ちょーっと待たむ」
「せやから待つ前に名前先輩来しやないですか」
「違くて」
焦る。財前くん我を責むる口調は例通りで変わらないんだけどなんか勢いが攻め攻めで焦る。
ふう、と一息つく。休日で未だ大半の店も始まりたらぬころよりなにしたり私たちは。冷静に冷静に。
「ざ、財前くん我のこと……恋しき？」
冷静になりしはずなれどカッカと全身が熱し。今日は特別寒き日なると聞けば厚着で来しがあしかりき。
もごもごと訊ねし我に、財前くんは眉間に皺を作りて首を傾ぐ。なに言ひてんなりコイツのごとき顔なり。
そ、さるぞかし、恋しまじきぞかし。なんか我の恋しき人のごとき流れできたれば動揺すよげにアハハ。
「なに言うてはるか、そうに決まりたらむ。じゃなくば本人に協力してなど言はぬぞ」
んっんんん〜？ あからさまに混乱しこし、あからさまに混乱しきたり！
されど財前くんが我を恋しきはそうに決まるらむ。「じゃあ行くや」と手を差し出しきたり。
あっ……さり、なんか昨日のベラベラうちいでたりしに手を握るとかなんとか言へる気がす。ええ、さる、よも本気に言へりなんて。いまだに混乱は止まず。
手を出さで曖昧なる顔で立ちすくみたらば、財前くんはやをらと手を下ろしき。お、落ち着きしかもしれぬ。
「手を繋ぐなんて無理とか言はでたまへよ」
「手を繋ぐなんてあながちなるぞ……」
「ふざけでたまへよ。協力すとて言ひしぞかし。我の恋を叶ふるために協力したまへ」
「そっ……、あ、わかれる、練習ならむ。今回の待ち合わせは恋しき人とする予行練習なりかし！？ それなれば」
「せやから我は名前先輩が好きや言うてるやないですか大概にせえむ」
「ヒイ」
「名前先輩は我のことまばゆしや」
「まばゆくはなけれど恋愛感情で好きでもなし。今の所誰かと付き合ふとか考へられず」
「やめゆくかたくななる傷つきき。謝りたまへ」
「えっごめんたまへ」
「ええなるぞ。じゃあ行かむ」
さても流るるように私の手をかっさらひて優しく包みて歩き出しし財前くんに、えー！ と衝撃が頭を殴る。なっなりけり今のいたづらになりし会話はー！
わからぬ、財前くんがわよりなし。我を今まで応援せる財前くんは明らかに「静」なりしに、今の行動力は「動」なり。これが本物の接近とでもいはむか、だとすれば我が白石くんとの恋を叶へられざりしも頷ける。
財前くんは歩幅を我に合わせてやをらと歩む。心なしかいつもより楽しからむ顔を困惑しつつ見上ぐると、目が合ひ口角を上げられき。あまり見ぬ嬉しからむ顔に、心臓が大きに音を立つ。これが恋をせる人の顔なのか。
映画の始まるころまで未だあめり(むべなり、待ち合わせの３０分前に集合しにければ)、映画館に入りて散らしを覗く財前くん。さりとて我との手は繋がれしままなりき。
これが、白石くんなれば。など考ふる我はむげなり。でも許さまほしき、我は昨日フられたばっかなりとて。未だ未練消え去にたらずとて。
「財前くん、なほ、悪しきぞ」
かかる曖昧なる心地のまま、我を好きと言ふ彼に付き合ふべからず。白石くんと重ねそうに、さるなめきすまじ。
さ俯き、繋がれたる彼の手を剥がさむと力を入れき。されど剥がれず。すさまじく引っ張りたれどかれず。
「さりかし、名前先輩趣味悪しよ。かかる陳腐陳腐なる観むと思ふなんて」
「違くて。……でもさるぞ、多分財前くんと我趣味合はぬぞ」
「これより広げていけばええなるぞ、趣味」
「などめでたき案なり……とて、え、これからとてなに？ デ、待ち合わせは今回で終はりなるぞかし？」
「は？ 名前先輩よぉ思ひ出したまへよ。我が名前先輩に協力せるや一日なりし？」
一日ならざりき。財前くんに恋心がバレたかの日より、白石くんに告白する昨日まで。ずっと、それこそ一年近く協力してもらひきたれ。といふ、ことはだ。
サアッと青くなる。我も一年近く、財前くんに我との恋を協力すべきといふでは。
我の察せしことに驚ききや、財前くんは思ひ通りにいひしを歓喜せばや、されど謀るように口のきはを上げき。
「最終やうに惚れさす」
「……その宣言本人目の前にして言ふかななべて」
「いや、協力してくるるやし目の言ひおかぬと失礼かなて」
「あやしきさるほどに律儀入りこしぞ！」
館内に上映時間十分前を知らする放送入る。さり、未だ今日は始まりしばかりなり。今日といふよりこれからの協力が、といふべきか。
スタスタ先を行く財前くんに引っ張られつつ、我は躓きつつつきゆくしかできざりき。