▼ 参
好きと言はれたからといひて一気に意識し始めるなりなんていづこの小学生ならむか我は。
一緒に学校に行かむと誘はるれど全力をもちて拒否し、もう同じ名字になるなれば政宗と呼べと言はるれどこれもまたあながちなると断り。今までならば恐怖よりくる拒絶なれど、伊達くんの好意を知ればかたはらいたさが先に浮かびき。
同じ級といふばかりで挙動不審になりぬ。目が合へばもう駄目で、首の痛くなるきはのとさでそらすしかざりき。
唯一落ち着くるはお弁当時間のみなり。相変わらずかすがさんのお弁当美味し。わざと玉子焼き。ほっぺた落ちむ。
さるように伊達くんを避けて五日の経りし頃ならむか、とうとう片倉先生よりお叱りを受くるになりき。
襖の向こうで「よろしや」とかけらるる声がドス効きすぎて腰抜けき。恐怖で。
畳に正座をする片倉先生に倣ひて我もすしかなひ。
「よき加減にしてもらはばや。なんぢがわざと避くるせいで政宗様の気立つ」
「ご、ご、ごめんたまへ」
「我じゃかしい。政宗様に言へ」
片倉先生素が出でたりよ素が! 浮かびたる青筋と凄まじき数の眉間の皺を見て頬が引きつる。とばかりして先生は鼻より深く息を吐きてあながちに自身を落ち着かせき。
「まあ、あながちに引き取られしなんぢの心地もわかる。だがなんぢも金を返せねえ以上、政宗様と付き合ひてよくしかねえみき。腹据えろや」
え、とこぼれし我を見て、片倉先生は一つ頷く。
「政宗様は悪しきお方ならず。無体なる真似はさらにせずぞ」
「……そ」
そうかは、と今までの虐めを思ひ返して言ひ返さまほしくなれど寸でのさるほどに抑ふ。
「余計なる口挟みきは」かたはらいたそうに頬を一掻きし、失礼せると今更ねんごろに締めて出でて行ひし片倉先生を見送り、膝に乗りし手に視線を落としき。
そうか、我がお金を返せばもう伊達くんの物ではなくなるや。
せむかたなきなれど、ある意味我はお金で買はれしになるはと考ふると空想的の欠片もなし。かの顔に謀らるれどなほ伊達くんは横暴なりよなあなど。
されどこれ以上避くると伊達くんも片倉先生もかしこし。2m際開けて世話でもせむか、と伊達くんの部屋に向かはむと廊下を進む。途中、喉の枯るる前に厨房へと向かひき。
「にすれども筆頭、もういひのかなァ許嫁は」
これぞ王道の展開、のごとく厨に入る前に中の伊達くんの子分たちの声きこえにけり。さるは伊達くんの話なり。"伊達くんの許嫁"、の言の葉に心臓は素直にドキリと軋む。
「あな、小せぇ頃より話せる許嫁か。かの子ならぬ?」
「あー? 筆頭誰よりもイイ女とてつりてたらむ。かの子今まで付き合へる女と真逆だし。イイ女ならざらむー」
「じゃ諦めきまじき」
「をこ筆頭が諦むなんてするわけざらむ、保持なりは! 絶対!」
き、保持。よもおのれのさるるとは思はざりき。すとも思はねど。そうか、保持といふは突然起こるぞ。話題の渦中に入るべからぬため、踵を返して部屋に戻る。許嫁か、あらば我なんぞに構へる暇あったらさっさと頑張らなむよたえて。
とっとと廊下を歩きしさるほどに、我の部屋の前に伊達くんの立てるが見えき。こなたに驚きし彼は着流しを揺らし、身体ごと我に向く。いと不満ならむ顔で。
「かく真正面よりアンタを見しは久々だなァ。よぉ、付き合へよ。今日はイイ風なり、散歩でもせむぞ」
「あり、結構なり……ごめんたまへ」
伊達くんの脇を抜けむとしたが、長き腕に遮られき。手首を掴まれ動きを止めらる。
「鼻白み屋なのもよけれど……I'm bored.これじゃ手に入るる前と同じなり。付き合ひてもらふぞ」
「いっ痛し」
腕を振り払はば伊達くんはパッと手を放しき。あやしそうに丸くなる左眼にすなはち視線をそらす。おほかた痛からねど、手首は痛からねど。
「我、なほ、伊達くんとはうまくいく気がせず」
「……は」
「本命に、頑張りたまへ」
お金はいつか絶対返す! 勢い勇みてののしり、やがて部屋に入る。押し入れまで逃げ込みて、布団で開かないようにつっかへき。
一気に真っ暗になりし視界、でも押し入れの所狭さがなんだか落ち着く。所詮貧乏気質なり。伊達くんとはおほかた違ふ。
「よしは?」襖を一枚隔てしやがて向こうで伊達くんの声せり。びくりと肩震ゆ。
「本命に行きて、よしは」
怒りを含む声になにも言へであらば、畳の擦るる音と共に気配なくなりき。どっと緊張解く。
なかなか今まで本命に行かぬが驚きなり。かの伊達くんのことなり、許嫁といふなればさだめていつしかその人をぐしきて婚姻を結ばむ。そのついで我やいかがなる、今の日本は一夫多妻制ならずし、なほ追ひ出さるやは。まあ、それで伊達くんより逃げられば。
とばかり布団の上で心もとなきと、いつの間にか寝けむ。薄き光におどろかば、ほんの少し開いた襖のひまより瞳孔開きし目がこなたを見たりき。ののしる。
「よき加減に開けろこのをこ」
「かっ片倉先生!」
惑ひて布団をどけて引き戸を開く。転がり落ちき。食膳を抱えたりし先生がやをら置きしを確認して時計を確認す。既に夕食のころより二時間は経てり。
「今日は政宗様作られき。わざわざ温め直したまひけりぞ」ぶつくさ言ひつつ食へと促す片倉先生に、これを伊達くんが作っただと、とばかり驚愕せり。
鰤のあら汁に湯豆腐、じゃがいもがごろごろ入れる煮物、小鉢にはほうれぬ草やゴボウの和え物が。お肉も煮詰めて美味しそうに切れてあり。旅館に出づれどもけしうはあらぬ数々の中で一際著き玉子焼き。
「伊達くんて料理かしこかりけりかし……」
「楽しきと申され作りてなありそ」
そうなり、あさまし。思ひつつ大好物の玉子焼きを口に入る。美味し。いと美味し。といふか、この、味。
驚きし衝撃に箸が止まり、立ち上がれど最後まで行儀良く食へと止められき。とみにかきこむと今度は味わひて食へと怒らる。
そうこうして食ひ終はり、とみに部屋より出づると「いづこへ」と背中にかかる声。
「だ、伊達くんは」
「今は厨にて後片付けをせると思へど」
頭を下げ、食膳は後でしたたむればと廊下を駆け足で進む。伊達くんの部屋へと真っすなはち入らば、部屋主はなほあらず。静かに襖を閉めて、机へと向かふ。その机の上なる筆立てを見て、ぐらりと頭の揺るるを感じき。
筆立ての中には我がかすがさんにあげしはずの墨の少なき筆ありき。
「Hey 名前、夜這ひにはちと早ぇんならずや? 部屋の主がいねえまば意味なからむ」
「ヒッうわっ」
伊達くんはげに突然当たり前のごとくそこなれば心臓が保たず。ガクンと机に腰を当てて鈍き痛み走りき。
顔を上げし先にはニヤニヤと楽しからむ伊達くん。勝手に部屋に入らるるを怒るどころか、ひとへにわかりてたように平然と目を細めたりき。
「飯やかしこかりし? 好きなんだってなァ、玉子焼き」
「……か、かすがさんより教へてもらひけりや? 作り方」
「なーに言ひてんなり。かの弁当は我の作りけるぞ。understand? まずは胃袋からとてな」
愕然とし、口の開きしままささず。我が今までかすがさんと美味しく食へるあれは、何度も頬を落としそうになれるあれは彼が。
すたん、と伊達くんが後ろ手に襖を閉む。意識を中断さすめるその音にハッとし、彼に改めて焦点を合わせば、目を俯かせし彼がやがて口を開きき。
「もうアンタの嫌がる顔は見飽きき。今度は我に溺れてもらいてぇもんなり」
そして隻眼に射抜かれ、すごきと直感せる我の身体はおのづから後退す。よくわからねどすごし。野生動物に威嚇されしさる心地。
ごまかすように視線を泳がせ、今までのお弁当の味を思ひ出して眉を寄せき。
「伊達くん、の、ご飯美味しかりける、ありがたく」
「おふ。アンタが望まば毎朝味噌汁作とてやりてよきぞ」
「そ、さいふは、本命……かの、許嫁さんとかの」
「Ha! またそれか! さっきよりその本命ってのがわよりかしぃ。……なんだか知らねど、我が他の女に行くとておぼえたらばわびしかしい」
やれやれとかぶりを振る伊達くんをまもる。行かずや、伊達くん絶対よろづの女の子好きじゃん。ていふか例侍らせたらぬや。
しらばっくるるつもりならむや……別にどうでもよけれど……。疑ひの眼差しを向くると彼はそれに驚けりやあらずや、「つーか」話を切り替ふるようにまた我を射抜きき。
「本命とていはば、我はずっと飯を餌に釣るらめど。……この家では籍を入るるまで作らぬつもりであれど、よもこうも避けらるるになるとはかしぃ」
あからさまに伊達くんの言へる意味がよくわからねど。これが男と女の違ひか、はたまた格差の違いなのかはわからず。
「さればなどか許嫁とか知りてんなるぞ。よもそれでけしき悪しくなりて立てこもりきや?」
「けしき悪しくなりてなんか……」
伊達くんによきかたに考へでほし。けしきなんて悪しくなりたらぬ、ただ押し入れで寝まほしくなりしばかりなり。さること言へどもまたかしこく返さるるが目に見えたれば口ごもる。はあと洩れし息の音。
「勝手に決めて悪しかりしとは思へり。ガキの戯れ言なると笑ひてくれて構はねど、今とならば同じことなり。掘り返すはcoolならぬぞ」
「……? な、なに言へるか伊達くん」
「あ? アンタを許嫁として決めたりしことにキレたんならずや」
「……だ、誰が許嫁?」
「なれば、名前」
「え、っと」
だって、小さき頃より許嫁がありとて、いとイイ女なりとて。
もごもごと紡ぐおのれに、これじゃひとへにその許嫁に妬けるように見ゆまじやと頭が痛くなる。
なに、伊達くん勝手に我のことを許嫁なると思ひて皆さんに言へる。など横暴。自分勝手すぐ。勘違いせる我もかたはらいたし。
驚きしようにまじまじと我を見たりし伊達くんは、ククッと喉の奥より笑ひそめき。やうやう大きになる。
「OK,OK! アンタは我に他の女のあると思ひてむくれてたわけなり! はっはは、美しかしい」
「むくれたらぬあやしき誤解やめたまへ!」
「安心しな、我の左眼に映るアンタは誰よりもイイ女なるぞ」
笑ひつつ言はるれども、そんなの絶対嘘としか思へず。伊達くんのことなり、またかく言ひて我をからかひて反応を楽しむなり。悔しかりて悔しかりてたまらぬに、なにが一番悔しとて少し喜びにたるおのれのあるがなにより悔し。
よしかしぃ、こらば正式なめおとになるも近しとてよしなり。
我の複雑なる心境を吹き飛ばすくらい嬉しそうに笑ふ伊達くんに、唇を噛み締むることに精一杯に言の葉なんて紡げざりき。