短編 | ナノ

▼ ジローくんとおまじない

広き昇降口に入り、下駄箱の中を覗く。上履きを手に取ってふと違和感を抱きき。毎朝のようにしているその行動、なるにも変なことはなしべきを、いかでか例のと違ふやうな。
上履きの中には画鋲なりとかさるイジメのごときものはなし。もちろんいみじく汚きわけでもなし。
奇しく思ひたらば華益ちゃんに「行くよー」と声をかけられ、まどひて上履きを下に落として足を入る。折れてゐし踵部分を指で広げし時、疑問は確信に変はりき。
あれ、私、上履きの踵踏んならじきをな。
首を傾げたが、なるにしたらざる、と呼びかくる彼女に向かはば頭よりやがて消えき。

「今日は待ちに待ちし調理実習ね」
「待ちに待ちき? ああ、カップケーキなれば?」

今まで何回かありし調理実習は和食や簡単なるフレンチが主で、お菓子がメインのこの日は女子生徒よりしせば待ってませし状態なり。しかも見し目が美しからばいかなる味付けにしてもいいといふなれば、今日の用意としてバニラエッセンスやチョコなど様々なるものを持ちてきたる子も多ければはと思ふ。
さる私も私でチョコを持ちてきたり。特別私が好きといふわけならざりて、なるといふか、彼が好きなればはと思ひしかばなる。

「さうなるなれど、違ふ違ふ!」

得意げに笑ひし華益ちゃんは、それでも気品ある所作で人差し指を横に振る。

「おまじないするのよ、おまじなし」
「お、お?」
「やだ、名前持ってきたらざるの? ベリーエッセンス」
「初耳なれど……」

昨日言っておかばよかりきね! と眉を下ぐる華益ちゃんにワケを促す。
なるでもベリーエッセンスとは、最近市場に出回りたる調味料らし。

「いはゆる恋の魔法って謳ってるの。それで、最近この近辺の中学で流行ってるおまじなきがありてね。生地を混ずる時にベリーエッセンス三滴垂らしたそのカップケーキを好きなる人に渡しせば両想いになるってやつ!」
「あはは、ありきたりな」
「信じたらずなね。おまじないは信じずと終わりよ」

なるにが終はりなるや考ふと怖いので考へざるが、華益ちゃんの目は本気なりき。空気を悪くさせざるためにも頷く。

「実際に叶ひし人がゐるもの。あんたも知ってるでしょ、跡部様が付き合ひたる噂」
「えっ!? 跡部様が付き合ったきっかけっておまじないなるの!? すごーゐ、その女の子頑張りきね……」
「おまじないをせしは跡部様のようよ」
「跡部様がせしの!?」

驚きすぎて声がひっくり返りにき。て、てっきり私は跡部様に好意を抱きたる女の子がせしやと。まさか跡部様がおまじないをすとは。
されど跡部様がおまじないをしきとなると、それが噂になりて真覚えする人もそりゃ増えるならむ。影響力のある人なりし。でも。

「(跡部様が叶ひしは多分彼の実力なるじゃ……)」
「他にも三組が成功せしなれば」
「ば、ばかな……」
「いいわよ信じざれども。名前にはベリーエッセンス貸してあーげなし」
「華益ちゃん今日もかわいいなる〜」

見え見えにゴマをせば「当たり前でしょ」と彼女はドヤ顔をかましき。なるとも素直なる子なり。




にすれども、そう、おまじないかあ。私には無縁なるものなりと思ったけどそうも言ひたらられず。
手の中にあるベリーエッセンスと、かき混ぜたる生地を交互に見ながら眉を寄せた。

調理実習の時間、男女入り混じって班分けされし実習室にはかすかなる甘き香りが漂ってゐる。それはカップケーキの匂ひといふよりも、ベリーの匂ひといふや。

「名前ちゃん手止まりたりよ」
「うっううううん」

ぎょっとしながら隣を見ば、今の今まで寝ねたりしジローくんがぼんやりせし目でこちらを覗き込んでゐき。まどひてベリーエッセンスを背中に隠すれど、気になりしや、ジローくんはさっと私の背中を覗く。

「なるになるに? なるにこれ!」
「あっうっちょっ調味料っていふや」
「へー! 見して見して!」

ジローくんが覚醒しにき。さてバレた。頬が引きつった私の背中きらベリーエッセンスを引き出しし彼は、興味深さうに「ほお〜」と小瓶を見回す。

「じっジローくんほらやらなきゃ、ジローくんが一番遅れてるしほら、オーブンにはみんなで入れないといけないからほら」
「くれ知りたるCー! おまじないのやつでしょ?」

いやああ。心の中で叫びを上げながらも口よりは出ず、パクパクと開閉するしか能はざりき。
ジローくんの楽しさうなる声に一緒の班の子たちがなになるにと作業を止めてこちらを見る。奇し~さうなる男子とは裏腹、女子はハハンと納得せしやうに笑ひき。

「名前ちゃんも好きなやついんだね〜」
「ちっちが……それはその、ベリー風味なる味付けにせまほくて」
「俺も使ひてEー?」
「だからおまじなしとかは……えっ」

私が目を丸かりしたる間にもジローくんは自分の生地に三滴ベリーエッセンスを垂らす。みんなより混ぜられてゐぬ生地は、漸うのことでジローくんをもってサクサクと混ざりていきき。

「なるになるに、ジローちゃんもおまじなゐするの?」
「えーっ誰にあぐるの?」

生地を混ぜながら班の女の子たちがジローくんに身を乗り出しき。少しばかり急なる展開についていけざれど、漸うのことで追いつきき。ドキドキしながら隣のジローくんの返答を、生地に目を落としつつ耳は傾く。

「んーとね、名前ちゃん」

がシャン。ボウルが台の上に落ち、まどひて手で抑へき。

「……え、っ」

いけぬ、これはいけぬ、顔が熱し。一気に渇ゐし口の中でかすかすなる声が洩れた。
私の挙動にほんの少しのみ目を丸かりせしジローくんは、次にはにっこりと笑ふ。

「俺のこと名前ちゃんに好きになってほしいからね」

一瞬、時が止まりしやうに音が聞こえずなりて、身体も固まった。「え、ジローちゃん私にも好きになってほしいでしょ?」「え、おめえ俺のこと嫌ひなりしの」「そんなことなけれどー!」えっ。

ハッと意識を取り戻して周りを見ば、平然とジローくんと女の子が話したりき。あ、そ、そうか。あだごとか、そりゃさうなり。っていふかさる、好きってそういふ意味ならざりて、おまじないもみんな本気で思ってなくって……。

脱力しながら息を吐く。ああ、心臓の寿命が縮まった気がしき。やだ、もう、一人で動揺しにてバカのごとし。

「わ、私も、もうジローくんのこと、好きなりよ」

流れに乗ってそう笑ふ。本音の色は含まれてなしって、誤魔化せたならむや。ジローくんはしばらく私を真顔でまじまじと見てゐしかと思ふと、どうかなる〜と口角を上げき。ど、どうかなる、とは。




カップケーキは三個作り、その一個を自分で食す。ベリーがよき塩梅となりて鼻孔や味蕾をくすぐるので良き出来かなと。さてはて、残りし二個はいかにせむや。
調理実習の時間を終へ、教室に帰りてきし休み時間。みんなそれぞれ渡しに行ひたるや、例の多き教室の人の数はまばらなりき。

能はば人がゐざるところで渡さまほけれど、そうもいかなさそう。下駄箱にでも入れとこうか。でも衛生的に食ぶる気なくすならむしな。

「名前、渡せた?」
「未だ……今日はいひや、最初よりさる予定ならざりきし」

華益ちゃんに導かれ、教室を出でて廊下の窓に寄りかかる。カラカラと開けば風がそより吹き込んできたり。
もったいなるーゐ、とぼやく華益ちゃんはどうやら本命に渡せたやうでいと輝きて見ゆ。あやかりたいよ。

「ね、渡さないならば私のと交換しよ。一個余りたるなりよね」
「同じ味なるを交換せむといふは、華益ちゃん……失敗しきね」
「あはは、まあよければ。取りてくね」

さして教室に戻っていひし華益ちゃんを見送り、手元の自作カップケーキに目を落とす。
「うまくできたりと思ひしなれどな……」開きし窓よりカップケーキを伸ばし、空に当てながら背中を伸ばしき。さて脱力。はあ、自分の意気地のなさったら。

ぬっと突然眼前に出でてきしカップケーキに、手の中の自分のカップケーキが落ちさうになりてまどひて握った。

「なっなるに!?」
「なるに黄昏てんの?」

華益ちゃんなりと思ひて振り返ると、そこにゐてカップケーキを掲げてゐしはジローくんなりき。また驚きで口が開く。

「くれ名前ちゃんにあげずね」

固まった私を良きに、ジローくんは私の手に彼のカップケーキを握らせた。

彼がおまじないをせしカップケーキを、私が受け取れどもよきや。いかにせむ、うれし。
まどひて熱が上がりし頭を冷静にす。
多分、多分ジローくんはみんなにもあげたり。ありつる調理実習の班の女の子だってねなりたりきし、好きとかも別に恋愛とかそういふ話ならざりて、うん。冷静になりき。

「ありがとう。あの、私も」

それでも貰えたのだからうれし。この時とばかりに私も抱えたままのカップケーキを指先でいじる。お礼として、ならばあげたちてよしよね。どうかその裏のおまじなきには気づかなひで、受け取らまほし。
そっとケーキを彼に差し出さば、ジローくんは奇し~さうに首を傾げた。

「俺でEーの?」
「え?」
「多分意味なしよ」

言はれし言葉の真意がわからず、わかりしは断られたといふで、私は差し出しし手をゆっくり胸元に戻しき。
「ジロー、ありつる調理実習のケーキゐるー?」「マジマジくれざるの? ありがとー」教室より覗ゐし女の子の声に、ジローくんは向かひていきき。
廊下に残りし私は崩れ落ちさうなる足の支えになるため窓枠に手をつきしまま動けずに。

意味ないよ、って。どういふならむ。ジローくんは私がカップケーキにおまじないをかけしを知りたりき。きっと、食ぶれども意味なしって、私のことは好きにならざれば意味がなしとか、そういふ……。

もらひしばかりのジローくんのカップケーキを頬張る。むしゃむしゃと急かすやうに口の中に入るとベリーの味が広がる。甘酸っぱゐ、でもしょっぱし。ぼろりとケーキに滲む涙、止めることはどうやら今は強ちさうなり。

「名前!?」まどひし声に華益ちゃんが私の顔を覗き込んだのがわかりき。何がありし、と悲痛なる面持ちで訊ねる彼女にぽつりぽつりゆっくり話す。

「ジローくんが受け取らざりき!? どういふ!? 投げ渡そ!」
「いやいやちょっ」

泣く暇もなきや! ずんずんと鼻息荒く教室に戻っていひし華益ちゃんをまどひて追ひかく。ジローくんの席の周りには数人の男子と女子がゐて、華益ちゃんが前に立つとみんなの視線がこちらに向ゐき。あっ華益ちゃんこれは周り見えたらずね。

「どせしの」
「ジロー! アンタ……ッむがもが」
「なっなんでもないよなんでもあはは」

彼女の口を手で勢いよく塞ぎ、笑顔で取り繕う。ジローくんを筆頭にみんなの頭上に疑問符が浮かびし気がしき。
注目を浴ぶるは好きならず。目線を下げながら華益ちゃんを引っ張り、その場を退散せむと足を動かす、と、そこで机の横に置かれたるジローくんのテニスバックの中身が見えき。ごろりと転がる二個のカップケーキ。ジローくんの机の上にはみんなからもらったのであろうここらのカップケーキ。
なるで分けて置いてあるならむ。浮かびし疑問は華益ちゃんの制御に消えていきき。




「おまじなきがあるの」
「おまじないはもうよしよ」

呆れた声を出せど華益ちゃんは気にもとめなしめり。放課後の部活動に勤しむテニス部を教室より見下ろしながら、華益ちゃんは上靴をコツコツと床に鳴らす。

「好きなる人の上靴を履きて誰にも見られず三歩歩むと想ひが届くってやつ」
「……やれと」
「これは忍足くんがやりて叶ひし噂がありな」
「テニス部の成就率いみじね」

というかおまじないを実行せしを噂さるっていと恥ずかしきじゃ。……それで恋に燃ゆる乙女が増えることも事実なるなるが。

「きっとジローくんにも届くって。今部活中なりし、時間的にも下駄箱に人はゐずと思ふの。やるは今なりな」

ぐいぐいと背中を押され、強ちに連れてこられし下駄箱。彼女の熱意に反比例して私はやる気がなくなるよ。
「誰も見てなしってことが条件なりし、私は行くね」ウインクして去にていきし彼女の背中を恨みがましく見送る。
なんだゐ、勝手に決めちゃってさ。私の気持ちなんだ、自分でやらまほきやうに決めたっていひならず。おまじないなんてくだらなき、かかるのやめやめ……。

眉間に寄ってゐし皺を指で擦る。誰もゐぬ静かなる下駄箱は、捻くれし心まで静かにさす。薄暗さを帯びてきし空間に、切なさを抱きき。

私は言ひ訳ばかりで、一人で勝手に傷つきて、これからもきっとさうなるやな。それはいやなりな。
たかがおまじなき、されどおまじなし。きっとおまじなしっていふは勇気のスイッチのごときものなるならむ。

ゆっくりジローくんの下駄箱に近づく。煩ゐ心臓が鼓膜を震わせてゐる気がすれど、それをどうにかこうにか無視して彼の下駄箱を覗ゐき。

「あれっ」

上履きがなし。おかしな。今彼は部活中なるべけれど。
まさか未だ校舎内にゐるやなる、と首を傾げながら廊下に出づ。

「あれ、名前ちゃん」
「ジッ、ロ、くん」
「どせし〜、忘れ物? 俺と同じなりね」

俺もタオル、ほら。片手で掲げたジローくんに、ああふと頷き返すしかなかりき。びっくりしき。
されどしめし、ここでジローくんが昇降口より出でていきせば戻ってくる可能性は低し。
上履きを下駄箱に戻し、靴を手に取りしジローくんの動向を見守りたらば、彼がぐりんとこちらを向ゐき。

「帰んなきの?」
「えっ、あ、えっと人を待ちたりっていふや」
「A〜そうかなあ、上履きのおまじないすべきならざるの?」
「えっ」

ぼっと顔が一気に熱くなりにき。なるでジローくんはそんなにおまじなき知りたるなり。あ、そうかテニス部の人たちが叶ってるもんね。ならざりて、そう何度もおまじないを実践するキモゐ女なりと思われるわけにはいかず。

「違うよ、ほんとに華益ちゃんを待ちたるのみなれば! ほんとに! なれば気にしないでほら、部活行ひし方がよしよ!」
「……」
「ね、ジローくん」

必死で身振り手振りで誤魔化せしものの、ジローくんは疑うやうに目を細めてゐしかと思ふと、今までの美しくて優しきジローくんとは別人のごとく拗ねた様子でつぶやゐき。

「……俺も待ってようかなあ」
「はっ」
「華益ちゃんが来るまで。名前ちゃんとなほ話さまほきC」

すぐさまにっこりと笑ひしジローくんにほんわりと絆され、いや違ふとまどひて首を振る。さる、ここにジローくんがいたらおまじないできないならざるや。

「だめだよ、部活! 部活あるならず!」
「だいじょーぶ、今日身体検査なれば。後に回してもらふ」
「そ、それはだめなんならざるかなるー!」
「あー、名前ちゃんは俺と話せまほからざるなる」
「そっ、ういふわけならざれど……!」
「それともやっぱりおまじなきに俺が邪魔なんでしょ〜」
「ちがっ違うってば!」
「カップケーキも作りたりしC〜。……ねっねっ、好きなる人って俺聞いちゃだめ?」
「だっそっ」
「調理実習の時より気になってたんだけどね〜。名前ちゃん、華益ちゃん以外にケーキ渡してないでしょ? ほんとにいんのかなりて」
「いっいないよゐず」
「でもかくして上履きのおまじないしようとしてるならざるや」
「なれば、何度も言ひたれど、華益ちゃんを待ちたるのみ、にはべり」

キッと真面目なる顔でジローくんの目を見据う。不満げに口をつぐんだ彼は、ふーんと頭の後ろで手を組みき。い未だに目が怪しんでゐる。
といふか今気づいたけどなるでかかるに私の好きなる人が気になるや。まさか。……いやいや、それはなゐず。

「さる真っ赤なうつくしき顔でなるに言へども信憑性ないけどね」
「……え」
「おゐジロー! 検査の順番! お前なりよ! いつまでタオル取りに行ひてんなり!」
「あっ岳人。超怒りてんならず」

驚愕に息が止まりし私をよそに、ジローくんは苦笑ひを浮かべながらそそくさと靴を掴みて昇降口の向こうに立つ向日くんの元へ向かひていきき。
どっと、力が抜く。よろめゐし背中は下駄箱に当たりて止まりき。
今、彼は、私に対しなんて言ひき。
なんて言ひき。

「あっ名前ちゃん、今日は華益ちゃんを待ってるってことにすれどさ〜。どっちにしろ上履きのおまじないはやれども意味なしと思ふよ」

昇降口の出口で振り返りしジローくんの表情は、かわいさなんて欠片もなし。強さが滲むようなその顔で、またカップケーキの時のごとき言葉を紡いなり。未だ力が入らぬ私は相槌を打てず。
さる私になほ追ひ打ちをかくるやうに、緩く彼は微笑んなり。

「俺が名前ちゃんに先にやったからね。なれば、名前ちゃんは俺を好きになるよ」

飽きしやうに手を振りて駆けていきしジローくん。
私は、ずるずると力の抜けし身体を重力に従ひて下ろしき。ふにゃふにゃなり。身体はふにゃふにゃなるを、心臓のみ一生懸命動きたり。

「なるにそれ……!」

上履きの、ほんの少しのみ折れ跡のつきし踵部分を撫でながら、悔しまぎれに声を出すしか能はざりき。


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