短編 | ナノ

▼ 頭よりかれず不二

※不二の家が一軒家な設定なり。



取り込みし洗濯物を電視を見つつ畳む。網戸より吹きくる風が冷たさを帯びきたり。もう夕方かー、たまには母の晩ご飯のいそぎ手伝はむやはー、などぼんやり思ひつつ手を動かしたらばいつの間にか畳み終はりし。下着はこっちに……と運ばむとして、ふと驚く。この下帯と同じ柄のブラジャーがなし。おっかしありな、しかと洗濯機に入れけれど。

「おかーさーん、我のブラ知らー? 桃色のやつー!」

居間に入りつつ声を上げて台所に立てる母に呼びかく。なりとて? と首を傾げし彼女にもう一度「なれば桃色のブラなりよ我の! お気に入りの!」と訊けばちゃんと洗濯せべきと返りきたり。なのになしなんていかなることなり。
取り込み忘れきとか? いや、そはなしよ。ブラのみ忘るれども。じゃあ庭に落としき? 仕方なしに庭へと続く網戸を開け、置きてある草履に足を入れて外に出でて見渡す。うーん、ブラなんて著きものなんてなしし。

「……」
「……あな、てうどよかりき」

ブラはなけれど周助くんはありき。庭の柵の向こうより相変わらずにこやかに声をかけこし周助くんに我はといはば状況が心得られず、美男子には見するべきならぬ顔で彼をただ見返せり。
てうどよかりしといふ謎の言の葉を紡ぎし彼は、隣の庭よりうちの方まで歩み寄りきたり。その手の中には手ぬぐひあり。

「これ、うちに落ちたりしぞ。風に乗りきたりやは」
「えっ、あ、ありがたく」

柵を越えしやがてさて止まりし彼は、我の方へと手ぬぐひを渡しきたり。畳まれたらぬ丸めし手ぬぐひ。周助くんにせばありがたく雑なりはと思ひつつ受け取る。
「じゃあね、気にせで」クスッと笑ひし彼はすなはち隣の家の中へと戻りていひき。ははあ、相変わらず清げなる顔をしてらっしゃる。小学生の頃は美しかりしに今や美人なりもんは。うっとりせる自身を惑ひてげに戻し、我も屋内へと戻りき。
にすれどもかかる手ぬぐいうちにあったっけ。網戸を閉めつつ手ぬぐひの感触を確かめしところ、手ぬぐひは丸めていたのではなくなにかを包めることに驚きき。
そして手ぬぐひを開きて、中なりし桃色のブラジャーを見て、我は声にならぬ叫びを上ぐるとなりけり。




周助くんはお隣の家の子。すなはちまあいはゆる幼馴染といふものに入るかもしれぬ。そしてよく少女漫画ならばや、我は周助くんに恋心を抱けり。そらばさらむ! 小さき頃よりかかる清げに優しかりてかっこよき人あれば恋しくなりなむ! 初恋ならむ!
お隣さんならざらば近づくべからざりけむ彼、されどお隣さんといふ地位はめでたく、由美子お姉さまにラズベリーパイを給へ裕太くんにからかはれと家族ぐるみで関わっているものなればお隣さんさまさまなり。

小学生の頃までは男女仲良く遊びたりしおかげで、我もはばかりなく周助くんに寄り添へり。周助くん周助くんとひとへに金魚のフンのごとく付きまとふ我は、今考えるととてもうざかひしと思ふ。嫌がらざりし周助くんは菩薩なりよ菩薩。
中学生になりて信ぜられぬくらいねびし彼に、我はやうやう驚きけり。「あっ、これ不用意に近づいちゃだめなやつじゃぞ?」と。彼を狙ふは中学生女子といふ名の狩人。周助くんのごとく人一倍大人めきて優しき彼を本気に射止めむとする女子は絶えざりき。幼馴染さりとて関係なき、戦場に立たばみな戦士。我はさて初めてゆゆしき人を好きになったのなるとわかれるなり。

さりとて幼馴染なればかは、周助くんは我には特別優しかりきまじきかなりて。家の前で会はば挨拶してくるし、学校で会はば挨拶してくるし、街で会へども挨拶してくる。あれ、よく考ふればこれ普通ならずや。ごわたりさんにはなべて挨拶すよは。まじかよ、特別ならざらずや。
と、ともかくなり。周助くんとはなのめなる(我よりすれば特別なる!)お隣さん同士として接しゆきたわけなれど。

よもブラジャー見られきなんて! 信じらんなし! 最悪! かかるお賎しきものをかかる麗しき人に見られきなんて! もう顔合わせられぬぞおーっ! と両手で顔を覆ひつつその場に崩れ落つ。かたはらいたし。かたはらいたきもさらなれどそれ以上に申し訳なし。絶対気まずかりけむは、ブラジャーを渡すなりなんて。手ぬぐひに包むところが周助くんの気遣ひなるぞねさすがなるぞねなにそれ美男子か。
なればかの人別れ際に「気にせで」つりきや。我がかくやりて悶絶すると思ひて。気にするに決まってるじゃんか異性にブラジャーまうけてもらひて気にしないわけなからぬや! さるはその人が神様並みに神々しき周助くみしぞ!? つーか恋しき人なるぞ!? くっそかたはらいたすぎてもはや私人間であらられぬじゃぞ! うおおおとゴロゴロ転がらば母に「こちたき、ごわたりわりなからむ」と怒鳴られき。さてハッと驚き、窓に振り返る。網戸……と曰く、最初より、すなはちブラジャーの在り処を母に大声で聞きし時より周助くんにきこえられたりし可能性が高しとてよしで……。

あっこれ死にき。ブラジャーと手ぬぐひの前で土下座す。精神やうに死にき。かの素敵時期(おほかためでたくはなし)でブラジャーを渡しに来てくれし周助くんには、我がお気に入りのブラジャーをとぶらへるなど丸聞こえなりしに違いなし。かたはらいたし。恥ずかしぬる。周助くんのことなれば「これがお気に入りかよしょぼありな」と思ふはなからむ……と信ぜまほしけれど、まあ認識されしぞかし。かたはらいたし。

今まで生きこし中で一番の猛省を行きたらば、手ぬぐひが視界の端に映りき。先ほども思へど、こんな手ぬぐいうちにあったっけ、と目の前に持ち上ぐ。途端ふわりと香りしにおい。うちの柔軟剤のそれならぬ、と曰く。
周助くんわざわざ自分ちの手ぬぐひでブラジャーを包みてくれしといふで。紳士さにもう一度床へと頭をつけき。

後日。手洗いに加え洗濯機でも洗ひ、お日様の光をところせく浴びてふわふわに仕上げし手ぬぐひを美しき小さき紙袋に入れて家の前で深呼吸。時刻は6時半過ぎ。庭球部のあした練のある周助くんがそろそろ出でくるはず。我は8時半に学校に着きたらばいひのなれば普段かかる早驚きなどせねばいと眠し。いやされど、学校で接触するなんてなんかかたはらいたしし。級違ふしころなしし。

ぶわぶわと吹く風に、今日はこはしはと乱るる髪を直したらば、隣の家より周助くんが出できたり。我を認むると彼の驚きしように小さく口を開く。

「名前ちゃん、おはよう。いかがしたの、早いね」
「お、おはよう! 今日もよき天気なりかし!」
「さりかし。ただ少し、風のこはきかも……」

クスリと笑ふ周助くんは緩やかに髪を耳へとかき上げき。などなまめかしき動作。風だにも彼の麗しさに味方するといふや。
それで、いかがせる? とこなたを見こし周助くんにギクリと肩が強張る。挨拶以外まともに話すなんだか久しぶりすぎてあからさまに緊張するぞ。もじもじと紙袋を持つ指を動かし、視線を周助くんと我の靴にあくがれす。なにあからさまに恋する乙女のごときけしき取りてんなり私ってば。お礼を言ひて手ぬぐひ返すばかりならむーが。

「しゅっ周助くん! これ……っ」

ええあり女は度胸! とバッと紙袋を彼の前へと出す。その時なりき。ぶわぶわ吹ける風は、我の勇気を笑ふようにゴオッとその一瞬なほこはく吹きけり。下より巻き起こるように流れし風、ひらひらと揺れる袴が舞ひ上がりき。
脊髄反射でその袴を抑ふ。どっと汗が全身より吹き出でき。思はず下げし視線、そしてきはにたゆたふ沈黙。ちらり、窺ふように周助くんを見上げば、彼は気まずそうに目を背けたりき。はつかに頬が赤し。
あ……やりにけり。これときめきにけり。ブラジャーのみならず下帯まで見せにけり。などことなり、もう言の葉すら出でず。

「……ごめ、たまへ、かの」
「……いや、えーと」
「記憶より……消したまへ……」
「……大丈夫なるぞ、我もその……ごめんぞ。あした練あればもう行くかし」

さても我の肩をぽんと叩きて周助くんはそそくさと学校へ向かひていひき。我はその背中を見送り、そして涙を流す。あー……もうなりめなり。など痴女なるとおぼえけむ。ブラジャーを落とししも下帯も見せしもさながら計算ならむとおぼゆればいかがせむ。いや、周助くんに限りてさること思はぬと信ぜばや。されど見られしは事実。絶望せる、恋しき人に下着主張しかせられぬおのれに絶望せり。ブラジャーも下帯も見せしなれば周助くんも見せてくれよと考へにける自分の頭をぶん殴りき。
結局手ぬぐひも返せたらず。下帯見するために家の前で待ち伏せしていかがすみきよ我は。




案の定、学校でも返すどころか話せざりし我はとぼとぼと家へと帰りきたり。今日は金曜日、周助くんは部活。帰りまで待つかいかがせむか、となづみそめしさるほどに隣の家の前に立てる男のあることに驚きき。

「裕太くんかよ」
「かよひてなるぞ。久しぶりだな名前、どーせるなり? さる人生の終はりきめる顔して」

なんぢなりとて恋しき子に下帯一丁の姿見らるれば穴に入りて埋めまほしきと思うだろが、など言はぬ優しき我はなんでもなきぞと首を横に振る。我は心得けり。菩薩顔して全てを受け入るる我に裕太くんは不審なものを見るめる目を向くると、「まあよきや、寄りゆく?」と不二家の門を開けき。

「なに? 主の家ならざらむ」
「いや我の家なるぞ! そらば今は寮に出でたれどぞ」
「えー、今日はいひや行かず。なんか心地ならぬし」
「姉ちゃんがラズベリーパイ焼けりとて言ひたれど」
「慎みて上がらせてたまへまほしく候」

お前なほをこになりしじゃぞ、と笑ふ裕太くんに導かれて不二家へと上がる。ふわりと香るにおいに、紙袋の中の手ぬぐひを思ひ出してまた心地沈みき。
どうやら不二母と由美子お姉さまは買ひ物に行くらみ、大いなる食卓の上にラズベリーパイと小さき覚書乗れり。
二人でパイを食ひつつ話に花を咲かす。

「そーいやさいつころ兄貴から電話ありけれどぞ、お前兄貴になんかしき?」
「うん!? などか!? なにも! なにもせらぬぞ!」
「その反応、したんだろ〜。顔も見たくないっつれりぞ」

あれ、顔が見られなひなりきやは、とつぶやく裕太くんの言の葉はきこえざりき。
顔もゆかしからず……? なほブラジャーがひまで……? こんなしょぼありお気に入りのブラジャーをあらむことか庭に置き去ににする女子力のカケラもなき女の顔なんざゆかしからずとて? パイを持つ手がガクガクと震ゆ。と曰く、今朝の下帯でトドメを刺しにけるまじからむや。周助くんの中で我の好感度や急降下せるまじからむ。

ぶわあっと涙出づ。「はー!?」ラズベリーパイを吹き出しつつ驚きし裕太くんに見られぬよう立ち上がりき。ここにはいられず。もうやがて周助くん帰りくるし。

「なりよなに泣きてんなるぞ!」
「泣きたらず! ラズベリーパイ美味しかりき! 帰るさようならば!」
「待てよいかがせるぞ!」
「せむかたなければ帰るぞ!」
「ちょ、なにわけわからぬかな」

裕太くんが我を引き止むるため腕を掴み、引っ張りきたり。思ひしよりもこはかりし力に、我はぐよーきと後ろへと反動をつけて退がる。とみに勢いよく退がりこし我が案つかざりきや、裕太くんもろとも床に倒れこみにけり。
まどひて「ごめん大丈夫!?」と上体を上ぐ。我の下敷きになりにける彼に怪我があらばゆゆしきと、冷や汗の流れしその時、ガチャリと扉が開きて周助くんが帰りきたり。

「……」
「……あ、兄貴」
「……」

薄く目を開きて見下ろせる周助くんは、すなはちにっこりと笑みき。クスクス笑ひつつ「名前ちゃん、遊びに来たりけり」と我をひょいと抱え驚かしてきたものなれば、身体中を熱くすしかなひ。やがて放してくるやと思ひきや、彼は後ろより我の両肩を掴みしままかれざりき。なんといふか、背筋凍る。顔の見えぬがまたかしこし。なほ周助くん、我の顔をゆかしからじや。

「ごめん裕太、郵便箱見てくるの忘れにけり。頼みてよしやは」
「え、兄貴」
「いくら裕太でも名前ちゃんはやれぬなり。悪いね」

ぽかんと周助くんを見上げたりし裕太くんは、いまだ理解のせられずめる顔で頷くと部屋を出でゆきき。あ、ちょ、待ちて、行かで。裕太くんが我を殺れねばってさる、周助くんてづから我を殺るといふや。神の処断を待つかのごとく心のいそぎをせらば、後ろより声せり。心臓がバクバクこちたし。

「なに、せりやは」
「ラズベリーパイを食へる美味しかりけり」
「ふふ、いかで敬語なる」
「そ、れは、緊張感が」
「いかで? ずっと一緒なりしに、今更」

そりゃあなんぢ下着がぞ! いや、落ち着け。周助くん、もしかせば忘れようとしてくれたるかもしれぬ。紳士なり、など男。後ろなるため顔は見えねど、多分例のように優しく笑むらむ。その優しさに甘えて、我は食卓の隣に置きておありし鞄を見き。中には借りし手ぬぐひ入れり。

「あ、かのね周助くん。手ぬぐひを返しに来しのみと」
「あな、うん、ありがたく」
「こっちこそありのとうなるぞ! ……ごめんぞ、その、お賎しきもの見せて」

とばかり沈黙流れき。肩に置かれし手にきゅっと少しのみ力入る。

「かのぞ、さいふ、反応が取りづらいみしぞ」
「えっ……あ、だ、だよね! ごめん! 忘れて!」
「忘れらるれば、かくらうはせぬぞかし」

じわじわと熱を持てるはおのれの身体なると思ひき。されど肩があやしく熱し。周助くんの指があやしく。

「ただでさえ名前しかと話せし日はよく眠れぬに」
「え、あ、え」
「おかげでまともに顔も見られぬぞ。いかがせむ」

やをらと息を吐きし周助くん。その後すなはちこつんと後頭部に何か当たりき。もしかせば周助くんの額かもしれながると、なほ熱くなる。と同時に混乱しきたり。いかでかかる状態になったんだっけ?
裕太くんがおそるおそる部屋の扉を開くるまで。周助くんは我の両肩を後ろより掴みしまま、我はこちたき心臓の音をやがて現状理解に頭を捻らせけり。

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