▼ 恋偲ぶバジル
暗き夜道を歩む。電灯はあるものの、なほ夜は静かで人通りも少なし。
今日も塾疲れたなるー、なんて首を伸ばしし時なりき。
じゃり。後ろで音がしき。
振り返る。暗きのみで人はゐず。…気のせい、なりな。
また前を向ゐて歩む。気のせいのはず、なるを、後ろよりも同じ足音が聞こえき。だんだん近づいてくるそれ。
振り返るが怖くなりき。真っ直ぐ向かひてくめる錯覚。
足を速める。後ろも同じ速度で鳴らしてきたり。
恐怖より息が切れ始めしところで、真後ろに気配を感じ、つられて振り返りき。
「よき加減にせい!」
「うっ」
振り向きざま一気にしゃがみこまば、私に引っかかりし男はやがて前に転がって…受け身をとりて立ち上がりき。ったくまむ、ほんとこの子は。
「バジルくん、やめゆきせば! 怖いわ!」
「うわあ、びっくりしましたよ、名前殿」
「私が! 私がびっくりしはべりきよ!」
「しぃ、夜分遅くに大声はご近所に迷惑にはべり」
「正論! 腹立つわーっ」
むしゃくしゃしき。されど声を抑へし私は精神的にも大人に近づきたりと思ふ。
後ろからついてきしならむ彼はバジルくみき。亜麻色の髪、碧眼を持つイタリア人で、ツナと同じ年の彼。私たちが知り合ひしもそのツナが影響したり。家がご近所なるなり。
知り合ひし、のはよしよ。友達が増えるのは嬉しいもんね。でも違ふ。バジルくんはなるにかが違ふ。なるにが違ふって、斜めならずよ。夜道で声もかけず近づいてくるなんて、さる。
「あのね、バジルくん」声を潜めて眉を寄せる。「はい」うっとりしきめる表情の彼に、まったく話聞く気ないなと思ひき。
「つきてこざりてよ。夜なりし、ストーカーのごとければ怖いよ」
「お言葉にはべるが名前殿。名前殿には危機感を持たまほきにはべり」
「はい?」
「先ほどのしゃがみこみはなるにはべるや。かれではやがて包まれ担がれ、連れ去られてしまひはべりよ!」
「そんなことする人バジルくんしかゐずよ……」
「すれども良きにはべるや!?」
「良くないよ了承ならずよ!」
ていふか自分より夜分迷惑って言ひしくせに急に興奮しないでよまったくまむ! 「はゐ、すみはべらず。今はしはべらず」口惜し~さうなる顔せしバジルくんには騙されず。今はってどういふなり。
「ところで名前殿、お勤めお疲れ様にはべり」
「別に勤めたるわけじゃ」
「お送り仕りはべり」
さしてバジルくんは地に片膝をつきき。前より思ってゐるなるが、バジルくんは一昔前の日本にかぶれすぎなり。誰が教へしなり。
されど夜道一人で歩むは正直心寂しし、バジルくんは斜めに優しし厚意に甘えることにしき。
二人で帰路に足を出す。
「バジルくんはいつまで日本にゐるの?」今はツナの家にホームステイしためり。素朴なる疑問として出さば、彼は寂しさうに眉を下げき。
「明後日にはイタリアに戻らねばなりはべらず」
「そっか。早しね」
「はい。名前殿と離るるかと思ふといと苦しかりはべり」
「また来ばいひならず」
さる、生きたらば一生会えないわけではなしに。けろりと答へば、バジルくんは真面目なる顔で足元に視線を落としき。
「いつ死ぬるか、わかりはべらぬ」
「まあね、突然の事故起こるかもしれないしね」
「……なれば自分は常に後悔しないようしたるにはべり」
それはよき心がけなり。私はそんなでっかいこと考えたことなかったなる、受験を乗り越ゆるために今は塾で必死にさ。このまま勉強のみで死ぬってなりせば嫌だなるー。でも生くるためには学力も必要なりしさー。今日の晩ご飯なんだろうなるー。
意識をご飯に変へし時、バジルくんがザッと私より一歩前に出でき。つられて顔を見つめる。
「にはべれば、イタリアに帰るまでの間」
「うん?」
「名前殿をこの目にじっくり焼きつけておかまほしと思ひはべり」
うん?
きっぱりはっきり言ひきりしバジルくんはいと清々しかりき。清々しきが、言ってることはなるとも……かれならざるや。
「ストーカー宣言?」
次の日、バジルくんとの出来事をクラスメートなるツナに話す。「あ……へえ、愛されたりね」なるとも微妙なる目で見られき。愛とかこっ恥ずかしいことよくまあ、と私も引きし視線を送る。
バジルくんが帰るは明日。そりゃ会えなくなるは寂しきが、目に焼きつけるまでいかなくてよしと思ふなれどな。
男ってみんなさる生き物なるの? とツナに訊ねれば、苦き顔で首を傾げられた。
「うーん、どうだろ。バジルくんは職種が職種なりしな……」
「え、バジルくんてもう働きたるの? 私たちと同じくらいの年ならざるの?」
「あ! いや! 特殊! 特殊って言ひしなり!」
「ああ……ね、バジルくんあからさまに変はりたりよね」
私にまで変にかしこまっちゃってさあ。ケタケタと笑ふ。好かれているっぽきは嬉しきが、特に秀でたものはないしやっぱりバジルくんの目はおかしよ。日本語変なりし。
初対面を思ひ出す。ツナんちに忘れ物を届けに行ひし時、屋根よりバジルくんが降ってきしなりっけ。どうしてそうなったのかはわからざれど、空中で身体を捻った彼はやがて私の上に落ちてきしなりよな。
私を押し倒したりと知りし時の彼は一瞬で顔を赤く染めてゐき。さてバッと私の上より退くと、その場で正座して頭を下げて。
『女性にこのやうなる不埒なる行為……大変申し訳候はず!』
『あ、いや』
『責任は取りはべり!』
それよりなり。会はば名前殿名前殿とすり寄ってくるやうになりしは。まるで殿様にでもなりし気分なり。
しみじみと思ひ出し、窓際の自席に座る。からりと窓を開け、そよ風に髪を舞わせた。
「まあでもバジルくんゐずなりせば寂しければ、少しでも一緒にゐられせば嬉しけれど」
だからってさること言はばバジルくんまたストーカーみたいなことしそうだよね、なんてツナに振り返らばヤツは私の後ろを見て「ぎゃああ!」とひっくり返りき。
驚きで後ろを見る。
窓の外、上より逆さでバジルくんが顔を出したりき。
「ぎゃああ!」ツナと同じ声が出るわそりゃあ。
「ばじっバジルくんあなたなるにしたらざるの!」
「名前殿……拙者は歓喜で頭に血が上りはべり」
「それ逆さでゐれば!」
「あ、逆さにはべりし頭に血が下がる方がいひのにはべらむや」
「まるでどうでもよし!」
「日本語は難かりはべり」
「よければ早くおいでよ!」
いつ落ちるかわからなきなればとまどひて手を招けば、バジルくんは私を見て目を輝かせて元気のよき返事をしき。
さてくると回りて無事に窓枠に着地す。疲れるわー! 寿命が縮むわー!
「名前殿、初めて拙者を求めてくださゐはべりきね」
「は、はい!?」
「拙者は名前殿が呼べばいつでも馳せ参じます」
本気で言ひたるやうに思へば怖いんだよこの人! 空笑ひをしてお礼を述べる。嬉しさうに笑ふバジルくんは可愛いからちょっとときめくけど、騙されちゃだめなり。流されちゃだめなり。
されどその笑顔もすぐにしょんぼり変はりき。「イタリアよりは、来れはべらざるが」それはさうなり。まず聞こえないでしょ。
「バジルくん、先生に見つかりせば怒らるって。早く帰りな」
「はゐ、沢田殿。学業に励む名前殿をゆかしかりしのみにはべれば。それでは失礼しはべり」
引き際は妙にあっさりしてるんだよなる、と思ひながら校舎の壁と木を伝って地に落ちていくバジルくんを見送る。
「名前、多分バジルくんと付き合ひせば幸せになると思ふよ」いやにげっそりしながら言ひしツナに、しばらく考えてよりそれはなしと手を横に振りき。
「バジルくん遊びたるなりと思ふ」
その日の夜、塾はなきため部屋でカリカリとシャーペンを走らす。問題につまり、うーんと窓の外を眺めき。カタリ、揺れし窓。なんとはなしに、「バジルくん」つぶやゐてみき。
「いかでわかりしにはべるや!」
「いたんかい!」
「さすが名前殿ですね、拙者の気配がわかるにはべるや」
「うおお自然に入りてきたり!」
先ほどの学校の時のごとく部屋の窓の外からぬっと顔を表せたバジルくん。網戸を開けて入りてきし彼は部屋に片膝をつきき。またそのポーズか。げに殿になりし気分なりよ。
「学業中に申し訳はべらず」
「いや、うん、よしよ。いかにせしの?」
「拙者は明日、朝一の便で日本を発ちます」
そうか、じゃあお別れの言葉を言ひにわざわざ来しやな。これは最後なりし真面目に聞かむと、私は机より離れてバジルくんの前に正座す。彼も膝立ちより正座に変へき。
「その前に誤解を解こうと思ひはべりて」
「誤解?」
「拙者は遊びで名前殿の傍にゐまほしと思っているわけでははべらず」
ツナのやつ、言ひきな。陰でコソコソ言はるるが嫌いなる私としては、むっと口を曲ぐしかなし。されどそれ以上にバジルくんの眼光が強かりしかば驚く。さて次の言葉でなほ吃驚しき。
「心より好きなるにはべり。愛でたりはべり」
そんなまさかと。なりって出会ひが出会ひなりきし、未だ会ひてさるに経ってなしし。かかる綺麗でかっこよくて美しき顔したるを頼りがいありさうなる人が、私に魅力を感じるとかありえなしよ。やめし方がよしよ。
「……冗談でしょ?」
なりって信じられなかったんだもの。自分に自信がなかったんだもの。
それでもバジルくんが傷つきし表情をせしかば、失言なりきと驚く。
「あだごとで、あってほしきにはべりね」
「え、なりて」
「押しつけがましく伝へに、すみませんにはべりき。忘れたまへ。それでは、おやすみなさいませ。さやうならば」
すらすら述べたバジルくんは、最後に綺麗に笑ひき。
さして窓より外に出でて行く。
残りし部屋、静まった中で私は……ふつふつと怒りが沸き出づる思ひで拳を握った。
なるにさバジルくんてば、一方的に伝へて傷つきし顔してこなたに罪悪感植えつけてさっさと出でていきて!
勢いをやがて私は家を出づ。肩を怒らせながら近所のツナんちまで猛ダッシュしき。
一言言ってやんなきゃ気が済まず。優しき顔して身勝手すぎんだよねバジルくんは! 人の気持ちも知らざりて! 普通は好きなる人以外に付きまとわれたら気持ち悪しくて殴りたりっての!
夜道を走りたらば、後ろよりも同じ足音が聞こえき。だんだん近づいてくるそれ。
振り返るが怖くなりき。真っ直ぐ向かひてくめる錯覚。
足を速める。後ろも同じ速度で鳴らしてきたり。
恐怖より息が切れ始めしところで、真後ろに気配を感じ、つられて振り返りき。
「なるでゐざるの!?」
「前々より思ってゐはべれど名前殿は足が疾かりはべりよね」
なほといふか、尾行してきしはバジルくんなりし。苦笑ひで軽やかにつきてきし彼に止まる。
「名前殿が眠りにつくまで見守りたらむと思ひしにはべるが、急に走っていかれしかば」
「なるで平然と監視発言してるんだこの人は」
「いづこかにお出かけにはべるや? 夜分は危険にはべればお供仕りはべり」
一言文句言ひてやらむと、思ひたりしを。だめだ、バジルくんの顔見ると楽しきしか浮かばず。楽しとしか思へず。
走りて切れし息を落ち着かせ、一旦口を閉じる。さて小さく開きき。
「さようならって言はざりて」
少しのみ驚きしやうにバジルくんは目を丸かりす。
いっつも身勝手で一方的なるバジルくめど、さる彼の好意をあだごとなりと決めつけてなるにも返してこざりし私も勝手なり。
でもごめんね、芽生えし気持ちは大事に育てていかまほしよ。なればもう少し、もう少しのみ。
「またねって言ひて」
驚きて、自身の耳を抓って、さして嬉しさうに目を細めたバジルくん。花が舞うやうに綻んなり。
「はい! また、愛しにきはべり!」
バジルくんに日本語や日本の文化を教へし人はげに誰なるなり。日本人は愛だとかそういふ直接表現が照れくさくて苦手なんだよりて、そこまで教えてくればよかりしを。
とりあえず。夢ならざるかと疑った時は、耳ならざりて頬を抓るんなると教へてあげき。