mg | ナノ


心臓が、痛い。いつもより早く活動するそれを、握りこむことで抑えようとするが至難の技であった。

「……か、神威さん」
「……」

何も言わないけど、表情は冷たい。笑っているのに、笑っていないのだ。何を考えているのかまったくわからない。
こんなところで会うなんて。地元のかぶき町ならまだしも、京都だよ? しかも修学旅行。偶然が偶然で重なりすぎだよ。

うろたえていつまでも倒れている私を案じてか、やって来た云業さんが背に手を入れて起き上がらせてくれた。ゴミを優しく払ってくれたので、慌てて頭を下げる。

「き、奇遇だなネーちゃん。修学旅行とかか? いやァ俺らも」
「阿伏兎」
「……」

へらへらと笑ってくれた阿伏兎さんだが、神威さんの一声に黙り込む。静かに向きを変えた神威さんは、下山の道を進んでいった。

やっぱり、仲直りなんて無理だ。
わかってはいたけれど、もう、彼から話しかけられることはないのだ。
だから私から今までありがとうと言いたいのに。聞いてもくれないと思うと喉が詰まって音が出なかった。

「待ちな」ジャイ子が彼の道を塞ぐ。「別れるにしても、アンタ透里に助けてもらったんでしょ? 礼くらい言えよ」

「俺は助けてくれと頼んでいない。そーゆーの、押しつけがましいヨ」
「はあ?」
「友だちごっこはお前らだけでやってな」

ゴッ。
ジャイ子のストレートが神威さんの頬にめり込む。微動だにしない彼と、腕に筋を立てながらいまだに進めようとする彼女。阿伏兎さん、云業さん、私は唖然として口を丸く開けた。

「ごっこだったのかよ……透里は……アンタと」

ジャイ子の腕を取り、振り払った神威さんは静かに去っていった。心配そうに見てくれた阿伏兎さんと云業さんも、少しして神威さんについて行く。

な、殴った。あの神威さんを。
不可抗力で私も彼を叩いたことはあるが、ジャイ子は確実に拳を作りぶん殴っていた。あまりにも命知らずである。
ぽかんと開けていた口をどうにか動かし、ジャイ子にありがとうと伝える。次にはガッシリと抱きしめられてしまった。
私よりも辛そうな顔に、宥めるように背中を叩く。彼女ほど、ショックは受けていなかった。

神威さんと過ごしてきて、彼のバケモノさは充分理解できている。そんな彼が、ジャイ子の拳を食らった。絶対わざとだ。あんなに死闘を繰り広げていた彼が避けられないはずないのに。

なにを、考えているんだろうな。わからないから、友だち失格ってことなのかな。

蹴られた小さな石柱を元に戻し、野蛮な男らが目を覚ます前にジャイ子ととっとと後にする。
頭の中がうまく整理できず、道中彼女と会話もできなかった。神威さんが近くにいる、それだけでいろんな意味で胸騒ぎがするのだ。

このやろー! 自身の胸部をゴリラのごとく叩く。
さっきの神威さんの態度見ただろ! 期待するだけ無駄! もう! 友だちごっこは! 終わり!

一通りドラミングをしたせいか、胸がツキツキと痛んで止まない。……ごっこ、なんて思ったこと、なかったけどな。
男が野蛮なだけではない生き物と知って、神威さんの無茶苦茶だけどこちらを見てくれるやさしさを知って、一緒に、いたいと思って。勇気を出して彼にお願いした。

『と、ともだちになりませんかっ』

蒼い目を丸くして、少ししてアハハと笑って、そうして神威さんは。

『俺も透里と一緒にいたいや』

今まで忘れていた、彼と友だちになった時の記憶が思い返されて、じわりと目の奥が熱くなった。咄嗟に眉に力を入れて、なんとか耐える。
神威さんが生きているってだけで良かったじゃないか。元気そうで良かった。それだけで満足しなきゃ。
進むジャイ子の背中をゆっくりと追いかけた。


本殿に戻り、おみくじやお守りを物色しているみんなに混ざって、気を取り直して楽しむことにした。そんな時だ。
袖を引かれ、下を見ると子狐の異形が私を見上げていた。袴を着ているので、ここの神社のコかなとわかる。

「さっきはありがとう」
「え?」
「谺ヶ池の祠、僕のなんだ。石柱、助けてくれてありがとう」
「あ、え、ああ、いやあ、あれは神威さん……あの、違う男の人が」
「お礼にこれあげる」

子狐のコが差し出してきたものは、狐のお面であった。ふふふと笑みが洩れる。かわいいな。
ありがとう、と応えながら顔にかけようとすると、ストップが入った。

「それをかけて、成りたい顔を念じれば、その顔になれる。効果は一回。お面を外したら、元に戻るから」
「え」
「……探しもの、見つかるといいね」

最後に綺麗に微笑んだ子狐のコは、私の着物をひと撫ですると、たったかと走って山の方へ行ってしまった。
呆然とその背を見送ったが、やがて手元に残ったお面に視線を落とす。な、成りたい顔に。
異形の物は珍しく、高価でなかなか手に入らないと聞く。私も実際の物を見るのは初めてだった。

「成りたい顔に……」

美人に変われるのであったら、そりゃあ儲けものだけど一回では手品みたいなものである。
えーっ、悪ふざけしか浮かばないよ! こういう時に誰かの知恵を借りたいものだ。考えるだけでも面白くなった。

ふと下を見ると、着物が綺麗になっている! スライディングかました時に汚れたからクリーニング代払わなきゃと思っていたのに……なんて親切なコだろうか。

「透里なにニヤニヤしてんの?」「ドMか?」「いやなんでよ!」先ほどの出来事は忘れて、修学旅行をとにかく楽しもう。手提げ袋にお面を入れ、彼女たちの輪に入った。




夜、ホテルの部屋に到着し、いつものメンバーが「広ーー!」と騒ぎ始める。着物で京都を歩き回ってクタクタだってのに元気だよ。かくいう私もベットに飛び込んでテンションが上がってしまう。

「共学だったらさ、男子の部屋に突入ーとかできたのにね」
「わかる。逆に襲ったりしてね」
「がっつきすぎだわ」
「ねーお風呂いつ行く?」

みんなの声をBGMに、ベットに寝転びながらデジカメで撮った写真を見返した。
清水寺のおみくじ、生八ツ橋、着物でインスタ映えたり、伏見稲荷のオーラに圧されたり。
これが私の日常だ。写真の中の笑っている自分を見ていると、少しずつ神威さんとの非日常を忘れていくことができた。よかった、この調子だ。

「ね、あれ隣のクラスの尾姫じゃん?」
「ほんとだー。てか一緒にいる男、夜兎工の制服じゃね? やばくね?」

バッとベットから飛び起き、ジュビ亜たちがいるベランダへと駆け寄る。身を乗り出して下を見ると、確かに夜兎工の制服の男二人が女の子二人と話していた。
……神威さんじゃない。

「……」
「でもなんか楽しげに話してるっぽい」
「つかこの時間にわざわざ外出てるってことは尾姫も狙ってやってんでしょ。ほっとこ」
「京都来てまで男漁りか〜。ウチらもそれくらいやんなきゃ男できなくない?」

それな、と笑いながらジュビ亜とジョニ美はベランダから室内へ戻っていった。私はといえば、手すりから離れられず。

神威さんでは、なかったけれど。あの男二人は見覚えがあった。街灯の下にいるので心許ないが、多分、谺ヶ池で祠に罰当たり行動をしていた野蛮な二人組だ。

冷や汗がこめかみを伝う。
た、確かに、尾姫さんたちは男癖が悪いと噂で聞いたことがあるけど、どっちかというとあの男たちの方が危険すぎる。芋くさい私にさえ乗りかかってきたヤツらだ。魅力ある彼女たちに何をするかわからない。

「透里、風呂行こ〜」

ジャイ子に呼ばれた。振り返ると、ジュビ亜もジョニ美も準備万端ですでに館内用の浴衣に着替えている。

そう、そうだよ。私もこっち。お風呂に入って枕投げしてトランプして、恋バナに花を咲かせる側の人間。夜の街に突っ込んで行ったとして、できることなんてない。散々、わかってきたでしょ。

「ご、ごめん。私生理だから行ってきて! 部屋で待ってる!」

手を振ると、ジュビ亜とジョニ美はしばらく残念そうな顔をしてくれたが、「わかった待っててすぐ戻る」と笑顔を見せてくれた。頷く。ジャイ子だけが疑いの眼差しで私をじっとりと見てきた。目をそらす。

「ほんと、アンタも大概バカだわ」

諦めたように息を吐かれ、全然笑える気持ちではないのにその言葉に歯を見せた。バカやらアホやらは、ここ数ヶ月で散々言われてきた。
もはや褒め言葉のようにさえ聞こえた。




ホテルから出て、標的を確認する。ちょうど尾姫さんたちの腕を引いて、夜兎工の荒くれ者二人が路地へと繰り出そうとしているところだった。
尾姫さんたちも満更ではない様子だけれど、やっぱり見過ごすわけにはいかないよ。手に持ってきていた狐のお面を掲げる。

あの子狐くんの言うことには、お面をつけるだけで成りたい顔になれるはずだ。その異形の技なら私一人でだって、尾姫さんたちを助けられるはず。

「云業さんに成って……!」

パカとお面をはめる。狐の形をしていたそれはぐにゃぐにゃと歪み、手にふさふさな毛の触感。これは、何度か経験してきた。云業さんのヒゲだ!
携帯を取り出し、画面の反射で自分の顔を見た。う、云業さんになってるー!! いつもの変装のクオリティとは全く違う。まさに本物。

顔は変わったけれど、身体はどうにもならない。夜だし、ジャージでどうにか誤魔化すことができればいいけれど……。ええい、迷ってる時間はない。ザッと彼らの前に飛び出た。

「オイ待て。お前ら何をしている」
「う、云業さん!?」

夜兎工の二人が驚愕をこちらに向ける。尾姫さんたちも怯えた様子で振り返った。

「もう夜も遅い。その子たちを解放してやれ。宿に戻るぞ」
「え、いやいやいや! 何優等生ぶってんスかw こいつらだってノリノリッスよ。なあ?」
「んー。顔悪くないし、暇だし」
「顔かよ」
「ていうかおっさんなに。一緒にしたいの? ごめんだけどヒゲ面には興味ないんだわ」

びびっていた四人は、私の言葉を聞くにけらけらと笑い始めた。
ぽかんと口を間抜けに開けてしまう。ど、同級生におっさんと言われてしまった。心が抉られる。
呆然と立ちすくむ私に、「いやいやっ」とおどけたように夜兎工の一人が手を挙げる。

「俺は云業さん尊敬してるんで! 一緒に遊びたいっす! テク見せてほしいっす!」
「なに言ってんのw」
「せっかくだし行きましょーよ。あれ? 細くなりました?」

肩に腕を回される。ひ、と洩れそうな声は喉の奥にしまうことができた。な、な、なんか友好的態度で接されてる! いや野蛮な展開になるよかいいけど! でもこのままだとアダルト的展開になる!

互いが了承しているなら私にそれを邪魔する権利はない。「じゃ、じゃあ俺はこれで……」と尻込むと、横からオーイオイとツッコミが聞こえた。

「お前らまた女捕まえてんのかよォ。懲りないねェ」
「あ、阿伏兎さん。今度は合意ッス」
「もう番長は誘ってやんねェー」
「別にいいヨ」

よく会うな! 修学旅行で! 神威さんたち御一行が現れ、内心頭を抱えた。ご都合展開だったよ!
一緒に云業さんが歩いてきたが、きっと彼はおそらく云業Aさん。私は云業Nさんの気持ちでお面を付けたので、おそらく気づかれないはず。けれど身構えはする。

「あり? 云業Nも行くの? 珍しいネ」
「(良かったバレてない……) い、いえ自分は」
「え、やばイケメン。あの人も連れてきてよ」
「あ? うっせぇよ尻軽。んなにやられたきゃ泣くまでやってやるから黙ってろよ」
「はあ? なにイキってんの。少しでもマシな男がいいっつってんの」
「……アァ!?」

バチン、と鈍い音が響いた。一瞬のことでまったく身体が動かなかった。夜兎工の男が尾姫さんを叩いた、それを認識し、カッと頭に血がのぼる。
一歩で彼に近づいてその腕を掴んだ。手に力がこもる。ギリ、と指が食い込む。

「やめなよ!!」

怒号が響く。云業さんの顔がよほど迫力あったのだろうか、夜兎工生はぎょっと顔を驚愕に染めて止まった。
やめなよ、やめなよ、やめなよ……。ホテル街に私の声が響き、やがて静まった。少ししてなんだなんだ、とホテルの窓が開く音が数々で聞こえる。
や、やばい。騒ぎにしてしまった。

「チッ見つかったら面倒だ。行くぞ」
「う、ウチらももう行こ」
「まじ痛い最悪! 死ね!」
「んだとコラァ!」
「いいから行くぞって!」

男女が分かれ、それぞれ互いのホテルの方へと向かっていく。想像とは違った展開になったけれど、無事に解決できた気がする! ほっと胸を撫で下ろした。

私も急いで戻らないと、先生に見つかるどころかジャイ子たちに心配かけてしまう。慌ててホテルに向かおうとして、ガッと肩を掴まれた。エッ。

ゆっくり、冷や汗を流しながら振り返る。にんまりと笑っている神威さんが私を捕まえていた。

「云業、俺たちの宿はあっちだろ?」

くい、と私のホテルとは別方向を指す神威さん。阿伏兎さんと云業Aさんも駆け出している。
あ、あ、と言い淀む私に彼は笑みを深くしたのだった。



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