mg | ナノ


錆びた扉の中も、外と同様薄汚れていた。暗い奥まで続く狭い廊下がゴオォと風の音を鳴らし、恐怖を煽る。
受付代わりだろうか、扉のすぐ側で立っていたゴブリンみたいな顔の男が私たちを見定めるように睨んできた。

「……客かい、それとも出場希望か」
「客だ」

いきなり追い出されるかと構えたが、高杉さんがサッと私の前に出て慣れたように紡いだ。やはり彼はここに来たことがあるんだと納得する。
ゴブリンさんはさらさらとメモを取り、腕を高杉さんへと伸ばす。ポケットからお札を取り出した高杉さんから受け取ったことで、ゴブリンさんは「突き当たり右の階段を下がりな」低くつぶやいた。
唖然とする私の腕を掴み高杉さんは先に進む。

「え、あ、あの、お金」
「黙れ。顔面は変わっても声は変わんねェ。バレんぞ」
「待ちな兄さん」

背後にかかった声に肩を揺らしながら止まる。高杉さんが小さく舌打ちを洩らしたのが耳に届いた。
振り返った先、ゴブリンさんが私の顔を指差す。ドッドッ、心臓がけたたましく動いた。

「そのヒゲ、いい感じだね。どこの床屋で整えてもらったんだ」

私の腕を掴む高杉さんが一気に脱力したのが腕越しに伝わった。ドンキで買ったなんて言えない。


なあなあで門番をくぐり抜け、いざ陣中に入り込む。突き当たりに差しかかると、確かに右手には下方へいく階段があった。左手には上方へいく階段。ついでにVIPと示された紙が貼ってある。

「腐った有権者共が金と暇を潰しに試合を見に来んだよ」苦虫を噛み潰した声(顔は通常通り)でぼそり呟いた高杉さん。

「そのクソ共を楽しませるために、主催側が枷を付ける。……特に連戦連勝者はその標的になることが多い」
「枷?」
「……毒や、腕を一本折るだとかな」

階段に向いていた視線を、高杉さんの言葉を理解した瞬間彼に向ける。よほど酷い顔をしてしまったのか、高杉さんは煩わしそうに眉を寄せた。

「な、え、……試合って、なんですか。毒を使う試合なんて」
「闘技場と同じだ。有権者が賭ける。勝ち続けてる奴にァ、ハンデが付けられてな」

階段を下りながら紡ぐ高杉さんの言葉は短いのに難しい。つまり、強い人たちにハンデを付けることで試合を面白くするということだろうか。
ふと、神威さんがバイトで小切手を貰ったことを思い出す。小切手なんてバイトで貰うものなのか、なんて思ったが、なるほど賞金かと。なんで気づかなかったんだろう。

暗い空間から、階段を進むごとに光に浴びる。ワッと耳が痛いほどの歓声に出迎えられて見た世界は、私の人生において一生関わりのないはずの喧騒だった。
視界の下に広がる金網のついたリング。それを囲むように厳つい男たちが叫んだり、席に座ってお酒を飲んだり。
リングの中では既に男が二人闘っていた。筋肉隆々な男が小柄な男に椅子で殴られているのが見えて息を止める。

階段の手すりを掴む手が震え、嘔気に思わず足が崩れた。地面に膝が着かなかったのは高杉さんが私の腕を掴み、引き上げてくれたからだ。

ああ、神威さん好きそう。
私が普段過ごしている欠伸の出るような毎日とは真逆な、刺激のある空間。毒に溺れても、血に浴びても、ここはそうして喜ばれ、力を見せることができる。
彼の居場所だ。

試合が終わったのか、割れんばかりの野太い声の後、休憩だと会場にアナウンスが響いた。一気に観客が動き出す。
階段の途中で止まる私たちに、訝しげな視線を向けながらおじさんたちが通り過ぎる。高杉さんにお礼を言い、自分の力で立つことに成功した。

「透里」

聞き慣れた声に、ぎくりと肩が強張った。先に向いた高杉さんに倣うように、私も声のした方へとゆっくり視線を傾ける。
カツン、固い音と共に階段を上ってきた彼の貼りつけた笑みは、急速に身体中を冷ましていった。

「か、神威さ……」
「なんでいるの?」

軽やかに跳ね上がってきたことで彼の長ランが揺れる。あっという間に私たちの前に来た神威さんは、一拍も置かずに高杉さんの襟首を掴んだ。

「高杉が連れてきた?」
「……」
「ち、違います、私がお願いしたんです」

慌てて神威さんの手首を掴めば振り払うように彼は放した。お互い睨み合う二人に気まずさを感じてる場合じゃない。

私はなんのためにここに来たんだっけ。そうそう、神威さんにボロボロになってほしくないからで。
いつ死んでもおかしくなさそうな所で戦うなんて頭狂ってるよ。毒まで飲むほどふつう喧嘩なんかする? そんなに強さっている?
一緒に帰ってほしい。それでご飯をお腹いっぱい食べて、神威さんの爆弾発言を流して、買い物に付き合ってもらったり勉強を一緒にしたり。そんな野蛮なことのない毎日を過ごしてほしい。

「突然来てすみません。でも、もう、帰りますから」

描いた理想図は言葉にできなかった。だってこれは神威さんの理想なんかではない。

「うん。何かあったら高杉を餌にしてとっとと帰りなヨ」

少しだけ冷たさをなくした笑顔でつぶやいた神威さんは、早々に踵を返す。下り始めた彼の腕を掴んだのは、最早反射だ。
振り返ったくりくりとした蒼い目に映る私はどんな顔をしてるのか。きっとくしゃくしゃだろうな。

「また、ご飯、行きましょうね」

お腹がはち切れる程の量を食べる神威さんに、呆れながらも食べっぷりに笑って。
そんな私の理想の一つが、それだけが、きっと神威さんも同じじゃないだろうか。それは彼の目の前の席に座る相手がたとえ私じゃなくても、……神威さんご飯食べるの好きでしょう。
だからこんなところでボロボロになってはダメですよ。

次の試合が始まるとアナウンスが流れる。「何食べるか考えておいて」つぶやいた神威さんは長ランを掴んだ私の手を放させそのまま階段を下りていった。

歓声の中を歩き、リングに上がった神威さん。レフェリーみたいな人から瓶をもらい、一気飲みをした姿を見て私はもう見ないようにと階段を上った。

熱気の強い空間を抜け突き当たりへと戻った時、振り返ると後ろからついてきた高杉さんの目が私を射抜いた。
付き合わせてごめんなさい、洩れた声にその目が和らぐこともない。

「……へ、へへ、なにしに来たんですかね、私」
「……」
「こんなとこまで追ってきて、うざいなあ……なにもできないのに」

別次元すぎてついていけない。野蛮すぎて近づきたくない。
こんなにも真逆な私たちが本当に友だちと言えるのだろうか。嫌われたくないからって危ないことを止められもしない私が。

一段上がり、私と目線を合わせた高杉さんが目を少し細める。
小さく口を開いた彼が音を紡ぐことはなかった。

「おいお前、女か」

ガシリと肩を掴まれる。振り向けば門番とはまた違うゴブリンさん。ちょっと体格しっかりしてる……じゃなくて、ばっばっバレた! やっぱりヒゲ面なのに普通に女声だったかな!?
「ちょっと来てもらおうか」顎で奥に差したゴブリンさんに顔が青くなったが、次にはその顎が上に上がった。

素早くアッパーを食らわせた高杉さんに目を瞬かせたところで、強引に腕を引かれる。後ろから捕らえろォ! と怒号が響いた。

「たっ高杉さん、こっち出口じゃない気が……!」
「ゴブリンいんだろうが。窓から出る」

淡々と言い切り、角を曲がって近い扉に手をかける高杉さん。鍵が開いてなかったのか、舌打ちを洩らしまた走り出した。つ、掴まれてる腕超痛い。

「な、な、なんか怒ってます?」
「……」

無言である。
エーッやっぱり付き合わせたのがまずかったかな。頬がひきつったが、それどころじゃない。散々走って開いてる部屋を探したが、どこも鍵がかかっていた。ちなみに廊下には一つも窓はない。

仕方なしにと高杉さんはゴブリンさんたちの隙を見てVIP階へと上がった。開放的になっている空間には大きな窓や画面が広がる。ソファに寛ぎながらそれを眺めるVIPの様子を伺いつつ、家具の合間を縫って高杉さんは窓へと向かった。

「おや、今回も神威は毒があまり効いてないようですね」

無機質に変えられた人工的な声に振り返る。主催側だろう人物と話すVIPは仮面で顔が隠れているのが見えた。

「確か、彼は明日が最終ステージですね」
「はい。どんな枷をご要望で」
「そうですね……もうVIP側も彼の強さに興味は失せました。枷はいいです。最期には気持ちよく勝たせてあげましょう。彼が相手を沈めた暁には、消してください」
「それは」
「主催側も彼の生に利益はないかと」

このままだと潰されますよ。と物腰穏やかだが悪寒を感じさせるつぶやきに息が止まる。
あのVIPはなにを言ってるの。消して、って。

止まった私の腕を引いて非常口から出た高杉さんに、足だけは精一杯追いつこうと必死だったが頭がどうにも働かない。
一番危惧していた死が段々と近づいてくるおぞましい感覚。

非常口の外は階段となっており、混乱しながらもどうにか足を動かした。下りようとしたところで、小さな踊り場に黒マントの人が立っていることに気づく。顔はマントに隠れ見えない。

間髪入れず拳を突き出した高杉さんだが、わかっていたかのように避けた黒マントはそのまま高杉さんの腕を掴んで、隣のビルの外階段へと放り投げた。

一瞬の出来事に口を開いたが声が出ない。
黒マントは次には私へと向いた。腕を掴まれヒイと奇声が洩れる。

「やっ、やめ」
「黙ってろ」

黒マントからくぐもった声が聞こえたかと思えばふわりと浮いた身体。
「ンオォイ!」と気の抜けた気合いと共に身体は宙に飛び、隣のビルへと投げられた。唖然とする間に高杉さんにキャッチされる。

すぐに私たちと同様、階段の手すりを足場にこちらへ飛び移ってきた黒マントが「隠れろ!」と私と高杉さんの頭を力強く抑えつけた。アッ首痛めた。

しばらくして階段の壁が盾になって見えないが、ゴブリンさんたちの「いない」「逃がしたか」という声が聞こえた。足音も去り、ようやく息が吐ける。

「重いんだよクソセンコー。いい加減離れろ」
「あバレてた」

黒マントを押し返した高杉さんの言葉に驚愕する。クソ、センコー? センコーって線香でも閃光でもなくあの。
しゃがみこんだまま、ずるりと脱いだ黒マントの中から出てきた人物。ぼさぼさした銀髪で、眼鏡の奥には死んだ魚のような目が覗く。

呆気にとられた私を見て、次には高杉さんを見て、彼はピッと小指を立てた。

「お前コレと闘技場デートとか何プレイの参考にする気ですカルフォイ!」

高杉さんの正拳が見事に顔面にめりこんだ。



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