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手のひらに擦りむいた傷はすぐに消えるだろう。血も止まったしかすかにヒリヒリするくらいだ。
でも神威さんは違う。毒は体内にあるんだ、擦り傷とは比べようがないくらい、今後の人生に関わると思う、のに。
そんな状態でも喧嘩をするだろうことが予測されて心配でしかない。吐血しながら動き回りそうで。

「透里さん元気ないね」
「小袋さん」
「もしかして"神威さん"のこと?」

バイト終わり、休憩室で帰る準備をしながら手のひらを見ていれば、小袋さんが休憩としてやってきた。
疑問文でありながらいやに核心を突いた言い方に「なんでですか」と驚く。顔に書いているわけじゃあるまいし!

「や、なんとなく。見たの数回だけどさ、透里さんそいつといると顔がコロコロ変わるんだ」
「エッ」
「振り回されてるなーと思って」

ニコリと笑う小袋さんに言い淀む。事実振り回されてるから否定はまったくできない。昨日だって夜兎工でハゲてヒゲつけられたんだよヒゲ。

「当たり? "神威さん"のことで悩んでるの?」
「いや……な、悩んでるというか、心配というか」
「心配?」

相変わらず優しい笑みを携えていた小袋さんはそこで首を傾げた。私に心配されるようでは神威という男もまだまだだな、とか考える人ではないだろうが、なんかすごく意外そうな顔された。

「神威さん、喧嘩……じゃなくて、えーと、そう、ボクシングが強くてですね、よく試合してるんですけど」
「へぇー。強いんだ」
「で、でもボクシングが好きすぎて無茶しちゃうというか。後先考えないというか……いつか、壊れちゃうんじゃないかって」
「でも強いんでしょ? じゃ大丈夫じゃない」

あっさりとした答えに、あんぐりと口を開ける。やっぱり小袋さんはどこか考え方が神威さんと似てる。強ければいくら身体が壊れてもいいわけじゃないだろうに。

「まあ、嫌だよね。友人が傷つく姿をただ黙って見てるのは」

それでも緩やかに笑んでお茶を淹れてくれた小袋さん。優しい。
小袋さんは喧嘩なんてせず、老若男女みんなに慕われてるんだろうな。
神威さんと比較するという失礼なことを思ったところで思い出す。そっそういえば私、小袋さんが好きだったんだ!
ここ最近神威さん関連のいざこざですっかり忘れてた。というか神威さんが好きなんじゃないとジャイ子に言われてから、ええと。

なんて流されやすく安い女だと自分の残念さに頭を抱えたところで、小袋さんが「行けばいいじゃん」にっこり笑う。

「そんなに心配ならさ、その"神威さん"が無茶しないように彼の元へ行って、止めればいいと思うよ」
「……でも」

私だってできれば野蛮な、それこそ毒のように死が間近となることなんてしてほしくない。けれどその考えは神威さんにとって押しつけがましいもので。
なにより……神威さんの楽しみを奪って嫌われたくないのだ。自分勝手すぎる。

口を噤んで意気消沈した私を見て、苦笑いを一つこぼした小袋さんはぽんと私の肩を叩いた。

「男って自分を追いかけてきた女を厄介だと思っても、案外嬉しかったりするもんだよ」

嘘だと思いながらも、神威さんに似ている小袋さんがいうならあるいは、なんて。
お茶を飲み、小さく頷いた私を見て彼はまた目を細めた。




縮こまりながらも、目の前でこちらを睨む彼に挨拶として軽く頭を下げた。ぴくり、隻眼の眉が動く。
そのまま彼――高杉さんは私の横を通り過ぎた。軽やかなシカト。

「ちょちょちょっと待ってください!」
「あ? なんだよ」

授業が終わった放課後、すぐさま銀魂高校にやってきた。
校門の前で学生の視線に耐えながらそわそわと待ち、しばらくしてだるそうにやって来た彼を止めたがこの反応。

「あの、お、お尋ねしたいことが」
「お前が俺にか。珍しいこともあるもんだな」

小袋さんとは天と地程違う悪どい笑み。これ話した見返りとかすごいこと要求されそう。いやヤクルトで済むかもしれない。

とにもかくにも善は急げだ。全然善じゃないけど急げだ。話しやすいとこに行きましょう、とファミレスでも行こうとすれば、高杉さんが校舎へと戻っていく。ちらりと振り返って先を進む彼に、ついてこいということかとビクビクしながら追いかけた。

着いた場所は人目につかないプレハブ小屋。何故か置いてあるソファにぼすんと座った高杉さんの自然な動きに、ここが不良の溜まり場かと察した。

「で」
「あ、えっと、単刀直入に訊きます。神威さんのバイトって知ってますか」

小袋さんに背を押され、神威さんが命を削っているならそれを制止しようと決めた。多分私が言っても彼は止まらないだろうが、いざなにかあった時庇えるかもしれない。救急車呼ぶとかはできる。

とはいえ何のバイト(という名のトーナメント)でどこでしてるかの情報が全くない。しかし同じ不良の高杉さんなら知っているはず!
ということで隻眼に射抜かれながらも尋ねた結果が。

「知るか」
「うっウソだ……真横に顔そらしてるじゃないですか」
「知らねえもんは知らねェ。もう用がないなら帰る」
「かっ神威さんが死んじゃうかもしれないんです! この間だって毒、の、飲まされて」

もしかしたら次の試合は今日かもしれない。その試合で今度はハンデとしてもっと強い毒を飲まされてるかもしれない。
考えないように首を振り、お願いしますと頭を下げる。少しの間の後、上から静かな問いが降ってきた。

「ヤツが何しているかを知ってどうすんだよ。まさか首突っ込むとか言わねえよなァ」
「言いません」
「真横に顔そらしてんじゃねーか」
「ちょ、ちょっと様子を見るだけです」
「よほど死にてェらしい」

クツクツと喉を鳴らした高杉さんは、私の話を最初から聞かなかったかのように立ち上がった。
なんとなく、教えてくれそうな気がしたんだけど。しかしここで諦めることもできない。歩き出した彼に合わせるように並んだ。

「じゃあ、あの、高杉さんの不良友だち教えてください」
「……」
「いましたよね、前一緒に歩い……」

言葉の途中で襟首を掴まれ、軽く上げられる。眼前に迫った高杉さんの冷たい顔、そして振りかぶられた右腕を認識して咄嗟に目をつむった。

「……この程度でビビってるくせに、首突っ込むんじゃねぇよ」

ぽすん、振り上げられた手は私の頭に軽く乗る。はっと目を開けると同時に襟首が放された。
頭を突くように軽く押し、離した高杉さんはなにも言わず背中を向け歩いていく。
な、なんだ今の。高杉さんが頭ぽんしたのにも驚いたが、それ以上にび、び、ビビってるだと? そりゃ殴られるかと思ったらビビるわ! 笑顔で殴られ待ちするわけないじゃん!

高杉さんは忠告しているのだろう。意外と人情に厚いところあるんだな、なんて。彼の言う通り私が首突っ込んでどうにかできる問題じゃないってわかってる、けれど。
息を吸って小屋を出ようとしている背中に声を出した。

「急に殴られそうになったらビビります! けど、殴られるぞってわかってたら覚悟するのでビビりません!」

ぴたり止まって、ゆっくり振り返った高杉さん。「理不尽な殴りはわかっててもビビりますけど」そう早口で続けた私に彼は黙って向いた。

「でも、か、神威さんがボロボロになるのは、覚悟しても怖いです」

声が震えてしまった。なんて弱っちいのだろう私は。
止めていた息を吐き出せば、しばらく黙っていた高杉さんが呆れたように頭を掻く。

「お前うぜーな」
「(えーっ)」
「フン。行くのはいいが諸系場は女人禁制だぜ」

呆れの色がいじめっ子のような笑みに変わった高杉さん。人をうざいとはっきり言いきった彼に衝撃が隠せないが、ショケイジョウと聞こえた単語が恐ろしすぎて意識を定かにする。おそらくそこが神威さんのバイト先なのだろう。
にょ、女人禁制か……。




高杉さんが連れてきてくれた場所は女性が一人で行くには危険な、町の一角だった。入り組んだ通りを高杉さんの背中に張りつくように付いて行く途中、ガラの悪そうなお兄さんたちにジロジロ見られたのが怖すぎる。
さらに人目につかないような路地裏に入り、薄汚れ、暗い壁に埋め込まれた錆びた扉の前で高杉さんが立ち止まった。いかにもすぎてなにも言えない。

「この先ァトチ狂ったボケカスしかいねェ。本気で行くのかよ」
「……よ、様子見るだけです」

ガクガクと震え始めた膝に高杉さんの視線が突き刺さったので、目覚まし時計を止めるがごとくペチリと叩いた。全然止まらないのが時計と違う。
「様子なら俺だけでも見れるがな」私の気持ちをもうわかっているだろうに、こうして揚げ足を取る高杉さんのおかげで少しだけ深呼吸できた。

「で、どうすんだ。俺ァ女禁止な所に女連れて行くバカはしたくねェよ」
「はい、これを付けます」

ここに来る途中ドンキで買ったヒゲを鼻の下と顎に付けた。高杉さんが真顔になる。
ついでに同じくドンキで買った学ランを羽織り、ズボンをスカートの下から履き、スカートを脱いだ。高杉さんが目をそらす。

「行けます!」
「俺ァ少しばかりお前を誤解していたようだ」

明後日の方向を見る彼に構わず、私は錆びた扉に手をかける。ふう、息を吐いて意気を強めた。
よし、行こう。神威さん無事でいてくださいね。気分は姫を救う勇者。いける!
ぐっと全身で扉へと踏み出した。

「……っあ、開かない!」
「バカ引くんだよ」



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