神威さんと阿伏兎さんとたくさんの云業さんと共にグラウンドに出ると、そこにはザッと並んで立っている他クラスの夜兎工生たちがいた。疑問に眉が寄る。あ、旦さんと羽津さんと呂薄さんもいるぞ。
「番長ォオオ今日こそあなたに勝ァァアァアつ!!」
「気合いだけは認めるよ」
急に叫んだ呂薄さんがボッとボールを破壊光線のごとく投げる。私のすぐ横を通ったそのボールは、隣にいた神威さんのお腹に直撃してそのまま神威さんを引きずっていった。
なに!? なにが始まった!? はっいつの間にかグラウンドに異常に長方形の広いコートのような線が引いてある。これはドッチボールのそれだ! ああっいつの間にか外野と内野に分かれている! 私は内野か! 死ねと!
お腹でボールを受け止めた神威さんは、喧嘩する時の笑みを出すと助走をつけて相手の陣地に向けてボールをぶん投げた。地面を抉る低い球は続々と敵の足にぶち当たっていく。地に伏せるアウトした敵たち。骨折れるでしょあれ。怖い以外の感想が出ない。
そうして始まったデス・ドッチボール。行き交うボールに怯えながら私はコートの隅っこであわわわと縮こまった。
「なん、なんだこれ、これが工業高校の体育……!?」
「こうして授業の前にドッチボールなどのミニゲームをやることで、俺らの体力を削らせることを目的としているんだ」
「云業さん……えっこれまだ体育始まってないん」
「ぐふぅ!」
「ウワアア云業さん!」
混乱する私に説明してくれた云業さん(アルファベットはわからない)は、豪速球のボールに打たれてズシャアアと地面に転がっていった。「云業Gィイ!」どうやらGさんだったらしい。
「あらら、なにやってんの云業G」
「すみません番長……ぐ、俺のことは構わずボールを……」
「うっ云業さーん!」
「早く外野行きなヨ」
なんて鬼のような人だ神威さん、私は云業Gさんの死を無駄にしない。
なんてコントやってる場合じゃないや、ボールボール。てんてんと転がっていったボールを慌てて追い、腕を伸ばしたが寸でのところで線の外に行ったボールに「あ」と声が洩れる。
そろりと見上げたそこには、敵クラスの夜兎工生がニヤリと笑っていた。
「死ねや云業Mゥゥウ!」
ガチだな死ねって! ぎょっとしながら後退ったが間に合わず、勢いのあるボールを投げられそれが肩に当たって私も云業Gさんと同じくズシャアアと地面に転がることになった。
ぜ、全身が痺れた感覚。もう立ち上がれない。神威さん、後は任せましたよ……とがくがくになりながら見上げたが、彼は普通にドッチを続けていた。わかってたけども!
神威さん優しいけど甘くはないからなー。ふーと息を吐きつつよろめきながら私は外野に向かった。数人の云業さんたちに迎え入れられる。
内野同士の土煙上がる攻防を視界の端に、手元を覗き込んだ。擦れた手のひらには血が滲む。傷口には石や土が入っていた。
担当教師は鼻をほじりながらドッチをぼーっと眺めてるし、手を洗いに行くくらいできるかな。そろっとグラウンドから離れた。
水道の蛇口から滴る水を振り払い、洗った手のひらを広げる。ジクジクする痛みはあるけどばい菌は少なくなったかな。本当は絆創膏ほしいけど保健室知らないし。
「えっマジで!? 番長ベスト4行ったのか。相変わらず強ぇなあの人は。賞金もガッポガポだろ? 彼女もいるしリア充してんな」
聞こえた神威さんの話題に、辺りを見回す。水飲み場の陰から覗けば、校舎の死角となる場所でカニカマを食べながら夜兎工生二名がサボっていた。
ベスト4? 賞金? 彼女? ちょ、ちょっといろいろ興味が引かれる単語が聞こえたね。耳を傾ける。
「こりゃ優勝に決まりだなァ」
「いやわかんねぇぞ、ベスト4以上は毒含まれてからスタートって噂がある」
「はっ本気かよ! ……いや、あの人に限って毒効くわけねェしなァ」
「麻痺程度かもだしな。まあ死ぬことはねーだろ」
潜めていた呼吸が止まる。……毒、ってなんだろう。優勝って、ベスト4って、神威さんなにかトーナメントみたいなのに参戦してるのか? だとしたら彼のことだから、喧嘩的な……いや、にしても毒って。非現実な単語にざわりと胸が渦巻く。
「透里、何してるの?」
「ヒッ!!」
背後から届いた声に振り向けば、声で判断はできたが神威さんがそこにいた。「ドッチ終わったよ」と笑う神威さんは勝ったのだろう。
「あ、手、手を擦りむいて。消毒しようとして……」
「ふうん、相変わらず弱いね透里は」
「……神威さんは、強いですよね」
強いから、何があっても大丈夫ですよね。どくりどくりと嫌な音を立てる心臓に頬が引きつる。いくら神威さんでも毒なんて使われたら喧嘩で負けるだろう。でも噂は噂だし、ううんと……神威さんは何をしてるんだろう。なんかヤバいもんに首突っ込んでるんじゃないだろうか。
不思議そうに首を傾げた神威さんは、「こういうのって保健室に行くもんなの?」と私の手のひらを見ながらつぶやいた。エッ神威さんが気を遣ってる!?
「だ、大丈夫ですよ、舐めときゃ治りますこんな傷ハハハ」
「まーね」
納得したように腕を掴んできた神威さんは、身を少し屈めると私の手のひらに顔を伏せた。
その行動に頭が理解するよりも早く、ちろりと覗いた赤い舌がそれ以上に赤い傷口をなぞる。
首から上が沸騰したような錯覚を覚えた。
「かっかっか!」
「なに、変な笑い方。くすぐったいの?」
「神威さん舐めっ……舐めちゃダメです汚いです!」
「うーん」
手のひらをくすぐるように舐める神威さんにヒイイと腰が引ける。す、すぐ傍にはサボってる夜兎工生がいるんだ。端から見たら神威さんが云業Mさんの手のひらにキスしてるこの図。これはまずい、神威さんの沽券的に。
その時、ぺろりと蠢いていた舌の先端が傷口を抉るように食い込んできた。奇声を上げながら腕を引き寄せる。
「!? !?」
「早く戻ろう、今日の体育はサッカーだよ」
そして翻ってグラウンドに戻っていった神威さんに、疑問符を浮かべて涙目になりながらもついて行くしかなかった。
ちらりと振り返った校舎の死角の場所には、既に夜兎工生たちはいなかった。
体育のサッカーは夜兎工生たちが放つ風を纏うボールから逃げることで精一杯でした。体育の評価が下がったらごめんなさい云業Mさん。
授業を終え、ノートを云業さんに渡す。授業公開が午前授業だけで良かった。午後までやってたら私の体力が保たない。生きてるって素晴らしい。
ちょうどお昼だ、なにか食べて帰ろうかな。
「神威さん、お昼どこか食べに行きませんか。阿伏兎さんと云業さんも一緒に」
「ああ、悪いね、俺これからバイトだ」
「バイト」
「お金入ったら美味しいもの食べに行こうヨ。もうすぐで大量に入りそうだし、中華街で有名店食べ放題もできるかも」
バイト、そういえば神威さん突然のバイトで消えること多かったな。「……なんのバイトしてるんですか?」おそるおそる訊ねれば、くりくりとした丸い目がほんの少し考えるように上を向いた。
「タノシイこと」
あっこれヤバいやつだ。
鳥肌の立つような狂気を感じる笑みを浮かべた神威さんは、そのまま「じゃあね」と教室を出て行った。そっちが呼んだくせに解散後は自由ってか。本当に身勝手な人だなもう。
ヒゲとカツラを外し、学ランを返す。あとはバレないように外を出れば晴れて私も解放だ。
「すまねェなネーちゃん、わざわざ来てもらってよ、番長のために」
「神威さんのためじゃないです云業Mさんのためで」
「カーッJKはいいねェ甘酸っぱくてよ! おじさんにはこそばゆくてやってらんねェや!」
「すごくバカにされてる……」
「だがネーちゃんはその脳天気さが丁度いいぜ。余計なことに首突っ込むなよ」
「……余計なことって、神威さんのバイトのことですか」
肩をすくめた阿伏兎さんはただ鼻を鳴らすだけで答えなかった。
「"友だち"の線は越えるもんじゃねぇって話だ」
意味深で終わった阿伏兎さんも教室を出て行く。倣うように私もこそこそとその場を後にした。
誰にもバレずに校舎を出て、裏門へと向かう。はあ、今日も濃い一日だった。まだ午前中しか終わってないだと……? 信じられない。
この後は家に帰ってのんびりしよう、と裏門を抜ける。瞬間、ガシリと肩を掴まれ声にならない叫びを上げた。
「透里ちゃんじゃないか」
「うっ星海坊主先生……! あ、あの、私今日は見学にというか」
「夜兎工は楽しかったか?」
にこりと笑う星海坊主さんに、この人はもしかして最初から気づいていたんじゃないかと。
「はい、とても。命いくつあっても足りませんけど」「ははは」肩から手を離した星海坊主さんは、「神威も楽しそうだったぞ」優しく続けた。
「これからもあいつを支えてやってくれ。どうもあのバカは反抗期らしくてな、パパと会話なぞろくにしないから支えたくてもわからん」
「え、私そんな大したやつじゃないです。それに支えられるのはいつも私で」
「神威が支える? 振り回してたよね?」
「や、それはえっと、振り回しはステータスというか」
確かに助けられるだけで支えられてはいない、のか? 助けると支えるは意味が違うのかな。物理的に、精神的にって違いかも。どちらにも力が必要なことかなあとは思うけど。
星海坊主さんは小さく笑うと私の頭を撫でて「バカ共のためにありがとう」一言洩らすと校舎に戻っていった。
午後の時間は過ぎるのが異常に遅く感じた。デパートにて服を模索し、なかなか気に入ったものを見つけて購入。神威さん見かけには興味薄いけどやっぱり女の子としてはヒゲ面よりもかわいい格好を見てほしいわけで。……いやいや神威さんに限らず世の人間にですけどね。
暮れてきた空を見上げながら帰路を急ぐ。時間が空いてたからってちょっと遠出してしまった。
夜になって賑わう騒然とする町を抜けていれば、人混みの中にオレンジがかったピンク色の三つ編みが見えた。あれ、神威さん? 目を丸くしながらも近づく。
その後ろ姿がぐらりと揺れて下に沈んだのを確認した時には走り出していた。
「かっ神威さん! 大丈夫ですか!?」
「……透里?」
しゃがみこんで頭垂れていた神威さんがゆるりと私に顔を向ける。いつも以上に真っ青なその肌に強張った。
苦痛に歪んだ彼はすぐに顔をそらす、そして手を覆ったかと思うとゲボッと血を吐き出した。あまりの衝撃的な光景に発声の仕方を忘れた。
「あーあ、汚れちゃった」手についた血をTシャツで拭った神威さん。赤が白に染まる。くらりと頭が痛くなった。
「神威さ、バイトでなにかあったんですか、それ、も、もしかして毒……」
「汚いから、触れないや。じゃあね透里」
口元を拭っていつものように笑った神威さんは、ゆっくり立ち上がるとふらふらしながら町の人に紛れていった。
手のひらを見下ろす。擦れた傷口から小さく覗く赤。私は触れなかった。どくりどくり、再び嫌な気持ちが胸に渦巻く。私の知らないところで、神威さんが自分の身体なんかに構わず喧嘩を楽しんでることだけはなんとなく考えられた。
顔を上げる。もう神威さんの姿は見えない。
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