「透里さん、一緒に遊びに行かない?」
来店客のために水をグラスに注いでいれば、そう小袋さんが穏やかに笑んだ。私はといえばしばらく愕然と彼を見ていたが、すぐに妄想が幻聴を呼んだかと思いグラスに視線を戻す。
「無視するの?」少し低くなった声音に、ぎょっと二度見した。
「えっ私ですか!?」
「そう名前呼んだんだけどな」
「あ、遊び……?」
「うん。透里さんと二人で過ごしてみたい」
綺麗に笑んだ小袋さんは、私が注ぎ終わったグラスのトレーをさっと持ってお客の所へ向かっていった。な、なんとスマートな……紳士力高いよ。ぼわっと熱くなった顔をそのままにしていれば、戻ってきた小袋さんにクスリと笑われた。
「今度の土曜空いてるよね?」
「あ、いて、ます」
じゃあ十時に改札前で、と駅名をつぶやいた小袋さんに、私は呆然としたまま首振り人形のごとく特になにも考えず頭をかくかくと動かすしかできなかった。理解が追いつかない。驚きで思考が回らない。
肩にぽんと手を置かれる。私とは違う骨ばった手、心なしか香水のにおいもした。神威さんは土とか血とか汗のにおいしかしないのに。男の人ってすごい。
「楽しみにしてる」
耳元に寄せられた唇から発せられた吐息に、全身にぞわぞわとした感覚が襲った。ば、爆発しそう。一気に顔が熱くなる。
その後のバイトはギクシャクとしか動けなくなりました。ということで。
「透里が男と土曜にデート!?」
「総員配置の準備! まずは地理の確認!」
「標的のスペックを報告せよジョニ美!」
「ハッ! 有名大学生で属性S! 紳士さと優雅さが目立つイケメンです!」
「なに! 透里にはもったいない! 我々で狩るのだ!」
「あの……静かに……静かに聞いてほんと……」
ジャイ子たちに相談すれば一気にこれだよ。声でかいから一瞬でクラス中に広まったよ。「とうとうあの子にも春が来たんだ」とか生温かい視線をいただいちゃうよ。
気まずい思いを抱いていれば、ジュビ亜が私の肩に腕を回しながら訊いてきた。
「でも土曜っていったら明日じゃない。なんでもっと早く言わないのよ水臭いわねぇ」
「や、昨日やっと自分の置かれた状況を理解したから」
「遅ぇ!」
「えぇーでも私、透里はあの夜兎工の人が好きなのかと思ったよ」
ジョニ美がじゃがびこを食べながら指を差してきた。急に上がってきた人物の名前に、「もしかしてそれ文化祭の時のイケメン!?」と装飾班だった子までわらわらと寄ってくる。
「そうそう、えらい仲良かったしィ」
「あの三つ編みイケメンも透里の中華風花嫁衣装見て褒めてたしィ」
「男嫌いのあんたが懐いてんの珍しいしィ」
「男嫌いってわけじゃ……野蛮で臭くて強情で頭が固い男が苦手なだけ。その点小袋さんはなんかもう完璧というかさ!」
「ふーん。三つ編みイケメンも優良物件だと思うけどォ。イケメンだし」
「神威さんはないよ。ジャイ子たち知らないと思うけどすっごい野蛮だもんあの人」
「そりゃ友だちとしては良い人なんだけどね!」とまで言って、気づけばジャイ子たちは興味なさそうに雑誌を読み始めていた。ウオオイ聞けよ! ていうか本題までまだたどり着けてないんだよ!
「そっそれより訊きたいことあるんだけど。あのさ、男の人と出かける時はどういう服着ればいいのかな」
「あーデート服ゥ?」
「デッ!? 違うよまだ付き合ってないよ!」
「うっせー! 男女が二人で出かけんのはデートなんだよ!」
なんでキレるんだよ怖いなジャイ子! びびったが、それよりもだ。なん……だと……。男女が二人で出かけるのはデート? 結構くくり大きくない? そんなこと言ったら私神威さんと何回もデートしてることになるんだけど。ジャイ子面倒がってない?
しばらくフリーズしていれば「ほらデート服はこういうの着て行けばいいのよ」とジュビ亜が雑誌を見せてくれた。
「やっぱりワンピが王道よね」「あんまり露出しすぎてもねー。そのスペックのイケメンなら清楚に見せた方がいいし」「でもあんま可愛すぎるのはメリハリねーし媚びてる感じするし、こういうジャケット着てさァー」「透里にはこっちのカーデのが似合うんじゃない?」次々と飛びかうアドバイスに、脳内の引き出しを開けては閉じ開けては閉じ。いよいよ三人の中で論争が始まったところで、私は片手を伸ばして止めた。
結局アドバイスだけではわかりにくい、とのことで放課後ビル型ショッピングセンターに来た。連なるショップを次々と廻り、ハンガーにかかっている服を私の体にあててあーでもないこーでもないと付き合ってくれるのはジャイ子だ。今度の試験範囲の解説を餌にすがりついたのだが、協力してくれるなんてやはり持つべきものは友だちだね。
「ん、これでいんじゃね。値段もそこそこだし。透里今日買えんの?」
「そのつもりで持ってきたから! ありがとうジャイ子! じゃあ買ってくる!」
「待ちな! 試着しろ試着!」
それもそうか、と抱えた服を見て止まる。サイズ合ってなきゃ意味ないしね。店員さんに頼み試着室に入れてもらう。ワンピースとジャケットを着て鏡の前でくるくると前後を確認していればカーテンからジャイ子が顔を覗かせた。
まあまあいいんじゃね、と笑ったジャイ子に私も自然と頬が綻ぶ。しかし次には彼女が眉を寄せた。
「わりと私の趣味で見立てたけどさァ、自信ないのよね。透里がデートする男とウチの彼のタイプ全然違うし」
「え、大丈夫だよ可愛いよ」
「男女の可愛いの基準も違うんだっつーの。別に大丈夫とは思うけどォ、一人男の目線が欲しいわねーデートする男とタイプが似てるやつ」
いたかなンな男、とスマホをいじり始めたジャイ子を見て、そこまで気にしなくてもいいのになあと苦笑い。デートって言っても一回遊ぶだけだし。そりゃヘタな格好で会うわけにもいかないから協力してもらったけどさ。
まあでもジャイ子も一度決めたらやりたがる子だからな……と私も頭を捻る。とはいえ私の男友だちなんて一人しかいなくて。
「……か、神威さんとかタイプ似てるかも」
「神威? ああ、夜兎工の?」
「うん。で、でも来てくれないよ多分そんなことじゃ」
神威さんて何気に小袋さんと似てるなと思ったことあるしね。今の今まで可愛い服ばっかで埋まっていた思考が一人の笑顔で染まる。ジャイ子の男友だちに頼むんだったらなんでもズバズバ言ってくれる神威さんに見てほしいけど、あんな喧嘩第一な彼がそんなことで了承するわけないし。
しばらく私の顔をまじまじと見ていたジャイ子がにんまりと笑った。あ、なんか企んだね。嫌な予感がしたため強引にカーテンを閉めようとすれば「それ着替えて出てきな」と有無を言わせぬ声を出した彼女。なんで私の周りには横暴な人が多いかな。
着替えて出てくればショップの外のソファ(休憩用)に座らされる。足を組んだジャイ子は顎で「神威さんに電話」と差した。
「ええっなんでやだよ!」
「いいからすんの。見てほしいとか思ったっしょ?」
「そ、お、ジャイ子の友だちさんよりかは、ってだけで」
「いいからここに来てもらうよう聞きな!」
怒気に圧されてすぐさまケータイで神威さんの番号を出して耳にあてる。コール音と共にドクドクと心臓もうるさく鳴った。な、なんだこれ、緊張するな。『もしもし透里?』眠そうな声にピャッと変な声が洩れた。
「あっの神威さんおはようございます!」
『うん、おはよう。どしたの』
「あっの、あっの」
『あっの』
私の真似をして小さく笑った神威さんの声が電波を通して耳に届いた。いやに優しいその声に驚く。なんだか機嫌が良さそうだ、そう思うやいなや。
「会いたいです」
つぶやいた後に「!?」と脳内がそれで渦巻く。今なに私言った!? 彼女でもなんでもないのになに言っちゃった!? 黙った神威さんに何故かわからないがやべっと思ったので慌てて「ちょっとお願いというか頼みというか!」説明を入れた。
「今 服見てるんですけど、男の人の意見が聞きたいというか、ですね」
『……』
「そっそれで神威さんに見てもらい、たく、て」
『……』
「でも面倒ですよね! 大丈夫です! 訊くだけ訊きたくて……」
『……』
「なんか言ってくださいよ!」
恥ずかしくなってきてキレたように声が荒くなってしまった。横でジャイ子がケタケタと膝を叩いている。恨みがましげに彼女を睨んでいれば、電話口から『ああ』と今気づいたような声がした。
『ごめん、聞いてなかった』
「は!?」
『よくわからないけど、俺はお前に会いに行けばいいの?』
顔が見えないけれど神威さんが笑んだのがわかった。機嫌は損なわれていないと思う。ほっと息を吐きながら小さく頷けば、見えていないはずなのに彼は「仕方ないな」と洩らしたのだった。
そして現在地を教え、神威さん待ちの今。ジャイ子はトイレにと立っている。なんか飲み物買おうかな、とぼんやりケータイをいじっていたその時、視界の端で学ランと革靴のような黒が映った。神威さん来たか! と上げた顔は、誰かを判別したことで自然と歪んだ。
「あなたじゃない……」
「結構な挨拶じゃねーか」
ドカリと私の隣に座った学ランのその人、高杉さんに私はすぐさま一人分の距離を空けた。どうして高杉さんが来ちゃったかな。ショッピングセンターにいるとか意外すぎるよ。絶対興味ないでしょ。しかもなんで座ったよ、明らかに私たち険悪じゃん。この間たいやき屋で私失礼な口叩いたじゃん。謝らないよ、喧嘩売ってきたのはそっちだもんな。でも報復はやめて怖い。
「"あなたじゃない"ってことは神威でも待ってんのか?」
「……早くどこか行ってくださいよ、こんなとこで乱闘始める気ですか」
「フン。よくつるむなァ、あのバカと。お前も意外と喧嘩好きな方か」
「嫌いです。野蛮な不良なんて大っ嫌いです」
「ほォ。言ってることとやってることが違う点について聞いても?」
「神威さんはただの野蛮な不良じゃありませんもん。ちゃんと、優しいんです」
まあお前にはわからんだろうがな、な視線を向ける。向けるだけで口から飛び出さないよう抑えた。殴られたら困る。
理解ができない、とでもいうように口を一文字に結んだ高杉さんに、でもそういえばと思い返す。一見怖いこの人も、十円玉返してくれたりヤクルトのことで喧嘩を止めてくれたり。
「高杉さんもわりと優しいですよね」
「……あ?」
「な、なんでもないです」
でも怖いわー! 友だち、というくくりがもたらす安心感をここでひしひしと感じる。きっと私は神威さんと友だちという位置にいなかったら今でも神威さんを怖がってた気がする。
バッと顔を俯かせた私に訝しげな視線を向けていた(だろう)高杉さんは、小さく息を吐いて立ち上がった。
「(どこか行ってくれるのかな) 結局なんの用事でここに……」
「広場でそろばんの展示会があるって聞いた」
そろばん。目が点になった私に構わず、高杉さんは私の目の前に立って見下ろしてきた。その隻眼が意味深に細められる。
「お前が救いようのねェアホだってのはわかった」
「(神威さんも同じこと言ってたな)」
「そのアホさに免じて一つ忠告してやる。早めにアイツから離れねェとお前も巻き込まれるぞ」
最後にニヤリと邪悪な笑みを携えて高杉さんは背を向けて広場へと去っていった。呆然とそれを見送る私の頭には疑問符しか浮かばない。高杉さんもう少し具体的に話してくれないかな。わけがわからない。
「なんだったの今の不良」
「ジャイ子! トイレ長かったね」
「遠目から見てたんだっつの! 大じゃねーよ!」
「聞いてないよ」
「あ、いた。ジャイ子もいたんだ」
後ろにかかった声に肩が跳ねた。いつも通りの学ラン姿で現れた神威さんに、間一髪だったと冷や汗が流れた。あと少し高杉さんがいなくなるのが遅かったら今頃ここは壊滅しているよ。
「で、なんの用?」
「ほんとに何も聞いてなかったんですか……」
「透里が俺にとっても会いたかったってことは伝わったよ」
「こっ言葉の綾ってやつですよ!」
ふうん、とまるでどうでもいいかのごとく洩らした彼に、特に追及されなくて良かったと息を吐いた。そんな私たちの様子を何か考えながら見ていたジャイ子はにやけたかと思うと「じゃあさっそくお見せすんべ!」と私の背中を押して試着室に追いやったのだった。
また先ほどの服を着て鏡で確認をする。今度は前髪も一応整えたり。男に見せるってだけでこんなに緊張するのか。明日の小袋さんと大丈夫かな私。
カーテンの外に出て行く心の準備ができず、鏡の中の自分を睨んでいればシャッとカーテンが開かれた。ジャイ子かと思えば神威さんだったから短い悲鳴が洩れる。
「遅いヨ」
「着替えてたらどうすんですか!」
「ああ、透里似合ってるネ」
信じられない行動に振り返れば真正面からの神威さんのお言葉をいただきました。光栄です。お礼の言葉が尻すぼむ。さらりと言えちゃうのが神威さんずるいんだよな。 でもその口説き文句みたいなの慣れてないからほんとやめてほしいというか!
「こ、こういう格好は、神威さんのタイプですか」
「うん? 別に俺、服とか気にしたことないけど。中身は変わらないし」
あーっそうだった! 文化祭で神威さんが中華風花嫁衣装を持ってきてくれた時もそんなようなこと言ってたな。いくら小袋さんとどことなく似てるからといって、神威さんに一般的男子の気持ちを聞いたのが間違いだったかもしれない。
ふっと脱力していれば、上から下までじろじろ見ていた神威さんが「うん」と一つ確かめるように頷いた。
「タイプかはわからないけど、嫌いじゃないよ。どう? 今から一発」
「嫌ですよとんでもない」
「そう、残念」
「そうですよォ、透里はこの服で明日デートなんスからダメですゥ」
ついとっさに口をついて答えた後に、またすげえこと言われたなと把握できた。なんだか懐かしいデジャヴ感だよ。いや、それよりも途中から間に入ってきたジャイ子によって神威さんの笑顔がピシリと固まったんだけどもそれは。
「……デート?」
「え、いや、というよりも出かけるだけというか」
「へェ……あの肉の名前のやつと?」
「う、は、はい」
「でも良かったじゃん透里、神威さんが似合うっていうならこの服買えばァ?」
エッ……なんか肌がピリピリし始めたんだけど。息苦しい空気になってきたような。なんのこと? とばかりジャイ子はニヤニヤと変わらない。気のせいなはずないと思うけど……神威さんの表情をおそるおそる窺い見れば、なんとも無な笑顔を浮かべていた。
「ううん、全然似合わない。破り捨てたい」
「やぶっ」
ショックを受けた私に対し、ジャイ子はブフッと吹き出したかと思うと口元を抑えてショップから走って出ていった。