mg | ナノ


カラン。扉を開けて入ってきたお客さんを出迎え、テーブルにご案内する。お冷やを用意してそれを持って行き、注文を聞く。料理ができたらそれを持っていって。帰っていったお客さんが座っていた席のテーブルを片付ける。
言葉にすれば単純な行為だが、実際にやるととても大変だ。

食べ終わった皿やグラスをトレーに乗せて持ち上げる。重ねすぎたかな、重いぞ。
ふんと意気込んで腰を伸ばせばぐらりと揺れた。あっわわ、とバランスを整えるためよろめけば後ろから優しく支えられた。

「大丈夫? 透里さん、力なさそうだし少しずつでいいと思うよ」
「わっ、す、すみません!」

よろけた体を支えてくれたのは先輩の小袋さんだった。穏やかに笑んだその人は、男性なのに妖艶な雰囲気を放っている。加えて少し軽い毒を吐くちょっとSっ気があるところも仕事仲間の女性から人気になっているらしい。

私から離れて接客に戻っていった彼の背中をぼんやりと眺める。男臭さがなくて、落ち着いていて、野蛮の欠片もないああいう人なら付き合いたいと思うな。
目が合う。「なに? ぼーっとしてるなら動こうね」微笑まれ、あわてて足を動かした。私なんかに付き合えるわけないよ、恋愛経験なんてまったくないし。
それより小袋さん、誰かに似てるんだよな。誰だっけな、えーと。




『へー、透里バイト始めたんだ』
「はい、ジョニ美の紹介で。喫茶店なんですけど、ご飯も美味しいんですよ」
『どうせ食べがいはないんだろ?』
「そりゃ神威さんと普段食べに行くような店よりはないでしょうけど」

バイトが終わり、裏口から出て神威さんに電話をかける。今日は神威さんと夜ご飯を食べに行く約束をしていたのだ。
結構もう何回と行っている。大食漢なだけあって美味しい店知ってるし、値段も手ごろだし。なにより男友だちとこうして夜食べるって、なんかやんちゃしてるみたいで楽しいしね!
男とこんな風に過ごすことになろうとは。成長したな私、と涙ぐむ。

『透里いまどこにいるの?』の問いに現在地を知らせると、この辺りに行きたいラーメン屋があるらしく待ってろとのことで。
わかりやすい目印とかにいればいいかな、とケータイを耳に当てたまま周りをキョロキョロしていれば、一人のお兄さんと目があった。

「こんばんはー、君一人だよね? いま暇?」
「は……」

ニコニコ顔で近づいてきたその人に、思わず気の抜けた声が出た。チャラそうなお兄さんはテンション上げながら続ける。

「よかったらどっか飯どう? いい店知ってんだ、もちろん奢り!」
「ご、ご飯?」

『透里?』と電話口の向こうから一オクターブ下がった神威さんの声が聞こえたが、反対の耳からすっぽ抜けていった。え、えーと、今私はご飯に誘われている。知らない人に。初対面の人に、町で。これは。

「な、ナンパってやつですか」
『は?』
「え、そうそう。されたことないのー? もったいねーな、こんな可愛い子放っといて」
「かっ可愛い!?」

お、男にか、か、可愛いなんて初めて言われた。驚愕しすぎて口が開いたまま止まる。い、いやいや、嘘だ! 絶対嘘だ! 可愛いなんて嘘だ! これはいわゆるナンパの常套句なんだから本気になるのはただのアホだよ! だから熱くなるな顔!
目を回していれば『……透里、ナンパされてるの?』と耳に入ってきて、ハッとケータイを両手で耳に押し当てる。

「さ、されました、私もびっくりです。どっどうしましょう」
『殴りなよ』
「もっと真面目にお願いしますよ!」
『ごく真面目だけど』
「でしたね神威さんはね!」
「え、男いるの?」
「あ、はい、え? あ、あの、ご飯食べに行く人いるので」
「ふーん、断ってよ!」

はっ? 引いた。普通に引いた。なんで初対面の男のために友だちの予定を断らなきゃいけないんだ。スッと頭が冷える。こうやって自分の都合のいいように働くイメージ大きいんだよね、チャラ男って。
シカトして「神威さん今どこらへんにいますか?」と町のビルを見上げながら通話に戻る。が、ガッと腕を掴まれた。ひいい。

「マジですぐそこだしさ、ぼっちを救うと思って!」

ぐいぐいと引く腕の力は神威さんよりかは強くないが、好意的に接する人の対処はどうすればいいのかと戸惑う。『俺はいま二丁目だけど……透里はどこだってば』神威さんの声にわかりやすい目印を探すが、なかなかいい場所が見えない。しまいにはナンパ男が通話をやめろとばかりにケータイへ手を伸ばしてきた。どうしようどうしようと小さな抵抗を続けていたところで。

「ちょっと、勝手に持っていかないでよ」

後ろから包まれ、ナンパ男の手を振り払ったその人。ふわりと色っぽい香りが身近に感じた。驚きながら見上げ、視界に入ったのは。

「こ、小袋さん」
「悪いね、先約いるんだ」

にっこりと笑んだ小袋さんを見たナンパ男は顔を歪めるとさっさと駆けていった。去り際早いな。
一瞬の沈黙、小袋さんは私を包んだままぎゅっと腕に力を入れてきた。男に抱きしめられるなんて耐性があるわけなく、また心拍数が急激に上がる。え、ちょ、どうしよう。こんな展開どうしよう。

「あっあの、ありがとうございま……」
「怖かったね、もう大丈夫だよ」

そうして優しく頭を撫でられ、至近距離で微笑まれる。男臭さがなくて、落ち着いていて、野蛮の欠片もない穏やかな人。でもちょっとSっ気があって、そんなところが人気で。しかもこんな風に助けられたら、そりゃあ惚れちゃうなって。……惚れちゃう? え、私、この人に惚れかけてるの。
気づけばそこからは急降下だった。「透里さんは放っとけないな」困ってもなさそうに笑んだ小袋さんに、今までにない高鳴りが襲った。




「人生で初めて好きな人ができました……!」
「……」
「はー、まだドキドキしてるよ。恋ってこんなに人をそわそわさせるものなんですね」
「……生温い話するのやめてくれるかな。ラーメンが不味くなる」
「不味いですか?」
「美味いけど」

じゃあいいじゃないか。ズゾゾゾ、目の前でメガ級大盛ラーメンを啜っているのは神威さんだ。すごい勢いで口の中に入っていくラーメン。神威さんの胃の中には掃除機でもあるんじゃないかな。正直見てるこっちは食欲が減るよね。

あの後小袋さんと別れたあと、しばらくして神威さんはやってきた。「あり、ナンパされてないけど全部演技?」「それしたら痛すぎでしょう」ラーメン屋への道中、バイトの先輩が助けてくれたことを話す。
私は好きな人ができてしまったようだ。ドキドキとする感覚は痛いけれどなんとも心地いい。これが恋というものかと思うと世界がまた新しく見える。
小袋さんかっこよかったなあ! と神威さんに出来事を脚色しながら伝えれば、なんともつまらなそうにラーメンを啜っていた。友だちが恋話をしてるというに、真面目に聞いてないんだから。まあでもね、男だもんね。興味ないよね。

町のラーメン屋、15分以内に食べきれたらお金はいらないというタイムチャレンジを神威さんはしている。もちろん私は普通のラーメンだ。ラーメンどんぶりを比べると、いやに神威さんが大食漢だとわかる。なのにどうして太らないの。
もぐもぐと食べる神威さんは余裕でチャレンジを終えそうだ。しかし動く口を見て気づく。膨らむのは右頬ばかり。

「神威さん、左頬あまり動いてませんけど」
「へェ、よく気づいたネ。今痛くて。もの噛めないんだ」
「虫歯ですか?」
「違う。殴られた」

神威さんを殴れるやつなんているのか! 驚きで箸が止まる。また喧嘩かな、神威さんは強いから根拠もなしに大丈夫だなんて思っていたけどいよいよ危ぶまれてきたぞ。
しかしなんて声をかけていいかわからない。なんかすごい愉しそうだし。「今度はケリつけたいなあ」とか言ってるし。

片頬は食べれないのに神威さんはぺろりと食べ終わった。私だけ会計をしてそのまま共に店を出る。
もう暗いなあ、なんて空を見上げていれば入り口に段差があることを忘れていて、ズルッと足を滑らせた。反射的に前の腕を掴む。

「なにやってるの。透里は人一倍アホなんだから人一倍注意しないと」
「すっすみません、ありがとうございます……」

うっわやっべ、と慌てて腕を放した。あれ、なんだかデジャヴだ。そこで気づく。
あーっそうだ、神威さんだ。小袋さんが似てるの神威さんだ。
喧嘩とか番長とかなかったら神威さんは好青年だし、言わなくてもいいことも吐くし、一見穏やかそうに見えるからね。そうだそうだ、スッキリした。
でも小袋さんとは似ても似つかないな。もう少し(野蛮的面で)落ち着いてくれたら好きになってたかもなあ、そしたら他の女の子にももっとモテるだろうなあ、なんて同情の目を向けたら親指に曲げられた中指が迫ってきた。いわゆるデコピンの形の手。

認識するに、咄嗟に頭を後ろに反らす。シュッと目の前で中指が弾かれた。「あっぶ!」間一髪! 間一髪で避けられたよ危ねええ!

「なんですか急に怖!」
「なんか気にくわない目してたから」
「神威さんがデコピンすれば私のおでこ絶対凹むんでやめてくれませんかね!」

これだから神威さんはモテないんだよ! 知らないけど! こんな人恋愛感情で好きになる女の子なんていないんじゃないの! 知らないけど! どーせ色恋沙汰には興味ないだろうからいいのかな。神威さん喧嘩第一って感じだしなあ。野蛮なのがむしろ神威さんらしさだよね。そろそろ私も慣れてきたらしい。

家の途中まで方向が同じらしいので一緒に帰る。そういえば夜兎工のアパートはわかったけど、神威さんちはどの辺なのかな。ぼんやりしながら歩いていれば、隣の神威さんが「透里は」口を小さく開く。

「その肉の名前みたいなヤツと付き合いたいの?」
「に、肉? ……あ、小袋さんのことですか?」

肉の名前って面白いこというな神威さん。ていうか恋話に戻ってもいいんですね神威さん。じゃなくて、付き合い……か。小袋さんの彼女になった自分がふと浮かんだ。デートしたり抱きしめ合ったり、キスしたりってことだよね。う、うわー! なんか照れる! 興味なくはないけどまだ早いというか!
いろいろ考え、キャパオーバーして顔から火が出始めた。「……つ、付き合うなんておこがましいです……」両手で顔を抑えながら俯く。想像しといてなにを、とは自分でも思う。

「ふーん」無機質な声に手を顔から外して神威さんを見れば、笑顔を携えながら道の先を見ていた。夜で暗いからか、明るい時とはまたイメージが違う笑みだ。なんか機嫌悪そうだけど。

「じゃあソイツの子を残したいわけじゃないんだ。それって本当に好きって言えるの?」
「……あのですね神威さん、恋する乙女が皆相手との子どもを欲しいから付き合いたいと思ってるわけじゃないです。むしろそう考えてる女子高生少ないです」
「えっ」
「好きになるのに時間や理由なんて必要ないんですよ。ここの胸の辺りがきゅーって締めつけられたり、一緒にいたいって思ったり、触りたいけどドキドキして触れなかったりっていうのがもう好きなんです」
「……」
「ってジョニ美が言ってました。本能とはまた少し違う想いなんじゃないですかね」

私だって別に小袋さんとセッ……したいなんて思ってないし、もっと知りたいなとは思うけど、なんていうかそんなことだよ。いつもとは違う動きをする心臓の赴くまま惹かれていきたいというか。確かにもう少しレベルが上がれば私も彼と付き合いたいと思うかもしれない。しかし今の私は憧れるだけで精一杯だ。
日々に色をつけるのが恋だよね。私もとうとう恋をするときが来たか。一人浮かれて笑っていたが、神威さんがなにか驚いたように目を丸くしていたので私も同じ顔をした。

「ど、どうしたんですか」
「なにが」
「え、いや、え」
「バイト行ってくる。じゃあね」
「えっ今から!?」

少しだけ顔を固くした神威さんはポケットからケータイを取り出すと、電話をかけながら夜道をさっさと進んでいってしまった。残された私はといえば呆気にとられているしかできず。
やっぱり恋話なんて鬱陶しかったかな、と眉を下げた。



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