『最後の勝負は耐久力と体力勝負です! 35度の斜面を登ってきてくださーい! 早く頂上についたペアが優勝です!』
裏山まで走らされ、用意された山のコース。すでにここまでやってくるのに息が切れたが、そうも言ってられない。前にいるカップルは幸いなことに一組だけらしいのでこの坂で追い越さなければ。
けろっとしてる阿伏兎さんについて行きつつ、ゴロゴロ石や岩が転がる地面が剥き出しの山を登る。
「おいおいネーちゃん、ボロボロだが平気かよ」
「大丈夫、です!」
コスプレがつなぎで良かった、こういう関門があるからドレスじゃ不可能だもんな。宝条院さんじゃ無理だ、これなら本格的に神威さんに勝てる。
前を走るカップルたちも速いが、阿伏兎さんの方が速い。さすが神威さんと一緒にいるだけある。喧嘩も強いんだろうな。
しばらくカップルの背中を追って、そしてやっとのところで抜かした時だった。
前を行っていたカップルとは逆から私たちを抜かす影。
花嫁衣装じゃ絶対登るのは困難だと思った山、それでも神威さんは楽々と登っていった。
宝条院さんを姫抱きしながら。
イライラしていた気持ちがふっと消える。心には何も残らなくなった。重くなる足、胸に抉られるような痛み。
頂上付近から大きな歓声が沸く。もうすぐ神威さんたちがゴールしそうだった。
は、と短く息を吐く。私、なんのためにカップルイベント出たんだっけ。えーっと、楽しみたくて、だっけ。
「ネーちゃん、勝ちてェか」
前を行っていた阿伏兎さんが振り返り言う。なにも考えず頷いていた。
次の瞬間、ズシャアと固い土に転ばされる。えええ。反応する暇なく、彼は先に登っていった。えええ。
地面にうつ伏せで沈みながら、なんだか起き上がる気力もないのでそのまま腕に額を乗せた。
もう意味がわからない……疲れた、そろそろ帰りたい。私頑張ったと思う、こんなアグレッシブな日はなかなか……いや、神威さんと一緒にいるとそれも多かったな。
とりあえず阿伏兎さん追ってゴール目指さなければ、ペアは一緒にゴールに入らないとゴールにならな……。
「か、神威さん」
「あり、生きてた」
のろのろと起き上がった私の目の前に立っていたのは神威さんだった。エッ、なんでここに。ゴールしたはずじゃ。
理解に努めている間に、ひょいと俵担ぎにされる。うっぐっ鳩尾に丁度肩が当たって圧迫されるんですけど。そのまま彼はゴールに向かいだした。
「て、敵に情けをかけるなんて」
「透里は俺の敵にすらなれないだろ」
ケッ、今更友情を取りに来たって遅いんですよ。内心悪態を吐きながら、神威さんが見えないのを良いことに顔を苦くする。もう終わりなんだよ、イベント。
そこで気づく。私、副賞もそりゃ神威さんにあげたかったけど、なにより神威さんとイベントを一緒に楽しみたかったんだ。一緒に。
最初からもっと素直に説得していたら、神威さんは恋より友情を取ってくれていたのかな。
……ないな。恋とか友情とかより本能だもんな。美人を選ぶ男の性だもんな。ケッ。
『ゴール! 広崎さんと宝条院さんペア同順位ー!』
神威さんが私を抱えたままゴール地点を踏んだ時、司会はそう叫んだ。同順位? 抱いた疑問はすぐに説明されることとなる。
『宝条院さんがゴールしましたが、ペアの方がゴールする前に何故か広崎さんのペアの方に呼び止められ、そのまま宝条院さんのペアの方が広崎さんを助けに行ったんですよね』
『その間に広崎さんのペアの老け顔の方がゴールと。自分は助けに行かず……せこい』
『ペアの二人がゴールに入って初めてそのペアがゴールです。そのため、広崎さんと宝条院さんのペアの方が一緒にゴールしたため二組は同率一位!』
「同率……」
「おい司会者一人俺にアタリ厳しくない?」
ぼやく阿伏兎さんをシカトしたその司会者は、『しかし賞品は一組分だけです。そこで最終決戦』と声を張った。
『じゃんけんをしてください!』
きた、勝った。フ、と笑みが浮かぶ。拳を握りしめて、ニコニコ顔の神威さんに向いた。ついに雌雄を決するときがきたらしい。
お互い拳を空中に出し合う。
「……本当に、神威さんは宝条院さんと優勝したいんですね」
「ん? うん。透里と阿伏兎をホテルに行かせるわけには行かないしね」
「なっなに言っ」
「透里、俺はグーを出すよ。それで勝つ」
「……陽動作戦ですか、効きませんからね」
拳に向けていた視線を上げる。蒼い瞳とかち合った。
『ではいきますよ! じゃァァァんけェェェん』
教室内はクレープ屋を片付ける数人の学生だけで、後はみんな校庭に向かっていった。
『間もなく後夜祭が始まります。一般のお客様は学校から退出する時間で――』
窓枠に肘を置きながら放送をぼんやり聞く。神威さんたちは帰ったかな。
「透里ー後夜祭行かんのー」
「先行っててー」
ういー、とジャイ子たちも教室を抜け出していった。長い息を吐きながら、暗くなってきた空を見上げた。
優勝したのは神威さんと宝条院さんだった。チョキを出した自分の手を、つなぎのポケットに入れた感覚は忘れないだろう。
「やっぱり、透里はクソ甘いネ」
すぐに宝条院さんの方へ向かっていって、一緒に賞品を受け取った神威さんに言葉が見つからなくて。
協力してくれた阿伏兎さんに深く頭を下げて、そのまま顔を上げず早々に坂を下った。転んで擦りむいた足は痛かったが、わだかまる胸の方が息が上手くできなくて苦しかった。
そうして一目散に戻ってきた教室。ボロボロのつなぎを見下ろして、窓から離れた。後夜祭の気分じゃないし、片付け手伝おうと。振り返れば。
「やっ」
「ぎゃああ!」
すぐそこに黒のチャイナ服を着た神威さん。驚愕に叫んだ私を捕まえると、コスプレ試着室のカーテンの中に無理やり入れられた。
エッ、なんで神威さんまだいるんですか、一般客はもうお帰りの時間ですよ、ていうかなんなの。混乱する私の次にカーテンの中へ入ってきたのは、教室に残ってた三人の服飾班だった。
ニヤリと笑う彼女たちに、ボロボロな私が抗えるはずもないですね。
つなぎを脱がされ、肌衣を着せされ、あれよこれよと着衣は進んでいく。なにがどうなってるのかわからなかったのも最初までだった。身体に纏わされた、見覚えのある衣服に目が見開く。
「完成ー」「ほら、イケメン様に見せてこい」驚きで口をパクパクとしている間にも着付けは進んで、終わった時にはカーテンから背を押されて出る。
「女の支度には時間がかかるって本当だったんだ」つぶやきながら神威さんはよろめいた私を受け止めた。
「似合ってるよ、透里」
「ど、どういうことですか、なんで宝条院さんの衣装を私が」
服飾班に強引に着せられたものは、ミスNO.1だけが着ることができる中華風の真紅の花嫁衣装だった。
これは後夜祭にも必要である。窓の外で賑わう祭りに、必要なはずで。
「貸りた」くりくりとした目で普通に返答された。
「あの女さ、自分とペア組んで優勝したらこの衣装貸してやるって言うから」
「え、え、神威さん、宝条院さんとの賞品が欲しかったんじゃ」
「うん? 賞品は全部あの女にやったヨ」
「なっなぜ!?」
「今日来れなかったカレシと使うんだって」
「か、彼? 賞品もらわないで、それこそなんで神威さんは宝条院さんとペア組んだんですか」
「だから、この衣装が欲しかったんだよ」
さらになんでを重ねる。この衣装が欲しかった? 神威さんが着るわけでもなしに、現に私が今着ているし、なんで欲しかったんだと。まさか私に着せるため? いやいやまさかそんな神威さんに限って。
意図が掴めなくて頬をひきつらせていれば、神威さんは「あれ?」と首を傾げた。
「透里、これ着たかったんじゃないの?」
「……え」
「ずっと羨ましそうに見てたし、そうだと思ったけど。なーんだ、違ったのか。無駄なことしたな」
眉を下げた神威さんは「汚さないように運ぶの苦労したんだけど」なんでもないことのように続けた。
自身の格好を見下ろす。真紅は綺麗で、きっと私にとってこれは馬子にも衣装なのだろう。でも着ている。一生かかっても着ることはなかっただろう衣装を。
ドォン、窓の外から大きな音が聞こえた。花火だ。後夜祭は例年花火が打ち上がる。気を取られたのか、教室にいる片づけ係だけでなく神威さんも窓へと向いた。一層大きくなった心音に急かされるまま手が伸び、神威さんの手を掴んだ。驚く彼、私も自分の行動に驚く。
「か、神威さ、あり、ありが、ありがとうございました」
「いいよ、意外に合ってたから。でも女ってよくわからないな、着飾るのがそんなに楽しいかね。俺は変わらないと思うけど」
「……ご、ごめんなさい」
「なにが?」
「……」
いろいろとひどいこと思ってて、なんて言えん。思いすぎて言えない。
私が神威さんコノヤローと思っている間にも、彼はよくわからないながらにも私に着せるために頑張っていたんだ。らしくない、らしくなさすぎですよ神威さん。心が狭い自分が恥ずかしい。
私と優勝しても意味がないと言ったのも、宝条院さんを姫抱きで抱え上げていたのも、全部この衣装のためなのか。ほっと心の底から息が洩れる。ほ、ほんとに神威さん優しいなあ。
「嬉しいです、とっても嬉しい、けど」
握っている手に力と感謝をこめるが、きっと伝わってないんだろうな。ぴくりとも動かない手を両手で包み直し、笑顔を洩らす。つくづく自分は現金な女だ。
「でも私、賞品や衣装よりも、神威さんとペアでイベント出られるだけでよかったんですよ」
「え? なんで?」
「なんでって……うーん」
なんでだろうか、上手い説明ができない。言い悩みながら神威さんの片手をいじっていれば、顔に影がかかった。神威さんの顔が近づいてきていたからだ。な、なに怖い。真顔なところが怖い。
す、と頭の横に神威さんの頬が過ぎたと思うと。
「アダァッ」
「あれ?」
ず、頭突きされた? 今頭突きされたよ! 咄嗟にこめかみを抑え、反射で浮かんできた涙を留める。今ちょっと友情を深めて分かち合う、いい雰囲気だと思ったのに! なんで頭突きされなきゃいけないんだ。男との友情はやっぱり、拳で語り合うというように痛みが伴うとでも言うのか。なにそれ野蛮だよ恐ろしい!
「あらら。やだなあ、透里のアホさ加減にあてられてるみたいだ」
疑問符が浮かぶ私と、にっこり笑って一歩退がった神威さん。服飾班が「お二人さん、記念に撮りまっかー?」と声をかけるまで、私たちはお互い顔を見合わせながらそれぞれ別のことに頭をひねらせていた。
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