短編 | ナノ

▼ 滝とバレンタインデー

まただ。

レジ打ちしながら横目で本棚の辺りに視線を向ける。平日の夕方、頻度は週に二、三回くらいだろうか。燻んだ焦げ茶のワンレンが特徴の男の子が雑誌を立ち読みしている。多分、あの制服は氷帝学園だと思う。
お坊ちゃんも立ち読みするのね、と始めは驚いていたものの、頻度が頻度だけに慣れた。ワンレンの彼以外にも氷帝学園の学生が立ち読みすることはザラにある。私立校とはいえ、どの学校にも立ち読みをする学生はいるというわけだ。
しかし、その中でも彼は一際印象に残っていた。普通の男の子ではないからである。

「次のお客様どうぞー……あ」
「お願いします」

もう今日の分の雑誌は読み終えたのか、ワンレンの彼がレジの前に立った。音も立てずに缶コーヒーをレジに置く。一瞬だったけど、小指で音が鳴らないように置いていたのが見えた。
所作、美し──。内心で感嘆しながらも値段を読み込む。

「110円になります。レジ袋はいらないですかね」
「はい」
「ちょうどお預かりします」

もう何度も何度も彼のレジを担当した。今回のように缶コーヒーだったりグミだったり、紅茶の茶葉だったり、品物は決まって一つ。そして必ず買い物の前に雑誌の立ち読みをしていた。
だから、多分、買うことが目的なのではないと思う。
立ち読みメインだけど何も買わず出て行くことを悪く思って……ということなんだろうな。律儀な少年だ。そんな分析をするほどには、彼をよく見かけた。

「レシートお渡しします」
「はい、ありがとうございました」

お釣りがなくてもレシートまで受け取るし、お礼を店員の目を見て言う……。出来た子すぎる。
佇まいからして柔和だし、氷帝学園は教育行き届いてるんだな。なんて、ご近所な学校を誇りに思うほどだ。彼のおかげで私の中では氷帝学園の評価爆上がり。

「こちらこそいつもありがとうございます」

いつもの挨拶とは少し変えて会釈する。
この子には感謝してるのだ。やる気がなくなるバイトも、彼の姿勢を見たらこちらまで背筋が伸びるから。
目の前の彼が少し驚いたように目を丸くする。まあそりゃ、急にいつもの感謝を伝えられてもね。気恥ずかしくなってほんの少し肩をすくめると、「ふふ」と微笑まれた。

「いつもお疲れ様です」

溶け込むような労いに息をのんだ。確かに、私も「いつも」と使ったけれど、まさか彼も私を認知していたとは。
あっけに取られた私を横目に、彼は缶コーヒーを手に小さく頭を下げて自動ドアへと向かっていく。ぱらぱらと揺れる髪を見ていると、私もワンレンにしようかなと心をくすぐられてしまった。

「あのー」
「あっすみません! いらっしゃいませ!」

新しく並んでいたお客さんに声をかけられ、慌ててレジに向き合う。すると、彼の残り香を感じて少し笑えた。なに? 髪といい匂いといい所作といい、私よりも断然女性らしいのだが?
とはいえ悔しい思いにはならず、今日もラッキーだったなと昇華できる。私はこのコンビニバイトで、名前も知らない彼を見かけることを心待ちにしていた。




彼の名前を知る機会は意外にもあっさりと訪れた。

雑誌コーナーに新しい雑誌を陳列していると、いつものワンレンの彼がやってきた。
レジを挟んでいない状態で顔を合わせるのはこれが初めてで、お互い目を合わせて少しの無言。しばらくしてどちらからともなくニコリと笑い、会釈を交わし合った。もちろん私は「いらっしゃいませ」と忘れずに。
彼はいつものように雑誌を立ち読みし始めた。男性もののファッション雑誌だった。
なるほどなるほど、普段こういうものを読んでるのね。レジからでは少し遠くて何を読んでるかまではわからなかった。少年ジャンプとかじゃないのか。

他のお客さんがレジに来たらいつでも入れるように周囲を気にかけながらも、ワンレンの彼の横顔を覗き見る。俯きがちになっているので表情は読めなかった。
残念、と思う自分自身に笑う。仕事しましょうよ仕事を。

コンコン。
固い音が聞こえて、彼と揃ってそちらに顔を向ける。雑誌コーナーの窓ガラスを店の外から手で叩いている男の子が見えた。

「うっ」

喉の奥から唸ったような声がワンレンの彼から聞こえて、窓ガラスから彼に視線を戻す。
慌てて雑誌を陳列棚に戻そうとしていたが、動揺しているのか上手く入れられない様子であった。

「あの、お戻しいたしますよ」
「えっ、あ」

普段微笑みで会計を済ます彼しか知らないので、どもることもあるんだーと新発見だ。男子学生らしさをヒシヒシと感じた気がする。いつもは学生には見えない紳士な物腰だから。
彼に近寄り、雑誌を受け取るため掴む。しかし手放されないどころか、予想外、とでも言いたげな驚愕な表情に、私も目を丸くして止まった。

「滝じゃねーか。何してんだよ」
「お疲れ様です。滝さんも寄り道ですか?」

コンビニには聞き慣れない大きな声が飛んできた。振り返ると、ワンレンの彼と同じ制服の男の子が二人いた。黒髪短髪の少年と、銀混じりの髪の長身さん。友達だろうか。
先ほど窓ガラスを叩いた少年が、「もしかして」と興味深そうに近づいてくる。

「滝も立ち読みかよ。珍しいな」
「へえ、滝さんも立ち読みするんですね」

ワンレンの彼の名前は「滝」と言うのか。
脳内のメモ帳に書き込む。これで彼を呼ぶ時に滝くんと言えるわけだ。もちろん頭の中でだけです。コンビニ店員に名前呼ばれるだなんて恐怖でもう来たくないわな。
私が脳内ネームプレートを作ってる間にも話は進む。とうとう雑誌を戻せず「ま、まあね……」と微笑みを浮かべる滝くんだが、その頬は心なしか引きつっているように見えた。

「お前立ち読みするなら買うって言ってなかったか?」

え? 漏れそうになった音を、口を一文字にすることで抑えられた。
私が見てきた滝くんは毎回雑誌を立ち読みしていた。珍しくもなんともない。立ち読みして一つ何かを買っていくワンレンの妖艶な少年、として認識していた。
でもこのお友達の言う通りならば、普段立ち読みをしない子なのだろうか。

「そう、なんだけど……あー」

口角を上げながら視線を彷徨わせる滝くん。そんな気まずそうな彼を見たら、ハッと気づいてしまった。
氷帝学園はお金持ち学校だ。もしかすると、立ち読みは品がない行為だと言われているのではないだろうか? 滝くん、みんなに隠して立ち読みしていたとか……!?
至った答えはともかく、滝くんが困っている様子は明白である。おそらくここでの立ち読みがバレたら何かと面倒なのだろう。
放っておけず、「あの」と声が出てしまうのだった。

「私が滝くんを待たせているんですよ」
「「「え?」」」

三人の少年の視線が、急に間に入ってきた私に向けられる。

「壊れたレジを直していただいたお礼がしたいので、肉まんができるまで待っていてほしいとお願いしたんです。暇でしょうから雑誌でも読んでてね、なんて」
「肉まんできましたー」
「はい今できました。持ってきますね」

少年たちの脇をすり抜けレジに戻る。一緒のシフトで入っていた原見くんが肉まんをホットスナック棚に入れながら「なんかあった?」と訝しげに訊いてきた。
なんでもない、君はナイスタイミング。親指を立て、肉まんを一つ持ち出した。

「お待たせしました。どうもありがとうございました」
「……あ、いえ」

肉まんを受け取った滝くんは、戸惑いがちに私と肉まんを交互に見渡した。似てるなと思っていないことを願う。
さて、どう? この肉まん代を犠牲にした私の誤魔化しは結構効いたのでは? 滝くんのお友達を見やると「へぇ、やるじゃねーか」と讃えていた。もちろん私のことではないだろう。

「もう終わったならよ、俺たちこれから隣のコンビニで立ち読み行くけど一緒に行くか?」
「え!?」

氷帝学園は立ち読み禁止じゃないの!?
今度は漏れた音を抑えきれず、お友達たちに不思議そうに首を傾げられてしまった。堪えきれなかった笑みが背中に届く。滝くんが声を出して笑っていた。

「うん、じゃあ行こうかな」
「それ食べてからですね」
「俺らもなんか食うか」

先に歩き出したお友達についていくように滝くんも歩き出す。なんだったんだ。別に立ち読みを隠さなくても良かったじゃないか。
思春期、それも男子の考えることはわからないわ……なんて大人ぶりながら雑誌の整理の仕事に戻る。しゃがみこみ、箱から新しい雑誌に手をかけた。

──普段立ち読みしない子なら、なんで立ち読みしているんだろう。

彼らは別に嘘をついていたわけでもなさそうであった。実際滝くんは「立ち読みするより買う派だろ?」の問いに、否定していなかった。
ならばなぜここで週に二、三回という高頻度で立ち読みを──……。
我に返り、いかんいかんと頭を振った。ほら手が止まってる。仕事しないと原見くんがうるさい。
顔を上げて、そしてぎょっとした。隣に滝くんがしゃがみこんでいたからだ。

「え、な」

滝くんは微笑んで、口元に片手を当てて私へとさらに近づいてくる。仰け反る私よりも先に私の耳元にたどり着き、吐息混じりの小声を洩らした。

「肉まんありがとうございました」

どてっと後ろに尻もちをつく。
な、なに、今の。ニクマンってなに? 唖然と固まる私を滝くんが腕を掴んで起こしてくれた。

「本当に優しい人ですね」

動けない私の代わりに私の制服の皺を払ってくれた滝くんは、お友達さんに呼ばれて今度こそ自動ドアから去っていった。
ぽかん……と突っ立って虚無を見つめていると、やはりというか原見くんに怒られた。慌てて陳列作業に戻る。
本当に、ってなに。なんでそんな前から知ってるみたいに言うんだ。私は彼のように妖艶に「肉まんありがとうございました」と言う男と会ったことがない。




高齢者は百円玉と五十円玉の区別も難しくなってくる頃合いだ。人間みな歳を取ればそうなる。だからここで焦るのはお門違いというものだ。
レジの前でガマ口の中を覗き込む小さなおばあちゃんを見つめながら、「あと百円が二つです〜」とやんわり声をかける。ちょっと待ってね、の言葉すら緩慢だ。合わせるために私もウンウンとゆっくり頷く。

私は待てる。元カレとの待ち合わせに三時間待った女だ。耐久力は抜群だと自負している。
しかしコンビニのレジに並ぶお客さんは大抵がせっかちだ。
無理もない、悠長な買い物ならスーパーやデパートで事足りる。急いでいるからこそ手軽なコンビニに入る、その気持ちは痛いほどわかる。
だけど「ババァ! おっせーんだよ!」と声を荒げるのは違うと思います……。

レジに長蛇の列ができ、後方の若いヤンキーみたいな男が叫んでアイスの棚を蹴る。や、やめて……普通に器物損害罪。ヤンキーのせいで他のお客さんからもざわめきが起こっている。
ここは私が回さないと本当にヤバい。意を決しておばあちゃんの財布に手をかけ小銭を見せてもらうも、信じられないことに残りの200円に足りなかった。
これは何か品物取り消さないと、レジ袋に入れた品物取り出して、まで考えて、レジに200円が置かれる。横から伸びてきた腕の彼──滝くんが「足ります?」と微笑んでいた。

「足ります。お釣り4円になります」
「ああ……ありがとうねぇ……」
「では行きましょうか。持ちますよ」

小刻みに震えているおばあちゃんの背中を支えながら、滝くんは彼女のレジ袋を片手にゆっくりと自動ドアへ向かっていった。
横目で見送り、次のお客さんに対応する。ぶつくさ文句言っていたヤンキーにも爽やかな挨拶で聞く耳持たず、どうにかこうにかピークを脱することができた。
ふう、と一息ついてから雑誌コーナーに視線をやる。滝くんが立ち読みしていた。

「滝くん、さっきはありがとうございました。おばあちゃん大丈夫そうだった?」

いつかの日とは違って、ゆっくりと丁寧に雑誌を戻して滝くんはこちらに振り返る。

「はい。みょうじさん」
「えっ、な、なんで名前」
「ネームプレート」
「あ……」
「俺も呼ばれてるからもういいかなーって」
「あ」

普通に呼んでしまっていた。今更口を覆っても遅い。脳内で呼ぶだけに留めようと思っていたのに。
ふふふといたずらが成功したように微笑んだ滝くん。居た堪れなくなり、頭を下げた。

「どうもありがとうございました。どうしたらいいものかと焦っていたので助かりました」
「いいえ。俺はみょうじさんの真似っこですから」
「真似っこ?」

頷いた彼は北西を指しながら「外れにある喫茶店わかりますか?」と首を傾げた。言われ、パッと思いついたカフェがある。そこは紅茶とシフォンケーキが美味しいのだ。

「俺、よく行くんですけど、そこでみょうじさんを見かけたことがあって」
「そうなんだ」

確かに滝くんの雰囲気と似ている。落ち着いていて、緩やかで。落ち込んだ時や疲れた時にふと行きたくなる。そうして、また頑張るかーなんて背伸びすることができる。私も好きなカフェだ。
気づかない時に見られているのは少し照れるものがあった。バイトとは違い気の抜けた私生活だし。滝くんは、まるでカフェにでもいるような穏やかな微笑みで続けた。

「ちょうどお会計の時にレジが故障しちゃったみたいで。オーナーと一緒にああでもないこうでもないって、直してましたよね」
「あ、あー……そういえば。直し方知らないのにね」
「素敵だなーと思ったんです」

瞬きを何度も繰り返す。滝くんはそれ以上続けず、じっと私を射抜いてきた。
はっ、と我に返り、いやいやと手を横に振る。

「困ってたら誰でもそうするでしょう」
「そう言えるっていうのがいいな」
「た、きくんもそういう人でしょ」
「俺はそういう人たちを尊敬してるんですよ」

だから真似っこ。
はにかむ滝くんの髪が揺れる。ストンと何かが落ちた音がした。納得や感心のような、少し違うような。
私よりも年下なのに私よりも人間ができている。まだ未完成の面も含めてだ。私は彼と同じくらいの時に素直に誰かを尊敬することができていたっけ。こんな風に周りを見ることができていたっけか。
ほうけている私に、滝くんは思い出したように「あ」と声を出した。

「みょうじさん、もうすぐ休憩になりませんか?」
「エッ、あ、ま、まあそうかな」

全然休憩時間にならないのに嘘をついてしまった。なんてこと。まあでも原見くんに任せて休憩時間前倒しにしてもらったりとか──まで考えて、眉間を揉んだ。

なんか、期待している? 休憩時間訊いてきたってことは、もっとお話しませんかと誘われると思ってる?

なんてこと。滝くんに恥じないような大人にならないと、と意気込む前から既に外れている。
人知れず罪悪感に苛まれていると、「じゃあレジいいですか?」綺麗な指でレジを差した滝くんに「レジ?」と訊き返してしまった。いやいや、当たり前だ。滝くんはお客さんだ。レジを通させろ。休憩時間にお茶飲みませんか? とかないから。

「肉まんを一つください」

肉まん気に入ったのかな。
私の記憶では確か滝くんがホットスナックを注文することはなかったはずだ。それとも、肉まん元々好きだったけど夜ご飯のために食べなかっただけなのか。
レジ打ちし、袋に入れて滝くんに差し出す。彼は質の良さそうな財布をしまっても受け取らず、「休憩に食べてください」と言っていつものように微笑んだのだった。




バレンタインデーの時期は店内もピンク一色となる。
コンビニといえども手頃なスイーツは手に取りやすいようで、当日ともなればフェアで用意したチョコは少なくなっていた。

「バレンタインデーにバイトって寂しっすね」

原見くんが鼻で笑いながらコロッケを揚げている。
それ、自分に言ってるんだよね? 別に私にじゃないですよね。口を開けば悲しい喧嘩になりそうなのでやめた。
そもそも私は寂しくなかった。望んでこの日にバイトを入れたのだ。渡す人がいない寂しさを紛らわせるためではない。むしろ渡すために入れてしまったのだ。

「(来るとは限らないのに……)」

レジカウンターの下に隠し置いているチョコを見下ろす。彼が来たらいつでも渡せるように備えていた。週に二、三回来る日が、もしかしたらたまたま今日かもしれないと踏んで。
別にこれはなんというか、肉まんのお礼だ。そう。いつもご贔屓にどうもという意味もある。ちょっと良いブランドなのは、ほら、彼がお金持ち学校だから、舌に合うものが良いのかなと思ったからであって。

何度時計を確認しただろうか。窓の外を見ては、通り過ぎる氷帝生の制服に逐一肩が跳ねた。お客さんが少なくなれば意味もなく雑誌コーナーを整頓したりもした。
そうして、滝くんは普段来る時間に現れなかった。

「(そういえばそうよね)」

なんたってバレンタインデーだ。普通のカップルはデートをするんじゃないだろうか。滝くんほどの出来た少年なら、既に良いとこのお嬢様に捕まえられているはず。

「(まあこれはバレンタインチョコじゃないし……お礼だからいつ渡しても……)」

なにがなんでも滝くんと話したがっている自分に苦笑した。見ているだけで充分だったんだけどな。
綺麗に揃えられた髪とか、雑誌を読む時のすっと伸ばされた背筋とか。少し対応しただけでもわかる礼儀とか、ほんのり香る匂いとか、柔らかく上げられた口角とか。
無色な日々を彩ってくれていた。今日も頑張ろうと思えた。彼に恥じないように働こうと、気合いが入った。まさしく推し。
でも物足りなくなってしまった。もっと、と望むようになってしまった。

立ち読みが友達にバレると焦るんだ。
耳元でひそひそ話なんてお茶目なこともするんだ。
人の頑張りを見逃さないんだ。
私のことを、覚えてくれてたり、するんだな。
知れば知るほど滝くんが鮮明になっていく。素敵だと、言う君の方が何倍も素敵だとわかる。そうして今度は私がチョコを渡したら、どんな顔をしてくれるかと、欲張りになってしまうのだ。

自動ドアが開く。
「いらっしゃ──」入ってきたお客さんを認めて、言葉が途切れた。滝くんが肩を弾ませながら入ってきたからだ。
いつもの制服とは違いステンカラーのコートに身を包み、アーガイル柄のマフラーに顎をうずめている。私服姿は見慣れず、一瞬誰かわからなかったので凝視してしまった。
滝くんはいつもより表情が固かった。私と目が合うと、強引にはにかんでそそくさと雑誌コーナーに向かっていく。
バレンタインデーにまで立ち読みするとは。来ますようにと願っていながらも驚愕した。
ついつい目で追ってしまい、そして、高級チョコ専門店の袋をひとつ提げているのを確認した。

「(え゙っ……ラメゾンデュ……)」

ばちばちに本命チョコやんけ。
学生でもそんなチョコ手に入れられるのかと、衝撃を受けた。滝くんに渡す女子……いや、お嬢様の彼女? わからないけれど、本気度が高すぎる。それほど滝くんが魅力的ということだ。わかる、いやわかるけども。
いつもより時間が遅めで、珍しく私服姿というのも合点がいった。きっと学校終わり、一度家に帰って着替えてデートでもしたのだろう。もう次元が違う。私の学生時代なんて朝から教室がチョコのトレード会場となっていた。
滝くんと彼女さんの完璧なバレンタインデートを妄想し、内心で拍手を送った。そして、カウンター下の用意したチョコを透視する。比べると、さすがに霞んで見えた。

どうしよう、渡すの恥ずかしいな。とまで考えて、かぶりを振った。
これは、お礼だ。私の恥なんて関係ない。彼に日々の力をくれてありがとうと、伝えたい。いらないと言われたらその時回収しよう。
勢い勇んでカウンターから顔を上げる。ちょうど滝くんがレジ前に立っていて、互いに目を丸くした。

「あ……」
「あ、滝くん、いいかな今」

ぐるりと見回し、お客さんがいないことを確認。ついでに原見くんがドリンクコーナーの品出ししていることも把握。今だ! とばかりにカウンター下からチョコを取り出した。

「これ、いつものお礼です」
「……え」
「コンビニ関係なく一個人として、その……。……に、肉まんのお礼……」

腑抜けてしまった──。
いやでもそういえば、コンビニの店員が「いつも見ててやる気もらってました! 推しです! ありがとうございます!」と言うのも変な話だろう。しかもチョコ付き。怪しすぎる。
氷帝学園の生徒は羨ましいな。同じ学校ってだけで渡すにも理由が必要ないのだから。私なんて肉まんを引き合いに出さなければ、滝くんに想いを伝えることもできない。

「よかったら食べて。それか前来たお友達にあげてもいいし!」
「……」
「……滝くん?」
「あ、すみません、みょうじさんからもらえると思わなくて……ありがとうございます」

この口振りだとやはり彼女の他にもたくさんチョコをもらっているご様子。急に私まで名を挙げて申し訳ない。
とはいえ、渡せた。肉まんと称してしまったけれど、いつものお礼を伝えることができた。
私がチョコを渡すと驚いた顔をするんだな。彼女さんから渡された時は、きっととろけるように笑うのだろうけど、学園の関係者でもなんでもない私だから引き出せる表情が見れた。

「私こそ、もらってくれてありがとう」

欲張りな自分が蒸発した。
あとはただ、彼の幸せを祈るだけだ。

さて、気を取り直して仕事、と滝くんの手元に視線を落とす。いつものように何か品物を持ってレジに来たのかと思ったが、彼は先ほど見た高級そうな小袋しか提げていなかった。
滝くんは私が渡したチョコに目をやる。

「これ、本命ですか?」
「えっ。なに言ってるの、お礼だって言ったじゃない」

普段浮かべている微笑みをなくし、じっと真剣な顔でチョコを見つめていたと思えば、その視線を私に向けられた。
痛い所を突かれ、慌てて嘘をつく。彼女がいる人に背負わせるものではない。滝くん、そういうの思っても黙ってそうな人だと思ったけど。
意外とツッコむな……と内心冷や汗をかいていると、「そっか。残念」と呟かれて唖然とした。タラシか? 氷帝学園はホストみたいだぞ、と風の噂で聞いたことがあったが、本当だったのか?
しかしもっと驚くことに、滝くんがあからさまに気落ちしていて言葉がなくなった。

そうか。わかった。男子中学生だもんね。誰でもいいから本命チョコをもらいたい気持ちも頷ける。前に来たお友達さんと数の競い合いとかしたりして。
子どもっぽいところあるんだ、そりゃそうか。なんて新発見に嬉しくなりながらも、彼を励ますように努めて明るい声を出した。

「まあまあ、滝くんもう本命もらってるじゃない。一つでも心を込められた本命もらえたら充分でしょ」

「本命? これですか?」滝くんが高級チョコの袋を掲げる。うんうんと頷いた。

「本命チョコに見えます?」
「さすがにそれが義理には見えないって」
「よかった。はい、みょうじさんへ逆チョコです」

とん、とレジカウンターの上に置かれた、シックな袋のチョコレート。笑顔が固まったまま動けない。理解に頭が働かない。
滝くんは私がまだなにも発していないというのに、「もらってくれてありがとうございます」ととろけるように微笑んだ。




平日の夕方、週に二、三回滝くんは私がバイトしているコンビニにやってくる。
以前と変わったことといえば、立ち読みをしなくなったことだ。自動ドアをくぐり抜け、迷うことなく缶コーヒーやお菓子を一つ取ってレジ──私の所に会計しに来る。

「こんばんは」
「いらっしゃいませ」
「まだ慣れませんか?」
「はは……えっと……」

バレンタインデーからしばらく経つというのに、いまだに滝くんの気持ちが信じられず動揺してしまう。簡単に言えば推しが私を推していた。混乱するなという方が無理な話だ。
しかも立ち読みをしなくなったので、自動ドアが開いて滝くんが来た、とわかった瞬間から心の準備をする間もなく目の前に立たれるのだ。慣れるわけがない。時間がほしい。大人っぽく平然を装える時間がほしい。

「俺は見たことないみょうじさんが見れて嬉しいですけど、もっとたくさん話したいな」
「はは……」

にわかには信じがたいがなんか私と似たようなこと言ってる。

「えーと、立ち読みはもういいの?」

コンビニに来るなとは言わない。むしろ来てほしい。私だって滝くんと話したい。でも少し準備させてほしい。いつものように背筋を伸ばして雑誌を読んでいる滝くんを見て、気合いを入れたい。
立ち読みさえしてくれれば……願うように訊ねてみると、「はい。読んでなかったから」と返ってきて口がパカと開いた。

「え、でも毎回、立ち読み」
「フリです」
「なんで!?」

やっぱりあのお友達さんの言う通り、滝くんは立ち読みをしない子だったらしい。
驚愕の事実にひっくり返った声が出てしまった。原見くんが何事か、とアイスコーナーから顔を覗かせては仕事に戻っていく。口元を抑えると、滝くんがふふふと面白そうに笑っていた。

「準備ですよ。好きな人と話そうってなると、俺も人並みには緊張しますから」

何度滝くんの言葉に驚かされてきたかしれない。きっと、この先もずっとそうだ。そうしてそのたび私はストンと心を奪われていくのだろう。
「お会計は話してるうちに入るかな」照れを誤魔化すように呟けば、滝くんは「言うねー」としたたかに笑んだのだった。



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