短編 | ナノ

▼ 悪趣味な忍足

いくら氷帝学園がハイテクな設備ばかりだとしても、図書館の本は自動で動いたりはしてくれない。

ベルトコンベアーに乗って元の場所に戻ってくれればいいものの、そんなことはもちろんなく、返却された本達は図書委員が指定の本棚に戻さなくてはいけないのだ。
委員会当番の水曜日の放課後は意外と重労働になる。ブックトラックを引き連れて、本棚の海の中に突入した。

本の背表紙に貼ってある番号と本棚の番号を照らし合わせ、着々と本を戻していく。
生きている間に自分が決して読まないような本や、興味をそそられるタイトルと出会うこの時間がわりと好きだ。冒頭で話したベルトコンベアーの導入の件は、それはそれとして。

「……うわ」

この時間がわりと好き、とはいえ、困難にもぶち当たる。
手元の本の所定位置を確認して思わず眉間を寄せた。高い本棚の一番上、手を伸ばしても届かない場所がどうやらこのコの帰る場所のようだった。
台を使えば良いとはわかっているものの、所定位置はここから遠いし、なによりブックトラックを引き連れながら持ち運ぶのはちょっと面倒。
つま先で立ち、腕を思いきり伸ばしてみる。ギリギリ届かないな。足の裏がつりそうで一旦着地して後退った。大人しく台を持ってくるか、と息を吐く。

「戻そか?」

図書館の静けさにも溶けるような声が横から聞こえた。
ぱ、と手元から本が消え、それは横から伸ばされた手により無事に本棚に戻っていく。

「忍足くん! あ」

咄嗟に出てしまった人並みの声を慌てて抑える。図書館ではお静かに、だ。
忍足くんは横から私を見下ろしてやんわりと口角を上げる。元々静かな人だけど、この場所だとさらに際立った。

「ありがとう」
「どういたしまして」
「いつもタイミング良いよね、助かるよ」

水曜日はテニス部が休みなようで、放課後図書館で本を選んでいる忍足くんとはよく遭遇する。話す場所でもないので声はかけないけれど、高い所へ本を戻す時、彼はこうして助けてくれていた。

初めて話した時も確かそうであった。クラスが同じになり、とっつきにくそうだなと思っていた第一印象は、本棚に腕を伸ばした姿を見たことで霧散した。
だってなんだか少女漫画のヒーローみたいだったのだ。高い所の物を代わりに取ったり戻したり、だなんて。イケメンだし。照れも混じりながら本人に冗談めかして言ってしまったことを覚えている。

「少女漫画のヒーローみたいだね」
「敵わんなぁ」

眉を少しだけ下げて、力が抜けるように零した忍足くん。初めて会った時は目を丸くして、もっと戸惑いながら言っていたっけな。
図書館は私語厳禁なので、普段より声が小さくなる。ただでさえ小さめの彼の声を聞き取るために耳を傾けると、教室にいる時にはありえないほどの近さになった。

「別にそういうんとちゃうで。実はな、自分が本なおしとるとこ見とんねん」
「え?」

距離も相まって心臓がけたたましく鳴り始める。
私が本を戻している所を見ている? どうして? 水曜日に忍足くんが図書館にいる理由って、もしかして。
たった今『少女漫画』と使ったばかりだ。脳内に点描のトーンが広がるのも無理はない。ドキドキしながら彼の次の言葉を待っていると、ふ、と控えめな笑みが洩れる音が聞こえた。

「背伸びしてプルプルしとるとこオモロくて」
「……え?」
「ほんでも可哀想やから声かけとるけど」
「……あ、悪趣味……」

内心がっくりと項垂れた。期待して損した。ドキドキを返してもらいたいくらいだ。
──でも、面白そうに口角をやんわり上げる忍足くんを見れたから、いいかな。
忍足くんは「そやで。俺悪趣味やねん」と何故か開き直ったように言うもんだから、思わず笑ってしまって、慌てて口を抑えた。図書館ではお静かに、だ。




少女漫画のヒーロー、だなんてドン引いてもおかしくない褒め言葉を受け入れてくれた忍足くんはものすごく優しい人なんだと思っていたのだけど、どうやら彼もその手の趣味があるらしい。
ラブロマンス系の本を机の上に重ねて、熱心に読み耽る忍足くんの姿を見て自然と笑みが洩れる。意外とロマンチストなんだろうな。
教室では読書に集中できないのか、読んでいる姿はあまり見ない。ろくに話すこともできないので、こうして彼の本の趣味を発見できることが出来た図書委員には感謝だ。まあ、仕事はやっぱりちょっと億劫だけれど。

読書している忍足くんを横目にブックトラックと共に出発する。今日は返却数が少なかったので、すぐにラスト一冊になった。
背表紙のシールを見ると、この場所からだと手で持って行った方が早く済む場所であった。ブックトラックは残し静かに足を進める。

ちょっと想像はしていたけれど、案の定、本棚の高い所の本だったみたいだ。
やっぱり絶妙に踏み台置き場からは遠い。誰が借りているかわからないけれど、もう狙ってやってるでしょと内心で悪態を吐きつつ腕を伸ばした。届かない。

ぱっと本が手元から離れ、横から伸ばされた腕が代わりにしまっていく。何度か経験しても何度だって同じように心が高鳴った。期待を、しちゃっていたのだ。

「ここですか?」
「おし……! え?」

想像していた人物とは違った声が降ってきて、あんぐりと口が開いた。色素の薄い柔らかそうな髪の、背の高い物腰穏やかな男子生徒がそこにいた。
彼は微笑みながら首を傾げる。慌ててそうですと頷いた。

「ありがとう、助かりました」
「いえ。お役に立てたようでなによりです」

あ、思い出した。鳳くんだ。忍足くんと同じテニス部の。背が高くてとても目立っていた。
こんなに柔らかい人なんだなとまじまじ凝視してしまった。やっぱり話してみないと人ってわからない。忍足くんもそうだった。

鳳くんは会釈をすると、近場から本を探して手に取っていった。本棚を曲がる最後まで、私にもう一度会釈を忘れない。
しっかりしてるなと感嘆の息を吐きながら振り返ると、忍足くんが本棚の逆の入り口に立っていた。今度こそ想定していた人物が現れ、どうにか短い音のみで驚きを抑える。

「あっ、ほ、本、読み終わったの?」
「……いや、まだやけど」

珍しくぶっきらぼうに返された。
忍足くんは私と目を合わさず近寄ると、黙って本棚を見上げて選び始める。確かにここは図書館だし、元々口数が多いわけではないけれど、この沈黙は肌がピリピリと痛くなるそれだった。

……見られていたかな。
別に悪いことはしていないのに、何故か浮気現場を目撃された気分だ。忍足くんに普段してもらっていることを他の人にしてもらう、それを忍足くんに見られる。この居た堪れなさはなんだろう。忍足くんに迷惑をかけているわけでもなしに。

「……」
「……」
「……せやな、俺だけが手を貸すわけとちゃうよなぁ」
「……!」

氷帝学園は私立ということもあり、一般的なマナーを身につけている生徒は多い。困っている人がいれば助けるのは当然だ。今回の鳳くんのように、無謀にも背伸びしている私を見て哀れに思って手を差し伸べる人はきっとこれからも現れるのだろう。忍足くんはそれを案じてくれているのだ。何度も人の手を煩わせて大丈夫か、と。
少女漫画のヒーローみたいにまた忍足くん手伝ってくれないかな、と期待している私があまりにも幼稚で、顔から火が出そうになった。

「わ、私、ちゃんとこれから台使うから……!」
「え?」
「忍足くんにも誰にも、迷惑かけないようにするから!」

しー、と彼の人差し指が口元に寄せられて慌てて口ごもる。忍足くんは困ったように眉を下げると、「迷惑はかけられてへんで」と囁くように続けた。

「俺の好きなようにしただけや。ほんでもちょおやりすぎたな」
「え……?」
「図書委員の仕事気張りや。俺をヒーローにさせてくれておおきに」

何を言っているのかよくわからなくて、え? え? と混乱している間にも忍足くんは肩を軽く叩きながら私を横切って行った。ぽつんと本棚の間に取り残される。

……何?
多分優しくフォローされたんだと思うけど、やりすぎたって、どういうこと? プルプル背伸びする私を遠くからぷぷぷと笑って見てたことをやりすぎたなってこと?

忍足くんが見ていた本棚を見上げる。虫の図鑑が並んでいた。ラブロマンスだけでなくこういうのも読むのかな。




高い所の本が返却されたら今度は絶対台を使う、だなんて当たり前なことを勇んでみたはいいものの、あれからパタリと借りられることがなくなった。
そうなると忍足くんとの接点もなくなる。彼が読書している後ろ姿を見ながらブックトラックを押すだけの仕事となってしまった。いや、まあ、元々そういう仕事なのだけど。

きっかけってこんなにも掴めないものなんだ。あのひと時って、本当に凄く大切な時間だったんだな。
教室でも図書館でも話しかける勇気のない私は、どれほど高い位置の本に救われてきたか、今更知った。今まで厄介もの扱いしてごめん。誰かが高い位置の本を借りない限り、忍足くんに頼み込むこともできない私の方が厄介であった。

ブックトラックを押して、のろのろと本を戻していく。
ここの本棚の、そうそうこの一番上。ちょうど真ん中のあの本を戻そうとした時に、忍足くんに初めて手伝ってもらったんだ。一瞬で心を奪われた。

次の本棚の一番上の真ん中の本も見覚えがある。これも忍足くんが代わりに戻してくれた。確か初めて十分という長い間話せたな。

次も、そのまた次の本棚も見覚えがある背表紙を見つけ、忍足くんとの短い思い出がぽつぽつと浮かぶ。
決まって一番上の真ん中。ちょうど通り道から死角になる場所の位置の本が借りられてはその度戻していた。

軌跡を辿って、そこであれ? とふと思う。
本棚は違うにしてもどこも同じ位置の本ばかり借りられている。こんな偶然あるのか? なんて考えて、もしかして同じ人が借りているんじゃないかと思い至った。

やっぱり狙ってやってる! 忍足くんの他にも悪趣味な人はいるもんだ、と脱力した。どの本もジャンルが違うし、ろくに読んでないんじゃないかとも思う。図書委員の仕事に一手間加えて何が面白いんだか。とはいえ、良い夢(少女漫画)を見させてもらいましたけど。
空になったブックトラックを引っ張って受付に戻り、図書委員専用のパソコンを開く。『高い位置の本を借りていた人は同一人物』という自分の推理の答えを知りたくて、思い出せるタイトルを打ち込み貸出者の名前を開いた。

ご名答。私の推理は当たっていたらしい。
最新の名前がどの本も同じ人で、私は「うそ……」と呟きながら立ち上がった。急に心臓がうるさく鳴り始める。急かされるように本棚の海へと早歩きで向かった。

途中で踏み台を拾い、受付からも読書スペースからも遠い本棚に辿り着く。震える足で台に乗り、本棚の真ん中の一番上の本を手に取った。私はこれを戻したことがない。まだ"彼"が借りたことのないはずの本だ。

本を持って小走りで読書スペースへと戻る。本に集中している忍足くんの後ろ姿に近づき、深呼吸を二度ほどしてから肩を小さく叩いた。振り返った彼は私を認めると、手元の本に目を落とす。

「どしたん?」
「これ、借りない? オススメなの」

今まで高い位置の本を借りていた人は忍足くんであった。哲学とか、大豆の育て方とか、ゴルフとか、全然興味がないでしょって本も借りられていた。
なんでそんなことしていたのか。訊きたいけど、でも同じ気持ちなんじゃないかと願ってしまう。
今、私が忍足くんに借りてほしいと差し出している意味もわかってくれるんじゃないかと、祈ってしまう。

「……どんな話?」
「えっ?」

予想外の答えが返ってきて思わず高い声が出た。周りから疎まれる視線を感じ、慌てて息を飲む。忍足くんは丸眼鏡の向こうの切れ長の目をじっと私に突き刺してきた。

伝わらなかったかな。また、ヒーローみたいなことをするあなたが見たいと、素直に言った方がいいのかな。でもそれはだいぶ恥ずかしいな。

「えっと、あの……」言い淀む私に、ふ、と一つ息を洩らした忍足くん。それはもう頬を綻ばせていた。

「堪忍な、悪趣味で」

私の手を覆うように本を掴まれ、震えが伝わってしまうのではないかと思った。おそるおそると手を離す。100mを全力で走り切った後のような脱力感が襲ってきた。
忍足くんは本を大切にそうに一撫ですると、ちらと私を横目で見て、さらに小さな声で紡いだ。

「……でも、ほんまの初めは偶然なんやで」

とうとう顔まで背けられて気まずそうにする姿を見てしまったら吹き出してしまうのも無理はない。何度目かの口を塞ぐ。図書館ではお静かに、だ。



21.10.15

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