▼ 謙也くんは好い人
『最終下校時刻になりました。まだ校内に残っている生徒は……』
白石たちと別れ、校門とは逆に校内へと爆走する。下校放送を聞きながら靴をほっぽり脱ぎ、靴下のまま人がいない廊下を進む。もちろん俺のスピードはあまりにも速いため何度か転けそうになったが、逆に滑りを利用して目的の場所へとスライディングをかました。
放送室──今も流れている放送からも、あいつがいることはわかっていた。勢いよく扉を開け、衝動のまま放送室へと入る。マイクの前に座るみょうじがぎょっとした顔でこちらを見てきた。
「またいい人止まりや!」
「ちょ、まだ放送中」
「BGMやからマイクオフしとるやろ!」
ドタドタと中に入り、みょうじの隣の椅子に飛び込むように座る。キャスター付きやったからシャーッと2mは離れてしまった。座ったまま足を動かして戻る。
みょうじはBGMの音量を徐々に下げ、いつもより早めにオフにした。俺に向き直って鼻から息を吐くその顔は、"またか"て書いてある。俺もそう思うねん。
「たまちゃんが女子と恋バナしとってな……俺の話題やったから聞いてしもたんや。"謙也はいいヤツなんやけどね〜"言うてたわ……。なんやこの、告白してへんのにフラれた感じ」
「まだフラれたわけじゃないじゃない」
「俺の話の後、嬉々として白石のこと話しとったんやで。完全に恋愛対象外やろ」
ちょっとええな、とか可愛え子やな、と思った子はみんな俺を「いいヤツ」と言ってくれる。「優しいよね」と褒めてくれる。そんならなんで俺を好きにならないっちゅー話や! いい人で止まるなや! 先に進もうや!
男だけでなく女友達も多いと自負している。自分で言うのもなんだが、人付き合いは得意や。けどそれだけ。モテへん。色のある話なんぞまったくない。おかしい。
「まあ、自分が恋愛対象外だなと思ったら、なかなか行きづらいよね」
うんうん、と頷くみょうじはいつもこうして俺の話を聞いてくれた。中学になって東京から越してきて、同じ放送委員で知り合ったみょうじ。最初は大阪に馴染まなそうな顔しとったが、今や俺の心配も必要なくどっしり構えて逆に俺を励ましてくれる。俺より遥かにいいヤツや。
「どないしたら"いい人"から抜け出せるんやろな」
頬杖をつき、ため息を吐きながら窓の外の暗くなった空を見上げる。
放送室はお気に入りの場所や。俺が放送委員やからっちゅーのもあるが、誰もいなくなった校庭を見下ろすことができる唯一の部屋。誰にも憚らず黄昏れることができる部屋。俺とみょうじが下校放送の当番の日だけ見れるこの景色がわりと好きやった。(さすがに他の人の当番の日に突っ込むことはしない)
「謙也くん自身が変わるんじゃなくて、"いい人の謙也くん"を好きと言ってくれる人を見つければいいんだと思う」
窓からみょうじに視線を戻すと、彼女は原稿をなおしていた。髪に隠れて横顔は見えないが、多分照れているんやと思う。みょうじは俺を励ます時よく顔をそらすのだ。
「おおきにな! みょうじのが俺よりよっぽどいいヤツやで!」
「ははは。嬉しくないな」
「なんでやねん! 俺のは完全に褒め言葉やで!」
「多分謙也くんに言う人みんな褒め言葉だろうけど……」
ようやく振り返ったみょうじは困ったように眉を下げながら笑ったのだった。
放送室を締め、職員室に鍵を返しに行く。「暗いから気ぃつけて帰りや」と言ってくれた先生に頭を下げると、「忍足、みょうじを置いていくなよ」と釘を刺された。
いくら俺が速いとはいえ暗い夜道をみょうじだけ残して帰る真似はしない。愚痴吐くだけ吐いてほなさよなら! て、俺はどこまで情けない男やねん。
「アホ抜かしよる」
「ま、謙也くんはそんなことしないでしょう」
友情に感動したのに、「私を引きずって行くでしょう」と続けたみょうじの肩を小突いた。くつくつと小さく笑っている。ギャグ、わかりにくいねん。
散々"またいい人止まりや!"と愚痴を吐いているが、そこまでショックが続かないのはみょうじのおかげやろなとふと思った。なんやろう。安心感? みょうじが励ましてくれる言葉ひとつひとつが俺を癒してくれていた。
みょうじの放つオーラはどこかゆったりとしているのに、何故かイライラはせえへん。俺らを時計に例えたら俺が長針でみょうじは短針、それでも一緒に回っとる、そういうことなんやろな。
自身で謎の納得をし、隣を歩くみょうじを見下ろす。そういえば、いつも俺ばっかりや。俺ばっかり聞いてもろて全然みょうじの話聞いてへんかった。
今までそのテの噂も話も聞かないので、いないとは思いつつ世間話かのように切り出した。
「みょうじもそろそろ好きなヤツできひんの?」
昇降口で革靴に履き替えるみょうじと、脱ぎ散らかしたシューズにたどり着いた俺。汚れた靴下を軽く払ってから履き、みょうじが昇降口から出るのを待つ。丸くなった目と合った。
「そろそろ?」
「おう。ちょびっとでも気になるヤツもおらんの?」
「私のことはいいよ」
「よおないやろ! 寂しいこと言いなや俺ら友達やん」
「ああ、うん、ええと、フラれてるから」
「そうかーみょうじもかーお互い苦労するわな」
並んで校舎を出て数歩進んで、それから「いやいやいや!」と隣の寺が震えるほどの声が出た。
「好きなヤツおんのかい! なんやもう言えや! なに!? なんで言うてくれへんの!?」
「あんまり言わない方がいいかと思って」
「なんで!? そないヤバイヤツなん!?」
「教えませんよ」
「ずっこいわ! 俺ばっかり言わせておいて!」
「ええーそっちが」
「誰や、俺の知っとるやつ? 白石?」
「みんながみんな白石くんを好きになるわけじゃないよ」
「いいから教えろや〜! めっちゃ気になる!」
「教えない。フラれてるもん。もう。いいの」
ぐ、と口角を上げるみょうじに言葉が詰まる。こうなったらテコでも言わへんな。意外と強情なところもあったのか。知らなかった。
「コラァ! 忍足ご近所迷惑やろが! 静かに下校しろ!」後ろの校舎から先ほどの先生の一喝が聞こえ、慌ててみょうじの手首を掴んで走り出す。校門を抜けたところで止まり、手首を放さないまま頭を下げた。
「すまん。全然気付かへんかった」
「え?」
みょうじの革靴に視線を落としたまま、掴んでいる手に少しだけ力を入れる。
俺はいい人失格や。いや望んでいい人になったわけとちゃうけど。大事な友達の応援もできひんかったって、どこがいい人やねん。
「俺はいつも励ましてもらっとるんに、みょうじが傷ついとる時に何もできんくてすまん!」
ぎゅっと目を瞑り、またさらに頭を下げる。こんなことをしても傷ついた時間は戻らないのはわかっているが、謝らずにいられなかった。
なんで俺気付かへんかったんやろ。結構近くにいたと思ったのに、好きなヤツすらわからへんかった。めっちゃ悔しいな。悔しいわ。
しばらくして「ははは」と面白おかしそうな笑いが降ってきた。
「してるしてる。そのがむしゃらさに癒されてる」
「はあ……?」
「謙也くんはやさしいな」
何度となく聞いてきた形容詞だが、咄嗟に返す言葉がなく黙ってしまった。
俺は全てを曝け出しているような気がするが、みょうじはそうではなさそうだ。曖昧にごまかされ、釈然としないまま手首を放す。
少し寂しくなったものの、これからみょうじを応援すればええんやないか? と思い至った。これから、絶対、みょうじに好きなヤツができたら、俺がいっちゃん近くで応援するんや。
「ちなみに次行くとか、予定は……」
「あー、そうね。その方がいいんだろうね。でも他に"いい人"なんて見つからないんだよ」
おずおずと訊ねてみると、みょうじは半ば諦めたような笑みを浮かべた。笑っているのにしんどそうで、無理やり口角を上げましたと言わんばかりで、咄嗟に彼女の両肩を掴む。外灯に照らされた俺らの影がくっついた。
「見つけたる」
「え?」
「俺がみょうじに合う男見繕ったる!」
「……い、いいよ、私のことは。謙也くんは自分のこと……」
「俺は休憩や。 みょうじが幸せになるのん見届けるまでは動かれへん」
「い、」
女子にも男子にも「誰かいい人紹介して」と言われることは多かった。意外にも仲人の素質があるのか、俺が紹介し合った男女の成就率は悪くない。みょうじにもお膳立てすることはできるはずや。もう、無理に笑わへんでもよくなるはずや。
言い知れない靄を隠し、ドヤ顔でみょうじを見下ろすと、強い力で胸板を押された。その勢いで退がった彼女の顔は俯いていて読み取れない。空気が肌を刺し、何か悪いことを言ったかと察する。
「す、すまん……?」少し屈んで覗き込む。いつもと変わらん緩やかな笑みを向けられた。
「じゃあ、紹介してもらおうかな」
「お、おお! 任せとき!」
肩を掴んだのが嫌だったのかもしれん。セクハラになるもんな。気をつけよ。ベタベタするヤツは紹介したらあかんな。
すっかり暗くなった歩道を並んで帰る。みょうじが誰かと付き合うたらこうして一緒に帰るんもできなくなるかもしれへんな。そう思ったら足の底に力が入り、ほんの気持ちスピードが緩まった。
俺がみょうじに合う男を見繕うと言ったな。アレは嘘や。
正確に言うと見つからなかった。いや、ええんちゃう? という友達はいるにはいた。俺の友達はかっこええヤツばっかりや。せやけどみょうじの彼氏、という観点で見るとどうしても頭を捻ってしまう。少し違うなと思ってしまうのだ。
これはきっと、みょうじのマブ──つまり、近すぎるが故の欠点やな。我が子可愛さに盲目になってまうアレや。
「せやからみょうじに合いそうな男、小春たちの友達におらん? 紹介したいんやけど」
華月で漫才の打ち合わせをしている小春とユウジを訪ねる。一つコントを見させてもらい、爆笑し、休憩のところで相談させてもらった。
ラブルスは俺と比にならないほど交友関係が広い。二人の漫才は四天宝寺中という垣根を超え、大阪全土から注目を集めていた。それほどの輪であれば、みょうじに相応しい男も一人や二人おるやろ。
小春もユウジも、揃って口をあんぐり開けてこちらを見てきた。
「……みょうじちゃんに許可取ったん?」
「おう、紹介してて頼まれたわ。あいつ普段頼み事なんてそうそうせえへんから、俺も張り切ってんねん」
「ヤケになったんやな……」
「そらなるわ……えげつな……」
「なんやねんコソコソと! 聞こえへんで!」
噂話に花を咲かすご近所のマダムたちのごとく、ひそひそと小声で話しながら横目で蔑む視線を送ってくるラブルス。ツッコミを入れると二人は顔を合わせ、肩をすくめた。完全に舐めとる。
「謙也きゅん、あまりみょうじちゃんを泣かすようなことしたらあかんでぇ」
「えっ俺なんか泣かすようなことしとるか!? 喜ばすことしか考えてへんで!?」
「……」
「確かに他にええ男見つけた方がええかもしれんな」
「その方がみょうじちゃんのためになるかもねん」
「またヒソヒソ話しよって……それ俺にも聞かせてや……」
耳をでっかくさせたが全然聞こえなかった。仕方なしに身を乗り出して小春に近づくと「鈍さを小春に移すな!」とユウジにどつかれ声が出る。
「誰が鈍いねん! 浪速のスピードスター捕まえて鈍行とはよう言えたもんや!」
「黙れー! 思考回路も早すぎて本質捉えられてへんのやおどれは!!」
「褒めるか貶すかどっちかにしてくれ!」
「貶し100%やボケ!」
「んもう、アタシのために喧嘩はやめて! ……それよりぃ、みょうじちゃんに合う人、どないな人やろ?」
俺とユウジとの間にぬるんと入り込んできた小春。顔面すれすれまで迫ってきたから焦点が合わない。後ろでユウジが「キスする気か! 死なすど!」と小春の裾を伸びるほど引っ張っていた。俺はのけ反りすぎて腰が痛い。
そんなことよりみょうじや。みょうじを幸せにできる男や。合う人──あいつを見てきた俺が思うに、と顎に手を当てる。
「前提として優しい男やな。あと明るくて前向きなんがええと思う、笑かしたってほしいねん。ほんでみょうじ、溜め込むタイプっちゅーか強がりなとこあるから察してやれる男やないとなあ。支えてほしいねんけど、案外人のフォローも嫌いやないみたいやから、支え支えられができる関係がええんちゃうか? あ、ベタベタはアカン! 適度な距離を保てるヤツや」
ま、ひとまずはこんなとこか。脳内でみょうじの隣に立つ男を想像し、これが俺のベストマンやとラブルスに提示した。二人は真顔で顔を見合わせる。
「なに? ギャグ?」
「どこがやねん! ……まあこない完璧な男なかなかおらんとは思うけどな」
「笑う」
「なにがやねん! ほんで全然笑てへん!」
ふー、と真顔で細く長い息を吐いた二人は、心底面倒そうに端末を弄り始めた。もうちょい真剣に探してくれへんか。あのみょうじの恋やで。知り合って約三年、一言も俺に言わず悟らせず一人で恋を終わらせた子やで。別に根に持ってへん。
「あ、おった。この子どう?」
「どれどれ?」
「オイ小春! なんで写真なんて持ってんねん!」
「お、おお……まあまあイケメンやな……白石には負けるけど」
「なんで蔵りんを基準にするの?」
「小春ぅ! 浮気か!」
小春が選んだ男は俺の友達ではなかった。名前も知らなかったので、簡単なプロフィールを教えてもらう。白石には負けるがまあまあなステータスであった。ほ、ほぉん……と口が歪む。
「ほな、今度の日曜の◯◯駅前に10時集合といこか。みょうじちゃんにも送っといてな」
「え!? なんやそれデートみたいやんけ!」
「まずはデートしてお互いを知らんと、合うも合わんもわからへんやろ?」
ウインクをかましてきた小春に、返す言葉もなく口ごもる。間に立っていたユウジが小春からのウインクによって飛ばされたハートをキャッチしていたが、ツッコむ余裕もなかった。
そういう、もんか。なるほどな。デート。
小春が決めた男や。きっと、俺が述べた条件を多々備えているのだろう。願ってもない話や。みょうじも「いい男見つけた」なんて思うに違いない。
「わ、かった。みょうじに言うとく」なんて小春に返事したものの、その日俺は一年に一度あるかないかっちゅーくらい忙しくて、みょうじと顔を合わす暇もなかったので、夜にメールで伝えといた。急激な眠気が襲いかかり、返信も待たずに寝てしまったのだった。