短編 | ナノ

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「……! ……っ! 〜!」

甘いもんを食うとみょうじはいつも顔を緩ませた。誰も横から取らんのに頬いっぱいに入れ、目をつぶりながら味わう。声にならん声を口ん中で上げ、嚥下した後はふうと一呼吸置く。
命を使いながら食うとるんか、っちゅーその姿が笑えて笑えてしゃーなくて、バレへんようにヨソ向く俺の身にもなってもらいたいくらいやった。好きやったんや。俺は。気づいてへんかったやろな。見せへんようにしとったから。
人より感情が表に出にくいんも自覚しとるし、出すのが苦手でもあった。彼女の好みである「甘さ」なんて持ち合わせておらん俺は口を開けば「塩」がつい出そうで、気の利いたことも言えん俺に業を煮やす気もわかる。

せやから別れるなんて、そない簡単に言えたんやろな。




トークの既読が付かずにもう一週間となる。ストーカー染みた行動とは思ったが、みょうじの行く時間帯に狙ってコンビニに行ってもみたけどいない。完全に避けられている。

目の前でお好み焼きのタネが高速で混ぜられていくのをぼんやりと眺めながら何度目かの息を吐いた。
いい年してなにやってんやろな。嫌われたない言うて、嫌われる行動してどないすんねん。付き合うてもないのに毎度会うたびキスしてくる男なんてそらキモいわ。むしろ今まで突き飛ばされへんかったのが奇跡や。
考えて、再びはあ……と重く吐く。地に埋まってしまいそうな気分であった。

タネがじゅうじゅうと鳴きながら鉄板に伸ばされていく。顔にかかった煙を手で払い、そのまま頭を抱えた。
みょうじもみょうじや。チョロすぎんねん。なにが私にできることあったら、や。張り手の一つもできひんやん。そんなやから俺みたいな男につけ込まれんねや。
考えて、またもやはあ……と重く吐く。自分を棚に上げて何を八つ当たりしているのだと、自責で気が狂いそうになった。

四天宝寺中学校の近くに位置するお好み焼き屋は、今日も多くの客で賑わっていた。
夕方は学生でごった返しとなっているが、現在は仕事終わりのサラリーマンで溢れている。注文が飛び交う声の下、目の前で焼かれていくお好み焼きを待てずにカルーアミルクを引っ掛けた。一気に喉に流し込んでいく。
まるで温泉の後の牛乳のような心地でプハァと息を吐き出すと、ヘラを両手に「どや!!」と謙也さんが自慢気な声を出した。

「形、厚さ、位置取り……完っ璧や。フハハ、謙也プロと呼んでええで!」
「謙也プロ、カルーア注文お願いします」
「プロを軽率に使うな! あっお姉さんすんません、カルーアミルク一つ」

軽率に注文し終わった謙也さんはお好み焼きに視線を戻すと、ヘラを持ちながらソワソワと挙動不審に身体を揺らし始めた。ほんま待てへん人やな、とうろんな目を向ける。
手持ち無沙汰になったからだろうか、謙也さんは俺の空のグラスに目を止めると苦笑いを浮かべた。すでに三杯は並ばれているそれに、自分でももうそんなにいったかと驚く。

「にしてもよお飲むな。その辺にしとき、酔うで」
「俺が酔うてるの見たことあります?」
「……ないな……。せやけどお好み焼きできる前に腹一杯になっても知らんで」
「最近飲めてへんかったからええですやん」

暇になったのでヘラでタネを突いた。「やめや! 最高傑作やぞ!」と威嚇してくる謙也さんの唾がお好み焼きに入っても困るので素直にやめた。

酒に酔ったことがない。度数が高くても、何杯飲んでもぼやけることすらない。元四天中のメンツの中で、酒に激強な小春先輩と遠山と飲み合いができるほどにはザルであった。

──せやから、キス魔なんてなるはずがないんや。

まさか会うとは思わなかった。中学の時に東京へ越して行った以来、彼女は連絡の一つもよこさなかったので何をしているかも知らなかった。
好かれている自覚はあったのだ。告白され、二つ返事で了承した時のみょうじがとても嬉しそうであったし、手を繋いだ時はそこから汗の滲む熱が伝わってきた。視線は感じるのに話しかけられないのも意識しているからだと思っていた。
どれほど好かれていても人の心なんて簡単に移り変わる。それも物理的距離で比例していくのだろう。卒業なんてありふれた別れで、簡単にフッてくれるのだ。大方遠距離恋愛なんてしたくなかったのだろうと自分を納得させ、もう二度と起こらないだろう気持ちに蓋をした。

蓋ができていた。俺を記憶に残しているみょうじを見るまでは。

「でも財前、最近付き合い悪かったやんな。あれ飲んどったんちゃうんか?」
「飲めてはなかったですね。我慢しとったんで」

よくキス魔を信じたな、と思う。逆に心配になった。こうして何度も男に騙されてきたのではと思ったが、さすがにそうであれば学習しているだろう。となれば自分だからか、と思うと何とも言えないほの暗い愉悦が浮かんだ。
しかしキス魔にかこつけてキスをしていく関係も終わった。終わらせた。酒も入っていない状態でキスをしたのだ、さすがにお人好しでアホなみょうじも気付くだろう。現に避けられているので、それが彼女の答えなのだ。嫌われた。酒を飲まなければやっていられなかった。

ぐるぐると相反した感情が頭を回る。こっぴどくフッてくれた彼女を傷つけることができた復讐心と、彼女を騙していた罪悪感と、簡単に代わりを提示してきた彼女に対する怒りと、嫌われた悲しみと、一気に押し寄せてきた波を処理できる耐性はなく、初めて酔った感覚を味わう。
それでも謙也さんの前でそれを見せるのは羞恥が浮かび、その自制心によりどうにか普通の顔ができていた。

「なんや、好きな子でもできたんか」
「え?」

謙也さんは両手でヘラをお好み焼きの下に挿し、「ヨッ」との掛け声と共にひっくり返した。形崩れもせずに綺麗に裏返ったお好み焼きを前に、「プロや!」と叫ぶ謙也さん。俺が訝しむ視線を向けていることに気づき、せやろ? とばかりドヤ顔をかましてきた。

「お前好きな子には一段とカッコつけとったしな。酒も我慢するほどカッコつけたい相手、見つけたんやろ」
「……ぜ、全然ちゃいます。格好なんて」

格好なんてつかなかった。みょうじとキスがしたかっただけやったんや。当時ずっとしたいと思っていたから。
謙也さんと話していると自分の男丸出しのアホさが浮き彫りになる。もう黙ってくれ、とばかり大きな息を吐きながら俯いた。
「お待たせしましたカルーアです」ちょうどカルーアミルクが届き、再び勢いよく呷る。
顔を上げたから視線ももちろん上方を向いた。人でごった返す店内で、通りの真ん中で突っ立つみょうじと目が合ってブホッと噴き出す。お好み焼きのプロは咄嗟に皿でお好み焼きを守っていた。

「あぶな!! なんやねん誤嚥か!? 大丈夫か!?」
「ゲホッ、ゴホ、……みょうじ」
「え?」

みょうじは表情を固まらせ、俺から俺の手元にある大量のグラスへ視線を落とすと、くるりと踵を返した。動き回る店員や、賑わう客の間を抜け出入り口へと向かっていく。
咄嗟に腰を上げたが足が動かなかった。また拒絶されるかもと、怖がっとるんか? 情けな。
自分のクソみたいな面を次々と捲っていくみょうじにいっそ苛立ちが浮かんだ。お前と会わなかったら俺は格好ついたままでいられたんや。

「なにやってん財前! 今の子やろ好きな子!」
「うっさいっすわ。そもそも謙也さんのそのデカい声で気づかれ……」
「行け! 財前! 追いかけるんや!!」
「人をポケモンみたく言いなや」
「カッコつけとる場合ちゃうで!!」

テーブルに手をつき、彼女が去っていった方向を指差しながら謙也さんが激しい剣幕を見せる。おかげで店中がこちらを見ているし、彼の唾ができたばかりのお好み焼きに入り込む。もうこんなん食えへんわ、そう思うと足が動き出した。
店に入ろうとしているおじさんらに軽く謝りながら抜け出す。外は暗く通行人もまばらであった。通りに出て見渡すと、早歩きで去っていくみょうじの背中が見えた。認識した瞬間、あれだけ動かなかった足が弾かれたように前に出る。

ヒールを履き始めた時期も、化粧が上手くなっていく様子も、仕事で揉まれ始めた頃もなんも俺は知らん。
今のみょうじでわかることなんて、騙されやすくてちょろくて、会うたび可愛くなって、仕事後ボロボロになっても俺と会うてくれることや。
みょうじは変わった。変わってへんのは俺や。どんなに変わろうがお前を、また。

「待て、や、みょうじ……っ」

腕を掴んで振り向かせると、みょうじは溢れそうなほど目を大きく見開いた。追いかけてくるとは思わなかったのだろう。よく俺のことをわかっている。でも残念やな、カッコつけとる場合ちゃうねん。

「なに逃げてんねん。弁解くらいさせろや。聞いてからぶん殴ればええやろ」
「な、なに……言っ……」
「さっきの見たやろ。ほんまは酒飲めんねん。酔うたフリしてみょうじを襲っとったんや。ずっと騙しとったんよ」

彼女の腕から下がり、手を掴む。びくりと震えたそれを無視し、寒気で冷たくなっているその手を自身の頬に持っていく。

「目覚まさせてくれへん? 今度こそ吹っ切るわ」

みょうじの目が衝撃を受けて歪む。彼女の手を離すと、その手がバッと振りかぶったので反射で目をかすかに瞑った。
いつまで経っても頬に痛みは来ず、ゆっくり目を開けるとみょうじが見たこともないぐらい肩をわなわなと震わせ、眉をきっと吊り上げこちらを睨んでいた。

「……わ、たしが、財前くんを叩くなんてできないって……言ったでしょ……!」

今にも泣きそうな声であった。

「上手く整理できてないんだよこっちは! いきなり実は酒豪ですって姿見せられて、騙してたんですーだから叩いていいよってされてもさあ、わけわからないよ!」
「……」
「なんでキス魔のフリなんかしてたの!? そこまでしてキスしたかったの!? 欲求不満なの!? 他の人にもしてるんですか!?」
「人を変態みたいに言うなや。こんなアホみたいなんみょうじしか引っかからんわ」
「謝ってるんですよね!?」
「……すんません」

手を後ろで組んで頭を下げれば、みょうじは肩で息を切らせながら口を閉じた。こんな彼女は当たり前だが交際期間でも見たことがおらず、まじまじと見てしまう。くしゃくしゃに眉や唇、顔中の寄せるところを寄せ、彼女はそのまま手で顔を覆う。「わからない……」呻くような声が指から漏れて聞こえた。

「それじゃまるで……まるで、財前くんが私と……」
「キスしたかった」
「……」

とうとう震えていた肩まで止まってしまった。彼女の言う整理が始まったのだろう。
自分の欲望だけ伝えてしまうなんてよほどカッコ悪く、中学時代の自分が見たらどんな悪態が飛び出してくるかわからない。
言ってからさすがに引かれただろうか、と思い覗き込むように頭を下げると、彼女の耳が赤く染まっていることに気付いた。

「……なんでキス魔のフリなんか」
「……や、せやから、したかったから」
「どうして普通に好きって言……。……」

息をのむように言葉を止めたみょうじの表情を見たくて彼女の手首を掴む。そっと下ろすと耳と同じ色の顔が現れて、思わず目を瞬いた。口に出してはいけなかったものを呟いたかのように、彼女はしばらく視線を彷徨わせると、諦めたように息を吐いた。

「私が嫌じゃなかったって、財前くんならわかるでしょ。お酒のせいにしなくたって付き合ったら何回だって、……」
「……」

これはきっと、みょうじなりの告白だ。もしくは告っていいよと遠回しに言っているのだ。嘘をつかれてきたのにそれを許すみょうじの気が、俺に戻ったのだとわかった。
嫌われていないことに安堵の息を小さくつく。しかし「付き合おう」は出てくることがなかった。二の句が継げない俺に何を思ったか、みょうじはハハハと空笑いを溢す。

「付き合う気はないとか」
「付き合えへんやろ」

キンとした空気が肌を刺す。驚愕に目を丸くしたみょうじが、次にはやんわりと口角を上げつつ眉を下げた。自分の言葉が彼女を傷つけてしまったのだとわかる。俺がみょうじと付き合う気もなくキスだけしたと思っているのだ。
違う。付き合えへんのはみょうじの方やろ。

「自分また東京行くやん」
「……え?」
「単身赴任で来ただけなんやろ。また行ってまうやん」

悲壮感いっぱいの顔はどこにいったのか、みょうじは理解ができないとでも言いだけにぽかんと呆けた様子で止まった。自分の立場を思い出したのか、「あ、う、うん。まあね」と頷く。

「……あの、財前くん、今はSNSというものがあってね。連絡も取りやすいし交通も便利になったし遠距離でも続いてる人はいてね」
「わかっとる」
「あ、あー、そうね、まあこうやってすぐに飲みに行けないし」
「そっちが耐えられへんねやろ」

みょうじが卒業を機に転校することになったと知って、遠距離でもええでと伝える間もなく「別れよう」と告げられた俺の気持ちなんて知らんやろ。
嫌われたなくて文句の一つも言えず、せめてショックを隠そうと努めてようやく「わかった」だけ出せたことも知らんやろな。
魚の苦い所のような靄がずっと心の片隅に残っとる。

「……もうフラれたないねん」

溢すように呟いた。言った後、格好悪すぎて笑いすら洩れた。言葉に出すとごちゃごちゃ考えていた自分の感情が綺麗にまとめられて、いやにスッキリとした感覚となった。
ふとみょうじを見ると、想像以上に間抜けな顔で固まっている。予想外の台詞だったのか、目の前で手を振るとようやくハッと我に返ったようだった。一気に茹でダコになった顔で汗を飛ばし、ひっくり返った声を出す。

「ざ、財前くんそんなに私のこと好きだったの!?」

無神経な一言にカチンときたので顎を掴んでその唇を覆ってやった。




数日後、いつもの居酒屋の個室。しばらく酒を呷っていると、目の前のみょうじは「はー」と感嘆の息を洩らした。

「本当にお酒飲めるんだね」
「……」

責めたわけではないようだが、居心地が悪くなったので無言で返す。彼女はそんな俺を特に気にせず、いつも通りやれ上司がどうだとか久しぶりに旧友に会っただとかの話を続けた。
交際していた時はなかなかできなかった会話も、「飲み友達」という枠組みが付くとこうもスムーズに進むものだ。当たり前だがキスもできなくなったので正直つまらんなという気持ちは常について回る。さすがに見せへんけど。

「お待たせしました、白玉ぜんざいです」
「ありがとうございます。きたきた」

テーブルに乗った白玉ぜんざいに目を輝かせ、改めて手を合わせるみょうじが面白く、ついスマホに手を伸ばした。カメラを起動しようとして、いやいやと首を振りそれを置く。その間にも彼女は一口二口とぜんざいを運んでいた。

「……! ……っ! 〜!」

頬いっぱいに入れ、目をつぶりながら味わうみょうじ。声にならん声を口ん中で上げ、嚥下した後はふうと一呼吸置く。相変わらず命懸けてるなと思うと、自然と笑みが溢れた。

「はは、必死や」

俺も相当ここの白玉ぜんざいは好きやけど、みょうじほど幸せそうには食えへんな。見ていると代わりに表現してもらっているようだ。つまらない気分などどこかへ飛び、満たされた気持ちで自分もぜんざいを突く。
ふとみょうじがスプーンから手を離し、「あの……」と姿勢を正した。

「……財前くんにお知らせがあるのだけど」
「? なん」

膝に下げていた視線はえーと、と細められる。しばらくスプーンを動かしたまま様子を見守っていれば、みょうじはだんだんと肩を萎ませていった。

「……なんでもないや。乾杯!」
「乾杯しませーん」

誤魔化し方を真似してきたみょうじに倣い、グラスを取ってサッと避ける。狙ったものが急にいなくなったからか、彼女はグラスを掲げつつガクリと肩を落とした。
ですよね、なんて苦笑いを浮かべるみょうじに顎で先を促せば、緊張を感じる面持ちで決意したように一つ息を吐いた。

「勤め先、こっちでも良いって言われたんだよね」
「え?」
「東京じゃなくて、異動というかその、そう、大阪にいれるんですよ。上司が承諾……じゃなくて、ええと、辞令が出て」

目を泳がせる彼女に言葉が出ない。白玉が喉につかえたようだ。
冷静になるためカルーアを呷り、「へえ」と声を出すと予想以上に高くなってしまった。こちらを、多分俺を、選んでくれたみょうじにガーッと全身が熱くなってきた。酒でも手に入らない酔いだ。
みょうじはちらちらとこちらに視線を送り、俺の言葉を待っている。なんて言ってほしいか痛いほどわかった。以前に『財前くんの言いたいことが私の聞きたいこと』と言っていたみょうじだ。こうした結果になるとわかって言ったわけではないだろうが、その通りだとつくづく思う。

「そら嬉しいわ。甘いもん食べる時のゆっるゆるなみょうじ見るんおもろいから」
「またそれ」

言わないんかい、と顔に書いたみょうじはわかりやすく肩を脱力させた。ニヤケが止まらない。つい癖で緩む口を隠しながら、指の間から声を洩らす。

「せやから俺と付き合うて」

塩ばかりしか持っていないと思っていたので、自分からこれほど甘みを感じる声色が出ると思わなかった。この甘さはみょうじの好みだったようで、驚愕に目を丸くした後、笑ってしまうぐらいの緩んだ顔を見せてくる。
みょうじはちょいちょいと指先で手招き、内緒話をするように口元の横に手を付けた。返事をくれるんやろなとわかってテーブルに身を乗り出す。予想通りの答えが唇に触れてきた。


20.11.30


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