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「朝からお熱いですねえ」
「うおお!」
「んぶ」
突然聞こえた声に咄嗟に腕を伸ばし、御手杵の顔を両手で引き離す。てっきり地面に落ちるかと思ったが、それでも御手杵はがっしり抱えてくれたので、彼の腰が逆方向に曲がることで止まった。
「おーい痛えぞ、なにすんだよ」
「あの違うから今御手杵は私を手伝おうとしてくれてね」
「接吻の?」
「なんでそうなる!」
キネは高いから抱えられないとチューできないと思って、と顔を見合わせ、掛布を抱えた鯰尾と骨喰は頷き合う。他人の恋路で盛り上がる女子高生の幻覚が見え、思わず目を擦った。
「あ!」と何かに気づいたように目をかっ開いた鯰尾。幻覚は霧散する。
「掛布! 落ちてる! あちゃー土ついちゃったかな」
「あっごめん、私が落としたんだ」
御手杵の肩を叩くと、彼はゆっくり私を下ろしてくれた。足元に落ちたシーツを拾い、草がついた部分を手で払う。少し土もついてしまったのでやはり洗い直しが必要だろう。
私と視線が近くなったからか、まじまじと見ていた骨喰が「顔色が悪いな」とぼそり呟いた。
「あ、そうそう、主眠れなかったんだって。ほらここに隈あんだろ? わざと落としたんじゃないから許してくれな」
「……御手杵……」
「え、なに?」
まるで紹介でもするかのごとく、ご丁寧に私の目の下を指でつんつんと突きながら、ほらなとばかり鯰尾らに向く御手杵。
呆れたらいいやらフォローに感謝すればいいやら、脱力しながらかぶりを振った。
鯰尾は抱えていた洗濯カゴを地面に下ろすと、洗い立てのシーツを取り出しながら「なにか原因があるの?」とこちらに向いた。
「原因?」
「眠れない原因だよ。俺たちに斬れるもの?」
「き。……斬れるものだったら斬るの」
「そりゃあ刀だし」
実力行使すぎるな。優しさが強い。ひとまず厚意に礼を述べると、御手杵が違う違うと私の代わりに手を横に振った。
「本の読みすぎで夜更かししたらしいぜ」
「え? どうせ夜更かしするなら俺たちと飲もうよ。今日は星見するんだよね」
「ああ」
「おっいいな俺も参加していいか?」
和気藹々と盛り上がる三人に、ふと、私も混ざればあの夢に怖がる暇もなく楽しく寝落ちするのではないかと思った。
なにより楽しんでいる彼ら──御手杵の姿を見ればきっと、安心もするだろうと。
参加表明をすれば、三人は見るからに嬉しそうに笑顔を見せてくれた。
私が来るってだけで喜んじゃうなんて、可愛いコたちだね……と感慨深くなり鼻の下を擦れば、「主参加なら、いい酒出すの長谷部さん了承してくれるね」と聞こえてきた。聞かなかったことにした。
御手杵たちと別れ、落としたシーツを家事室で洗う。
廊下から賑やかな声が近づいてくると思ったら、案の定粟田口面々が顔を覗かせた。
まさか私がシーツをじゃぶじゃぶ洗っていると思わなかったのか、前田くんが慌てて「代わります!」と飛んできた。つられて他の粟田口面々がわらわらと取り囲んでくる。
シーツを洗っている経緯を話すついでに、夜の星見のお誘いもしてみた。彼らが誘いを無下にするはずもなく、楽しみだと一気に上がるテンションを見た。
あとは彼らが散り散りになって広めてくれたようで、星見の時間が迫ってくる頃にはすでにいっぱいの男士たちで庭は埋められていた。
ござを敷いている者もいれば、縁側で茶を用意している面々もいる。軽食を運ぶ厨房組は忙しなく動いているし、まだ星がやっと光ってきたばかりだというのに酒呑み軍団の周りには既に酒瓶が転がっている。一種のお祭り状態だなと苦笑いが洩れた。
そんな中でも長身の男士たちは目立つ。特に御手杵は大太刀や槍連中から離れ、脇差に混ざっていたので目が向いた。
行き交う歌仙と燭台切を労いつつ、縁側に腰かける。もう一度脇差たちの方へと向くと、ちょうど御手杵がこちらに近づいてくるところだった。
「元気か?」
「なんだそれ」
私の真似だ。思わず笑みが溢れる。
御手杵は私の隣に腰掛けた。ひと一人分も空いていないその距離に、妙に意識して目を泳がせてしまう。
「あれ流れ星じゃない!?」誰かの声が響いて、話に盛り上がっていた者も酒を飲んでいた者も皆一気に空を見上げた。
私も同様で、えどこ? なんて上を向いたけれど、唯一、御手杵が空ではなく私の顔を覗き込んできたので息をのんだ。
「端末じゃねーだろ」
「え?」
「こいつ、作った原因。俺に関係あることなんじゃないか?」
そうしてまた私の目の下に指で触れてきた。
問い詰めるというわけでもなく、答え合わせかのように御手杵は静かに訊いてきた。夜に被せられた光悦茶色の瞳が、じっとしばらく私の答えを待つ。
なんで、とでも言いたげな表情をしていたのだろうか、なかなか口を開かない私を見て御手杵は頬を緩めた。
「朝来たろ? 珍しかったからさ」
思うことでもあんのかなーと思って。言いながら御手杵は体を戻していく。視界が開けて星空が広がったけれど、それを見る余裕なんて今はなかった。
「自分の所に来ることが珍しい」、なんて言わせてしまうなんて。
主としての不甲斐なさに臍を噬む思いだった。今まで、しばらく、そう思わせてしまっていたのだろうか。御手杵だけじゃなく、そう思ってる男士たちは他にもいるかもしれない。
咄嗟に言葉が返せなくて、でも私が落ち込むのも違うと思って、せめて落胆を隠すように努めて声を明るく出す。
「用もなきゃ御手杵の所に行っちゃいけないのかーい」
「そんなことはねーよ。責めてるつもりもないんだ。俺のことで悩ませたくないだけさ」
ドストレートな気遣いに目を見張る。元から垂れ目がちなそれが、どことなく優しさを増しているように見えた。
「……。や、悩んでは」上手く出てこずに喉でつっかえてしまう。
「俺じゃなかったら良いんだけどな。あ、いや、悩むのはよくないな。うん」
頭をがしがしと掻いて一生懸命言葉を選んでいる御手杵を見ていると、固まった頬が緩くなっていくのを感じた。
血濡れた夢の面影はどこにもない。その抜けた空気感にぽろっと言葉が洩れた。隠し事をすることで彼に心配をかけることは、本末転倒だと思ったのだ。
「嫌な、夢を見てるんだよね。最近。それで、気晴らしに朝散歩したら御手杵いたから……」
御手杵の顔を見たかったから、という旨は伏せ、夢の内容は触れないでくれと願いながらぼそぼそと呟いた。
周囲の賑やかさにかき消されたかもしれない。それほど小さな声量だったはずだが、「夢かあ」と間延びした返事をされた。頭ひとつ以上出ている彼の耳にもしっかり入ったようだった。
「あれは厄介だよな。俺も嫌な夢ずっと見てたからわかる。随分前に見なくなったが」
「それだよ」
「どれだ?」
「どうして見なくなったの? コツとかある?」
「こつぅ?」
隣にずずいと身を乗り出すと、御手杵は目を丸くしながら身を退げる。
うーん、と顎を摩る彼は思った以上に早く返してきた。
「慣れたんだな」
「慣れ」
結局それか。なんだ、と肩透かしを食らった。いや、いわば経験値を上げることだからどの分野でも必要なものではあるけれど、それでもだ。
男士たちが──御手杵が、殺される夢を見る。見た後に戦場に向かう彼らを見て夢がフラッシュバックする。それを回数こなすことで平然と起きれる自分になるのは、心を捨てたようでちょっと嫌だな。
「なんか期待してた答えと違ったか?」
「いや、慣れも大事だよね。うん。どうもね」
「煮え切らないな……なんの夢だったんだよ」
「……」
「まー言いたくないなら聞かねーけどさ。あ、俺の夢とか言わないよな?」
核心を突きすぎて逆に怖い。
驚愕を見せないように顔を引き締めると、それに気を取られて言葉が出なくなってしまった。私の本丸の男士たちは妙に鋭いところがあるようで、「うえ、本当か?」と察した御手杵の様子にあちゃーバレたか、と肩を落とした。
「俺が主を眠れなくさせてるのかよ!」
「いや言い方!」
なんだよー、と頭を抱えた御手杵の大きめな声量に、慌てて諌めながら辺りを見渡す。幸いにもみんな星空や会話に夢中になっているので、恐らく聞こえていなかっただろう。
ほ、と息をつくと、遠目でにっかりと視線が合った。意味深に微笑まれる。その距離では聞こえていないとは思いつつも、違う違うと首を横に振った。
「ごめん、そういうわけじゃないからさ。だから御手杵もう少し声抑えて」
「ちょっと、いや大分凹んだな……。まあでも俺なら対処法はある。多分俺の夢は見なくなれる」
「えっなに!?」
「主もうちょっと声抑えた方がよくねーか?」
お互いに人差し指を立てて一呼吸置く。
御手杵が殺される夢を見なくなる方法があるというなら、願ったり叶ったりだ。彼の言う対処法を告げられるまで待つ。
にこー。
御手杵に、突然無言で満面の笑みを向けられた。のんきなその様子に呆然と間が空く。
いつまでもにこーと笑っているだけで、御手杵は何も発さなかった。
なん……だろう、なんで急に笑顔なんだろう。幸せそうで、気の抜けていて、どこか安心するような御手杵らしい……私の好きな笑顔だけれども。なぜ、突然……。
「どうだ?」
「なにが?」
私の返答に御手杵は「なんで?」といった理解し難い顔を向けてきた。正直それは私の気持ちであった。
互いに疑問符を頭上に飛ばしていると、御手杵を通り過ぎた視界にひょっこりと日本号が顔を覗かせた。「邪魔して悪いな」と悪びれた様子もなく近寄ってくる。
「長谷部がこの間買った酒出すの渋ってんだ。主からも一言言ってやってくれよ」
「あ、うん。ごめん行ってくる」
「おー」
対長谷部用に酒の交渉として扱われることは珍しくない。随分と重くなった腰を上げて、御手杵と手を振り合う。
「邪魔して悪いな」語気を強めながら再び言う日本号はニヤニヤしていた。小学生男子かって、と彼の二の腕を小突く。固くて私の肘が痛くなった。