短編 | ナノ

▼ 室町とバレンタインデー

室町の彼女は山吹中テニス部のマネージャーで、一つ年上の先輩だ。
部員たちに慕われ、優しいながらにもテキパキと仕事をする姿に、彼女を狙っている男が部内にも数名いると聞いたことがある。
正直室町は、自身が相手にされることはないだろうと思っていただけに、告白して了承を得たのが夢のようであった。思わず「え、マジでいいんですか?」と聞くほどであった。

千石のように目立つことが得意ではない室町は、彼女と付き合い始めても公表はしなかった。話が広まれば、人気の高い彼女のこと、部員たちから様々な目線を向けられてしまう。
バレた時はそれまでと覚悟はしていたものの、室町と彼女の距離感がそう変わらなかったためか、交際が明らかになることはなかった。
そうして平穏に、ゆるやかに、交際日数を着々と増やしていったところで、皆に内密にしていた仇が初めてそこで訪れた。
室町は、サングラスの向こうの瞳をほんの少し細めた。

「ぃやったー! マネからのチョコ〜!」

浮かれた千石の声が妙に癪にさわる。
いや、わかりますよ。先輩からのチョコ嬉しいですよね。どころか、千石さんは誰からもらっても喜ぶから、きっと今回も同じ心持ちなのだろう。別に彼女を狙っているというわけではなく。

部活後、ロッカーを開けると可愛らしいチョコレートが置かれていた。
「これからも頑張って」という短いメッセージと共に置かれたチョコに、部員たちは歓喜の声を上げる。
昨年も彼女は同様に皆に配っていたし、彼女からのチョコを独り占めしようとだなんて思ってはいなかった。けれど、恋心は人を欲張りにするのか、皆平等なこの光景がなんとも面白くない。

「勝手にロッカー開けられるのもな🌱」
「プライバシーというものがあるし🌀」
「とかなんとか言ってー、嬉しいくせに!」

とはいえ彼女を悪く言われるのも心外である。室町は自然と曲げた口に気づかれないように、早々と着替え始めた。
彼女からのチョコは帰ってから堪能しよう。これから一緒に帰るのだ、ここで心を乱してせっかくのバレンタインデーを苦い思い出にしたくない。

白い制服に身を包み、しっかりと彼女からのチョコを鞄にしまって、室町は一足早く先輩らに「じゃあ……」と切り出した。お先に、と続くことができなかったのは、南が千石と自身のチョコを見比べて疑問符を飛ばしたからである。

「千石のやつ、俺らと違くないか?」
「本当だ。すごい凝ってるな」
「え?」

千石も今気づいたのか、自分と地味'sのチョコを見ては「ああっ」と驚愕の声を上げた。
地味'sだけではない。他の部員も同様なチョコであるが、千石のそれだけは包装が違ったのだった。そう、まるで本命チョコのような。

「千石にマネージャーの本命チョコが渡ったって!?」

話題は瞬く間に部室内に広まった。どれどれと千石を囲むように部員たちが集まる。
その光景を眺めて室町は、一人取り残され立ちつくした。

──……え? 本命って俺じゃないの?

もっともな問いである。勇気を出して告白し、はにかみながらも頷いてくれた彼女。それからみんなには内緒にしていたけれど、穏やかに恋を育んでいた。
順風満帆だったはずだ。

自分が手に入れたチョコを見返すと、地味'sらと同じものだったから室町はショックから微動だにできなかった。しばらくして震える手でスマホを持ち上げる。SNSを開き、慣れた指先で打ち込んだ。

『【ゆるぼ】彼女が他の男に本命チョコを、彼氏に義理チョコを送る意味』

室町はネット住民であるので、息を吐くようにつぶやいた。すると次々と返信がくる。

『義理じゃなくてそれが本命なのでは?』
『実は好きじゃなかったとか』
『彼氏と思ってただけで、その男が本命だったんだろ』

慰めや抉るような言葉の数々に、室町はサングラスごと顔を手で抑えた。ネット世界に生きているのだから耐性はついているのだが、さすがに薄々思ってしまったことをこうも突き刺されると落ち込みもする。
ポン、新たにきた返信に目を落とす。そこに映った文面に、室町はほんの少し期待を取り戻した。

『間違えたんじゃない?』

だよな。そうに違いない。彼女は天然なところがあるから、千石さんと俺のロッカーを間違えたのも頷ける。ロッカー隣同士だし。室町は平然を装った。
間違えたとして、千石に渡ったチョコはどうやって回収したらよいのだろうか。
「そのチョコ、自分のなんで替えてくれませんかね?」なんて言おうものなら、交際が瞬時にバレてしまう。それか信じられず、「室町お前そんなに本命チョコが欲しくて……」と周りに哀れんだ視線を向けられるだろう。

先輩の本命チョコ、ほしい。でもあの千石さんから不自然に獲得するなど不可能に近い。女絡みのことになると、良くも悪くも千石は目の色を変える。尊敬するところは多いが、だからこそ室町は今後の苦悩を思うとげっそりと肩を落とした。

「みんな着替え終わった?」

ノックと共に入ってきた彼女の姿に、ドア付近にいた室町はビクリと肩を揺らしたが、部員たちは沸き上がった。途端に飛び交う感謝の言葉。それを聞いて照れくさそうに笑った彼女は、隣に立つ室町を見上げる。

「室町くんもびっくりした?」
「……はい」

違う意味である。
目を細めた室町だが、サングラスが上手く隠したらしい。彼女は気づかず、満足そうに部員たちに視線を戻し、そして固まった。千石の手にあるブツを見たからだ。
室町用に作ったチョコレートを、一人だけ特別に用意したラッピングを、何故か千石が持っている。彼女は目をひん剥いた。
ゆっくり室町を見上げると、小さく頷いた彼は鞄から彼女のチョコを取り出し、「ありがとうございます」と礼を述べた。若干、意地悪も滲む。

しかし、彼女が悲痛そうに口をパクパクと開閉したものだから、今まで室町が焦燥して荒んだ心は溶けて消えた。

「あっ、あー、これさあ? 多分俺にじゃなくない?」

室町と彼女の間に微妙な空気が流れそうになったその時、千石が気まずそうに声を上げた。頭を掻きながら、彼女へとチョコを返す。
周りからそうなの? 千石が本命じゃないの? という視線を向けられながら、「あ、そうだ、これ女友達にあげるチョコだった」と慌てて受け取った。

「もー、気をつけて。さすがに俺も、そのチョコ貰う予定の子に恨まれたくないよ」
「あはは……ごめん」

あっけにとられた室町に、千石は最後意味深な笑みを向けた。ま、まさかこの人。

「でもそしたら千石のチョコなくね?」
「いいよ俺は。そりゃマネのチョコ貰えないのは残念だけど」
「……あの、俺の分どうぞ」

鞄から取り出したチョコを千石に渡した室町に、部員たちは信じられないものを見る視線を向けた。正気か? 自分からチョコを手放すなど。

「俺は本命がほしいんです」

きっと、部員たちはサングラスに阻まれて見えなかっただろうけれど、隣に立つ彼女は室町の横顔を見ていたので、彼の瞳が彼女を射抜いていたのがわかった。




「ふつう間違えます?」
「もー、だからごめんって言ってんじゃん! 緊張したんだからこれでも!」

帰り道、手を繋ぐことはなくとも肩を並べ、ほんの少し空いた距離感に熱を抱く時間。
あれだけ動揺していた室町も、彼女の焦りを思い出すと笑い話とからかいに変えることができた。

「それで、俺にはくれないんですか?」
「……はい、本命、です」

本命を強調した彼女からのチョコに、室町は多幸感でいっぱいになりながら受け取る。
ようやっと手中に収めることができた念願のブツを、家まで待ちきれずチラッと中身を覗いた。というか、開いてあった。
サングラス型のココアクッキーが所狭しと散りばめられている。

「……そりゃ千石さんももらえないわ」

きっと明日以降、問い詰められるのだろうけど。そんなことより今は彼女の嬉しそうな顔を堪能しようと、室町はクッキーを一つ手に取ったのだった。


19/02/12

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