短編 | ナノ

▼ 3


乾貞治はショックを受けていた。
それはもう周りが見ても明らかなほど顔に生気が感じられず、いつかの包帯男を思い返す。今回はゾンビである。
ふとした時に止まったり、動きが緩慢になったり、データ収集に精が出なくなったりと、乾を知る面々からすれば、心配になるレベルであった。
その原因が、みょうじなまえと別れたからであるということは、菊丸を筆頭にしたレギュラー陣は早々に理解できた。なんせ、彼女と付き合っていた時の乾は幸せオーラ全開で浮かれていたものだから。

ともすれば、別れた原因はなにか、である。
つい先日までは仲睦まじく、休みのたびに一緒に帰っていたのだ。プレゼンで告白すると聞いた時は大丈夫かと心配したものだが、乾と付き合った理由を「面白いから」と満面の笑みで答えたなまえは、とても楽しそうであった。
ゾンビ化している乾が自ら別れを切り出すとは思えない。ならばやはりなまえからである。それは何故? 菊丸はこういう話で盛り上がる出歯亀たち(越前と桃城)を連れて、乾を屋上へ呼び出した。

「ぜーったい乾がなんかしたんだよ!」
「き、決めつけ……」
「あっちが飽きたとかじゃないスか?」
「早くねーか? 1ヶ月くらいだろまだ」

お弁当を食べながら話に盛り上がる三人は、乾を心配する様子などカケラも見せず、別れた理由の憶測を次々と上げていた。
汁が不味すぎた、説明口調が煩わしくなった、そもそも遊びだった、などなど好きなように話していた中、乾はやっとの思いで口を開く。

「越前、彼女を悪く言うのはやめてくれ。確かに最初は俺の告白に興味本位で了承した確率が86%……しかし、交際していくにつれ好意を抱いてくれた確率もまた」
「いやどっちかというと乾先輩を悪く言ったッス」
「好意持たれてたってのにフラれたってさ〜、なんか心当たりあんの?」

ずずいと菊丸に詰め寄られ、乾はまたあの日を思い出して落ち込んだ。驚いて、そして辛そうに、別れを告げたなまえの顔は乾の予測を悪い方向へ飛び越えていった。そんな顔をさせる予定は、なかったのだ。

「き、キスをしようとした。そうしたら拒まれ、俺のデータには付き合えないと言われた」

一拍置いて、菊丸と桃城が「ええ〜〜〜〜!?」と目を見開かせ飛び上がる。食事中だったため、二人の口からご飯粒やパンの欠片が飛び散り乾の顔を汚した。越前はその光景にドン引きした後、それはショックッスねとしみじみ応えた。
ハンカチで顔を拭い、乾は一息つく。「早すぎたんだ」つぶやいた。

「もう少し時間をかける予定だった。キスの段階に行くまでに、ハグも、手を繋ぐこともままなっていなかった。そもそもキスの雰囲気作りとして夕日の沈む街並みや帰り際など目星はつけていたのに、シンポジウムの後の公園のベンチが初めてのキスというのは愚鈍が過ぎる。自分でも何故その行動に移したか、説明に難し」
「ウワーッ! 乾ストップストップ! さすがにそんな赤裸々に語られても!」
「乾先輩すっげーロマンチックに考えてたんすね……」
「ていうかデートにシンポジウム行きます?」
「……キスをしたくなったんだ」

二年の時だ。
課題で出た自由なテーマのレポート、乾は一ヶ月の研究期間を持って全身全霊の力を込めて書き上げた。別に賞を取りたいがためではなかった。単に乾の好きなことだから、レポートをまとめあげ、それが評価に繋がるならば一石二鳥であった。
結果は、よく歴史トークで盛り上がる先生の特別賞であったけれど、廊下に貼り出された時は高揚に包まれた。人に自分の成果を見てもらえるのはなんだか嬉しい。
しかし中学生には小難しいテーマを選択したためか、乾のレポートを読む者はいなかった。いや、いたかもしれない。職員室に用があって教員を待っている間、暇つぶしに目を通していたかもしれない。しかし貼り出された一週間、乾が通りがかった時にはそのレポートを読んでいる人物はいなかった。なまえ以外は。

まじまじと興味深そうに読み耽る彼女に乾は目が離せなかった。感想を聞きたい、自分のことに興味を持ってくれた喜びが湧き上がる。乾はなまえのことを知りたいと、思うようになった。

一週間調べ、いつのまにか他の女子のデータよりも詳しくなった。
二週間調べ、一通りデータが集まったはずなのにまだ彼女を探している自分に気づいた。
一ヶ月データを集める頃には、自分が彼女に好意を抱いていることを知った。
途中、テニス部の方に集中し、全国大会が過ぎた頃に改めてなまえのデータを見返した。想いは変わっていなかった。
一年を過ぎる頃には、彼女と付き合いたいと思うようになった。

実際付き合ってからがまた大変で、散々調べてきたデータがてんで役に立っていなかった。交際のイロハを学んでいても、なまえの反応が言葉が、思考を掻っ攫っていく。昇華しきれない「楽しい」「嬉しい」が、半開いた口から溢れ出ていく。
乾が交際中に集めたなまえのデータは、次の日のなまえには敵わなかった。

ずっと好きだったのだ。彼女すら覚えていないだろう、乾だけの特別なきっかけ。忍足からオススメされた恋愛映画みたいにドラマティックな展開ではないけれど。それでも、ずっと嬉しく思っていたから。
だから、なまえが覚えてくれていたことが、どれほど。

「……データに付き合えないって、どういう意味なんスかね」

ふと桃城がパンを貪りながらつぶやく。嫌なら、"もう付き合えない"でいいではないかと。何故わざわざ"データ"を付けたのだろうか、そう上がった疑問に、ハッと菊丸が目を丸くする。

「もっしかして、データ集めとして付き合ってると思ったんじゃない!?」
「いや、でも、えー!? 普通そう思います!?」
「だって乾じゃん! みょうじさんもさ、面白いから付き合うって言ってたし、なーんか恋愛的な感じじゃなかったじゃん!」
「ああ……だからキスされそうになって、そこまでは無理だからオコトワリ入れたとか?」
「でも乾先輩、好きって言ったんでしょ!? だったらデータ取りたいから付き合って、って意味に伝わるのおかしくないスか!?」

スか……スか……。桃城の最後の声が屋上から響いていく。三人の目が乾に向き、その口から発さられることを待った。
たらり、乾に冷や汗が流れる。記憶力も良い彼、さらに一世一代のプレゼン告白、自分の発言も覚えていた。

「好き、という言葉は言っていな」
「えーーー!? そりゃないッスよ乾先輩!!」
「あーあ、乾先輩、それじゃ誤解もされるッス」
「もー乾のバカバカ! なんで肝心のこと言わないの!」

三人に責められ、乾は愕然と肩を落とした。先ほどまでは拒まれたショックに気落ちしていたが、自分の落ち度に気付き顔を青くした。

乾は彼女に交際を了承してほしいがために、交際をした上でのメリットに重きを置いて告白を行なった。企業との取り引きでも、自社のウリをアピールすることで商談が進む。自分と交際することに彼女が惹かれてくれるなら……乾はフラれないためにひたすら考えたのだ。
面白いと言ったなまえの反応はまずまず。交際の了承を頂いたことでプレゼンは成功したかに思えた……。なまえは企業ではなくただの女の子だということを、乾は緊張で頭からすっぽ抜けていた。

もしもなまえが、好意からではなくデータ収集のためから交際を申し込まれたと思っていたら。そんなことをする男だと思われていることにもショックであるが、恋愛感情として意識されていないのではないかとも思う。

──そうか、俺は好意を抱いてもらえなかったのか。

たとえ彼女が最初恋愛感情を抱いてなかったとしても、あの交際期間を思い出すと、彼女も惹かれてくれていると自惚れていた。違ったのか。「協力」してくれていただけなのか。

確かにデータは増えた。
なまえが喜ぶデートスポット。なまえが選択に迷う時のクセ。なまえの言葉の選び方。
交際という一般データではない、敵わない明日のなまえに挑むためのデータだ。しかし、まだ取りきれていない。自分に好意を抱いてくれているなまえを、乾は見たかった。

「じゃ、どーします?」

ニヤリ、と恋バナには似つかわしくない微笑みで越前が始める。どーするって? 疑問に首をひねる乾をヨソに、桃城と菊丸も同じ笑みを浮かべた。

「作戦会議ッスよ乾先輩! 今度こそ正真正銘のお付き合いに持ち込みましょ!」
「そーそ、菊丸様が女心教えちゃる!」
「え、菊丸先輩女心わかるんスか?」
「ねーちゃん多いかんね」
「とりあえず今度プレゼンする時は、彼女さんのどこが好きとか言ってみたらどっすか?」

今まで行ったデートの場所で一番好感触だったところに一先ずお友達として行くとか。データを尊重しながらも作戦を立てる三名に、乾はしばらくして微笑んだ。応援してくれる友がいるのだ、いつまでも落ち込んではいられない。

「彼女が困った時に良いタイミングで出れるようにデータをまとめておこうかな。今度期末テストあるし」
「どういう攻め方?」

ガチャリ、扉が開く音に四人は反射でそちらを向いた。そうして各々驚愕に顔を染める。話の当事者であるなまえがそこにいたからだ。
「乾くん」菊丸たちと一緒にいることを予測していたのか、なまえは真剣な表情をただ乾に向けて続ける。「話があるんだ」

乾は冷静を装って眼鏡のブリッジを上げてから立ち上がったが、その足取りは覚束ない。数度コケかかってからなまえが待つ扉へ近づいたので、菊丸たちはハラハラと動向を見守った。
そして二人が消えていった扉が閉まったことを確認し、三人は輪を作って小声で叫び出した。

「修羅場ー!?」
「キス未遂の罪状として慰謝料請求とかだったらヤベーな……」
「案外ヨリ戻しに来たとかじゃないスか?」

越前の素っ気ない声に、菊丸と桃城は神妙深い顔をしていたなまえを思い出し、いやいやとかぶりを振った。どうかまた乾がゾンビにならなければ良いのだが、と三人は心配そうに扉を見つめて祈った後、すぐにお昼ご飯に戻っていった。




なまえの後をついていく乾は固唾を呑んだ。あれだけ彼女のデータを集めたものの、まったく予想だにできない。期末テストの出題傾向や、新しくできた雑貨屋の情報は、きっと今の彼女には乾から聞きたいものではないだろう。
悲しいかな乾はデータマンなので、予想もできない状況には今までのデータから分析を始めてしまう。次第に丸く開いていく口。それも、彼女がたどり着いた教室を見て閉じることになった。

視聴覚室。乾がなまえにプレゼン告白をした場所である。
なまえは鍵を使って扉を開けると、廊下で突っ立ったままの乾に振り返り、スクリーンの前に置かれた一脚の椅子を指した。

「座ってくれる」
「……わかった」

まさか。乾は期待と嫌な予想とでごちゃ混ぜになりながらも、その椅子に座った。
誤解が生じてしまった場所、叶うならあの日に戻ってちゃんとした告白をしたい。
ここに連れてきたなまえの意図は何だろうか、乾はあらゆる可能性を考え、そして止めた。なまえから何を言われても受け止めよう、そう膝の上に置いた拳に力を込める。

パッと映ったスライド。
タイトルは『乾くんの好きなところ』と記されてあった。

数秒おいて、乾はスクリーンからなまえを見る。真っ赤になりながらも平常心を装った表情に、言葉が漏れそうで口が開いたものの、彼女の手のひらが向けられ制止されてしまった。

「質問は、質疑応答の時間で」
「……」
「じゃ、じゃあ始めます。ええと、自己紹介は省きます。今回のプレゼンの目的は、後で述べるとして、さっそく本題に進みます」

たどたどしくなまえが原稿を読み始める。プレゼンに慣れていないのか(中学生なのだからそれもそうだが)、パソコンの操作すらおぼつかない。

「1つ目は頭が良いところ。私が知らないこともたくさん知っていてすごい勉強になるし、知識をお裾分けしてもらってるみたいで面白いんだよね」
「2つ目は見かけによらず楽しむところ。プリクラとかショッピングとか、あまり表情に出てないけど結構ノリノリだったよね」
「3つ目はか、かわいいとこ。手を繋ぐのにも緊張したりとか、許容範囲を超えた時にフリーズしたりするとこ、なんかかわいいなって思っ、た」

考え事するとき口を半開きにするところ。映画観るとき一番後ろの席に座るところ。私の拙い意見も聞いてくれるところ。データに自信があるのに意外と自分に自信がないところ。交際の申し込みをプレゼンでするところ。
つらつらと、時折つまりながらも読み上げるなまえの言葉に、乾は茫然と彼女を見つめ続けることしかできなかった。乾の知らない乾自身が、彼女によって暴かれていく。それは乾が15年間どのデータよりも一番取っていたはずなのに、初めて聞くものばかりであった。

時間にしたら数分だろうが、なまえからしたらとても長く感じた。ようやっと好きなところを言い終わった彼女は、一拍置いて乾の反応を窺う。しかし微動だにしない彼に、恥ずかしさが我慢を超えそうになった。

いきなり好きなところを言いだして、気持ち悪いだろう。乾からしたら、研究対象として付き合っていた相手からこういうところが良かったぞと言われているものだ、となまえは思った。きっと乾はそんな評価など求めていない。データ収集を途中で放棄したくせにと怒っていても無理はない。
けれどなまえはどうしてもこの『プレゼン』の形で乾と同じ土俵に立って、そしてもう一度始めたかった。

「つ、付き合って、いっぱい乾くんのことわかったから、乾くんからデータを取るなんてことできないのは知ってる。データマンだから乾くんなの、わかってる。でも」

緊張で喉から心臓が飛び出そうになる。目から涙が出そうになる。声が震える。乾に見つけられた負けず嫌いの自分が、「惚れたら負け」の格言に反発心を燃やしている。しかし彼を好きになった自分が、今しかないと背中を押すのだ。

「データ収集の研究対象じゃなくて、ちゃんとお付き合いがしたい。私は、乾くんが好」

ガターン。椅子がけたたましい音を立てて倒れた。その音を響かせた張本人は、固まった表情で突っ立っている。
大事なところで急に立ち上がった乾に、なまえは意気が削がれた。

「好きだ、みょうじさん。君が好きだから、俺の彼女になってほしい」

乾となまえは、顔を見合わせ無言のまましばらく時間が過ぎた。
先に動いたのは彼女の方で、「え」と空気が抜ける音が視聴覚室に響く。その音を合図に乾も一歩二歩となまえに近づいた。至近距離となると、乾は高身長のためなまえの首がコキリと曲がる。痛みは慣れたので感じない。

「俺はずっと、ちゃんとしたお付き合いをしていたつもりだったよ」
「……え、と、ずっとって、最初から? あの、謎のプレゼンの」
「告白だったんだケド」

うそ、だって、交際に興味があるって。動揺に後ずさるなまえの背中はスクリーンに当たる。前を塞ぐ乾は困ったように眉を下げた。

「誤解が生じたのは俺が君への好意を言葉として表さなかったからだね。みょうじさんのように君の好きなところを述べておくんだった。そうしたら、君も同じように嬉しくなってくれたのかな」
「わ、私、ずっと……そ」
「うん」
「……そ、それなら、キスだって、できたのに」

何も考えずに口に出したようななまえ。そんな彼女を見たのは初めてかもしれない、と乾は眼鏡の奥の目を丸くした。自分が口走ったことに気づいたのか、彼女はハッと口を手で抑える。
二人が思い出すのは、先日の別れる寸前のキス未遂。乾にとっては完全に予想外の自分の行動。それがきっかけでなまえに嫌気をさされたと思ったが、彼女は今なんと言っただろうか。キスをしたかったと、いう意味ではないだろうか。
しばらくの沈黙の後、乾がそっと彼女の肩に両手を置く。

「お望みなら今すぐ……」
「や、ごめん、今はちょっと恥ずい、察して」

なっ、キスのタイミングは86%だったはずだが。
真正面から再び拒否されてショックを受けた乾の頭上には、が〜んといった効果音が浮かぶ。それでも彼女に嫌われたくはないので、乾はすごすごと少し後退った。また別れを切り出されては困る。トラウマである。

そんな彼を見て、制限をしなくてよくなったなまえがギュンと胸を絞らないわけがない。
少しの罪悪感と、沸き上がった悪戯心と、我慢の効かない愛情を持って、なまえは乾の襟首を引き寄せて頬へと唇を落とした。
ふに、と柔らかい感触が固い頬へと押しつけられる。放心する乾の頭から、なまえのデータは一回消え去った。完全に、フリーズした。

「乾くんが好きだから、彼女にしてください」

どんな数式よりも簡単な式なのに、乾は「ああ」と答えるまでに時間を要したのだった。



181123

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