四日目「甘い魔法」



「ぐふわぁっ!!」

断末魔が響く、とある家のキッチン。
間違えてもそこは殺人現場ではない。
私が足を滑らせ、小麦粉(400g)+ボウルを全て顔にぶつけたことによるものだった。
痛い。
あと粉っぽい。

「げほっ、ごほっ……うわあ、随分派手にやっちゃったね」

他人事のように言ったけど、全くもって他人事じゃない。
それに、折角の材料が『また』無駄になってしまった。
そもそもなんで私がこんなことをやっているのか、理由は簡単。
それは当日のクリスマスケーキを見事に成功させるため。

さ、させるためなんだけど……

「……これ、どうやって掃除しよう」

作る以前の問題だった。
ちなみに『また』っていうのは直前に牛乳と卵白を零したこと。
どんだけ不器用なんだ、私。
そりゃクルークに笑われるよ。

「どうしよう、まだツリーの飾り付けもできてないしケーキの練習もできないよ!」

ため息を吐きながらゆらりと立ち上がり、顔についた白い粉を払う。
そんな私のところに、今一番出てきてほしくない人が現れる。

「やあ、困ってるみたいだね」
「れ、レムレス……」

深緑色の魔導師は、キッチンの惨状を見ながら甘く微笑む。
一体どこから湧いてきたんだ。

「真っ白だね、キッチン」
「そりゃ小麦粉400gですからね」
「へえ。何か作ろうとしてたの?手伝おうか?」
「別にいいです。レムレスには関係……ああ!!」

彼は微笑みを崩さぬまま、傍らに落ちたレシピ本を手にとる。
勿論、ページは固定してあるから私の作ろうとしたものが分かってしまったようだ。
出来るだけ他人の手は借りたくないんだけど、この人の場合は……

「ふふっ、クリスマスケーキの練習だったんだ」
「本番で失敗させたくないので。一人で作りますからレムレスは離れて下さい」
「分かった。それならフォレノワールがおすすめだよ」
「あの、人の話聞いてました?」

愚問だった。
当然この人は私の話など聞いちゃいないのだろう。
レムレスは何も言わぬまま小麦粉を綺麗サッパリ消し去り、早速小麦粉をボウルに入れ始めた。
……心なしかニヤリと笑ったように見えたのは気のせいか。

「嬉しいな、フェノがケーキを作ってくれるようになったなんて」
「念のためもう一度言っておきます。一人で作りますからレムレスは離れて下さい」
「ボクのために作ってくれるの?ありがとう、完成したら大切に食べるよ」
「都合のいい耳ですね」
「それほどでもないよ」

全然褒めてないんだけど。
彼は振り向くことなく材料を振り分け、それからレシピ本にいきなり書き込みを始めた。
それクルークからの借り物……レムレスなら別にいいか。

「ちなみにフェノはフォレノワールって知ってる?」
「えっと、ノワールってことは黒でフォレは森……チョコレートケーキですか?」
「正解。さくらんぼのキルシュ漬けを乗せた甘いケーキだよ」

甘くないケーキなんてあるんだろうか。
塩と砂糖を間違えたらありそうだけど。

「キルシュ漬け?」
「うん。キルシュワッサーっていうのにさくらんぼを漬けておくんだ」
「漬けもの……私はあんまり好きじゃない、かな」
「野菜の漬けものとは一味違うから、後で完成したら食べてみなよ」
「あ、はい」

私が頷くと同時に、レムレスはレシピを書き終える。
ジェノワーズ・ショコラ、クレーム・シャンティ、シロ・オ・キルシュ……
何これ、呪文?

「さ、作るよフェノ。まずはそこのボウルでクリームを泡立てて」
「はい!」


クリスマスまであと四日、か。
そういえば何か忘れてるような気がするんだけど……なんだっけ?
ま、いいや!


……………
フォレノワールは実在する。
去年のクリスマスに作ろうとして即座に断念してました。
ちなみに「キルシュワッシャー」は料理酒、ブランデーの一種です。
レムレスさんは勿論それを分かってらっしゃりフェノさんにわざと多めに漬けさせて食べさせたのですがそれはまた別のお話。

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(5/8)
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