第九章「紅の妃」



――大きな破壊音と悲鳴。
彼女は反射的にクルークから離れ、身構える。
嫌な予感(確定事項)は的中してしまったようだ。
何が起きたのか。
部屋の中に謎の煙が充満し、それはまだ確認することができない。

「ククク……待ち焦がれたぞ、我が妃よ」
「っ!?」

部屋に響き渡る声に、彼女は驚き戸惑う。
ナマエを妃と呼んだその声は、明らかにクルークのものではなかった。
一体そこに誰が居る?
クルークは何処へ消えた?
ローファーの足音が近づき、段々と彼の姿が影となって見えてくる。
――紅。

「……クルーク?」
「私を忘れたのか?私はこいつではない」

それはクルークであり、クルークではなかった。
紅い瞳をした、背の伸びた彼の傍らには涙目のクルークのようなものが本の中に。
そうか、私が感じたのは、

「ナマエ……本当に私を覚えていないのか?」

彼女の思考を、紅の声が止める。
何も口に出すことなく、静かに頷いた。
彼はそれを見て彼女が記憶を失ったことを悟ったのか、溜息を吐く。
……怖い。
一瞬そのように思ったのは気のせいか。
関わりたくない、自分の中から強く危険信号が出されている。
自分の記憶が消える前に何かあったのか、知りたいが勿論思い出せる筈が無い。

「そうか……まあ良い、その方がかえって貴様を染めやすい」
「……何をする気」

身構える彼女に対し、それは余裕のある笑みで答える。
勝てない、力の差が大きすぎる。
さらに反射的にそう感じ、完全に動けなくなったナマエの頬を彼は優しく撫でた。

「怯える必要は無い、私は貴様の背の君だ。……恋人、と言った方が分かりやすいか」
「こい、びと」
「私と貴様はかつて愛し合っていたのだ。その記憶が消える前に」

柔らかな感触が彼女の頬を伝う。
その低く優しい声は、どこか妖しさと威圧感を持ち上手く掴めない。
彼の心を読もうとしたが、それも無駄だった。
恋人。
それは果たして本当なのか、彼の嘘なのか。
彼女には分からない。
これだから心の読めぬ者は苦手だ。
その心の読めない状態こそがようやく普通の人間なのだが。

「私を疑っているようなら心配無い。今の貴様はどうか知らんが、私は貴様を愛している」
「……」
「これは偽りようもない事実だ」

そう言って、何を思ってか彼はナマエを強く抱きしめた。
左胸に耳を寄せれば、激しい鼓動が聞こえてくる。
心臓は無意識の世界で反射的に動くもの。
コントロールすることは息を荒くしない限りかなり難しい。
……どうやら信頼しても良さそうだ。
彼女はそう思い、そっと彼の背に腕を伸ばした。

「いい子だ」

彼の声の後ろで、紫色の魂は固まる。
彼は彼女の『生前』を知っていた。
故に、彼女が彼と恋人ではないことも分かっていた。
もう一人の自分に操られ、染められていく彼女を、自分はただ見つめているだけ。
今すぐにでも奴からナマエを引きはがしたい。しかし今の状態ではそんなこと不可能だ。
この感覚が、とてももどかしい。

「……ナマエ、愛している」

やめろ、

「貴様は私を愛するか」

やめろ、

「本の中でしか生きられぬ私を、受け入れるか」

やめろ、

クルークは紅の後ろでもがいた。
しかし彼女の視界に彼が映る訳も無く。
彼女は困惑しながらも、静かに――

私も、キミを愛するよ

彼の心臓が、止まった。


『器は一つ。もしそれが二つの心を持つのならば、どちらかが犠牲にならなければならない』
……………………………
物語の方向性が掴めなくなってきた
次ページ突入ということで暫くは説明文とタイトルが英語表記となります
英語アレルギーの方ごめんなさい。

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