「お疲れ様です、戦犯どら!」
「おう。そっちもな」
そこは、太鼓界と呼ばれる世界の霧に満ちた湖畔。
少女は、恋慕していた。
近くもあり、しかし決して手の届くことのないその少年に。
「そうだきせのん、今日はお前に渡したいものがあってだな」
「え、何々なんですか何を下さるんですか」
きせのんと呼ばれた少女は、無垢な笑顔で少年に問いかける。彼が通学用鞄の中から取り出したのは――
「やるよ」
「ドユコトー!先輩何があったんですか!?一応もう一回言いますがドユコトー!」
「え、何、嫌だった?」
「むしろ大喜びしてます!ドユコトー!」
――淡い緑に輝く、翡翠のブレスレット。彼女はそれを迷いなく左手首に装着すると、嬉しさの余りか少年に抱き付いた。
「ありがとうございます、大切にさせていただきますね!」
「お、おう」
抱き付く少女は勿論のこと、戸惑ってはいるものの満更でもないような笑みを浮かべる彼の姿は、とても幸せなように見えた。
――どうして、私は。
水面の反対側、もう一人の少女――千波は訝る。一体どうして私は、あの人に近付くことさえできない?この想いが届かないと知りながら、どうして割り切ることもできずに彼をずっと見つめている?
妬ましい。彼女の内側に、黒い感情が渦巻いた。
彼の腕の中に居るべき存在は、きっと自分だったはずだというのに。
「どうして、あなたばかりが」
彼女は以前、教授と呼ばれた少年を人質として彼を手に入れようとしていた。しかし、それは失敗する。言うまでもなく原因は今彼と共に笑っている少女である。
あなたがいるのが正の世界なら、ここはきっと負の世界。
それなら、私が正の世界に居ることにしてしまえばいい。
私は、あの先輩のことを手に入れられたら後は何も望まない。
――だから、渡しなさい。あなたを包むその優しさを!
『ぱんどら先輩』
彼女は水面の外へ力を走らせる。それが禁忌だということは、彼女にも分かっていた。しかしながらもう、感情の波を止めることはできない。
『あなたは、今から私のものになる』
湖を通して外の世界に現れたのは、水龍。それは驚きふためく彼を見るなり、すぐに体内へ取り込んでしまった。――その龍は言うまでもなく『彼女』が作ったものである。
「うふ、うふ、うふふふふふふ」
彼女はその時、恋い焦がれるあまりに狂っていたのかもしれない。しかし、それを止められる者は誰も居なかった。
その少女は、孤独だった。
「言霊の想い帯びて届けば、心まで引き寄せて――」
狂ったように、しかし幸せそうに歌う少女。やがて連れてこられた意識を失った少年に向かい、にこりと微笑む。
「さあ、始めましょう。二人だけの世界を」
――悪夢が、始まった。
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