テレンスの場合


 曇り空の向こうに太陽を隠し、寒風が粉雪を巻き上げる冬の最中、赤々と燃える暖炉で薪が爆ぜるのをソファに腰掛けたDIOが一人で見つめている。整った彼の眉は眉間に寄せられ、人々を惑わす唇はムスッと引き結ばれていた。肘掛けを鋭い爪先でトントンと何度も叩き、不機嫌さを隠さずにいる彼の耳に廊下から楽しそうに会話をする二人の声が響いてくる。
「テレンスさん、テレンスさん」
「どうしました? 何かご用でしょうか?」
 テレンスは笑みを浮かべたまま、まるで子犬がじゃれつくように追いかけてきた相手を振り返った。
「この前、街に出来た新しいお店を知ってますか? 若い主婦の集まりでとても小さな店ですけど……すごく可愛いドルチェを作っているんですよ」
「ほう」
「アメリカからやってきた奥さんはカップケーキを、日本からやってきた奥さんは抹茶のお菓子を作っていて、近所でも美味しいと評判なんです」
「それはそれは。いい店を見つけられましたね」
 テレンスが微笑み返すと夢主は後ろ手に隠していた包みをそっと前に出す。
「それで……あの、よければ味見してみませんか?」
「……私がですか?」
 テレンスは廊下の先にあるリビングをちらりと盗み見てしまう。その扉の向こうで彼女を待っているであろう我が主の事を思うとためらうのは当然だ。
「たまにはテレンスさんも一緒にと思って……」
 ダメですか? と救いを求めるように見上げられては即座に断ることも出来ない。
「分かりました。まだ用事が残っているので、それを終わらせてからでもよろしければ」
「はい。ぜひ一緒に」
 夢主からホッとした表情を見せられてテレンスはくすぐったそうに笑う。執事として親しい友人として、時にDIOを慕う同士として、彼女と接する時間は穏やかで実に楽しいものだ。それゆえに待たせてしまっている主には申し訳なく思う。
「テレンスさんは何が好きですか? イチゴにチョコレート、りんごに抹茶のケーキもありますよ」
「ふふ、たくさん買われたようですね。後でじっくりと選ばせてもらいましょう。それでは夢主様、もう少しだけこちらでお待ち下さい」
 子供を諭すように言ってテレンスはリビングの扉を開け、そこに夢主を通す。すぐさま中で待っていたDIOから睨まれてしまうが、こちらに非はないはずだ。テレンスは一礼することで怒りの矛先を外し、扉を閉めてそそくさとその場を後にした。
「……夢主」
 部屋の中央に置かれたソファからDIOが側に来いと手招いている。呼ばれるまま近づいていくと、大きな手が伸びてきて力強く引き寄せられてしまった。やや乱暴なその行動にケーキの入った白い箱は夢主の手から離れ、テーブルの上でグシャリとひどく残念な音を立てた。
「あっ! うそ、」
 せっかく買ってきたのに、と嘆く夢主の声はDIOの唇の向こうに吸い込まれていった。いつもの優しいキスとは違い、噛みつくような荒々しさに驚いて夢主は身を引くが、逃げられないようすでに太い腕が腰に回されている。そのまま軽々と膝上に抱き上げられ、まるで鬱憤を晴らすようにひたすら舌と吐息を吸い上げられてしまった。
「……っ」
 文句を言いたくても言えない状況の中、腰に響いてくる快楽よりも息苦しさに耐えきれなくなってくる。これ以上は無理だと相手の胸を強く押し返せば、DIOはようやく唇を解放する気になったようだ。
「な、何、急に……」
 戸惑いと恥じらいを見せる夢主にDIOは互いの唾液で濡れた唇を舌で拭い取った。息を乱し、力なく寄りかかってくる女の体を抱きしめて少し冷たい口調で言葉を放った。
「お前は私とテレンス、どちらに会いに来たのだ?」
 そんな質問を投げかけてくるDIOを夢主は不思議そうに見つめ返す。
「この私を部屋に置いて、執事と茶を楽しむなど許すと思うのか?」
 のけ者にされたとでも思っているのだろうか……そう思うと夢主の頬は緩んでしまう。
「たまには三人でお喋りするのもいいかなって、そう思っただけだよ」
 DIOの眉間に寄せられた皺を指先で優しくなぞった。
「フン……この前も同じ事を言っていたな。夕食を三人で取りたいなどと言い出して執事を困らせていた」
 DIOの探るような視線に夢主は内心ぎくりとする。
「食事中もしきりに奴を盗み見ては、好きな物は何か、嫌いな食べ物はあるかと何度も問いかけていたように思うぞ」
 面白くなさそうな表情でDIOが酒の入ったグラスを揺らすたびにテレンスは顔色を失っていった。早々に食べ終えて席を立つ執事にまだ聞き足りないことがあったのか、夢主は皿を片付けつつキッチンまで追いかけて行ってしまった。
「このケーキも口実なのだろう。お前はテレンスの何を知りたがっている?」
 DIOが持つ琥珀色の目には正面から言い当てられてバツの悪そうな夢主の顔が映り込んでいる。至近距離から心を見透かすように覗き込まれては堪らない。今更、彼にウソも言い訳も通用するとは思えず夢主は諦めの吐息をこぼした。
「……あのね、実は……もうすぐテレンスさんの誕生日でしょう? いつもお世話になっているお礼に、二人でお祝いしようと思って」
「……二人?」
「DIOと私だけじゃあやっぱり少なすぎる? チームのみんなを呼んでもいいけど、あまり騒がれたくないかなって思ったんだけど……」
 彼女の言葉にDIOは難しい表情を浮かべる。雇い主が執事の仕事ぶりを労うことはあっても、プライベートな誕生日を祝うことはない。ジョースター家で暮らしていた頃を思い出しても、そこには支配する者とされる側という階級ゆえの越えられない壁があった。しかし、彼女の中でテレンスはもはや使用人などではないらしい。DIOが知らぬ間に親しい友人関係を築いているようだ。確かに改めて思い起こせば、二人は仲良くキッチンに籠もって料理やゲームについて楽しそうにお喋りを繰り返していた。
「誕生日、か……」
 DIOにとってテレンスの誕生日などまさにどうでもいい事だ。忠誠を誓い、与えられた仕事を実直にこなしてくれれば後はゲームだろうと人形遊びだろうと本人の好きにすればいいと思っている。
「やっぱり、ダメ?」
 DIOの白けきった表情を夢主は残念そうに見つめ返した。眉尻を下げてしゅんとする相手をDIOはすかさず抱きしめる。
「誰が駄目だと言った? 構わぬ。お前が望むままに祝ってやるがいい」
「本当?」
「二度も言わん。この屋敷のキッチンでも何でも好きに使え。その日はテレンスに用事を言い渡しておこう」
「ありがとう、DIO!」
 素直に礼を言って抱きしめ返してくる相手にDIOは穏やかな笑みを向けた。夢主の言うとおり、日頃の労いも含めてたまには祝い事を行うのもいいだろう。何より時間は余っているし、その間は二人だけで過ごすことが出来る。
「プレゼントはもう決めてあるの。DIOはそれに添えるメッセージカードを書いてくれる?」
「……私が?」
「私よりDIOが書いた方がきっとすごく喜んでくれるよ」
「フム……まぁ、よいだろう」
「じゃあその日に材料を持って来るから。それまでテレンスさんに気付かれないようにしてね」
 DIOより感情がすぐ顔に出る夢主の方こそ気を付けるべきだろう。サプライズ内容を楽しそうに話す彼女の頬に軽く口付けて、DIOは扉の向こうから近づいてくる紅茶の香りを胸に吸い込んだ。
 
 

 新年を迎えてから五日目。カウントダウンの花火と共に恋人たちのキスで始まった新たな年は、それまでのお祭り騒ぎも落ち着きを見せて、またいつもの日常が始まるのを気怠い心地で過ごしている。
 そんな中、厳しい寒さが少しだけ和らぐランチタイムに、
「テレンス、今からローマへ行け。預けてある品が必要だ」
 と主のDIOから言い渡されてしまった。メモに書かれてあるのはDIOや夢主の身を飾る装飾品の多くを任せてある馴染みの店だ。
「分かりました、DIO様。……しかし列車はストで運休しておりますが……時間が掛かってもよろしいので?」
「構わん。観光でもしながらゆっくりと戻って来るがいい」
 含み笑いをするDIOに一礼して、テレンスはすぐさまガレージに向かった。ローマまでの往復に4、5時間は掛かるだろう。なめらかに走り出した車のバックミラーに大量の荷物を抱えた夢主の姿がちらりと映り込む。テレンスがそれに気付くことはなく、ただ職務を遂行しようとアクセルを踏み込む力を強めるのだった。


 自然光が遮られたキッチン内ではエプロン姿の夢主が服の袖を捲り上げ、広い調理台の上に乗せられた数々の食材を前に意気込んでいる。そんな彼女の背後からDIOは楽しそうな笑みを湛えて手元を覗き込んでいた。
「何を作るつもりだ?」
 食材と共に持ってきたレシピ本と手書きのノートを引き寄せ、DIOはそれらをパラパラとめくった。
「マンハッタンクラムチャウダーにクラブケーキ、それからTボーンステーキとマッシュポテト」
 それらに加えてテレンスが好きなイタリア料理も追加されるようだ。
「それに甘いカップケーキとアップルパイも」
「豪勢なことだな……戻ってくるまでに間に合うのか?」
「うーん、多分ね」
 研がれた包丁と大鍋を用意する夢主にDIOはレシピを返す。楽しそうにそれらと向き合う彼女を見ているとDIOの胸の奥に焼け付くような違和感があった。これが自分のためなら素直に喜んだだろう。愛らしさに目を細めて一日中その姿を眺めているのも悪くはない。
「ウウム……」
 ただの友人関係とはいえ、他の男のために一生懸命な姿ほどつまらないものはない。むしろ不快だ。胸に広がる苦い味をしたもやを吐き出すようにDIOは密かにため息をついた。
「私は何をすればいい?」
 その言葉に夢主は驚いた顔で振り返る。
「えっ、手伝ってくれるの?」
「こうしていても暇だからな……肉の塊を引き裂くくらいはたやすい事だ」
 その爪先の鋭さはすでに実証済みだ。撫でるだけで容易に切り分けることが出来るだろう。
「それはとても助かるけど、メッセージカードはいいの?」
「ああ、忘れていたな……では先にそれを仕上げてこよう」
 キッチンに夢主を残してDIOはふらりと廊下に出る。手になじむ万年筆を求めて書斎へ長い足を向けた。
 部屋に着くと暗がりの中で椅子に腰掛け、デスクにいつもの便箋を置いてペンを持つ。インクに浸したそれを紙の上に移動させたが……そこから動かなくなった。
「……」
 テレンスは専属の執事だ。DIOに忠誠を誓った部下であり、それ以上でも以下でもない。
「思えば、私は奴の事を何も知らぬな……」
 再び仲間に引き入れてから十二年。知っている事と言えばスタンド能力だけで、彼が今年で何歳になるのかも知らなかった。分からないなりにもこれまでの働きを褒めればいいのだが……あまりに今更すぎて言葉が何も浮かんでこない。
 そのまま静止すること数十分。文字を書き付けるより先にインクの方が乾いてしまった。
「……ムゥ」
 デスクに頬杖を突いたまま思わず唸ってしまう。
 そんなDIOの鼻先にキッチンから漂い出た香りがふわりと届けられる。どうやらスープを煮込んでいるらしい。金属が触れ合う音と、部屋を慌ただしく行き来する足音が微かに聞こえてくる。彼女は早くもダイニングを飾り付け、カトラリー類を揃えているのだろう。
「まったく、誕生日などと……騒がしいことだ」
 DIOと夢主からこんな風に祝われてテレンスはどういった態度に出るだろうか。喜ぶのか恐縮するのか、それともいつもの澄ました表情でプレゼントを受け取るのか……そこだけは確認しても損は無いだろう。
 とにかくこのカードを仕上げないことには何も始まらない。DIOは乾いたペン先を再びインクに浸しつつ、未だかつて誰にも掛けたことがない「感謝の言葉」というものを頭から捻り出さなくてはならなかった。


 DIOが再びキッチンに戻ると様々な食材の香りが彼の鼻にどっと押し寄せてきた。
「お帰りなさい。随分と遅かったね」
 プレゼントに添えるカード一枚に訂正や修正を繰り返した結果、何時間も掛かってしまった。リンゴを手にして微笑む夢主にDIOはややウンザリとした顔で近づいてくる。
「来年も祝うつもりなら……その時はお前が書くといい」
 夢主が用意したテレンス宛のプレゼントにDIOはようやく仕上がった一枚のカードを差し込んだ。美しくも個性的な筆記体が踊るそこにはDIOの名とたった一言だけが添えられてある。
「これだけ?」
 思わず夢主がそう言ってしまうほど文面は短かった。
「フン……長ければいいというものではない。手紙は簡潔に要領を得た内容にすべきだと、そうは思わないか?」
 どこか言い訳じみたことを呟きながらDIOはエプロン姿の夢主を後ろから抱きしめる。彼女の香りと共に甘酸っぱい果物の匂いを吸い込んでDIOはうっとりとした吐息を漏らした。嫌悪すべき生ぬるい穏やかな時間が今だけはひどく愛おしい。くすぐったそうにする相手の首筋に唇を押しつけて軽いキスを送った。
「私がする事はもう無いのか?」
「……いいの? じゃあ、りんごの皮を剥いてくれる?」
「任せておけ」
 果物ナイフを手にDIOは器用な手つきでするすると皮を剥き始める。昔はこれで人を傷つけ、病に伏せた父親に同じようにリンゴを食べさせたこともあった。もちろんそれは親孝行などという立派なものではなく、子供ながらに毒薬の味を誤魔化すための苦肉の策だ。
「何だか……エジプトに居た頃を思い出すね」
 リンゴの香りに遠い過去が呼び起こされたのか夢主はぽつりとそんな事を呟いた。灼熱の気候に人で溢れる市場、日が落ちれば一転して涼しい夜……最初の頃は体が慣れず、体調を崩した夢主のためにテレンスは果物を用意した。
(そういえば具合の悪いDIOに食べさせたこともあったなぁ……)
 今更だが当時を思い出すだけで顔が火照ってくる。
「いずれまたあの地に連れて行ってやろう」
 思い出に浸る彼女の口元へDIOは小さく切ったリンゴを押しつける。夢主はそれを口に入れて、しゃりしゃりと音を響かせた。
「うん……またいつかね」
 あの館を再び訪れたとき一体どんな気持ちになるだろう。喜びよりも哀愁しか感じないのではないだろうか。
「切り終えたぞ。次は何をすればいい?」
「あ……えっと、待ってね。次は確か……」
 慌てて手元にレシピを引き寄せ、次の工程を音読する。用意しておいたシナモンに砂糖、コーンスターチ、それからレモン汁と混ぜ合わせている間に夢主は冷蔵庫で休ませておいたパイ生地を伸ばしにかかる。それらに包まれたリンゴたちは余熱されたオーブンにそっと通された。
「……テレンスさん、喜んでくれるかな?」
「心配するな。あいつは心と共に場の空気も読める男だ」
 まるで暮れゆく太陽のようにオーブンからは優しい光がこぼれている。そのうちキッチンが甘い香りで満たされる頃にはお使いを頼まれた執事も帰ってくるだろう。



 ……車を飛ばし続けて数時間。ローマで品物を受け取ったテレンスはDIOに言われたような寄り道はせず、ひたすらまっすぐに帰ってきた。途中、帰宅する多くの車に巻き込まれたせいで遅れはしたが、主の夕食時にはなんとか間に合いそうだと安堵する。テレンスは車をガレージに戻して大きな玄関扉へ足を運んだ。
「ただいま戻りました」
 そう言ってドアを開けた瞬間、空砲を撃つようなパァンと軽い音が放たれた。思わずびくりと跳ね上がる彼の前になぜかクラッカーを手にした夢主が立っている。
「テレンスさん、誕生日おめでとう!」
 そんな言葉と共に夢主は笑顔で拍手を繰り返す。
「……」
 テレンスは間の抜けた表情で彼女の顔を見つめ返すばかりだ。そのあまりの反応のなさに夢主は急に不安になってきた。
「あの……1月5日はテレンスさんの誕生日でしょう? もしかして違いました?」
「……いえ、確かにそうですが……」
 困惑する彼の表情に余計なことだったのかと夢主は焦りを見せる。慌ててクラッカーを後ろ手に隠し、恐る恐る相手を見上げて謝った。
「ご、ごめんなさい、勝手なことをして……でもエジプトの時はそれどころじゃなかったし、今なら日頃の感謝も込めてお祝いできると思ったんです……」
 誕生日を祝うなど子供染みていただろうか。もう少し落ち着いた雰囲気で出迎えるべきだったかもしれない。このお屋敷で手料理などではなく、洒落たレストランを予約するべきだった。頭の中でそう後悔しつつ夢主はしどろもどろになりながら反応の薄いテレンスを見つめ上げた。
「夢主様……私は自ら喜んでDIO様に仕えている執事です。ですから私などを気に掛けなくともよいのですよ」
 やんわりと、それでいて主と従者の境を区別するようにきっぱりと言い渡されてしまう。
「すみません……」
 そう呟いて項垂れていく夢主の耳にふぅと小さなため息をつくのが聞こえてきた。テレンスを困らせていると思うともはや身の置き場が無かった。
「あぁ、もう……あなたという方は……。私を殺すつもりですか?」
 そう告げられた次の瞬間には夢主の背中に腕が回されてきつく抱きしめられていた。
「えっ」
「こんなに喜ばせて……心臓が止まってしまいそうです」
 テレンスの腕の中から夢主が驚いた表情で見上げると、相手の目尻からいくつもの水滴がぽたぽたと落ちてくる。それを頬で受け止めた夢主はますます驚いてしまってすぐには声が出せなかった。
「……喜んでくれるの?」
「もちろんですよ。悲しみで泣くような場面ですか?」
 涙で顔をグシャグシャにした彼の姿を夢主はようやく安堵でもって見つめ返す。これ以上の醜態は見せられないと歯を食いしばる様子が珍しく、とても嬉しい。
「良かった……迷惑じゃなくて」
「まさか。生まれて初めてのお祝いがあなたからで嬉しく思います」
 初めてだというのならもっと盛大にすればよかった。リゾットたちを呼んで賑やかな方が楽しかったかもしれない。しかしそうすると、この泣き顔も彼らに見られることになるわけで……テレンスのプライドのためには少人数の方がいいだろう。
「いつもありがとう、テレンスさん」
 震える相手の背中を優しく撫でてそっと感謝の言葉を告げる。声もなく、ただ抱きしめてくるテレンスのピアスが頬に当たって少し冷たかった。
「……いつまでそうしているつもりだ?」
 呆れた口調の中に冷たい怒りが含まれている。廊下の奥で腕組みをし、こちらを睨んでくるDIOを見てテレンスは夢主の身を自由にした。
「申し訳ありません、DIO様。今だけはどうかお許し下さい……」
「フン……まぁいい。さっさと席に着け。私が用意した料理が冷めるではないか」
 そう言い残してダイニングに消えるDIOを、テレンスは呆然と見つめた。
「……聞き間違いでしょうか。今、私が用意したと……」
「ふふ、DIOはお肉を切って焼いただけなのにね」
「……」
 あのDIOが自分のために……そう思うともう感極まってしまった。テレンスは涙がドッと溢れてくる目元を両手で覆い隠す。
「だ、大丈夫ですか? ダイニングはこっちですよ」
 足下をふらつかせる彼の手を引き、夢主は柔らかな明かりとたくさんの料理が並べられた部屋へ導く。ズルズルと鼻をすする音が廊下に響き、席に着いてもそれは止まず、むしろ音は大きくなるばかりでせっかくの祝いの場なのに嗚咽しか聞こえてこない。
「……困った奴だ。まさかあのように泣くとは……いい歳を過ぎた男が見せる姿ではないだろう」
 テーブルナプキンに顔を埋めて男泣きする執事を前にワインを乾杯し損ねたDIOは苦く笑うしかなかった。
 そんなテレンスは「今年もまた大泣きするのか?」とDIOにからかわれる事になるのだが……それはまた一年後の話。

 終




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