マスコットガール


 いつもの朝食とその後片づけを終えた夢主は、食材を詰め込む大きなバッグと財布を抱いて玄関先で待つペッシの隣に並んだ。
「リゾット、行ってきます」
「何かあればすぐに連絡を寄越せ。特に車には気を付けろ。ペッシ……分かっているな?」
 明るい夢主の声の後にリゾットの神妙な声がリビングに響く。上司からの命令にペッシは敬礼する形で応えた。
「了解です。リーダー」
 小さく笑う夢主とどこか緊張した面持ちのペッシはそうして外に出掛けていった。今日の買い出しはチームの中で最も若い、新人の二人だ。
「ペッシの奴、めちゃくちゃ緊張してたけど……アレで大丈夫か?」
 ダイニングテーブルに頬杖をついたメローネは、煎り立てのコーヒーを飲みながらペッシの兄貴分であるプロシュートに話しかけた。
「何事も経験だ。俺たちは護ることに慣れてねぇからな。いい実践になる」
 いつものスーツを着込んだプロシュートは熱々のコーヒーが注がれたカップを手に取った。気取った仕草で飲む姿も彼なら文句のつけようがない絵画になる。ここが通りに面したカフェならあっという間に女の視線を独り占めしたことだろう。
「実践ねぇ……」
 メローネはそう呟いてカップをテーブルに戻した。
 ラスベガスでの豪遊から数日後、リゾットが幹部に昇進したのをきっかけにチームを取り巻く環境はあらゆる面で変化した。下町の住みかを離れて閑静な住宅街へ引っ越し、高台の広い縄張りと共にボスの父親の親衛隊に任命されてしまった。堕ちて行くばかりだったチームの転機は夢主をここで預かり始めてからだ。
「この部屋、マジでいいよな……俺も女だったらDIO様みたいな金持ちのイイ男を捕まえるんだけどなぁ」
 メローネの言葉に近くにいたギアッチョが盛大に吹き出す。
「テメーみたいな性格の女に引っかかるのは惨めな野郎しかいねぇよ」
 プロシュートの隣に腰掛けたホルマジオもそう言ってゲラゲラと笑う。リゾットはたっぷりと日差しが差し込む窓辺のソファーへ無言で腰を下ろした。
「ハハッ、今にも死にそうな小金持ちのジジイがお似合いだぜ」
 メローネの隣でパンをかじっていたイルーゾォもつられて笑った。
「ケッ、言ってろ!」
 ぷいっとそっぽを向くメローネにプロシュートは小さく笑いかける。
「おい、メローネ。言っておくがな、ここに住めるのは俺のおかげでもあるんだぜ?」
「はぁ? プロシュートの?」
「ああ。お前ら俺に感謝しろよ? 俺がどれだけ苦労してあの二人の仲を取り持ったと思ってる」
「そうは言っても、二人は随分前からすでに恋仲じゃあねぇか」
 いつ見ても彼らは甘ったるい雰囲気だ。イルーゾォは肩を竦めてパンを口の中に押し込んだ。
「チッチッ、甘いな。ああ見えてベガスじゃ結構ヤバかった。放っておけば別れてたな。そこに俺の助言と機転がなけりゃ、今のこの待遇は幻になってたと思うぜ」
「ほぉ……面白そうな話じゃねぇか」
 ホルマジオは思わず身を乗り出す。あの頃は誰もが金稼ぎで忙しく、毎日よろしくやっているDIOたちの事など気にも留めていなかった。
「え、何? あの二人って喧嘩してたの?」
 メローネもホルマジオと同じく身を乗り出してくる。ギアッチョもイルーゾォも、そしてリゾットもこちらに耳を傾けているのは明白だった。
「まぁな……仕方ねぇだろ。相手は全部持ってる上にあのツラだ。近づく女に嫉妬する夢主の姿、なかなか見物だったぜ」
「ははぁ、嫉妬かぁ……幸せ一杯で悩みなんか無さそうに見えてたけど……可愛いところもあるんだな」
 何もかも全てが好調ではなかったらしい。むしろその事にメローネは安堵した。障害のない恋愛はすぐに飽きてしまうものだ。
「そんな痴話喧嘩ぐらい誰だってあるだろ。それがどうしてプロシュートの手柄になる?」
 よくある事だとイルーゾォはつまらなさそうに言う。
「それだけならな」
 プロシュートは芝居がかった手つきで腕を組みニヤニヤと彼らを見渡す。五人すべての視線が集まったところで満足そうに綺麗な笑みを浮かべた。
「どうやら……コッチもマンネリだったらしい」
 いやらしい手つきで夜の営みを表現するとギアッチョの手からコーヒーカップが滑り落ちた。メローネとホルマジオはヒュウと口笛を吹き、イルーゾォは意味のない咳払いをする。ソファーに腰掛けるリゾットだけが無反応だ。
「マンネリかぁ……ふぅん、何か意外だな」
「何十人と女を食ってる顔だろ、ありゃあ。生娘の相手が面倒くせぇってなら分かるがよォ〜」
 メローネとホルマジオはどこかワクワクした顔でプロシュートに話しかける。
「キス一つで恥じらう夢主が男を悦ばせる技を持ってると思うか?」
「あぁ、それは無理だろうな……そうか結構ヤバかったんだ」
 妙に納得したメローネは大きく頷く。このチームはDIOと夢主の繋がりがきっかけで立場が好転したと言ってもいい。それが断ち切れるのはよろしくないことだ。
「最初から飛ばしても夢主が辛いだけだからな。どちらもじっくりと夜を楽しめなきゃ意味がねぇ」
「何だよ、それなら俺も呼んでくれたら良かったのに」
 身を隠していたくせによく言う、とプロシュートは鼻先でメローネを笑い飛ばした。
「……なるほど。ようやく意味が分かった。あの時の感謝の言葉はそれに対するものだったのか……」
 リゾットの呟きにプロシュートは得意そうな表情を浮かべる。物事が全て上手くいったのは自分のささやかなプレゼントのおかげでもあるが、それにあえて乗ったDIOの気持ちも大きいだろう。
「円満な恋人関係にはある程度の刺激は必要ってことか。シャイなあいつは特にそうだな」
 ホルマジオも感心しながらまだ剃っていない髭を撫でた。
「刺激か……いいね。確かに色気が足りないなって、いつも思うんだよ」
「馬鹿、やめろ。夢主に無茶なこと勧めるんじゃあねぇ」
 にやつくメローネをイルーゾォが眉をひそめてすぐに諫める。
「俺はあの二人を想って言ってるだけさ。彼らの仲が続くほどその恩恵が俺たちにも回ってくる。夢主は俺らのチームの一員で、上司が溺愛する恋人だ。その気を引くために努力するのはむしろ当然だろ?」
 メローネは真剣な顔でそう言いきった後、おもむろに自身のスタンドを出現させた。誰もが驚く中、彼はキーボードを勢いよく叩き始める。
「テメー、何考えてやがる」
 ギアッチョの訝しむ声を無視してメローネは仕事でも時々使うページを開いた。
「俺としてはさぁ、あの素っ気ない姿が駄目だと思う。恋人同士ならこれくらいは常識内だろ」
 クルッとパソコンを回して大きな画面をプロシュートたちに見せる。そこに映っているのは水着を始めとした様々なプレイ用のコスチュームだった。
「……」
 目を瞬かせる仲間たちの前でメローネは意気揚々と画面を指差す。用意のいいことに試着の女性モデルはすべて夢主の姿に変換されてあった。
「俺なら……この可愛い水着、それに透けてる下着は外せないね。一部がモロ見えなのも興奮するけど、まぁ夢主にはちょっと早いかな?」
 何て言いながらメローネがクリックすると、
「メローネのエッチ! どこ見てるの?!」
 と合成された夢主の滑らかな声が辺りに響いた。
「可愛いよなぁ、これマジで着てくれねぇかな……」
 メローネが鼻の下を伸ばしていると、後ろと横から同時に拳が飛んできた。
「……ッ!」
 ギアッチョとイルーゾォの制裁を受けてメローネは声もなくテーブルに突っ伏する。そんな彼を哀れそうに見下ろすプロシュートの横からホルマジオがキーに指を伸ばした。
「良くできてるじゃねぇか。お前、こういう努力は惜しまねぇよな」
 むしろ感心してしまう程だ。ホルマジオは苦笑を浮かべてページをめくる。
「俺としてはこっちだな」
 ホルマジオはしっぽ付きの猫耳セットを選んだ。選んだ瞬間、可愛い猫の鳴き声がして画面の中の夢主がそれらしく体をくねらせる。
「ハハッ、こいつはいい! 本人が見たらブッ殺されそうだが、なかなか面白いぜ」
「ホルマジオまでメローネに毒されんなよ……」
 呆れ顔のイルーゾォにホルマジオはニヤッと笑いかける。
「そういうテメーはどれを選ぶつもりだ? ん?」
「あ? 俺は別に……」
 と顔を背けながらも向けられた画面に目は自然と吸い寄せられてしまった。
「イルーゾォ、いいから選んでみろよ。ただのお遊びだ。本人がここに居るわけじゃねぇ」
 今頃、夢主とペッシは市場を歩き回っているはずだ。最後には必ずカフェで一息入れるので帰ってくるのはまだ先になる。イルーゾォは罪悪感を感じつつ、それでも抗えない誘惑に負けてページをめくった。
「ここにお注射しますね。少しチクッとするけど大丈夫よ」
 ピンク色のナース服を着た夢主が笑顔でそんな事を言ってくる。イルーゾォはカッと顔を赤らめた後、勢いよくパソコンを閉じた。
「イルーゾォはエロいナースさんに優しく治療してもらいたいわけか……ふぅ〜ん」
 いつの間にか痛みから復活したメローネがこちらを見上げてニヤニヤと笑っているではないか。見られて聞かれたのならもう逃げ場はない。イルーゾォは苦い顔をして再び画面を開き、可愛い姿を目に焼き付けてから背後のギアッチョを振り返った。
「ここまで来たら全員同罪だ。次はギアッチョ、テメーの番だ」
「な……ッ! 俺はそんなモン見たくもねぇッ! 勝手に押しつけんな!」
 パソコンを向けられたギアッチョは慌てた様子で窓の外に目を向ける。
「はいはい、言わなくても分かってるって。ギアッチョの好みはさぁ……コレだろ?」
 メローネはニッと笑って裸体に白いレース付きのエプロンを着た夢主の姿を選んだ。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」
 恥じらう視線に隠しきれていない素肌がどうにも色っぽい。ギアッチョはそれをメガネの奥でしっかりと見届けた。
「ククク……ギアッチョのヤツ、キッチンに立つ夢主の姿をいっつも盗み見てるんだぜ」
 固まってしまったギアッチョを背後に置いてメローネはホルマジオたちに向けてヒソヒソと話しかける。
「このムッツリ野郎」
「まぁ、確かにこれは男心をくすぐるよな。永遠のロマンってヤツだ」
 プロシュートとホルマジオの声が重なるごとにギアッチョの拳がブルブルと震えだしている。肩を押さえ込まれたメローネが危機感を覚えたときにはすでに怒りは爆発していた。
「あーあー、また始まった」
 イルーゾォは呆れ声で争う二人から視線を外し、パソコンをプロシュートに向けた。まだ選んでいないのは彼とリゾットだけだ。
「プロシュートがどれを選ぶかすげぇ興味あるんだけど」
「俺もだ」
 イルーゾォとホルマジオはそれまで涼しい表情でコーヒーを飲んでいるプロシュートを窺った。
「……俺か?」
 クッと笑って仕方なさそうに画面を手元に引き寄せる。際どいボンテージ、看守服と囚人服、海賊に警察、魔女にお姫様……様々な妖しいコスチュームを眺めながら彼の目はある一つのところで止まった。
「男のロマンと言えば……これが王道だろ」
 くるっと向けた画面には清楚なメイド服を着た夢主がはにかんでいた。
「ご主人様、今夜はたくさんご奉仕させていただきます」
 と言う一声にイルーゾォはにやけてしまう口元を覆った。
「おぉ、確かに王道だな。俺はてっきり婦警服を選ぶと思ってたぜ」
「そっちも悩んだが……普段おとなしい奴が自ら進んでやるのがいいだろ?」
「なるほど……ま、それもアリだな」
 にやついた笑みを浮かべるホルマジオを横目にプロシュートは最後の一人へ向き直る。これまでずっと沈黙していたリゾットだ。我らがリーダーはどういう趣向がお好みなのか、是非とも教えてもらいたい。
「リゾット」
 プロシュートから話を振られた彼はゆっくりと瞬きをし、少し呆れたため息を吐いた。
「馬鹿なことを言ってないで部屋に戻れ」
 ……そう言われると誰もが予想する中、意外にも彼は薄い唇を開いた。
「白シャツ一枚だな」
 ぽつりと呟いた言葉にホルマジオとイルーゾォは目が点になってしまった。プロシュートも聞き間違いだろうと思ってリゾットの顔を見つめ返す。
「水に濡れて、肌に張り付いているのがいい」
 そう言い放つリゾットにホルマジオたちは顔を見合わせる。
「今の……冗談だよな?」
「真顔で言うか? ……しかしギアッチョと同レベルだな」
「このまま夢主と一緒に居させて大丈夫か? 俺は不安になってきたぞ……」
 声を潜めて話す三人へ心外だとばかりに眉を寄せ、リゾットは読みかけの雑誌に手を伸ばした。
 メローネとギアッチョが争う音はもはや日常的なことなので、リゾットにとっては街中のざわめき程度にしか感じられない。
 チーム名とは裏腹に今日もここは平和なようだ。

 終




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