護衛チームの場合


 明るい日差しが差し込む事務所にカチャカチャとキーボードを打つ音が先ほどから響いている。それを子守歌代わりにうたた寝をしていたナランチャは大きな欠伸をついてソファーから起き上がった。
「フーゴ……今、何時? ブチャラティたち帰ってきた?」
 ぐーっと背伸びをするナランチャに冷たい視線を向けつつ、フーゴは腕時計を確認する。
「もうすぐ三時です。ブチャラティとボスはまだ帰ってきてませんが、ミスタならさっき外から戻ってきましたよ。今頃はケーキを切り分けてるんじゃあないですか」
「マジ? ミスタ、気が利くなぁ!」
 昼寝を終えたナランチャは口元のよだれを拭って隣の部屋に向かった。ドアを開けると小さなキッチンがある。そこではフーゴが言ったようにナイフを持ったミスタがケーキを前に立っていた。
「お? ナランチャ、シエスタは終わりか? フーゴの奴が羨ましそうに見てたぞ」
「仕方ないだろ。俺がパソコン触ると壊れるし、ハンコ押すだけの仕事なんて簡単すぎてつまんねーよ」
 ナランチャはクリームがたっぷりと乗ったイチゴケーキを見ながらフォークと皿、それからコーヒーの用意をする。
「なぁ、それ、何時になったら切るんだよ。早く食べようぜ」
「今、四つにならねぇように考えてるんだ、ちょっと黙ってろって」
 ケーキを食べたいのはナランチャだけでない。ミスタの周囲では彼のスタンドたちが「ミスタ、ハヤクシロー!」などと騒ぎ立てている。
「どう切っても食っていけば四つになるんだし、別にいいんじゃねーの?」
「馬鹿言え、いいわけあるか」
 フォークを持ってすでに準備万端なナランチャは真剣な様子のミスタを見て溜息をついた。不吉な数字を免れたいミスタに付き合っているとケーキはいつまで経っても食べられそうにない。
「他に何かねーの?」
 仕方なく冷蔵庫を覗き込めば、飲み水といくつかのジュース、それとピッツァの切れ端とプリンのカップが二つあるだけだった。
「プリンか……これジョルノのだよな?」
 名は書かれていないが彼が好きなドルチェの一つだ。いつも執務室の大きな椅子に腰掛けてこのプリンを美味しそうに食べている姿を思い出す。その時のジョルノはあまりに幸せそうで……ナランチャはいつも、
(こいつ、どれだけプリンが好きなんだよ……)
 と少し呆れ気味に眺めている。
「……そんなに美味いのかな?」
 いつもはクールなボスがドルチェを食べるときだけは年相応の表情を取り戻す。うっとりと幸せそうな息を吐くジョルノを思い出すと何だか無性に食べたくなってきた。
「一個残しておけば平気だろ」
 軽い気持ちでナランチャはプリンを手に取り、スプーンを用意する手間を惜しんで容器の底を叩きながら口に流し込んだ。とろっとした食感の後、バニラと卵の風味が口一杯に広がった。濃厚でとっても甘いそれにほろ苦いカラメルソースが混ざり合う。まるで飲むようにして喉を滑り落ちていったプリンにナランチャはカッと目を見開いた。
「ンまぁーいッ! 何だこれ!?」
 初めて食べた食感にナランチャは目を輝かせた。そもそもこの国ではレストランやドルチェ専門店ぐらいでしかプリンは売られていないし、ナランチャも胃袋にどっしりと落ちるお菓子の方が好きだ。未知の味を知ったナランチャはプリンの容器に舌を突っ込んだ。
「ゲッ! 何してんだテメー!」
 ミスタが呆れて言うがナランチャは無視してべろべろと舐めた。
「クソー! プリンがこんなに美味いなんて知らなかったぜ。ジョルノの奴、いつもこんなの食ってたのか……!」
「ジョルノって……あっ! お前、それ……!」
 ミスタはケーキを切る事を忘れてナランチャが手に持っている空のカップを指差した。
「この馬鹿、ジョルノのだって分かっていながら食うなよ……」
「いいじゃん。もう一個あるし」
 ぺろりと唇の端を舐めるナランチャにミスタは顔を覆った。
「お前なぁ……それ、夢主がジョルノのためにわざわざ作ったヤツだぞ。しかも体調を良くしてくれるスタンド付きの特別なヤツ……」
「!?」
「お前、明日の朝にはナポリ湾に浮いてるな」
 ミスタは脅すように首をナイフでかっ切る真似をして見せた。ナランチャは顔色を悪くさせてサッとプリン容器を体の後ろに隠す。
「ミスタ……お前、黙ってろよ?」
「さーて、どうするかなー?」
 ミスタはナイフをくるりと回してとぼけてみせる。彼のスタンドたちがナランチャの横で「コロサレルゾー!」とか「ニゲルナライマダゼ!」とかニヤニヤしながら脅してきた。
「いつまでここで騒いでるんですか。ボスとブチャラティが帰ってきましたよ」
 不意にドアを開けて入ってきたフーゴにナランチャは飛び上がった。
「うぉお! 俺じゃねぇ! 食ったのはミスタだからな!」
「ハァ!? ナランチャ、テメー、俺に罪をなすりつける気かぁ!?」
「知ってるなら教えてくれたっていいだろ! わざと教えなかったんだ! 絶対にそうだ!」
「あんたら何言って……いいから早く二人を迎えに出て下さいよ」
「い、嫌だ! 俺、魚の餌になりたくねぇよ!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるナランチャはミスタの服を必死で掴み、キッチンから引きずり出そうとするフーゴに激しく抵抗した。
 そんな三人を事務室から眺めていたブチャラティは苦笑と共に背後にいるジョルノを振り返る。
「どうやらナランチャがお前のプリンを食べたらしい」
「……いくら僕でもプリンで人を海の底に沈めたりしませんよ」
 黒いスーツを着たジョルノは肩を竦めた。キッチン内で騒いでいる三人をそのままにブチャラティは書類の束をフーゴのパソコン前に置く。
「ジョルノ、美味いものを独り占めしているとそのうち太るぞ」
「フフ……案外、その方が貫禄がついてボスらしく見えるかもしれませんね」
 ブチャラティの言葉にジョルノは皮肉めいた言葉を残す。
「幹部たちの言葉を気にしてるのか? 気にするな。男は外見よりも中身だ。そうだろう?」
 ジョルノは曖昧に微笑んで歩き出した。
「僕の大事なプリンを食べたナランチャにはいつもの書類整理をお願いします」
 事務所として借りてある部屋を出て上階の自室へ向かうジョルノに、ブチャラティはふと思いついた事を口にする。
「なぁ、ジョルノ……たまにはみんなで家庭料理を味わうのも悪くないと思わないか?」
 ブチャラティの言葉にジョルノは不思議そうに目を瞬かせている。行きつけのレストランの味をブチャラティは気に入っているはずだし、何より家庭料理などどこで味わうつもりなのだろうか。
「リゾットのチームから腕のいい料理人を一人借りて来ようと思う」
 ブチャラティが誰の事を言っているのかすぐに分かった。
「俺の部屋のキッチンがいいか?」
「いえ、僕の部屋でお願いします」
 ようやく心から笑顔を浮かべたジョルノにブチャラティは深く頷いた。



 夢主が大きな荷物を抱えてジョルノの部屋を訪ねたのは太陽が高く登りつめた昼過ぎだった。
 数日前、ブチャラティから食事会の誘いを受けた夢主は個人的に付き合いのある料理上手な老婦人のアニータに助けを求め、仲間たちとあちこちの店を回って食材を用意した。ディナー当日である今日はボスの忠実な部下・ジャンルッカが運転する車に乗り込んで、ナポリ湾が見渡せるジョルノの隠れ家にやって来ている。
「いらっしゃい。待っていましたよ」
 いつもの黒いスーツを脱いだジョルノはラフなシャツとズボンに身を包み、柔らかな笑顔で夢主を出迎えた。
「重そうですね。僕が持ちますよ。さぁ中へどうぞ」
 夢主の手から多くの食材が詰め込まれた袋を受け取ってジョルノは玄関扉を大きく開く。
「お邪魔します」
 ジョルノが一人で暮らすマンションに来るのはこれで三回目だ。広いリビングから一望できる青い海はきらきらと輝き、波止場に並んだヨットの上ではカモメたちが一休みをする姿が見えた。明るい日差しがたっぷりと注ぎ込むキッチンには白い冷蔵庫とワインセラーが、大理石で作られたカウンタートップにはエスプレッソマシーンと電子レンジが並んで置かれてある。
「あまり料理をしないので……道具が足りなければいつでも言って下さいね。ジャンルッカに買いに行かせますから」
 その言葉が示すとおりオーブンは一度も使われた形跡が無くキッチンツールもそれほど多くない。
「多分、大丈夫だと思うよ」
 夢主は鞄の中からアニータと共に練習したいくつものレシピとアジトで普段使っているエプロンを取り出した。それを身に着けて腰の後ろで紐を結ぼうとすると後ろからジョルノの手が伸びてくる。
「僕が結んであげます」
 耳元近くで囁かれて夢主は思わず身を震わせた。そんな反応を楽しみながらジョルノは紐を結わえていく。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……それじゃあ早速、作り始めるからジョルノはリビングで待っててくれる?」
「僕も手伝いますよ。ここは僕のキッチンですからね。何がどこにあるか夢主だけでは分からないでしょう?」
「でも……」
 組織のボスであるジョルノに料理の手伝いなどいいのだろうか。
「七人分ともなると大変でしょう」
 夢主が持ってきたレシピにちらりと視線を落とし、そこにたくさんの走り書きがある事に気付いた。ジョルノやブチャラティたちが好きな食べ物とアニータからの助言がいくつも書き留めてある。
「邪魔だと思ったらキッチンから追い出してもらっていいですから」
「そんなこと……」
 出来るはずもない。夢主は慌てて首を横に振った。
「良かった。じゃあ始めましょう。まず僕は何をすればいいですか?」
 ジョルノは用意してあったエプロンを素早く身に着け、お日様のような笑顔で手順を聞いてくる。夢主は少し赤くなりながらカウンターに置かれた袋から食材を取り出し、張り切るジョルノに手渡していった。


 今日の夕食会を提案したブチャラティがジョルノの部屋を訪れると、両手にフライパンと鍋を抱えたジャンルッカが玄関先に立っていた。
「おや、ブチャラティ。早いですね。料理はもう少しで完成するのでダイニングで待ってて下さい」
 エプロンを着けたジョルノはそう言うと、部下から真新しいフライパンを受け取ってご機嫌な様子でキッチンに戻っていく。
「……楽しんでいるならいいんだ」
 ブチャラティは苦笑しつつジョルノに言われたとおりにダイニングへと足を向けた。大きなテーブルには真っ白なクロスが敷かれ、中央の花瓶には赤い花が生けられている。七人分の椅子と食器、フォークやナイフ、ワイングラスとナプキンもすでに用意され、後はチームの仲間がやってくるのを待つばかりのようだ。
 ブチャラティは大きく開かれた扉からテラスに出ると目の前に広がるナポリの海を眺めた。沈みかけた太陽が街を照らしブチャラティの頬を海風が優しく撫でていく。
 以前は殺風景だったテラスも今日のためにジョルノが色々と整えたらしい。石柱にはツタが這い、バラが至る所に咲き乱れている。壁と一体化するように木々が生え、大きな葉にはオレンジ色の光が降り注いでいた。そんな花と緑があふれるテラスで暮れゆくナポリの夕暮れを堪能していたブチャラティのもとにキッチンからいい香りが漂ってくる。
「お、」
 慣れ親しんだトマトとチーズの香りを胸に吸い込みながら匂いが漂い出ているキッチンへ目を向けると、窓の向こうで微笑み合う夢主とジョルノの姿が見えた。出来上がった料理の味見でもしているらしい。夢主がスプーンに息を吹きかけて冷ましたスープをジョルノは身を屈めて口にしている。
「……どう? 美味しい?」
「ええ、とっても」
 そんな会話が聞こえてきそうだ。二人寄り添う彼らは初々しくてそれを見守るこちらが照れてしまいそうになる。
「次は二人だけでディナーを楽しんだ方が良さそうだな」
 ブチャラティは小さく笑って睦み合う二人から視線を外し、大人しくダイニングで待つ事に決めた。


 ボスの部屋に招かれたとはいえ、仲間内だけで行われる食事会にナランチャとミスタ、フーゴにアバッキオはいつもの格好で姿を見せた。気取らない彼らをブチャラティが出迎えてテーブルセッティングされた食卓に案内される。
「こ……今晩は、リゾットのチームに所属する夢主です。よろしくお願いします」
 ソースで汚れたエプロンの端を握りしめて夢主は挨拶をする。緊張でうまく舌が滑らなかった。
 ブチャラティやミスタから話は聞いているものの、初めて顔を合わせる事になった夢主という女にナランチャとフーゴ、それにアバッキオは遠慮のない視線で真っ正面から射貫く。
 品定めするように全身を見つめられて夢主の背中に冷や汗が流れ落ちた。
「あ……すみません。すぐに脱ぎますから」
 顔を赤く染め慌ててエプロンを外そうとする。彼女の後ろにいたジョルノはその紐を解くのを手伝ってやった。
「そんなに強く見つめないで下さい。夢主の綺麗な肌に穴があいてしまいそうですよ」
 ジョルノは夢主のために椅子を引き、自分の隣の席へ座らせると、ナランチャたちの強い眼差しを注意した。
「そうはいってもよォー、ジョルノ……リゾットのチームっつーことは……」
 ナランチャは目の前に置かれたタコのサラダをフォークでつつきながら夢主の顔をじろじろと眺める。
「彼女、暗殺チームの一員でしょう? しかも色々な能力を持つスタンド使いだって聞いてますよ」
 フーゴもテーブル上のナイフを指先で弄びながら鋭い視線を投げかけてくる。
「まぁ、いいじゃねぇか……夢主……だっけ?」
 無遠慮に見つめる二人をアバッキオが諫めた。ついさっき夢主が用意した空のポットを持ち上げて、彼はカップに中の液体をジョボジョボと注ぎ入れる。
(いつの間にお茶を……?)
 夢主が不思議に思っていると、
「遠い国からわざわざ来たんだ。茶でも飲みながら……俺らと話しようや」
 アバッキオは薄く笑って紅茶とはとても思えない黄色い液体が入ったカップを差し出してくる。カチャン、と陶器がこすれ合う音が夢主の耳に届いた。
「……」
 怖々とアバッキオの顔を窺えば彼はテーブルに肘をついて楽しそうに見つめてくる。さっきまで険しい表情だったナランチャとフーゴも何故かクスッと笑い出していた。
「飲まねーのか? ぐいっと飲んじまえよ、ホレ」
 夢主の右隣に座ったミスタが肘で腕をつつきながらお茶を勧めてきた。
「えっと……」
 夢主の脳裏にアバッキオが行った新人に対する嫌がらせの一例と、その被害を受けたジョルノから、
「アバッキオは人に自分の尿を飲ませようとする変態ですから、飲み物には十分に気を付けて下さい」
 そんな忠告を受けたことを思い出す。冷や汗に加えて今度は涙が出てきそうだ。
 潤んだ目で助けを求めるようにジョルノを見れば彼はにこりとした笑みを向けてくる。
「このチームの通過儀礼みたいなものですよ」
「の、飲まなきゃ駄目……?」
 まさかここにきて飲尿プレイを強制されるとは思わなかった。今にも泣き出しそうな顔でアバッキオたちを見つめるが、彼らは夢主がカップに口を付けるのをただ待っている。
「お前ら……」
 誰もがにやつく顔の中、ブチャラティの呆れた声がした。
「悪ふざけもいい加減にしろ。彼女は俺たちのために一生懸命、料理を作ってくれたんだぞ」
 そう言ってブチャラティはカップを手に取って夢主が目を丸くさせる前で躊躇いもなく傾けてしまった。
「あーっ! そ、それ……!」
 慌てて椅子から立ち上がる夢主の様子に誰もが堪えきれなくなったらしい。プーッと吹き出した後、ダイニングは大きな笑い声が響き渡った。
「ジョルノ……妙なことを吹き込むな。可哀想だろう」
 半分ほど減ったカップをテーブルに戻し、ブチャラティは笑い転げているチームの仲間たちに眉を寄せた。
「すみません。でも僕じゃないですよ。ミスタが悪戯しようって持ちかけてきたんです」
「あ、テメー、ジョルノッ! バラすな!」
 からかわれた事に気付いた夢主は隣に座るミスタをジロリと睨む。
「ワリぃ、だってあんた何でもすぐに信じるからよォー」
 ププッと肩を震わせて笑う彼に夢主は唇を尖らせて椅子に座り直す。ギャング流の悪戯にしては悪趣味すぎる。これならまだメローネのセクハラの方がマシかもしれない、そう思った。
「あーあ。ミスタ、どーすんだよ。ヘソ曲げちゃったぞ」
「馬鹿なことを考えるからですよ。後で報復を受けても僕は知りませんからね」
 さっきまでの険しい顔を止めてナランチャとフーゴは笑顔を浮かべて話しかけてきた。
「あんた、俺がマジで飲ませると思ったのか?」
 アバッキオは呆れた顔で夢主を見てくる。
「だって……」
 新人には本気で飲ませようとしていたではないか。隣のジョルノをちらりと見ると、彼は夢主の目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、ご機嫌を取るように綺麗な笑顔を見せてくる。
「悪ノリしてすみません。後でミスタにはちゃんと罰を与えておきますから」
「オイオイ、俺だけかよ!? ナランチャとフーゴも楽しそうだからやれって言ったんだぜ?」
「ミスタ、往生際が悪いですよ」
 フーゴには知らぬ顔をされナランチャはそれを見てゲラゲラと笑い転げている。アバッキオはそれらしく見えるように薄めた紅茶の中身を植木に捨て、空になったポットを再びテーブルの上に戻した。
「いい加減……夕食を始めてもいいか?」
 ブチャラティは小さなため息をこぼし、未だ封の開けられていないワインボトルを掲げて見せた。



 まず、前菜として出したのはジョルノの好きなタコのサラダだ。
「父さんは絶対に食べようとしませんが、タコは美味しいですよね。夢主と嗜好が同じで嬉しいです」
 柔らかく茹で上がったタコの足に様々な香辛料とオリーブオイルで味付けられたものをジョルノはフォークに刺して嬉しそうに食べていく。タコに関しては親子のどちらも譲れないらしい。
「懐かしい味だな……」
 故郷の漁村を思い出しているのだろうか。ブチャラティの好きなカラスミソースのスパゲッティは彼の里心を揺さぶってしまったようだ。アルデンテに茹でたパスタにすり下ろしたカラスミを混ぜ合わせたものをブチャラティはしんみりとした表情で口にする。
 二皿目の主菜はミスタの好きな牛胃袋のトマト煮のトリッパだ。夢主は白い皿の上に盛って次々とキッチンから運び出した。
「あー! これこれ、たまんねぇ……!」
 そのままでは臭いのキツイ牛の第2胃袋を夢主はアニータの教えの元で下処理をし、さらに時間を掛けて下茹でをしてからトマトソースと一緒にコトコトと煮込んだ。それをミスタはあっという間に平らげてしまう。
 副菜として出した新鮮なルッコラにチーズとバルサミコ酢、オリーブオイルを振りかけたシンプルなサラダをアバッキオは黙々と食べた。
「ンマイなぁ、これ! もう一切れ食べていい?」
 バジリコとトマトソース、トッピングにはキノコを。それら覆い隠すようにしてとろりと溶けたモッツァレッラチーズが実に美味しい。そんなマルガリータをナランチャは笑顔で頬張り、さらに食べようと伸ばした手をアバッキオに遮られてしまった。
「誰がやるか」
 そう言って不敵に笑うとアバッキオは最後の一切れにガブリと食らいつく。ナランチャの悲痛な叫びに夢主はくすくすと笑った。
「ヒヒ、共食いしてらぁ」
「ミスタ……それ以上言うと、僕、怒りますよ」
 からかってくるミスタを睨みながらフーゴはふわふわの口当たりのパンナ・コッタをスプーンに乗せた。生クリームをたっぷりと使ったドルチェには甘酸っぱい苺のソースがかけられている。
 何本ものワインとパンを消費し、食後のエスプレッソを満足そうに飲み干す彼らを見て夢主はようやく肩の力を抜くことが出来た。とても美味しいですよ、とジョルノが褒めてくれた料理だがどうしてもブチャラティたちの反応が気になってしまい、最後まで落ち着かない気持ちを持て余していたからだ。
「いいなぁ、リゾットの奴ら。毎日こんなメシ食ってんのかァ……」
「素直に羨ましいですね」
 ナランチャはぽつりと言葉を漏らす。フーゴも同じ意見のようだ。
「なぁブチャラティ、いっそのこと俺らのチームに引き抜こうぜ」
「……え!」
 コーヒーを飲みながらミスタが提案した内容に夢主は目を剥いた。
「あんな奴らの所よりこっちのほうが居心地いいと思うぜ? なぁジョルノ?」
 ジョルノはカップを置いて夢主を静かに見つめてきた。
「そうしたいところですが……こればかりは夢主の気持ち次第ですね。僕はいつでも歓迎しますけど」
 ジョルノは甘く微笑んで夢主の手を掴んでくる。
「このマセガキが……おいブチャラティ、冗談も程々にしろって言ってやれ」
 アバッキオは苦い顔で最後の砦であるブチャラティに目配せした。ブチャラティは困惑する夢主をちらりと見てくる。
「と言っているが……君はどうしたい?」
「……どうしたいって言われても……」
 リゾットのチームを抜け出すなどこれまで考えた事がない。リゾットの部屋で仲間たちとわいわい騒ぎながら夕飯を取ることを夢主だって楽しみにしている。そもそも彼らに少しでも美味しい物を食べて欲しくて料理を習い始めたのだ。
「……ごめんなさい」
 きっとブチャラティたちも喜んで食べてくれるだろう。それでも……やはり自分の居場所はここではない。頭を下げる夢主にブチャラティとジョルノは微笑み、アバッキオはホッとした表情になる。
「なんだ、つまんねーの」
 ナランチャは頬膨らませてしまった。フーゴとミスタは苦笑するばかりだ。
「じゃあさ、たまにこうして作ってくれよ。さっきのマルゲリータ、俺、もう一回食べたいし! あ! あとジョルノにいつも作ってるプリン! あれも頼むよ。なぁいいだろ?」
「え?」
「いいこと言いますね、ナランチャ。じゃあ月に一回くらいはこうして僕の部屋でディナーを楽しみましょうか」
 僕の部屋、という部分を強調してジョルノは話をまとめてしまった。
「そーだな。よし、じゃあ次は何を作ってもらうかな……」
「だからプリンだって! あれ食いてぇよー!」
 ミスタの言葉にナランチャが反応する。彼はどうしてもプリンが食べたくて仕方ないようだ。
「あんたらの胃袋と心の広さには呆れますよ」
「まったくだな……」
 フーゴとアバッキオは子犬のようにはしゃぐナランチャを呆れた様子で眺めている。
「騒がしくてすまない……だがまたこうして会ってくれると俺も嬉しい。今まで繋がりの無かったチームが少しずつでも関心を持てば、この組織の絆はより強固なものになるはずだ」
 ブチャラティの穏やかな声に夢主は笑顔を返す。いつか両チームが同じテーブルを囲む日が来るかもしれない……そう思うととても愉快だった。


 日が落ちた港街はそれでも輝きを忘れる事はない。月明かりに照らされた海面は揺らぎながらどこまでも広がって、ナポリに暮らす人々の耳に波音を届けている。
「なんつーか意外だよなァ……彼女、マジで暗殺チームの一員なのか?」
 潮風と花の香りに満ちた開放的なテラスで男五人がビール瓶を片手に夜景を眺めていると、不意にナランチャがそんな事を言った。
「疑っても本当の事だぜ? まぁヤバイ仕事は与えられてねぇけど」
「イタリアに来る前はアメリカのスピードワゴン財団で働いていたようですね」
 ミスタとフーゴがそんな会話をするのを少し離れたところでアバッキオが耳にする。
「それが……どうして“ああ”なったんだ?」
 アバッキオが顎で示す先で、夢主とジョルノはキッチンに並んで立っていた。明るい光の下で二人は汚れた皿と鍋の片付けを行っている最中だ。会話が弾んでいるのか彼らは実に楽しそうに笑い合っている。
「さて……どうしてだろうな?」
 ブチャラティにも詳しいところは分からない。すべてを知っているのはジョルノとその父親だけなのだろう。
「フーン……何か面白そうなヤツだよなァ」
「お前、ボスの恋敵にでもなるつもりか?」
「度胸だめしも程々にしないと馬に蹴り殺されますよ」
 ミスタとフーゴの言葉を受けてナランチャはキッチンで仲良く皿洗いをする二人を見つめた。幹部を集めた定例会議では落ち着いた大人の雰囲気を漂わせているジョルノが、これ以上ない笑顔を振りまいている。笑ったりからかったり、甘い言葉を囁いたりと忙しそうだ。
 そんな顔もするんだな……と思って眺めていると、皿を片付けようと夢主が背を向けた瞬間にジョルノとバチッと目があった。
 意味を持たせるような強い眼差しを受けて、思わずこちらの会話を聞いていたのかと思うほどだ。
「……そろそろ俺たちは退散した方が良さそうだ」
「らしいな」
 ブチャラティとミスタは瓶を傾けて底に残っていたビールを飲み干した。フーゴとアバッキオはテーブルの上に空の瓶を置き、確かな足取りで室内に戻っていく。
「え、なに、もう帰んの?」
「この馬鹿。少しは気を遣ってやれよ。忙しいジョルノはたまにしか会えないんだぜ?」
「え? あ、……あー……そーいうことか」
 ミスタに頭をぽんぽんと叩かれてナランチャもようやく理解した。
「何だよ。それならそうとジョルノの奴も早く言えよなぁ」
 ナランチャも仲間たちと共にテラスを後にする。玄関先ではすでにアバッキオが外に出て、車の手配をするためにジャンルッカを呼びつけていた。フーゴもブチャラティのために扉を開けて待っている。
「えっ! もう帰っちゃうんですか?」
 ブチャラティに別れの挨拶を切り出された夢主はあたふたとエプロンを脱ぎながら玄関ホールに駆けてきた。その後ろからゆっくりとジョルノも姿を見せる。
「すまない、急用が出来てしまった。美味しい料理をどうもありがとう。今夜はとても楽しかった」
 見送りに来た夢主にブチャラティは笑顔で話しかけてくる。彼にそう言われては強く引き止める事が出来なかった。アバッキオたちと共にエレベーターに向かうブチャラティを見送って夢主は困ったようにぽつりと声を漏らす。
「買ってきたジェラートどうしよう……」
 その声を拾ったミスタは、
「ジョルノと一緒に食えばいいさ。腹を壊さない程度にしとけよ」
 そう言って夢主のお腹をつついてくる。
「じゃあ、僕とテレビか映画でも見ながらゆっくり食べましょうか」
 持っていたエプロンを優しく奪い、ジョルノは躊躇いがちに頷く夢主の手をするりと取った。
 ナランチャはそんな二人を見て少し羨ましく思う。
 先に降りたブチャラティたちと合流したナランチャは用意された車に乗り込んだ。フーゴが運転するその横で彼は小さくなっていくジョルノのマンションをミラー越しに眺める。最上階の明かりはついたままだ。
「俺も恋人作ろうかなァ……」
 ぽつりと呟いた言葉は飲み足りないと騒ぐミスタの声にかき消されて誰の耳にも残らなかった。

 終




- ナノ -